1話 帰還
現代日本――万和十六年、大阪西天満、午前二時。
舗装道路に膝をついた勇者は、荒い息をつきながら顔を上げた。
彼の瞳に映るのは、自分の知る世界とは全く異なる「日本」だった。
ガラス張りのビル群、壁面を彩るホログラム広告には様々な言語が使われている。空中を静かに飛び交う配達ドローンに、無音で進む小さなバス――その全てが、彼にとって「魔法」のように見えた。
「ようやく帰還した」――と理解するのに、数秒。
四十年――異世界での戦いに明け暮れた時間が、胸にのしかかる。
眩い光に包まれ、「バスごと」召喚された王宮の大広間。豪奢な玉座の前で「勇者よ!」と呼ばれた日の記憶が脳裏をかすめる。期待に満ちた眼差しと、押し付けられた使命感。そして、「異物」と見なされた五人の仲間。
手渡されたのは、錆びついた武器と三日分の食糧。スラムの片隅で始まったのは、ゲームのような冒険ではなく ”生存”
日々を怯え、月を凌ぎ、年を超えて、多くの仲間が命を散らした。
だがそれでも――守るべき世界には平和が訪れた。そして今、「儂」は戻ってきた。
日本に。
裁判所近くに広がるオフィス街。その無機質な風景は、昼間とは異なる顔を見せていた。
人影のない通りには冷たさを帯びた五月の風が吹きぬけ、街路樹の影が不規則に揺れるたび、何かが潜んでいるような錯覚に包まれる。
まるでジオラマのような静寂。
静寂を引き裂くように、異変は突然訪れた。
一瞬の閃光――目をくらませるような眩しさの中で、空間が歪む。ビルの壁面に映るホログラム広告がぐにゃりと震え、足元を照らす街灯の光が不自然に揺れはじめた。
誰もいないはずの通りに、不安を煽る「異物」が紛れ込む。建物の影がねじれ、加工ツールを使用したかのように歪みだす。
偶然か、それとも必然か。すべての電子機器が一斉に不調を起こし、その異様な光景を目撃した者は、誰一人としていなかった。
その光景は、人知を超えた異質そのものだった。
半円状に浮かぶ五つの ”武器” ――剣、刀、槍、杖、弓。
宙を漂う武器。
最新鋭のホログラム技術「ホロマッピング」か、あるいは特殊な映画撮影技術かもしれない。だが――切っ先から漂う冷気は、紛れもなく生と死の境界を示していた。
半円の中心――そこに膝をつく一人の男。
騎士――この街に決して馴染むはずのない、異物。
白銀の鎧に刻まれた幾何学模様が、まるで生命を宿したような紅い光を脈動する。赤いマントが風に揺れ、黄金の紋章が輝いていた。
周囲の空間を支配する威圧感。
まるで神話の戦場から抜け出してきたかのような威厳――しかし、その男が佇む場所は、王宮ではなく裁判所のオフィス街。
しかも、平日の午前二時。
男は静かに立ち上がり、深く息を吸いこむ。
都市の空気――排気ガス、工業的な塵埃、そして以前よりずっと残る自然の香り。それらが彼の胸の奥深くまで入り込む。
「まるで魔法の世界に逆戻りだな……」
微かに震えるつぶやきが、鎧の中で響いた。
目の前に ”あの光景” が蘇る。
赤い光に照らされた戦場、血と泥にまみれた日々。
「異世界」で戦い続けた四十年――否応なく蘇る記憶の断片が、彼の胸を締め付ける。守るべきものがあった。戦う理由があった……だがもう。
「物語は終わった……」
声がかすれる。
守ったはずの世界、夢にまで見た故郷への帰還。しかし、その実感は一向に湧いてこなかった。
「……すまなかった……皆……本当に……すまない……サヤ……」
彼の唇からこぼれた言葉は、誰に届くこともなく夜風に溶けていく。
やがてふと、近くのガラスに映る自分の姿を見つけた。
後ろで束ねた白髪混じりの長髪。こめかみから顎まで続く古傷は。深いシワに覆われた壮年の顔は、どこか威圧感を漂わせている。
かつて16歳――少年だった自分は、もはやそこにはいなかった。
救世の英雄、最後の勇者。
そして―――▶【 聖龍魂ノ鎧 】をまとう、56歳の王がそこに立っていた。
「まったく……あの小便小僧が、ずいぶん偉そうになったもんだ……」
低く響く声が、夜の街に溶け込んで広がっていく。
彼は一瞬だけ、微かに苦笑した。
◇◆◇◆◇◆◇
「ふぁ……今日は本当に疲れた……」
駒川結衣、26歳。
企業法務に携わる若手弁護士である彼女は、事務所を出て肩を回した。
「あ、やば……明日の契約ドラ、もう一度見直さないと……あと、コスプレの仕込みも……いや、無理か」
仕事の合間を縫っての趣味――コスプレ(エンジョイ勢)。それは彼女にとって、息抜きであり大切な自己表現でもあった。
溜息を漏らしながら歩き続ける結衣。
そのとき、視界の片隅に妙な影が映った。
「……ん? なに、あれ?」
歩道の端に広がる赤い布。散乱する「武器」
その中心に、白銀色に輝く鎧を纏った人物が倒れているのが見えた。
興奮――(え!? 誰か倒れてるやん!?)
不安――(え……うそやん!? 事件? 事故? なんでこんな場所で……)
慎重に近づくと、そこに倒れていたのは若い少女だった。
「え、うそでしょ……? 女の子……??」
透き通るような肌、長く艶やかな黒髪――驚くほど整った顔立ちに、一瞬見惚れる。
精巧すぎる鎧や武器。これほどの完成度は見たことがない。フルオーダーどころか、まるで映画からそのまま飛び出してきたかのような存在感。
「コスプ……レイヤー……だよね?」
まず彼女が発したのは、その一言だった。
思考がぐるぐると巡る。
興奮――(し、氏んでないよな!? やばない!?)
不安――(あかんあかん……これあかんやつ……やばいって……)
葛藤――(え、どうすんの? 通報? え、スルーする?)
欲望――(にしても……かわいいな。C学性とかK校性くらい? この顔であたシコしてるってことやろ!? まじで!? わたしが同級生男子やったら、ガチで三年間シコり続けると思うわ。まさに三年間「棒を振って」な! シュシュシュシュ!)
正義感――(……いやいや、ちゃうねんちゃうねん! 今はそんなんゆーてる場合ちゃうねん!!!!)
脳内に響く五人の内なる声は、無責任に会話を続ける。胸がざわつく一方で、職業柄の冷静さが頭を巡る。
結衣は迷った。
職業柄の冷静さが「すぐ通報しろ」と囁く一方で、「レイヤー」としての感覚が「この子の人生を狂わせてはいけない」と警告する。
(はぁ……どうしよう……)
通行人に助けを求めようにも、周囲には誰もいない。
そう――誰もいなかった。スタッフも、誰も。
どうみてもプロのコスプレイヤーが、こんな時間にこんな場所で寝転んでいる。しかも、未成年。
(通報したら……この子、終わるよねぇ……いやいや、でもでも……)
考え込む彼女の脳裏に、「弁護士の誓い」と「レイヤーの誓い」が交差する――
――【 弁護士の誓い」 】――
1. 基本的人権を擁護し、社会正義を実現するために尽力すること。
2. 法令および弁護士倫理を遵守すること。
3. 常に誠実かつ品位を持って職務を行うこと 。
――【 レイヤーの誓い 】――
1. キャラクターへの敬意を持ち、創作物やそのファンを尊重すること。
2. 仲間たちと平和なコミュニティを築くこと。
3. 著作権や公共のマナー、品位と誠意を遵守して活動すること。
4. 自己表現を楽しみ、他者の自由を尊重すること。
――――
――葛藤をかき消すように、か細い声が静寂を破った。
「……こコは……」
声はかすれていたが、明確に聞き取ることができた。結衣は顔を覗き込んだが、目の前の少女は依然としてぼんやりとしている。
「ちょちょ、ちょっと、大丈夫……? 本当に大丈夫?」
結衣は無意識に手を握りしめ、必死に声をかける。慎重に声をかけると、少女の瞼が微かに動き、ゆっくりと開いた。
「アぁ……そウカ……戻ッてキタたのだナ……」
「戻ッてキタ? ……戻ってきた? って……どういうこと!?」
少女は答えることなく、結衣を見つめる。
金色の瞳が光を放っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
吸い込まれるような瞳に、結衣は息を呑む。
その瞳に宿っているのは、どこか懐かしさと、言葉にできないほどの深い悲しみだったからだ。
「よかった意識あった! ここ、大阪の西天満だよ? わかる!? あなた、名前言える!? 痛いとこない!? 何があったか覚えてる!?」
立て続けに言葉を投げかける結衣。その言葉は安堵から来るものだったが、裏側には動揺も隠れていた。
少女は答えないまま、じっと結衣を見つめている。
迷いと警戒心が入り混じった視線。その目には、現実のものとは思えないほどの深い意志が宿っていた。
「本当に……大丈夫? 話せる?」
再び声をかけると、少女はゆっくりと口を開いた。
「ナまえ……ワシは……」
その声はかすれていたが、意志を感じさせた。結衣は一瞬驚きながらも、さらに身を乗り出す。
「儂は……ヒノタニ……サヤ……」
その名を口にした瞬間、結衣の背筋になぜか冷たいものが走った――が、その理由を知る由はない。
結衣はゆっくりと少女の肩を支えようと「コスプレ衣装」に手を伸ばす。
そして、ふと気づく。
「これ……何? え、本物……?」
一瞬、胸がざわついた。
冷たく、ずっしりとした重量感。
コスプレ衣装や精巧な小道具では説明がつかない。この質感、この重量感、この圧倒的な存在感――どれも「現実のもの」ではないように思えた。
「すご……」
少女の体に纏う鎧は街灯に反射し、白銀の光を放っている。その表面には複雑な紋様が刻まれており、どこか生き物のように紅い光を脈打っている。
結衣は呆然とその模様を見つめ、さらに周囲に散らばった武器に目を留めた。
思わず「剣」に手をのばす結衣。
指先に伝わる感触は、紛れもなく「本物」だった。
「これ……コスプレ用とかじゃないよね……?」」
剣をそっと置き、ふと視線を動かすと、細長い杖が目に入る。
そして次に杖に触れた瞬間――
杖の先端が淡い光を放ち、微かな振動が響く。その瞬間、頭の中に「声」が響いた。
(――「触れるな」)
「えっ……!?」
その瞬間、全身がぞわりとする感覚に襲われた。
思考が急速に加速していくような感覚――目の前の情報が次々に脳内に入り込み、処理されていくのが自覚できるほどの異常さだった。
「まってまって、なになに!?」
驚きと恐怖が入り混じる中、思わず杖を手放した。
混乱と興奮が入り混じる中、再び視線を少女に向けると、彼女がじっと結衣を見つめていることに気づいた。
サヤは目の前の娘を静かに見つめていた。
魔法発動後、どのくらい眠ったいたのだろう。
自分を見つけてくれたこの娘を、なぜか懐かしく思う。それは彼女の顔立ちや仕草のせいだけではない。心のどこかが「お前を待っていた」とつぶやいている――「妻」を想起させるように。
目の前の女が手に持つ光る板――まるで魔導具のように見えるそれに、自分の顔が映り込んでいることに気づく。
滑らかな表面には、若かりし頃の妻の顔が映っていた。
「――あなた、名前言える!?」娘にそう聞かれ、「紗耶」の名前が思わず口をついて出た。
「儂は……ヒノタニ……サヤ……」
サヤは目の前の女から漂う「何か」に気づいた。
風や匂いとは違う、空気を震わせるような力――制御されていない魔力。
異世界では「異物」と忌み嫌われる存在も、ここでは「ただの親切な娘」にすぎない。
その事実が、ここが「日本」であるという実感を突きつけてくる。
冷たい夜風が通りを吹き抜ける中、結衣は目の前の少女――「ヒノタニ サヤ」を見つめていた。
今にも消えてしまいそうな彼女の存在は、どこか現実離れしているようだ。
「サヤちゃんね? コスプレネームでもいいから、とりあえずそれで呼ぶね?」
結衣は優しく声をかけるが、サヤはただ小さく頷くだけで、ほとんど反応を示さない。その様子に、結衣の胸の中に不安がじわりと広がる。
「えっと……わたしは駒川結衣。弁護士よ」
結衣は胸元に輝く金色のバッチを少し突き出し、胸元から出した名刺を見せる。
彼女の名を聞き、サヤの瞳が一瞬見開かれた。
「駒川……?」
その名を繰り返すかのように呟いた次の瞬間、サヤはうなずき何かを理解したかのような表情を見せた。
「そうか……この出会い、やはり偶然であルはずがなかろうな……」
次元間転移魔法「帰還」は必要な全てをその場に織り込む。それがこの娘との出会いを生んだのだ――サヤはそう確信し、しずかに目を閉じた。
すると、心配そうに結衣が口を開く。
「ねぇ、何があったか覚えてる!? ロケだよね? でも、こんな時間に一人にされるなんて……それ普通じゃないよ?」
「何が……あったか?」サヤはしばらく黙り込んだ。
結衣が何か尋ねるたびに、その瞳にはどこか遠い場所を思い出すような光が宿る。
「さっき……コことは違う地球から……戻ってきたんだ……」
「え?」
「あの場所――お前たちが物語や映像で語るだけの『異世界』ダ……」
その一言に、結衣は耳を疑った。
「ん? 異世界……って、ん? あの異世界? いやいや、異世界って……」
少女は結衣の驚きを気にも留めず、静かに続けた。
「儂は……儂らは四十年前、仲間と共に召喚されタ。あの時……バスごと……」
その言葉が紡がれるたび、結衣は目を見開いた。
少女の口から出る言葉が現実のものとは到底思えない。しかし、その表情に嘘や冗談の色は一切なかった。
「……召喚って……」
「皆、戦った。そして、死んだ……」
少女の言葉は途切れ途切れで、それ以上続くことはなかった。
だが、彼女の目に浮かぶ微かな涙が、すべてを物語っていた。
「救えなかッた……儂が……すべてを狂わせてシまった……!」
サヤの小さな身体が震え、そのたびに赤いマントが空気を裂くように揺れる。鎧の幾何学模様が脈動し、紅い光が不気味に周囲を照らし出した。
声を震わせるサヤの瞳には、異世界で散った仲間たちの幻影が浮かんでいるようだった。
「みんな……みんな……ううっ……ううううっ……あ゙ぁぁぁぁ!」
その叫びと共に、空間が押し潰されるような力が放たれる。
突き上げるような魔力の波動が、結衣の髪を逆立てた。
「えっえっ!? なになになになに!?」
空間が裂けるような音が響き、次の瞬間、アスファルトが波のように揺れた。街灯は激しく明滅を繰り返し、建物の輪郭が崩れていく。
視界が揺らぎ、その奥に――見たことのない風景が断片的に現れた。
崩れかけた城壁、赤い空、黒煙を上げる荒野。そして、剣を構える無数の人影が歪んだ空間の向こうに見える。
まるで空間そのものが、過去と現在を繋ぎ直そうとしているかのようだった。
「ええええ、なにこれ!? ホロマッピング……じゃないよね!? えぇ!? なになにっ!?」
結衣の心臓が激しく高鳴る。目の前の異様な光景に圧倒される中、サ彼女は動いた。
「サヤちゃん!」
結衣は無我夢中で彼女を抱きしめた。
凍るように冷たかった鎧は、今や熱を持ち、手のひらから振動が伝わってくる。その振動は全身に響き、恐怖と共に彼女の心を揺さぶった。
「大丈夫! 大丈夫だから! 大丈夫……安心して……あなたここにいるから……」
サヤの周囲に渦巻いていた魔力が徐々に収束していく。結衣の腕の中で。
夜風が再び穏やかに吹き、耳鳴りのような音が消えていく。
「大丈夫だよ……大丈夫だから……」
歪んでいた街並みが元の形に戻り、夜の静けさが再び訪れる。
結衣はサヤの震える肩を支えながら、静かに呟いた。
「大丈夫だよ……」
◇◆◇◆◇◆◇
サヤの目から溢れた涙は止めどなく頬を伝い、冷たい胸当てに滴り落ちる。
「たしか……結衣と言ったか……」
涙の中で途切れがちになる声とは対照的に、かすかな光が戻り始める金利の瞳。
「そうだよ、駒川結衣だよ。わたし弁護士だから、トラブってるなら言ってね? 必ず助けになるから!」
結衣の胸元で金色のバッジが輝く。それは、発達した科学技術が管理する社会で、人々を守る「正義」の象徴。
一方で、サヤの鎧に刻まれた幾何学模様は、異世界で命を懸けて守り抜いた「正義」の象徴。
全く異なる二つの力が、この瞬間、交わったように感じられた。
サヤは人知を超えた「節足点」を感じながら、結衣の腕の温もりを受け止めた。
「助けてくれ……」
かすれた声。
異世界を救った自分が、ただの娘に救いを求めている。それは大いなる矛盾と共に、運命を感じさせるものだった。
何も聞かず、ただ短く頷く結衣。
「……わかった。安心して……大丈夫だよ……」
彼女の言葉には、不安や戸惑いの欠片もなく、ただひたむきな優しさが込められていた。
サヤは結衣の微笑みに、何か救いの光を見た気がした。
「……ありがとう……」
その夜、静寂に包まれた街の片隅で、科学と魔法が交差し、新たな物語がゆっくりと動き出した――。
※魔法メモ
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【 帰還 】
種別:次元間転移魔法
作用:次元を越える
反作用:不明
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【 リアクション・ブクマ・コメント・ください !】
種別:生活魔法
作用:作者のやる気を引き出す
反作用:なし
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