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旦那様、その真実の愛とお幸せに  作者: おのまとぺ
第一章 真実の愛を見つけた夫
14/63

14 最後の夜の二人



 レミリアが屋敷を去る日が明日に迫っていた。


 離縁に関する書類はすでに書き上げて、アントンとレミリア共にサインを済ませている。証人としては前もってホークスのサインを貰っていたため、後はこれを役所に提出すれば終わり。三年間務めたシンプソン公爵夫人という役柄から解放されるのは少し不思議な気持ちだが、心残りはなかった。



「…………奥様、」


 身の回りの世話を済ませてからもその場を立ち去らない若いメイドの方をレミリアは振り返る。ユミルはまだ若いうちからよく働いてくれた。おそらくこの屋敷しか知らない彼女は、これからのことを思って心配なのだろう。


「ユミル、その棚の上の箱を取ってくれる?」


 レミリアは離れた場所にある木製の棚の上に置かれた、青い箱を右手で指差した。トトトッとメイドは近寄ってその箱を手に戻って来る。


「これはね、私がシンプソン公爵家に嫁入りするときに両親が私に預けたものよ」


「まぁ……それはとても大切なものですね」


「そうね。うちは厳格な家だったから、父はこの箱を一つ手渡して、しっかりと良き妻を全うしろと言ったの。帰ることは考えるな、と」


「…………、」


 なんとも言えない困った顔でユミルは唇を震わせる。おおよそ、こんなことになってしまったレミリアの胸中を慮ってくれているのだろう。


 そう、両親は帰ってくるなと言った。

 三人姉妹の次女として生まれたレミリアは辺境伯の父と、それを支える教育熱心な母のもとで育てられた。「男は働き、女は家を守る」という典型的な夫婦の在り方を踏襲していたから、彼らが嫁入りする娘に同じことを強いるのは自然なことかもしれない。


「私は帰らないわ」


「え……?」


「この家のことは私が守る。私は決して、貴女たちに悲しい思いをさせたりはしない」


 握り込んだ右手の爪が手のひらに食い込む。それぐらいの強い決心はあった。静かに心の中で青い炎がメラメラと燃えるのを確認して、レミリアはリボンを解いて箱の蓋を持ち上げた。


「これは………!」


 驚いた声を上げるユミルの前で、レミリアは中に寝かされた揃いのアクセサリーのうち、小さな指輪を取り出して見せた。錆びることのない白金の輪にダイヤとルビーが並んでいる。青い箱の中には、指輪の他にも同じデザインのネックレスとブレスレットが綺麗に納められていた。


 嫁に出るレミリアへの、両親からのせめてもの祝いの気持ちだったのだろう。箱の上蓋の裏側には達筆な文字で「末長く幸せに」と書かれていたので、複雑な気持ちになった。


「実はね、今日初めて開けたの」


「えっ……!?」


「厳しいことを言われて家を出て来たから、あまり良い思いはなかったのよね。なんとか自分でもやれるんだって意地だけで、この三年間は生きてきた」


 なんとか、やってみせる。

 シンプソン公爵夫人として、病を患った義父の世話も、まだ精神的に成長し切っていない夫のサポートも。そして彼と仲違いした義弟との関係についても、どうにか頑張って、自分の手で。


 エイドリアン・シンプソンを看取れたことは大きな功績だと思うけれど、後はどうだっただろう。亡き義父の最期の言葉に従ってこの家を守るために動くのは、果たして良いことなのだろうか。


 事実を知ればきっとアントンは怒る。

 彼の恋人や、義弟のヘイズも牙を剥くはずだ。



「ユミル、これをあげるわ」


 レミリアは手に持ったままの指輪を、ふっくらとしたメイドの手のひらの上に落とした。メイドは大きく目を見開いて口をパクパクさせる。


「だ、ダメです!こんな高価なもの、私なんかが受け取ることは出来ません!」


「………迷いがあるのよ」


「え?」


「自分がしていることが正しいのか分からないの。私は旦那様が離縁を申し出たとき、とくに心が痛くなることはなかった。だけど、この家のことを思うと途端に不安になって、胸が震えた……」


「奥様………」


「屋敷を離れたくないわ。好きなのよ、自分の部屋の窓から見える景色だったり、早起きして料理長に淹れてもらうコーヒーだったり……」


 いつの間にか、レミリアの頬には涙が伝っていた。

 泉のように湧き出るそれを拭うことなく言葉を紡ぐ。


「いつの間にか、好きになっていたの……三年という年月を過ごしたこの家を、屋敷のみんなを、私は好きになっていたから……」


「奥様、もう構いません。どうかお涙を、」


 ユミルの差し出したハンカチを受け取って、レミリアは目元を押さえる。息を吸って吐く、何度かこの動作を繰り返せば、いくぶんか気分は良くなった。


 指輪を載せたままの白い手を上から握り込んで、レミリアは若いメイドの顔を覗いた。


「これを……貴女に預けるわ。私がちゃんとやり遂げるところを見守っていてほしいの。悪行か善行かは、きっと私が死んだ後に神様が決めてくれると思うから」


 貴女を信用している、と言い添えると迷いを見せながらもユミルはその指輪をポケットに仕舞った。それは、シンプソン公爵夫妻の離縁が翌日に迫った最後の夜のこと。公爵夫人とメイド、二人しか知らない話。



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