9 川辺の闘い
街中で戦いになった方がいい
船着き場の小舟を奪い、脱出する
彼らは次の一日を排水渠の中に身を潜め過ごした。
昼になり日が登ると、暗渠の入り口の光が指す場所に洗濯物を干しなるべく服を乾かした。
やがて夜になり、アイルは再び山間の暗がりの中から村を見下ろした。
昨日は四軒の家に明かりがついていたが、今は一軒の家にぽつんと明かりがついているだけだった。
「やつら結局ここを拠点にするつもりはないようだな」ジェイが言った。
「だとしたら、お前が言うように下流の中洲に陣を構えているのかもしれない。
彼らは次の日も暗渠の中で過ごした。
朝方に林の中から村を観察したが、あたりに生物の気配はなかった。
しかしアイル達はもう一日様子を見ることにした。
やがて日も陰り始め、アイル達は出発の準備をしていた。
「お母さんを見に行きたい」ハンがぐずりながら言った
彼らは迷った。オーク達のことだ、母親はすでに殺された上に死体を弄ばれているかもしれない。
「どの家だ」アイルは訊いた。
「煙突が二本ある家だ」ジェイが答えた。その家ならば林の暗がりに隣接しているし、街の大通りに見を晒さずに侵入できるはずだ。
「俺たちが先に家を確かめる。もし俺たちが駄目だと言ったら、母親には合わずに直ぐここを立つんだ。言ってること分かるね?」
ハンはうなずいた。
やがて夜が来た。山間から村は暗闇に沈み、生命の気配はないように感じた。
「川まで見に行く。三十分まて」アイルはそう言った。
アイルは村の東手の林の中を忍び足で歩いた。途中二つ煙突の家の脇を通り、窓を注視してみたが、やはり棄てられた廃墟がそうであるように無機物よりも死んでいるように感じられた。アイルはそのまま林を進んだ。
アイルは林を抜けて草地にたどり着いた。ここに来てすぐに、草の間に伏せて川を覗き見たその場所へ来ると、再び身を伏せて崖下の川を観察した。
あたりにはカエルと虫の音が響いていた。支流の早い流れがこぽこぽと音を立てて流れていた。しかし、他に違和感のある音や動きはなかった。
アイルは暗渠に戻り大丈夫だといった。彼らはそこを出発した。
やがえ彼らはハンの家にたどり着いた。アイルはドアに手をかけゆっくりと押し開けたそして隙間から中を覗いた。家の中は闇に覆われ静まり返っていた。
アイルとジェイは先行して階段を登った。二階の廊下に出ると、一つの部屋の扉が半開きになっていた。
アイル達はそっとドアを開き部屋に入った。甘ったるい刺激臭がアイルの鼻を覆った。
暗闇の中で黒い何かが鎮座していた。
月の光が指しそれ照らし出された。
それは椅子に縛られた女の死体だった。その椅子の背もたれは鮮血に覆われ藁の編み込みに赤黒い血がこびりついていた
彼女の腕は椅子の手すりに縛られ、両手の指は全て切り落とされていた。両目はえぐり出され蓋のない眼科が虚空の一点を見つめていた。
「拷問されてる……」アイルが言った。全身の血が逆流し額が熱くなった。「まずい。俺たちの存在はバレてる。今直ぐここから逃げないと!」
二人は急いで階段を駆け下り、皆を急かして家から出した。そして走りながら見たものを話した。
彼らは林の中を素早く抜け、急いで斜面を駆け下りた。
改めて周囲を見回したが、魔物の気配などなくただ蛙の声が響く川辺の草地があるだけだった。
彼らは船を沈めたクルミの樹の下へきた。
八日目の半月が白い薄明かりで川面を照らしていた。
しかしその淡い光は川底に本来あるべきものを映し出してはくれなかった。
船がなくなっていた。
アイルは皆を振り返った。
その時背後に一本立つ大きな樫の木の上で、なにか巨大な物体が動くのを見た。
「後ろだ!!!」アイルは叫んだ。
それは巨体を宙にはためかせた。枝がしなり、葉ががさがさと音を立てた。
アイルの目線を追い皆が振り返った。
巨体が地面に激突し、巨大な地響きが闇の静寂を破った。巨大な足底が川辺の湿った地面に深くめり込んだ。
月明かりのわずかな光に緑色の鬣が燐いた。背に背負った巨大な両刃の大斧の切っ先が切れ長の三日月のように怪しく光った。
それはロイヘン砦にて緑青と呼ばれた巨大なオークだった。
アイルはすでにその緑色の巨体に向かって走り出していた。そして短剣を抜きながら叫んだ。
「逃げろ!」
アイルは着地直後の体の硬直を狙い、ふところ目掛けて一気にとびかかった。
オークは背中に手を回し、背負った大斧をようやく振りかぶった。
遅い。
アイル斬撃より早く緑青に近接すると、すれ違いざまに太ももに剣を突き立てた。
しかし、鰐皮のような硬い皮膚に、ナイフは浅く肉を抉るのみだった。
アイルはそのまま後ろに回り込み、仲間と一直線上になるようポジションを取った。
砦でオークと対峙したときのように、後方から挑発し時間を稼ぐつもりだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおお」!!!」
ジェイが緑青に負けないほどの戦咆を上げ、斧を振りかざし突進してきた。
すかさずアイルも細かいステップであえて足音を響かせ緑青を挑発する。
ダマスカスの妖艶な波紋に月の明かりをゆらゆらと反射させ、視界の端で鋭利な切っ先を泳がせる。
緑生は手元で左手に斧を持ち替えた。
そして突如、ハンマー投擲の如く体を捩り回転斬りを打ちはなった
アイルは瞬時の勘で腰を落とした。
瞬間、アイルの髪を風圧が凪いだ。
豪速の両刃斧の通り道にあった樫の幹はえぐられ吹き飛び消滅した。
大斧の回転斬りはそのままジェイの首に吸い込まれた。
ジェイは膂力いっぱいに振りかぶった斧でオークの放つ巨魁に正面からぶつかりあった。
衝撃の火花が炸裂し川面は閃光の白熱に貫かれた。
塊と塊のぶつかる衝撃の轟音がアイルたちの骨を通り抜けた。
そしてジェイの斧は砕けた。それは一瞬で風化侵食した岩石のように粉々に砕け,四方にバラバラに吹き飛んだ。
ジェイは30フィートも吹き飛ばされ転がった。
しかしドワーフの全膂力を受けた緑青の斧も流れた。
テオがその隙きを逃さずすかさず突進してきた
「oumü ël jact ël halva!」
古代の、おそらくエルフ語であるだろうそれを口中で唱えると、抜身の直剣は青い氷柱に覆われた。その切っ先が月光に白鱗のように鋭く反射した。
その切っ先は緑青の無防備な左の太ももをまっすぐ貫通した。
緑青はバックステップで飛び退いた。
剣穴の貫入口から赤黒い血が吹き出した。
アイルは一歩また踏み込んだ。しかし猛然とした勢いで緑青は振り返りアイルを睨みつけた。
アイルは短剣の間合いまで近づくことがことができなかった。
アイルは横目でネネたちを見た。
ネネとララは支流に飛び込み川の中ほどまで進んでいた。ハンはアベルの背に掴まっていた。
これでいい。このまま時間を稼ぐ。
ルイが囲いに加わり、またジェイも起き上がり包囲に加わった。
四対一だ。勝機はある。
ルイがじりじりと緑青の真横に陣取った。その剣先が震えで細かく震えていた。
緑青はそれを見逃さなかった。
緑青は地面を踏み抜き、刹那にルイに漸近した。そして両刃の大斧を雑に払った。
反応が遅れたルイは、剣の腹でその斬撃を受けた。
剣は折れた。破片が砕けた。斬撃は皮の鎧に吸い込まれ、ルイは体をサバ折りにして血しぶきを上げながら吹き飛んだ。彼は船を沈めていたはずのクルミの木に激突し、崩れ落ちた。
緑青はすかさず包囲を突破し、止めを差すべくルイに突進した。
その時突然の閃光が一瞬あたりをまばゆく照らした。爆発音が山間の川辺にこだました。
アンナが自身の短銃を射ったのだ。
鉛玉は緑青の左足を穿った。
アイルは衝撃で身をこわばらせている緑青の間合いに一気に飛び込み、銃創から剣を差し込みねじり上げた。
緑青は悲鳴を上げ片膝をついた。緑青が斧を振りかぶったので、アイルは再び素早く距離を取った。
やつの左足はもう使い物にならない。それともまだ動けるか?
「全員川に飛び込め!」アイルは手を降って指示した。
アイルはルイのもとへ駆け寄った。
ルイはうつろな目をして、全身を弛緩させて倒れ込んでいてた。
斬撃に破られた皮の鎧は裂け、むき出しの腹からは腸が飛び出していた。
彼は口元で何かを言った。アイルは顔を近づけた。しかし何も聞き取ることはできなかった。
アイルは顔を離しルイの顔をみた。
彼は呼吸を止めてすでに死んでいた。
アイルはルイの頬に手を当てて、すまねえと小声でつぶやき、ルイの量のまぶたを優しく閉じた。
アイルは川にむかって走った。
しかし、左手の側から緑青の巨体を踏み鳴らし走り寄る足音が迫っていた。
アイルが振り返った瞬間、振りかぶった巨大な拳が顔面をめがけて放たれた。
瞬間的にアイルは身体を捩って飛んだ。そして背中から川に落ちた
その直後に緑星も甲冑を着けたままアイルの真後ろに飛び込んだ。
爆弾のような水しぶきが上がり、水圧と波にアイルの体は飲まれた。
アイルは水をかいた。
しかし緑青は逃げるアイルの左足を掴んだ。そしてアイルを水中に引きずり込んだ。
六星は太い歯列で覆われた葉をむき出しにして笑った。
その時、テオが沈んだアイルと交差するように緑青の間合いに入った。溺れる人間の必死の抵抗に熱中していた緑青は反応が遅れた。
テオは緑青の胸元に飛び込み口の中で呪文を唱えていた
「oumü ël jact ür gohorl!!!」
彼女の両手を中心にして氷の巨魁が生み出された。緑青は両手を水に沈めた姿勢のまま身動きが取れなくなった。
アイルが緑星の手から足を振り払った。
「すぐに溶ける!今すぐそこから離れて!」
アイルは緑青に背中を向け全力で泳ぎでした
ふと見るとアンナがかなり下流に流されていた。すでに体力が付き、支流を渡ることさえ叶わなくなっていた。
このままでは溺れ死んでしまう。
「アンナを!」テオはアイルに向かいそう叫ぶと、再び手を強く組み、訴えかけるような表情で呪文を唱えた
「……oumü ël jact ür gohorl!!!」
彼女の両手から発生した氷の塊は、やがて丸木舟のようななめらかな舟形を形作り、水面に浮かび上がった
ジェイは膂力を使い船に軽々と上がると、上からテオを引っ張り上げた。テオは体をサバ折りにして船中に上がると、大声を上げて嘔吐を始めた。
アイルもアンナに追いつき、体を支えながら立ち泳ぎで船まで泳ぐと、お尻を持ち上げて船に持ち上げた。そして自らも体を翻させて船に乗り込んだ。テオは胃の内容物をすべて吐き出し、口から粘土の高い透明な液を出しながらえづいていた。
「ごめん魔力を使いすぎた。今すぐ瞑想しないと……」
ジェイとアイルは、それぞれ斧と剣の鞘をオール代わりにして船を漕いだ。そして対岸にたどり着いた。
アイルは船べりから緑青を睨みつけていた。そしてテオに訊いた。
「この船、何分持つ?」
「……三十分……」テオはうつむきながら返事をした。
「俺は一度岸に戻る」
「……え?」
「やつの乗って来た船があるはずだ。それを探して奪う」
「やつが氷から抜け出すまで1分ないぞ」
「いざとなったら俺は森の中を抜ける。二分で戻らなければ、俺は死んだと思って行動しろ」
「ひとつ約束しろ。絶対にあいつと戦うな」テオは言った。
アイルは再び川に飛び込み、岸辺の上流を目指した。浅瀬にたどり着くと全速力で川の上流へ向かった。水に濡れた革のブーツがかっぽかっぽと大きな音を立てた。
やがて岸辺のくぼみに小舟を発見した。アイルはロープを払ってすぐに船に乗り込んだ。そしてオールを川底に突き立てて船を岸辺から突き放した。
彼は再び下流に進んだ。しばらく進むと緑星がまた見えた彼は。いまだに氷に全身を閉ざされていた。
アイルと緑青の視線が交錯した。今なら緑星を殺せるのではないか?頭の中にその思考が弾けた。
アイルは短剣の柄を握った。船は川の流れに任せた。彼らは距離を開け見つめ合った。
しかし結局、アイルは動かなかった。
アイルは船を対岸に渡し、仲間たちをのせその場から逃げた。
しかし、 船がラインベルクの本流と再び合流した頃、野太い大きな角笛の音響が闇空を裂いて一面に響き渡った。
アイルは川辺の木々の隙間からその正体を垣間見た。
それは緑青が樫の木のてっぺんに登り、巨大な角笛を高々と掲げて天に向かって昂ぶらせていた。
川の上流の暗闇の中で明かりがぽっと灯った。川中に停泊していた帆船がその蘭のてっぺんに明かりをつけ、ゆっくりと下流に向けて動き出した 。
帆船の明かりは音もなく揺れもせずただ淡々と川を下りアイル達との距離を詰め近づいてきた。
アイル達は全速力で川を下った。彼らは交代でオールを持ち、そうでないものは武器や剣の鞘も水中に付き立て、必死に水を掻き進んだ。女たちも腕を水中に差し入れてわずかながらも船を進めた。
テオは全魔力を使い果たし、ぐったりしと顔を伏せていた。限度を超えて魔力を使ったものは、体力さえ吸い取られて、瞑想にとりかかる力さえ失ってしまうのだ。
アイルはオールをこぎ続けて、肩がしびれだんだんと力が入らなくなってきた。気づくと川幅が急激に狭まり、岸がわずかな月の光に照らされて薄闇の中でぼんやりとその輪郭を現した。
彼らは中洲に入ったのだ。ジェイいわくこの土地を巡って戦闘が行われたらしい。この両岸が、いまどちらの陣営のに属しているかでアイルたちの運命も違ってくるだろう。
アイルは後ろを振り返った。彼は眼前の光景に目を疑った。帆船が百ヤードもしない距離まで近づいてきていた。もう三分もしないうちに追いつかれるだろう。そうなればアイル達は、皆殺しにされ川の藻屑となり消えていくだろう
岸に降りるべきか?
しかし帆船がこの中洲に入ってきたということは、騎士に近づくということを躊躇しないということであり、両岸はもう敵の領域だと考えるべきだろうか。
アイルは女たちに身を低くして伏せるよう言った。岸から矢や銃が放たれることを警戒したのだ。
そのとき、アイルは何者かの声を聴いた。彼はオールを止め耳をそばだてた。
岸から声が聞こえてきた。
「おーい、人間か?」
アイルは立ち上がり叫んだ。
「人間だ、味方だ!」
岸辺の声は返した。「そのまま川を下れ!岸辺の塔より先まで下るんだ!」声は叫んだ。
男たちはオールを再び全速力で漕いだ。見ると闇夜の岸辺に月明かりの陰となって大きな塔が立っているのが見えた。
アイルは川面の中にになにか濡れて光っていることに気づいた。
アベルが言った。「あれは防鎖だ」
「防鎖?」アイルが訊いた。
「防鎖というのは、船の侵入を防ぐために川に張られる鎖のことだ」
角張った鎖の上面が三日月の光を受けて濡れて白く輝いていた。鎖は両岸に立った遺跡の塔の窓の中に吸い込まれていた。
「ジェイ、今までこの川にこんなもの張られてたか?」
「いや、見たことがないな」ジェイが答えた。
アベルが続けた。「あの塔のなかにはキャプスタンがあって、鎖はちょうどいかり縄のように繋がれている。中には倍力機構があって、歯車を回せば人力でも鎖を引き上げて川をふさげるんだ」
「塞げばあの帆船でも通れないんだな?」
「ああ。だが岸のやつらがやりたいのはそうじゃない。むしろ船に防鎖をまたがせて閉じ込めることだろう。
「なら、やることは決まった」アイルが答えた。彼らは残る体力を振り絞っオールをこいだ。そして水中に沈む防鎖を越えた。
今や帆船の競り上がった船首はアイルたちの50フィート手前まで迫っていた。片膝を上げたゴブリンが船べりに足をかけてこちらをにやけ顔でのぞき込んでいた。
馬鹿が笑っていられるのも今のうちだ。
帆船が防鎖の上を乗り越えた。
その瞬間、鎖のこすれあうガラガラという音が響き、防鎖が巻き上げられた。
それと同時に、塔の上から火矢が降り注いだ。
船上はにわかに騒がしくなった
「こっちだ!」岸辺から声が聞こえた。月の光に照らされて、わずかに手を振る人影が見えた。
アイル達は彼らに先導されて中州の浅い湾に船を漕ぎ入れた。




