失って(1) フランソワーズSide
レンハーン法曹院は私も知っている。かつての父の職場でもあったから。
うとうととしていたところを王子に起こされて事態を悟った私は、すぐに服を着た。昨晩は家に放火された。今日は嘘の罪を着せらて、処刑台に送られる瀬戸際のようだ。
ゾフィー令嬢の放った言葉が耳に蘇る。
『あなたが王子に何かした場合、あなたが死ぬか私が死ぬかよ。許さないから』
ゾフィー令嬢は『あなたが死ぬか私が死ぬか』という言葉通りに実行したということになる。私はゾフィー令嬢の本気さを悟って、震えた。
――彼女が本当に死んでしまったらどうしよう?
ブロンドの髪が美しくカールしていて、天使のような愛らしい青い瞳を持つ18歳の令嬢の姿が頭に浮かんだ。唇は小さく、全てにおいて小さく愛らしくまとまっていて、有名画家に描かせた彼女の絵は大評判になり、実物も素晴らしく美しかったあの令嬢が、命に代えて私を告発した。無事では済まされないだろう。
――お願いっ!まだ早まった事をしないでいて。
私は心の中で必死に祈った。スキルを発動してなんとか彼女の命が消えていない事を確認しようとしたが、うまくいかなかった。
ロバート・クリフトン卿は本気で私の心配をしていた。テリー・ウィルソン卿は私を少し疑ってはいるものの、助けるしかないというスタンスだろうか。
秘密の抜け道からニーズベリー城を脱出すると決まった。
私はスティーブン王子に手を取られて、そのまま逃走した。大好きな人に手を取られて「逃げよう」と言われるのは、切羽詰まっている状態なのに、どこかときめいてしまう。
私はバカだ。逃避行が、物語のようにロマンチックな訳がない。
自分が囚人として牢に入れられて、濡れ衣で死を迎えるかもしれないのに。
ジットウィンド枢機卿は目的のためなら、法律用語で固めて私を罪人に仕立て上げられるだろう。ブルク家の治安判事もそうだろう。
私は初めて知った王家の秘密通路を駆けながら、時折私を心配そうに振り返りながら、私の手を握って走るスティーブン王子の瞳に心を打ち抜かれた。
愛してもいない私のために、こんなことをしてくれる人はそうそういないと思う。ロバート・クリフトン卿とテリー・ウィルソン卿にも感謝しかない。罠に嵌められる運命の私のために、彼らはなんとかしようとしてくれていた。
これから行くレンハーン法曹院のことを考えた。壮麗で立派な建物のその場所は、父の時代には既に200人を超える弁護士が所属していたと聞く。古くからある弁護士教育機関であり、ここに所属しないと法律家として認められない。法律家である事を示す黒装束の弁護士がたくさんいる場所だ。
秘密通路を抜けると、貴族のお屋敷の庭の中にあるやはり東屋に着いた。私たちは東屋をそっと抜け出して、庭の中を歩いた。
「クリフトン伯爵家だ。現在のクリフトン伯爵家でこの通路の事を知っているのは、ロバートだけだ。この屋敷は先先代の王からクリフトン家が賜ったものらしい」
スティーブン王子はそっと私に説明した。伯爵家の門番は王子に驚いた顔をしたが、王子は慣れた様子で説明した。
「ロバートを訪ねていたんだ。彼は先に出かけたが」
「スティーブン王子様。そうですね……先ほどロバート様はテリー様と一緒に馬で出て行かれました」
門番は驚きのあまりに言葉に詰まりながらもそう答えた。
「あぁ、そうだね。僕も後を追うよ」
「承知いたしました」
門番は私の様子をチラッと見たが、特に何も言わなかった。私が誰だか分からないだろう。
市街の道は混んでいた。屋台も立ち並び、人々の往来が多く、火縄銃を持った兵が集団で歩いていたりもした。馬や馬車の往来も多い。王子は一目につかないように俯きながら歩き、私の手をずっと握って先導してくれた。
敵に追われる状態で、恋する人に手を引かれてリードされるというのは、なんとときめくのだろうか。
私の心はハラハラドキドキの緊張と、心のときめきでどうにかなってしまいそうだった。
レンハーン法曹院に着くと、王子は目的の部屋があるのか、迷うことなく真っ直ぐに歩いて進んだ。突然、壁際に押し付けられて、王子がそこに身を重ねてきて私はドキッとした。
「しーっ、大法官であるジットウィンド枢機卿の部下がいる」
王子は壁際に私に覆い被さるようにして、私は至近距離に王子の唇と首筋があるので、心拍数が急激に上がり、心臓の音が王子に聞こえてしまわないかと焦った。
「よし、行った。目的の部屋の前まで来たら、一気に部屋の中に入って身を隠すから」
王子はそう言ってピッタリと私の体に重ねていた体を離して、また私の手を引いて急足で歩き始めた。
私はほっとする間もなく、王子について行った。そして、王子は一つのドアの前までくると、周囲を素早く見渡してノックしたのだ。
「どうぞ」
穏やかな声がして、私は王子に手を引かれたまま、室内に身を入れた。
目の前には、どこかで見たことがある男性がいた。黒づくめの法律家らしい衣装を来て、髭をはやしていた。カツラを被っている。たった今、裁判所から戻ってきたばかりなのかもしれない。
「ダニエル、久しぶりだ」
「これは王子!お久しぶりです。そちらは例のフィアンセですか?」
青白い顔をしてヒョロヒョロのもやしのような男性がにこやかな笑顔で私とスティーブン王子を出迎えてくれた。
「そうだ。こちらはフランソワーズ。私の最愛の人で、三ヶ月後には妻になる」
王子の言葉に私は赤面して身につまされた。嘘でも「私の最愛の人」と紹介されるのは、心に刺さって何かがおかしく感じる。幸せだ。
「それはそれは初めまして。このような所まで来ていただきまして、お礼申し上げます」
スティーブン王子はダニエルと呼ばれた法廷弁護士に対して、状況を詳しく説明した。




