辺境伯ブルク家ご令嬢(2)
私も泣きたかったが、できないものはできない。彼を騙すような媚薬を作って渡すことは私にはできない。媚薬のレシピは知っている。私の力では完璧なものは作れなくても、少しの効力を込められたりはするだろう。だからこそ、私にはできない。
「ね……今日はご帰宅されてお休みになった方がよろしいですわ。夜も眠れないのでしょう?ぐっすり眠れるように寝る前にミルクを……「そんな気休めなんて聞きたくないっ!」」
ソフィー令嬢は私の手を振り払った。彼女はパッと立ち上がって後ろによろよろと後ずさった。
「あなた……あなた……あなたもしかして……っ!」
彼女は真っ赤な顔をして私を睨むように見た。
「あなたも王子のことを好きなのね!?「違いますっ!」」
私の否定の言葉にムキになりすぎた感があったのだろうか。女の勘は鋭い。
彼女は私をキッと睨んで静かに言った。冷たい高位貴族令嬢の声になっている。
「もう結構。あなたには失望しましたわ。失礼いたしますわ。突然押しかけてきて申し訳ありませんでした」
ゾフィー令嬢は扉を静かに開けて出て行った。彼女は一度立ち止まり、私だけに聞こえる声で言った。
「あなたが王子に何かした場合、あなたが死ぬか私が死ぬかよ。許さないから」
それだけ言うと、ブロンドの巻き毛を揺らしながら、こちらを振り返ることなく、毅然とした態度でゾフィー令嬢は馬車に戻って行った。
私は玄関の外に出た。侍女と共に馬車に乗り込み、彼女が馬車の窓の中から冷たい目線で私を一瞥する様を呆然と見ていた。
家の前に咲く薔薇の花が、ピンク色や白の大輪の花を咲かせている。
家柄から考えれば、ゾフィー令嬢のような方がスティーブン王子の妻としてはふさわしいだろう。その考えは私の気持ちを虚しく寂しくさせた。
気づけば、近所の子供達が通りをこちらに向かって駆けてきていた。
「聖女のお姉ちゃんのパンだぁー」
「食べたーい!」
「いい匂いだね!」
あちこちの窓から顔がのぞき、ニコニコした顔の子供達が通り駆けてくる。みな、粗末な服を着たいつもお腹を空かせた子供達だ。
「さあ、パンが焼けたわよっ!」
私はハッとして気を取り直し、子どもたちに声をかけた。
しばらく私の家は多くの貧しい家の子どもたちで賑わった。私は自分が朝ごはんも食べていないことも忘れて、大忙しで子どもたちにパンを分け与えた。母の分と自分用に2つだけ残して、裏庭で私はパン焼きがまから焼きたてのパンを子どもたちに配って回った。
子供達が帰る頃、私はさっきのゾフィー令嬢のことを忘れかけていた。あんな出来事が起きるまでは。
その後に起きた衝撃的な出来事もあり、すっかり忘れていたのだ。