11 向かい合う二人
レミリアとアントンの離縁まで残るところ四日となった、ある木曜日のこと。
シンプソン公爵家の当主は朝方から友人の結婚式で家を空けているため、レミリアは自分の部屋でゆったりと過ごしていた。必要なことはすべて終わったし、荷物はほとんどまとめてある。あとはまさに、運び出される日を待つだけの状態。
「奥様、お客様が………!」
いつもと様子の違うメイドが眉を寄せて困ったようにそう言う。アントンの関係だろうか、だとしたら彼は留守だと伝えるだけ。
「旦那様は今日はまだ帰らないわ。お名前だけ伺って、お引き取りいただくように」
「それが……奥様にお話があると……」
どういうわけか、メイドは泣き出しそうな顔をする。レミリアはわけが分からずにとりあえず肘掛け椅子から腰を上げて部屋の入り口まで寄って行った。
「いったいどなたがいらしたの?私の友人?」
年に数回の茶会で交流する以外は、ほとんど顔を合わせない夫人たちを友人と呼んで良いのか悩みながら問い掛ける。広く浅く築いた人間関係を思い返すと、先日ホークスに言われた「情がない」という言葉が浮かび上がった。
いったい何故あんな風に詰ったのか。
彼に言われる筋合いなど毛頭ないのに。
わずかに顔を顰めたレミリアの顔色を窺いながら、メイドは小さく声を発した。
「…………エロイーズ様です」
「なんですって?」
寝耳に水。まったくもって予想外の来客に、思わずレミリアは素っ頓狂な声を上げる。メイド自身も信じられないといった様子でオロオロと目を泳がせた。
「旦那様は不在であるとお伝えしたのですが……本日は奥様にお話があると仰っていて……」
「分かったわ。私の部屋へお通しして」
「え?客室ではなく、ですか?」
「この場で構わないわ」
メイドは恭しく頭を下げると足早にその場を去った。パタパタと遠去かる足音を聞きながら、レミリアは鏡に映った自分を眺める。
母から受け継いだ赤い髪、若い頃よりはもしかすると笑顔が減ったかもしれない。口紅を塗った唇を指で引き上げて無理矢理に笑ってみる。アントンの恋人の瞳に、レミリアはどう映るのだろう。
そんなことを考えているうちに、再度扉が叩かれた。
「………二度目ましてですね、エロイーズ様」
「ごきげんよう。シンプソン公爵夫人」
愛人と本妻の一騎討ちという、とんでもない現場に居合わせた使用人たちは居心地が悪そうに皆揃ってソワソワしている。レミリアは一つ息を吐いて、いくぶんか離れた場所にある小さな頭を見据えた。
「ご着席ください。どうやら立ち話は不向きな内容のようなので」
「あら、感謝いたします。出来れば彼らにも席を外していただけるかしら?飲み物は温かい紅茶をいただければ嬉しいわ」
「………みんな、退室してちょうだい。ユミルはお客様と私に同じ飲み物の用意をお願い」
一番端に立っていた若いメイドがペコリと頭を下げて足早に部屋を出て行く。それに続いてゾロゾロとシンプソン邸の使用人たちが部屋を出て行く様をレミリアはただ黙って見守った。
数秒の沈黙。
重苦しい空気を変えるには、小窓から吹き込む風だけでは少々物足りない気がした。
「どういうつもりかしら?」
レミリアは膝の上で両手を重ねて顔を上げる。
目の前の女もまた、こちらを見ていた。
「取引をしに来たの。貴女にとっても悪くない話よ」