戸惑い スティーブン王子
――可愛いく見える?
――薔薇色の頬……?
全く意識していなかった第二聖女のフランソワーズは、突然僕の前に出現したような感じだった。
前から勇敢で真面目な使命感に燃えている、国に忠実な聖女だと認めてはいた。だから、多くの時間を一緒に過ごしてはいた。それは、他の騎士団や王子つきの側近たちと変わらない認識だ。
――それなのに、それなのに?
媚薬を飲まされてから、咄嗟にうろ覚えだった彼女の家の住所を御者に告げて逃げ込んだまでは確かに記憶がある。それなのに、食べたこともない粥や食べたこともない美味しい焼きたてと思われる温かいパンをもらった辺りから、記憶が曖昧だ。
気づけば、何てことをしたんだろうと自分でも膝から崩れ落ちてよろめくような醜態を、彼女に晒していた。
そうだ。
そうなのだ。
僕は。
僕は……あり得ないことをしでかした。
気づいた時には無我夢中だった。目の前にとんでもなく可愛らしく魅力的な女性がいた。女性のドレスは僕が脱がしてしまったようだ。
僕は彼女を本能のままに、抱いていた。彼女が顔を火照らせて潤んだ瞳で僕を見つめるさまに、何か僕の奥の方で火のような熱いものが湧き上がり、僕の行動を止められないものにしていた。彼女が乱れるさまを見ることがとてつもない幸福感を僕に与えた。最後までしていないのに。
それが第二聖女のフランソワーズだとは気づいていなかった。彼女が一糸纏わぬ姿で乱れて僕を受け入れてくれた様に(いや、十分逃げようと悶えられた気がするが……)、心の奥底から「この人だ」という声が聞こえた。
この人?
何が?
僕が薬を盛られて好きなように操られる危険も、好きでもない令嬢にべったりしつこく言い寄られる危険も、宰相や高位貴族の思うがままに操られるリスクも犯すことなく、完全に自由でいられる条件を満たす人が、目の前にいたのだ。
彼女は王子である自分が薬で苦しむ様をなんとか身をもって制しようとしていただけだ。その忠誠心から一種の事故が起きたのだ。
僕は彼女がそばにいることについては、全然嫌ではない。
彼女がそばで食事をとっても全然平気だ。
彼女が僕の隣にい続けても全く平気だ。
よく考えたら、女性ながら彼女ほど僕の隣にいる人も今までいなかった。
僕がいまだに愛していて、その呪縛から逃れられないあの人以外に、だ。
契約婚を決めてからは不思議に気持ちが軽くなった。
胸が締め付けられるような思いに苦しめられていたのに、フランソワーズを事故で抱いてしまってからは、不思議なことに苦しい思いが減ったのだ。
昨晩、彼女の家に放火があったのは僕のせいだ。
なんの前触れも根回しもなく、貧しい家出身の第二聖女である彼女との結婚をいきなり発表したからだ。突然の発表のせいで、彼女にその皺寄せが行ったのだ。
フランソワーズの命が狙われたのは間違いない。
僕はそのことを決して許せない。彼女が無事だと聞かされてからも、一晩中眠れずに騎士団の報告を待ち続けた。
目の前にすすだらけの彼女が現れたとき、僕の胸に温かいものが込み上げてきた。
僕は彼女を守りたいと思った。
朝早くに彼女を乗せた馬車がニーズベリー城に到着してきた時、不思議な思いが僕の胸に去来した。
――あぁ、次の女主人がようやくこの美しいニーズベリー城に登場したんだな。
完全に愛のない結婚だろう。
だが、政略結婚なんてほとんどがそうだ。
どう考えても、第二聖女フランソワーズと僕の間には愛がない。
彼女は僕が意識混濁した状態で彼女を抱いてしまった仕打ちに、猛烈に怒っていた。
でも、一つだけ今朝分かったことがある。
フランソワーズについて僕は嫌いじゃないし、彼女を大切にしたいとすら思った。僕を振った第一聖女のヴィラ以外で、僕が初めてそう思った女性はフランソワーズだけだ。
結婚相手としては、今の僕にとってはフランソワーズは完璧だ。
何より可愛いと思える。
――可愛いく見える?
僕は自問自答しながら、腕の中で意識を失った煤だらけのフランソワーズを豪華な客室のベッドに運んだ。
そっと気をつけて彼女を起こさないようにしてベッドに寝かせた。
褐色の髪の毛をそっと撫でて、髪の毛についていた燃えかすのようなものを取った。
「君が無事で本当に助かった」
僕はそっとフランソワーズのおでこにキスをした。なんでそんなことをしたのかは分からないが、彼女の全てを見た男の責任として、彼女を守ろうと誓った。
「アーチー、いいか?誰が犯人か調べて調査結果を報告してくれ」
後ろで控えていた騎士団長のアーチーに厳しく命令した。
「はい、王子」
アーチーはすぐに部屋を辞した。
「この者たちが、今日からフランソワーズの侍女だな?」
僕は別邸の全てを取り仕切るクランセラー夫人に尋ねた。5人の侍女が夫人の後ろに控えていた。
「さようでございます」
僕が見る限り、以前から別邸で働いていた侍女たちばかりで新顔はいない。
「私の妻になる人だ。未来のリーズベリーの女主人になる人だ。大切な人だから、心して世話を頼みたい」
僕はクランセラー夫人とその後ろにじっと控えている5人の侍女にお願いした。
「かしこまりました、王子様」
皆が神妙な顔つきで返事をしてくれた。僕はクランセラー夫人と侍女たちにまた後で様子を見にくると伝えて、客室を出た。
客室のすぐ外には守りの騎士が2名立っている。
「頼むぞ」
「はっ!」
「かしこまりました!」
騎士たちは心強い態度でうなずいてくれた。ほっとした僕は放火の件を父である国王に相談せねばと思いながら執務室に戻った。
――契約婚だろうと、式はやはり急ぐ必要があるな。フランソワーズが目を覚ましたら、すぐに仕立て屋を呼ぼう。挙式全般を任せるなら誰だろう。やっぱりあいつに任せるか。
僕は親友の顔を思い浮かべながら、執務室に入った。
――契約婚の契約書の条項に一つ追記しよう。
結婚が続く限り、必ず身を守ると。
――あっ!夜の義務を夫は果たすと追記しておくべきではないだろうか。
そこまで思った時、自分の考えに驚いた僕は真っ赤になった。
――その義務は果たしたい。
――なぜ?
――あっ、彼女に確認すべきだろうか。
脳裏に浮かんだ色っぽい姿に動揺して、自分で自分に飛び上がってしまった。
――だめだ。平常心に戻れない。
しっかりせねばならないのに、何たる状況と自分を自分で叱咤した。
自分はどうにかしてしまったのだろうか?




