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仏法僧

作者: 西一三


 昔々、三河国のある村に、大層信心深い、正直な男がいた。

 三宝(仏・法・僧)に篤く帰依し、日頃贅沢もせず慎ましく暮らし、毎日の読経も欠かさなかった。

「あんたなら幻の鳥に会えるかもしれんな」

 ある秋のこと、旅の行者が、男にそんなことを言った。

「幻の鳥? そりゃなにかね」

「その鳥は『仏法僧』と申し、その名の通り、仏、法、僧と鳴くと言う。見た者によれば、姿も大層美しいそうだ」

「そのようなありがたい鳥が座すのか」

 男はその神々しい姿を想像し、嘆息した。是非ともその鳥を見てみたい、いや、せめて鳴き声だけでも聞いてみたいと思った。

「その鳥にはどこへ行けば会えるのだ」

「古き寺社の近くの、霊験あらたかな森に現れると聞く。心が邪なものの前には現れぬと言うが、そなたほど信心深い者ならば、必ず出会えよう」

 ならば探しに行ってみよう。男はそう決意した。

 

 三河国には、鳳来寺という古くからの山寺があった。幸いに男の住む村からさほど離れた場所ではない。男は、仏法僧を一目見んと、その鳳来寺山へと足を伸ばした。

 山中に分け入り、長き参道を登り続ける。様々な野鳥の声が耳に入るが、仏・法・僧などというありがたい声は、聞こえてくる気配がなかった。

 男は、さては信心が足りなかったか、と諦めかけたが、容易く諦めてしまう者に真の信心などあるまいと思い直し、ひとまずは夜まで待ってみることにした。

 日が落ちた。日中多く聞かれた鳥の声はもはや聞こえず、代わりにうるさいばかりの虫の声が響き渡っている。

 雲ひとつない青天のおかげか、満月でもないのに月がとても明るく感じた。

 さて、件の鳥は鳴いてくれるだろうかと耳をそばだたせた男の真横を、バサバサという大きな羽音と共に、何かがとてつもない速さで通り抜けた。

 その生き物ははるか上空へと舞い上がると、吸い込まれるように、近くの一番高い木の枝へと降り立った。

 生き物の正体は大きな猛禽で、その爛々たる目が、見上げる男の姿を見つめ返している。そして嘴には、つい先ほど仕留めたばかりだろう、小さな野鼠を咥えていた。

 男はおぞましい気持ちになった。このような御仏の聖地でも、殺生の渦は外界と変わらず存在するのだ。

 他者を殺し生きるのは生き物の業ではある。男とて食わぬと生きては行けない。そうわかっていてもなお、月に照らされはっきりと見えた殺戮の様相に、男は心を汚されたような嫌悪感を覚えた。

「グエエ!グエエ!」

 あの鳥の仲間だろうか、薄気味の悪い怪鳥の鳴き声が、周囲のあちこちから聞こえてくる。気がつけば男は、逃げ出すようにその場を駆け去っていた。

 

 どれほど経っただろう。月はだんだんと翳り始め、虫の声も少なくなった。秋のひんやりとした空気が、森林のある種神秘的な静寂と共に、男の体を包み込んだ。

 今生きているのは、自分だけではあるまいか。そうとまで錯覚しかけた男の耳に、突如として美しい鳥の声が響いてきた。

「ブッ、ポー、ソー」

 男は驚愕した。聞き間違いではあるまいか、そう思いつつも注意深く辺りを見まわし、再び聞こえてくるかもしれぬその鳴き声に耳を傾けた。

「ブッ、ポー、ソー」

 間違いない。仏法僧、そう鳴いている。ついにその鳥を見つけたのだ。

 旅の行者によれば、その鳥は大層美しい姿をしているという。男は、周囲の木の枝一本一本に至るまで、目を凝らして探し回った。

 すると……居た。意外にも男のすぐ近くの木の枝に。

「美しい……」

 男の口から、思わず言葉が漏れる。

 わずかな月明かりに照らされ、青く輝くその小鳥の美しさは、まさに天竺から舞い降りたかのようだった。

 そんな時、森の奥から突如として現れた巨大な猛禽が、例の美しい鳥へと襲い掛かった。

「あっ!」

 という間も無く、二羽は男の頭上で格闘状態に入る。

「グエエ!」

「ブッ!ポー!」

 このままでは、かの仏法僧は凶悪な猛禽の餌食となってしまう。

「これはいかぬ」

 と、男は、落ちていた長い枝を拾い、必死になって振り回した。

 予想外の援軍に驚いたのか、凶暴な捕食者は獲物を諦め、飛び去った。しかし襲われた仏法僧も無傷ではすまなかったらしく、落ちるようにして、弱々しく地面に降り立った。

「かわいそうに。出来るだけの事はしてやらねば」

 男は、傷ついたこの仏法僧を、保護することにした。それが、この場に居合わせた自分の義務なのだと信じた。

 そしてまた、こうも思った。この鳥を家へ連れ帰れば、村の者はさぞ驚くだろう。そして、男を尊敬し、その篤信ぶりに一目置くようになるだろう。


 男が幻の鳥を捕まえて帰ってきた事は、村中の話題になった。

 そのありがたい鳥を拝みたいと、男の家へ訪ねてくる村人も後をたたなかった。

 男はその鳥を死なせまいと、手厚く世話をした。その甲斐あってか、一月も経つ頃には、籠の中を飛び回ることさえできるようになっていた。

 しかし、奇妙なことにその鳥は、かの夜以来一度も鳴いていない。村人たちもそのうち、本当にこれがかの仏法僧であるのか怪しみ始めた。

「確かに姿は美しいが、さほどに珍しい鳥のようには見えん」

「やっぱり伝説は伝説だ。随分な夜更けだったと聞くし、寝ぼけて鳴き声を聞いたと勘違いしたのではないか」

 そんなことを言われるたびに腹を立てていた男だったが、実際に鳥が鳴かない以上、何という反論もしようがなかった。

 またしばらく日が経って、男はこの鳥を逃してやることにした。もはやこの鳥がかの仏法僧であると信じる者は、男を除いては誰も居なくなっていた。

 かつてこの鳥と出会った時のような、月の明るい夜、男は籠の扉を開け、鳥に向かってこう言った。

「もしこの私の信心を疑わぬなら、もう一度だけでいい、あの美しい声を聞かせてはくれまいか」

 鳥は、まるで人の言葉がわかるかのように、男を見つめた。男はその鳥の顔から何らかの感情を読み取ろうとしたが、残念なことに、何一つ特別なものを感じ取る事はできなかった。

 だが、男の願いは叶えられた。鳥がその羽をばたつかせ、虚空へと飛び去っていくその間際、遂にもう一度、鳴き声を上げたのだ。

「グエエ!グエエ!」

 男は驚愕のあまり、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。

 同時に全てを理解した。かの「ブッ、ポー、ソー」という鳴き声の正体は、この美しい鳥ではなく、おぞましい姿の猛禽の方だったのだ。

 美しい声をしているのだから、姿も美しい、そう決まっているわけではないという当たり前のことに、男は初めて気付かされた。

「人の世もまた同じか」

 そう呟くと、男は自嘲気味に笑い出した。


 

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