ロバート・クリフトン卿Side
母のクリフトン伯爵夫人は、ため息をついて私に説教をし始めた。母の右手には紅茶のカップの華奢な持ち手が時折握られ、母は口にその花模様の描かれたカップを運ぼうとするたびに、次の小言を思いつくようで、カップの持ち手を右手に持っては、またお茶を飲まずにカップをソーサーに戻すという行動を繰り返していた。
私も許されるならば、ため息をつきたい。
私が母が選んできた令嬢との婚約を断ったのでこうなったのであって、自業自得ではある。母が話をまとめてきた縁談をなかったものにするのはこれで18回目だ。
私には心に決めたお方がいる。
私は強い女性が好きだ。深窓の令嬢などには一切興味がない。彼女は褐色の美しい髪を持ち、輝くようなエメラルドの瞳でエクボを見せて笑い、私の冗談にもコロコロとよく笑ってくれるお方だ。その方の存在が私の心を捉えて離さない。
唇を真一文字に結び、真剣な表情で王子と獣の間に勇敢に飛び込むようなお方だ。だからと言って、跳ねっ返りの令嬢でもなく、筋骨隆々の体の大きなガサツな令嬢といういわけでもない。
彼女は薔薇色の頬をした聖女だ。努力家で、多くのスキルを身につけており、国のために王子のために身を捧げる覚悟のできた、尊い志に見合うだけの力を身につけた聖女だ。
「ですから、我がクリフトン伯爵家にとってあなたには次代のクリフトン伯爵令嬢をできるだけ早く選んでもらう必要があります。そしてあなたは待望の世継ぎをこしらえる必要があるのです。聞いてますかっ!?ロバート?」
母の怒りはもっともだろう。この1年で18回も縁談をまとめた母の苦労を思うと、私に怒りを露わにする母の態度は当然と思える。
「先代に顔向けできませんっ!私はクリフトン伯爵家を未来永劫残すよう努めることを、先代と約束したのです。あなたは我が息子ながら……聞いているのかしら、ロバート!「聞いていますっ!」」
私は母の言葉にビクッとして反射的に応えた。私の頭の中にはいつの間にか、あの方の勇敢でいながら優しく可愛らしいところのあるお姿が投影されており、いつの間にか母の小言を中途半端に聞いていたようだ。
それが母にバレた。
「あなた……意中の令嬢でもいるのね?」
女の勘は怖いと、クリフトン伯爵である父は常々私に言っていた。私は母に見透かされて、ビクッとして母を見つめた。慌てて首を振って否定をした。
「あぁ、いるのね。だから私がまとめる縁談を悉く潰すのね。分かりました」
一言もさっきから発していない私だが、どうやら母にはバレたようだ。思わず、ため息を漏らしてしまった。
「こちらがため息をつきたい状況ですわ。そのお方を連れてらっしゃい。私がどういう方かお会いしますわ。ロバートの手に追えない方ではないでしょうね?」
「は……母上」
「ほぉ?図星のようでございますわね。殿下に我が息子が惚れ込んだ令嬢がいるようだとお聞きした方がよろしいかしらね?」
母はスティーブン王子と親しい。私が幼い頃からスティーブン王子と遊び友達だった関係で、スティーブン王子は我がクリフトン伯爵家によく遊びにきていた。王宮より我がクリフトン伯爵家の食事やベッドの方が好きだと駄々をこねては周囲の者を困らせていたぐらいだ。
「殿下に明日使いの者を差し上げましょう」
「な……何用でございますか?」
慌てふためく私をちらっと見た母は、にっこりと微笑んだ。
「あなたの意中の方を殿下に教えてもらうためよ「やめてくださいっ!!」
私は慌てて母を止めようとした。
「クリフトン伯爵であるお父さまにもお話ししておきますわ。ロバートに意中の令嬢がいるようだと」
合点の入った様子でうっすらと笑みを浮かべた母を止める方法はないだろうか。
「今日は寝癖がひどいわ。あなた、もしかして……」
母はそこで黙り込んだ。
――もしかして何だ?
「叶わぬ相手に恋焦がれているのかしら?」
母の静かな声が私の胸を刺した。そうだ。私の恋は片想いのようだ。スティーブン王子は第二聖女との婚約を発表した。だが、スティーブン王子が本当に愛しているのは第一聖女だったヴィラ嬢だ。そこことをスティーブン王子は秘密にされているが、幼馴染の私にはよく分かっていることだ。
何があったか分からないが、スティーブン王子は第二聖女との婚約を急に発表なされた。それは『媚薬』を盛られたというおぞましい事件があったための一時的な対応策だと私は理解している。まさか本気で第二聖女と結婚する気はないだろう。
しかし、私の心中が穏やかではないのは確かだ。
ただ、スティーブン王子の苦しみも知っている私としては、こうでもしなければ状況が落ち着かないというのも分かっている。殿下はきっとほとぼりが覚めたら婚約を解消されるだろう。第一聖女との婚約解消の時のように、電撃的な婚約解消だろう。スティーブン王子が第二聖女を愛しているわけではないのは、私が一番よく知っているつもりだ。
黙って私を心配そうにチラチラ見ながら紅茶をようやく飲み始めた母に、私は呆れたように首を振って見せた。私はさりげなく席を立ち、クリフトン伯爵家の豪華な朝食の席を退いた。
間もなくクリフトン伯爵である父も朝食の席にやってくるだろうが、今は顔を合わせたくない。
「ドロシー、しばらく私は眠るから誰にも起こさないでと言ってくれるか。頼む」
私は昔からいる家政婦にお願いして、自分の寝室に入った。
深夜ともいうべき時間に第二聖女の家に仕掛けられた放火のため、消化活動のために駆けつけたのだ。
くたくただ。
私は第二聖女が助かって本当に良かったと安堵しながら、着替えるのもままならず、そのまま気を失うようにベッドで眠りに落ちた。
クリフトン伯爵家のふかふかのベッドに眠る私が次に叩き起こされるのは、治安判事が登場した時だ。
探偵気取りの地方の有力者が任命される名誉職は、超有力勢力であるブルク家が牛耳っていると言っても過言ではない。彼らは無給で地方行政や裁判を行ってくれる反面……小言はこのくらいにしておこう。
我がクリフトン伯爵家にも治安判事を務める縁戚がいる。これはご婦人方のお茶のタネになるような話題でありながら、私にとっても王子にとっても非常に深刻な災いとも言える事態に発展した。
私が密かに恋をしてしまっているフランソワーズ嬢にとっても。褐色の美しい髪を持ち、輝くようなエメラルドの瞳でエクボを見せて笑う、私の心を捉えて離さないフランソワーズ嬢は、クリフトン伯爵家の豪華なベッドで眠る私の夢の中では、ススだらけになっても愛らしかった。




