3話 インターバル
夢だったのか、それとも現実だったのか――結衣には、まだ答えが見つからない。
サヤが残した名刺、街を変えた不思議な光景、「また会おう」という言葉。すべてが胸の中に残り続け、彼女の日常に小さな波紋を広げている。
いつも通りに見える街並み、変わらず響く人々の声。けれど、その裏側で何かが変わり始めている。
警察の問いかけ、追いかける視線、そして再び現れたサヤ――結衣の心の中に、また新たな疑問が生まれる。
静かな日常の中で、真実は少しずつ顔をのぞかせ始める。
平日、午後六時半――。
結衣は警察署の小さな会議室に座っていた。
蛍光灯の冷たい光が、机の表面を白々と照らしている。長机の向こうには二人の公安刑事。
硬質で容赦のない空気が部屋を満たしていた。
「それで――『ヒノタニサヤ』とは、それが初対面やった。ちゅうことで間違いないですね? 駒川 ”先生”?」
神谷・マッケンジー・玄。
40歳前後と思われる男性警部補。柔らかい関西弁に紛れた、妙な鋭さ。目の奥に、見透かそうとする光が宿っている。
「はい、初めて会いました」
結衣は仕事モードで口を動かしながら、内心で自分を鼓舞していた。
興奮――(だーかーらー、そう言うとるがな!)
不安――(あの……なんべん聞いたら納得します……?)
葛藤――(もう腹立ってくるわー! 後で法的にケツから手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ)
欲望――(すみません……オスはダメなんです……)
正義感――(結衣、冷静にな? いつも通りやれば大丈夫やぞ?)
三度目の尋問。同じ質問を繰り返されるたびに、神経がすり減っていく感覚があった。
「ほなら……そのお嬢ちゃんを発見した際、先生がスマホで撮影してた動画について、もっぺんだけ教えてくれまっか?」
神谷が再び口を開き、横に座る杠琳が宙|にペンを走らせる。
結衣と同世代に見える女性刑事。
冷静沈着な様子だが、その視線は一瞬たりとも結衣から外れることなく、鋭い観察眼を感じさせる。
「動画は、弁護士としての職務に基づいて記録しただけです。」
結衣はマニュアル化されたような返答を繰り返す。だが、内心はさざ波のように揺れていた。
杠が首を傾げる。「職務……ですか?」
「はい。『依頼人』が万が一、事件や事故に巻き込まれていた場合の証拠保全のためです」
「その場に依頼人などいなかったはずですが?」
「不測の事態を想定して、ですよ?」
「――なるほど」
結衣は慎重に言葉を選び、”最初” と同じ返答をした。
一連のやり取りは、まるで筋書きがあるかのようにスムーズに進む。それは、「不測の事態」すら想定されているような、不快な感覚だった。
――平日の深夜二時、未成年、赤いマント、銀色の鎧、本物の武器。発言に違和感を感じなかったのはなぜ?
「彼女の発言は若干不可解でしたが、『コスプレ』という趣味の性質上、全体としてそこまで違和感を感じませんでしたた」
――ただのコスプレイヤーだと思った、と?
「そうです。一般的にみれば、当時の状況は異常に見えるかもしれません。しかし――コスプレは非日常を味わう非効率な趣味です。衣装やセット、時には撮影時に大規模な演出も行います。そういった当事者視点で見れば、『普通の状況』だったと言えます」
「……もうええわ、琳」神谷が言葉を引き取る。
杠が無言のままペンを置くと、神谷が再び口を開いた
「先生……送ってもろた動画データの件ですがね」
神谷がタブレットをひっくり返し、結衣の方に向ける。
「“ウチ” で解析したら……どうもおかしな点が見つかったんですわ」
「おかしな点?」結衣は “初めて聞く展開” に、無意識に眉をひそめた。
「せや。例えばな――」
神谷が画面をタップすると、結衣自身が撮影した動画が再生される。
だが――サヤの顔だけが、異様に歪んでいた。まるで違法な「ジャミングマスク」のように。
「でも……これ、わたしの時は、普通に映ってましたよ」
「こっちでは、こうや。よー聞いてみ?」神谷がスピーカーのボリュームを上げる。
「――ナャアァァーオ……ッ!」
発情したメス猫のような鳴き声。サヤが話していたはずの場所から、はっきりとした猫の声が流れてきた。
葛藤――(まってまって、ネコちゃんなん!? 「ネコ」!? )
不安――(うそやん……動画、改ざんされてる……?)
興奮――(いやでも、これは……「タチ」結衣さん! 出番です!)
「解析チームが入念に調べとるみたいやけど……映像には物理的な改ざんの痕跡はないらしいですわ」
神谷はそう言いながら、結衣を見据える。
「……つまり?」
「つまりやな、先生。これは “最初からこういう状態やった” ってことや」
室内の空気が、一瞬だけ重く沈む。
彼は椅子の背にもたれ、少しだけ間を空けてから、ぽつりと呟いた。
「どーゆーこっちゃろな? 先生はどう思います?」
「さぁ……わたしの専門は企業法務なので……」
彼は一呼吸置き、椅子の背にもたれかかる。
だが、その目は結衣を鋭く捉えたままだ。
「先生――」
彼は淡々とした口調で言葉を続けた。
「世の中には、おったらあかん『異物』いうのが、ほんまにおるんですわ」
部屋の空気が、ひときわ重く沈む。
結衣は思わず呼吸を忘れそうになる。
「……異物?」
神谷は意味深に笑う。
「先生……もし仮に、この『ヒノタニサヤ』が、そういう “異物” やったとしたら――そんなんに関わって大丈夫ですかね?」
結衣は一瞬だけ口を噤んだ。しかし、すぐに言葉を返す。
「私は弁護士です。『依頼人』がどんな立場でも、守る義務があります」
神谷はその答えに満足げな笑みを浮かべ、杠に目配せする。
「やぁ――ほんま毎度毎度、ありがとうございます。ほなら、今日はこれで終いにしましょう」
「今回で終わりってことですか?」
「いやぁー、ウチらとしては先生のこと、まだまだ見過せんのですわ。……すんませんが、引き続きご協力をお願いします」
それは丁寧な表現に包まれた、明確な警告だった。
◇◆◇◆◇◆◇
警察署の外に出ると六月の湿、湿った夜風が結衣の頬を撫でた。
だが、その風さえ、どこか異質な冷たさを持っているように感じられる。
バッグに付けられたパスケースを裏返すと、そこには「黒いカード」
――「黒いカード」の冷たさが、掌にじわりと広がる。
(……なんか、「不思議の国」に踏み込んだ?……)
胸の奥に渦巻く不安を抱えながら、結衣は自宅マンションへと歩き出した。
視線を上げると、頭上をドローンが音もなく飛び去っていく。
宅配用だと分かっていても、どこか監視されているような気配を感じてならない。
不安――(な-んか……尾行られてる気ぃするよな……)
葛藤――(わかる。でも、気のせいってことにしとかん?)
興奮――(あ……めっちゃお腹ムズムズしてきた)
欲望――(わかる。なんかチッキュンしそう……やば……)
正義感――(せめて帰るまで我慢せい)
視線を感じて振り返るが、当然誰もいない。
街路樹の影に設置された監視カメラが、結衣の動きをトレースしている気がしてならない。
マンションに着くまでの間、結衣は無意識に後ろを何度も振り返った。
けれど、誰もいない。
ただ、街のざわめきと科学の光が辺りを満たしているだけだった。
マンションに到着し、ドアを閉めると、ほっとしたように深呼吸をした。
リビングのライトが自動で点灯し、室内に温かな光が広がる。
「おかえりなさい、結衣」
優しい声。
いつものように、ホームAI――「ベルナール」の声が部屋に響く。
だが、今日はその声が妙に間延びして聞こえた。
「……ただいま、ベル」
「本日もお疲れさまでした。温かい飲み物を準備しましょうか? 新作のハーブコーディアルが届いていますよ」
「あー……ううん、大丈夫」
一拍置いてから、ふと思いついたように言葉を足した。
「ねえ、ベル……」
「はい、何でしょう?」
「もし、誰かがこの部屋のやり取りを監視してるとしたら……ベルは、わかる?」
少しの沈黙。ほんの一秒の間が、結衣の中に奇妙な不安を引き起こす。
「……私はあなたの味方ですよ」
ベルの声には変わらぬ落ち着きがあった。しかし、その答えは質問に対する明確な否定ではなかった。
ソファに腰を下ろし、バッグを放り投げる。
「ベル、テレビニュース」
「はい、今夜のニュースまとめを再生します」
ベルの声に続いて、テレビ画面が自動的に点灯する。キャスターの穏やかな声が室内に響く。
「『世界同時多発ホログラムテロ』から一ヶ月が経過しましたが、未だ首謀者に繋がる具体的な証拠は見つかっていません……」
(……すごいことになっちゃった……)
「……国際的な合同捜査チームが結成され、各国で精密な解析と情報収集が進められています。しかし、一連の現象が最新ホログラム技術によるものか、あるいは “未知のエネルギー反応” によるものか、未だに議論が続いており――」
(……未知のエネルギー、ねぇ……)
テレビから流れるニュースをBGMに、結衣は窓の外に目を向ける。
スマートウィンドウの表面が、ぼんやりと揺らいでいた。
「……また、これかぁ」
指先でガラスをなぞると、まるで水面を揺らしたように光が波紋を広げる。
この窓が、そういった挙動をすることはないはずだ。
「ベル、窓のアプデした?」
「いえ、何も」
「じゃ、なんなのよ……」
放り投げたバッグからパスケースを外すと、中から滑り出たのは、「黒いカード」
何気なくカードを眺めていると――
突然、それが手の中で震え出した。
微かな振動とともに、表面に文字が浮かび上がる。
――
了フ、八 宀]゛≠ヤフ、T力ッ]宀〒゛ 勹儿∋宀= @廾ヤ
――
「いや、何語?……」
未知の言語。
だが、その様式にはどこか見覚えがある。
(……なんか、映画で見た「平成時代」っぽいな)
半信半疑でカメラ翻訳を起動するが、文字を読み込んだ瞬間――OSが強制終了。
「あれ?」
――何度しても結果は同じ。
「なんなのよ……もう」
そのタイミングで、ベルナールが唐突に口を開く。
「結衣、明日は少し早く起きましょう」
「なんで?」
「……直感、です」
「もう……勘弁してよ……」
部屋に残るニュースの音と共に、結衣はソファに体を預けた。
◇◆◇◆◇◆◇
土曜の午前――。
普段よりも遅く目を覚ました結衣は、ブランチをしにSNSで評判のベーグルカフェの前に立っていた。
青空の下、並ぶ客たちの列。その喧騒は、いつもの日常そのもの。
(……たまには、気分転換……)
風が吹き、ネイビーブルーのフレンチシックなスカートの裾が揺れる。季節を先取りしたゴールドのサンダルが、心まで軽くしてくれた。
窓ガラスに映る自分の姿を見ていると――店内にいるツインテールの少女と目が合った。
「おぉ、結衣! こっちだ!」
「ん……?」
「結衣! 早く早く! こっちだこっち!」
「え……誰……――って!?」
結衣の心臓が跳ねた。
窓越しに手を振るのは――サヤだった。
興奮――(うっわ! うわっ!!?)
不安――(まってまって、こわいこわい……)
葛藤――(帰る? いや、帰ろ? いや……でも気になる……)
欲望――(みんな冷静に。まずはサヤちゃん見てみ? あたシコどころか、もう性を司る女神みたいちゃう? ベーグルといえば「穴」やん? さて、これが何の予兆か……勘のいいみんな子は、わかるよね?)
正義感――(白目)
結衣は呼吸を整えながら、列を離れて店内に入る。
サヤが座る窓際の席へ向かうと、彼女は満面の笑みで手を振っていた。
「こっちだこっち! 席は確保したが、注文はまだだ!」
「ちょ……声、大きいって……」
サヤの今日の服装は、白と水色を基調とした柔らかいジャージ素材のトップスに、フレアキュロット。
パステルブルーのエクステがツインテールに編み込まれ、陽光を浴びてキラキラと輝いている。
一部の若者の間で流行している――「ネオ・天使界隈」風のファッションだ。
席についた結衣は、サヤの全身を舐めるように見つめた。視線に気づいた彼女が得意げに答える。
「似合うか?」
「……うん、まぁ……可愛いと思うよ……?」
サヤは軽く髪を触りながら、小さく笑った。
「最新版に “アプデ” したのだ。いまの日本に適応するためにな!」
「へ、へぇ……そうなんだ……」
結衣は曖昧な返事をしつつ、内心ではツッコミを抑えきれない。
興奮――(誰が選んだんやこのコーデ! ……天才か?)
葛藤――(いや、でもツインテやったら……「男姫系制服ファッション」もありちゃうか?)
欲望――(やば……またお腹キュッてしそう……)
「これは儂の『俳優仲間』に選んでもらったものだ」
「俳優仲間って……サヤちゃん役者なの?」
「まぁ、儂のことはいい。それより――昨日のメッセージは読んだか?」
「え? え? ……うそでしょ」
サヤが顎で結衣のカバンを指す。
結衣は半信半疑でバッグを開け、パスケースから黒いカードを取り出した。カードの表面には、昨日と同じような異世界語がうっすらと浮かんでいる。
――
セ≠八 モ宀├ッ〒了儿 〒冫ナT〒゛マ“/ 八ヤ勹]T @廾ヤ
――
「いや、何語?……」
「昨日、『動きやすい格好で来い』と送ったはずだぞ? 見てなかったのか?」
「だから読めないって……」
「なに?……誰でも読める文字になっているはず、と予想していたが……」
サヤは顎に手を当て、まるで中年親父のように目を細めた。
「まぁいい。お主は来た。それで十分としよう」
二人が簡単な会話を交わしている間に、注文したセットが運ばれてきた。
サヤはさっと食べ始め、口いっぱいに頬張りながら感想を述べる。
「……侮れんな」
「何が?」
「このベーグル、食材の組み合わせが絶妙だ。日本の料理人は “調和” を知っておる」
結衣は苦笑いしつつ、サヤの隣でベーグルをかじる。
「……で、なんでまたこんなカフェに?」
「お主と再会するためだ。それに、ここは★4.8だ」
「え……まってまって。偶然いたんじゃないの!?」
「当然だ。だが、現代の流儀として、出会いに偶然は必然だ」
結衣は心底呆れつつも、心のどこかで安心していた。
興奮――(なんやかんや、前より調子良くなっててよかったな!)
不安――(でも、逆に大丈夫か……)
正義感――(ともかく、こないだ「助けてくれ」って言うてたわけやし、倒れてた事情から聞こか?)
「そういえば、こないだ『助けてくれ』って言ってたのは――」
サヤはフォークを置き、静かに結衣を見つめた。
「――本当に良いのか? これから、もっと深く“こちら側”に踏み込むことになるぞ」
「もちろんだよ! てか…… “こちら側” って……何?」
「見ただろう、『魔法』を?」
「……まほ――……う?」
◇◆◇◆◇◆◇
店内には、ベーグルと甘いコーヒーの香りが漂っていた。
休日の午後、窓越しに見える公園では親子連れがのんびりと散歩している。
そんな平和な空間の中で、サヤがふと真剣な表情に変わった。
「……そろそろ行くぞ」
食事を終えたばかりの結衣は、フォークを置きながら眉をひそめる。
「え? もう? いま食べ終わったとこだよ?」
「そうだ」
その言葉には緊迫感もなければ、説明もない。ただ自然体のまま。けれど、結衣はどこか説明不足の印象を受けた。
「……何かあった?」
「予定にはなかったが、ちょっとした散歩だ。不思議の国に案内しよう」
その言葉に、結衣の心臓が跳ねる。
興奮――(おいおい、またそっち系か!)
不安――(いや、不穏フラグでしかやん……)
欲望――(でも、不思議の国とか、ちょっと興奮しすぎるやろ……)
サヤはさっさと席を立ち、レジカウンターへ向かう。水色の財布から「現金」を取り出し、会計を済ませる。
「お姉ちゃんにおごってあげたの? カッコいいねー!」
店員の女の子が笑顔でそう言った。
結衣は思わず照れ笑いを浮かべる。
「いえ、あの……ま、まあ、そんな感じで……」
サヤは「馳走になった」と笑い返し、そのままカフェの出口へと歩き出す。
結衣は慌てて後を追う。
「ちょっと、どこに行くの?」
「『扉』――を使う」
「そりゃそうでしょ」
カフェの出口前でサヤが立ち止まる。
手を軽くかざすと、その場の空気が、空間が、わずかに震えた。
「ん? 耳鳴り……?」
結衣がそう呟いた瞬間、空間が歪んだ。
「――『扉』――」
サヤが扉に手を触れると、その枠に沿って、青白い光が走る。
アンティークな木目が微かに揺れ、波紋のような光が広がった。
まるで「現実」の皮を剥いでいくような感覚。
扉が音もなくゆっくりと開く。
「サヤちゃん、さすがにここでそういうのはマズいって! みんな見てる――」
結衣が後ろを振り返ると、レジカウンターの店員が笑顔のまま、完全に固まっていた。
「……え、なに? 時間止めた……?」
「いや、我々が迷い込んでいるだけだ」
「どこに?」
「境界に」
「境界って……何の?」
「現実と非現実の」
結衣は店員の静止した笑顔を見つめ、冷たい汗が首筋を伝うのを感じた。
扉は、音もなくゆっくりと開く。
その向こうには、カフェの外ではない光景が広がっていた。
「……森?」
日差しが差し込む静かな森のように見える。
しかし、空の色が妙に青く、風が音もなく枝葉を揺らしている。
「何をしている? 行くぞ?」
「ちょ、ちょっと待って!」
結衣が叫ぶより早く、サヤはその「扉」の向こうへと足を踏み入れた。
その姿がスッと光の中に溶けて消える。
結衣は迷いながらも、心の奥底に渦巻く “好奇心” に抗えなかった。
「……ご、ごちそうさまでしたー!」
結衣はカフェの空気を吸い込み、ため息をついてからその扉をくぐった。
視界が切り替わる――。
※魔法メモ
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【 扉 】
種別:転移魔法
作用:任意の「扉」と「扉」を繋げる
反作用:移動すると結構なカロリーを消費
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【 リアクション・ブクマ・コメント・ください !】
種別:生活魔法
作用:作者のやる気を引き出す
反作用:なし
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