なにを読んでも許せる人だけ読んでね
あるところにアマチュア小説家の男Aがいた。
彼は公募の小説賞の最終選考に残るほどの筆力の持ち主だったが、どうしてもプロにはなれなかった。
「もっと多くの人が見てくれるWeb小説ならば、評価されるのではないか」
Aはそう思っていくつもの作品を投稿したものの、結果は散々たるもの。
しばらくして、彼は山に出かけたまま行方不明になった。
──数年後。
登山客の前に、うなり声をあげた熊が現れた。
「うわあ!」
驚いた男、Bの悲鳴を聞くと、なぜか熊のほうが逃げてしまった。
熊が飛び込んだ茂みから人とよく似た声で、
「まさかこんなところでBさんに会うなんて」
と聞こえてくる。
それはBには聞き覚えのある声だった。
「あ、あなたはもしや、何度もお会いしたAさんでは?」
すると、のっそりと熊が立ち上り、
「いかにも。私はAです、Bさん」
BはAがオフ会でいくどとなく顔を合わせていた、読み専の人だった。
「なぜ、そのような姿に」
「私は小説家になれない悔しい思いを抱いたまま、この山に登りました。そして、なぜなれないのか悩んでいると、いつの間にかこんな姿になっていたのです」
Aはうなだれながら、
「もう熊になってどれほどか……。私は自分が書いた話をまた読みたい。そうすれば、さまざまな疑問が解決するのではないかと思っているのです」
Bはスマホで、Aの小説ページを表示させると、彼に渡してやった。
熊の手でもタッチは可能なようだ。
しばし文に目を通したAは、熊の身ながらその瞳に涙をたたえた。
「私は小説を愛していたが、自分の文章は身勝手で、読者のことをまるで考えていないものだった。小説賞の選考に残れる実力に慢心し、知らず知らずのうちに自信過剰になっていたのだ。きっと、そのごう慢な思いが自分を獣の姿へと変えてしまったのだろう」
人に戻れるかは分からないが気が済んだ、ありがとう、とAはスマホを返した。
「ところでBさん、あなたは今も読み専を続けているのですか」
「いえ、実は書くようになりまして、作品は書籍化、コミカライズもされています」
「そ、それはすごい。きっと才能があったのでしょう。今まで数多くの作品を読んできた経験も活きたはず。しかし、さぞや苦労もなされたでしょう」
「いいえ、苦労なんて。人気ジャンルの人気作を適当にまねて話にしただけです」
「え?」
「まず、一目であらすじが分かるタイトルにしましてね。それから嫌みな上司に見立てられるような悪役を出して、無能で役立たずだからお前は仲間から外すと、主人公をひどく罵らせるんです。でも隠れた能力を活かして主人公は大活躍、一挙一動を太鼓持ちのヒロインたちに誉めちぎらせて、悪役は惨めな思いをしてズタボロになるんです」
「それで、それから?」
「それから? それだけです。倒されるためだけの悪役を何度も出して、そいつを圧倒しては周りがキャーキャーすごいすごいと、とにかく誉め称えてくれて。特に目的もなく、やることが無くなったら畑いじりのスローライフをさせたりして」
「え、あ、ああ」
「最近は猫も杓子も恋愛恋愛ってほど、女性向けの恋愛ジャンルが流行ってまして、そちらも書いたら本になりました」
「恋愛物というと、恋人同士の心の機微や距離感の描写に自然と力が入りますね」
「いえ、それほど」
「え、だって、恋愛ジャンルですよね?」
「恋愛描写とか、そういうのはおまけ程度でいいんですよ。主人公は不遇な人生を送っているけど、それは全部他人が押し付けたもので、高潔で芯のある美女にしましてね。その悲劇のヒロインの前に、金と権力を兼ね備えた完全無欠の美男子、いわゆるスパダリが颯爽と現れ、とにかく溺愛するんです」
「溺愛を。おもに、どのような経緯で?」
「理由なんか、なんだっていいんですよ。とにかく、良い男に自分だけが特別扱いしてもらえるってのが女性読者には受けるんですから」
「そ、そうですか」
「それと婚約破棄物ですかね。さっきのもそうなんですけど、自分を貶めたモラハラ浮気男と見た目だけの尻軽女をこれでもかと、徹底的に完膚なきまで痛めつけてやると、これがまた受けが良くて。手を叩いて喜んでる読者の姿が目に浮かぶようですよ」
「あの、なんだか、その、ストーリー性よりも相手を痛めつける展開が重視されてるような」
「今の流行りは、どこもスカッと、ですよ」
「スカッと」
「ようは、ルサンチマンでふてくされた、さえないオッサンオバサンの渇いた承認欲求に甘い砂糖水を垂らしてやるような、言うなれば一時、爽快で楽しい夢が見られる話を書けば、ポーンと人気が跳ね上がるってわけですよ。
まあほら、大衆小説なんて、昔っからそんなもんでしょ。お芝居や舞台や映画だって、歴史を紐解けばいかに客がカタルシスを感じられるかなんです。つまり極論、エンターテイメントの作り話なんてのは見た人がスカッとできりゃ何でもいいんですよ。
いやーしかし、読み専だった自分が言うのもなんですけどね、シンプルなものを求める読者ばかりで助かりますよ、あははははは。
Aさんも「小説は芸術」みたいな変なこだわりなんか捨てて、手っ取り早くこういうのをぱぱっと書けば、すぐに小説家になれたんじゃないですか?」
Aは悲しげに咆哮をあげた。
そして、
翌日、Bは引き裂かれた死体で見つかった。
この話に批判的な深い意味はない。
こんな簡単に小説家になれないはずだから。