表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

捨てられたと思っていた恋人にちゃんと思われていた

作者: 蒼野さつき

繁忙期を何とか乗り越え、最近では終電帰りが定着していたのに久しぶりに十九時過ぎに退社出来たある日のこと。


 彼氏の拓也には、仕事といえデートのドタキャンが続いたので久しぶりにこれからご飯でもどうかな?とトークアプリで連絡するも未読のままなので、電話をするのに繋がらず。

 彼も仕事で忙しいのだろうか?と、あまり気に留めず、予定が合わないのであれば仕方ないと帰路についた。金曜日ということもあって、街はたくさんの人で賑わっている。寒い時期だからか身を寄せ合って歩くカップルもたくさんいて。


「拓也と歩きたかったな」


 寒空の下を歩きながらポツリと呟いたその言葉は、白い吐息とともにゆっくりと消えていく。

 自己都合で散々ドタキャンしていたのは自分なので仕方ないが、私も会いたくなかったわけじゃない。

 むしろ忙しさの中で疲弊していく心に彼の笑顔と温もりが欲しくて、何度仕事を放り出して会いに行きたいと願ったことか。

 だが社会人としてのプライド、今回のプロジェクトの成功を願ってそれをすることは出来るはずもなく。


 拓也ならきっと分かってくれると信じて、歯を食いしばってここまでやってきた。

 ようやくそれから開放されて、愛しい彼氏に会いたいと思うことは何ら不思議でないと思う。胸の中に広がる寂しさを見てみないフリして、ざわめく街中を足早に歩いていた。

 信号が赤になるので横断歩道で立ち止まり待っていると、雑踏の向こうに見知った人を見つけた気がしたので目をこらす。

 視線の先にいたのはやはり、恋人の拓也だった。

 連絡が取れないのにこんなとこで偶然会えるなんて!と喜んだのもつかの間。彼の隣に知らない女性がいたのだ。

 しかもその女性は拓也に腕を絡ませ、身を寄せながら拓也と一緒に街を歩いている。


 ――幸せそうに笑みを浮かべて。


 それを見た瞬間心臓がドクンと大きな音を立てる。まるで耳元に心臓があるんじゃないかと錯覚するくらい大きな音が自分の中で鳴り響いてた。


 待って、その女の人は誰?

 どうして私からの連絡には出ないのに女の人と歩いているの?

 あなたは私の彼氏じゃないの?


 まるで足元が氷漬けにされたかのように動けない。周りの人が訝し気に私を追い越しながら青になった信号を渡っていくのに、私はその場から一歩も動けず二人が雑踏の向こうに消えていくのを眺めているしかなかった。


 一体どれくらいその場にいただろうか。知らない人に「大丈夫ですか?」と心配そうに声を掛けられたのにハッとして「大丈夫です、すみません」と、何に対しての謝罪なのか分からない謝罪だけ述べてその場を後にした。


 どうやって自宅まで帰ったのか覚えていない。何を考えながら帰宅したのか記憶にない。

 だけど今自分は間違いなく自分の家にいるので、人間が持つ帰巣本能でどうにか帰って来られたのだろう。

 真っ暗な玄関、真っ暗な部屋。

 明かりもつけずに部屋を進んで、真っ暗な部屋に立ち竦んだままふと考える。


 最後に拓也が連絡してきてくれたのはいつだろう。

 最後に拓也と会ったのはいつだろう。


 ぼーっとして働かない頭でスマホを取り出しトークアプリを遡ってみると、そこにあったのは拓也からのお誘いに対しての断りの返事ばかりだった。


「ごめん、今日も難しそう」

「やっぱり今週も行けそうにない」

「しばらく難しいかも」


 一番古いのは三か月前、直近は二週間前だ。


 それ以降は拓也からの連絡もない。


 てっきり私の仕事を気遣って連絡を控えてくれているんだと思ってた。

 でも今ならそれが違うとハッキリ分かる。


 拓也は私のことを”諦めた”んだ。


 どんなに激務と言えど、休みがないわけではない。その休みを「寝たいから」と色気もない理由で拓也と会うこともなく休息に当てていた。


「少しでもいいから会えない?邪魔はしない」と、拓也はめいっぱい気遣ってくれていたのに……。

 そんな優しさも無碍にして「一人がイイ」と突っぱねた。

 だからきっと愛想を尽かしたのだろう。


「……はは、自業自得じゃん」


 仕事は好きだ。頑張れば頑張るだけ評価される。だけどそれだけじゃ満たされない部分を満たしてくれていたのが拓也だった。

 常に優しく私をお姫様のように扱ってくれていたのに、それに甘えて拓也をないがしろにしていた私はとんだ大馬鹿者だ。


「……ごめん、ごめんね拓也」


 静かな部屋に一粒雫が落ちる。今更後悔したって拓也はもう帰って来ないのに。

 なんでもっと大切にできなかったんだろう。仕事が大変なのは拓也も同じなのに。


 どうして私の方が大変だなんて思いこんで、拓也をもっと思いやってやれなかったんだろう。

 頭の中にたくさんの「なんで」「どうして」が浮かぶけど、どれももう手遅れでしかない。

 大切にしてくれる人を大切に出来なかった罰だ。

 だけど、それでも後悔の念からたくさんのことを考えてしまう。


 拓也とゆくゆくは結婚したいと思っていた。それくらい真剣に付き合っていたし、本気で愛してた。

 それを手放してしまったのは、他でもない自分自身だ。


「たくやぁ……やだぁ……」


 冷たい床に座り込んで両手で顔を覆う。目からとめどなく溢れる涙が、私の拓也への思いを物語っている。

 付き合っていた時の幸せな思い出が脳内を駆け巡ってもうダメだった。


 心臓がつぶれそうに痛い。涙が止まらない。

 明日からどうやって生きていけばいいのか分からない。


 苦しさでつぶれてしまいそうになったその時、玄関のインターホンが室内に鳴り響いた。

 何か荷物でも頼んだだろうかと、どこか冷静な私が頭の片隅で思ったが、涙でメイクも落ちて鼻水まで垂らしたこの状態で出られるはずもないので、申し訳ないが居留守を使わせてもらおうと静かにその場をやり過ごす。

 垂れてくる鼻水だけでもどうにか拭きたいと、静かに部屋の中を四つん這いで移動してティッシュを手に掴んだその時、玄関の鍵がカチャンと開く音がした。


 待って、どうして鍵が開くの?まさかピッキング?え、泥棒?


 先ほどまでの喪失感はどこへやら、今度は恐怖から涙が出そうになる。

 息を殺して玄関の方を見つめ続けていると、ゆっくりと開いた玄関の音がした。その人物は何も言わず、靴を脱ぐような衣擦れの音を立てこちらへ歩いてくる。

 あぁ、人生最悪の日に最悪な出来事が二つも重ならなくていいじゃないか!と、信じてもない神様に悪態をついて部屋に侵入してきた不届き者と対面する恐怖と闘っていた。


 だんだんと近寄ってくる足音に恐怖でぎゅっと目を瞑っていると、パチンと電気のスイッチを付ける音と共に「美樹ちゃん?」と聞き覚えのある声が頭上から降ってくる。


その声に恐る恐る目を開いて顔を上げると、そこに立っていたのは拓也だった。


「…………え?なんで……」

「美樹ちゃん電気も付けないで何してるの?てか泣いてたの?どうした?仕事で何かあった?」


 ジャケットを脱いだ拓也はジャケットをソファに掛けると、ティッシュを片手に私の前に跪いて目の涙やそれによって落ちたマスカラなんかを擦らないようにしながら拭いてくれてる。


「え、なん、え?」

「連絡気付かなくてごめんね。母さんたちと出掛けてたんだけど、美樹ちゃんからの連絡に気付いて急いでこっち来たんだ」

「え、おかあ、さん、でも……」

「ん?どうしかした?」


 まるで何もなかったみたいにいつも通りの様子の拓也。母親たちと出掛けてたというが、私は間違いなく女性と腕を組んで歩いているのを見たのだ。


「さっき、知らない人と腕を組んで歩いているとこ、見ちゃって、それで」

「あぁ、妹かな?ちょっとブラコンなとこがあって、外を歩くときは大体ああなんだ」

「妹、さん……」


 え、じゃあさっきまで私が泣いていたのは何だったんだ?


「もしかしてそれで泣いてたの?」

「だって、連絡しても繋がらないし知らない人と腕組んで歩いてたらフラれたって。それに最近仕事を理由に全然会おうともしなかったし、それに……」


 一気に安心感が押し寄せて、せっかく拓也が優しく拭いてくれたのにまた涙が込み上げてくる。


「美樹ちゃん仕事忙しそうだからこっちからの連絡控えてただけだよ」


 美樹ちゃんは心配性だね、なんて言いながら抱き寄せられて、久しぶりの拓也の温もりと匂いに心底安心してしまった。背中に腕を回して縋りつく様に彼に抱きつきながら必死に涙を堪えようとするのに止まらない。そんな私の小さな強がりなんてお見通しとでも言うように、大きな手で私の後頭部を包み込んで、反対の手でゆっくりと背中を撫でてくれる。


「美樹ちゃんが思うよりも俺は美樹ちゃんのことが好きだから心配いらないよ」


 メッセージ気付かず、電話にも出られなくてごめんね、と耳元で謝る拓也に、首を振ることで返事をした。


――よかった。私の大切なものは、まだ手の平を零れ落ちたわけではなかった。



「今日……」

「ん?なに?」


 きっと顔は見せられないくらいぐちゃぐちゃで情けない顔をしていると思う。いつもの私ならそんなの絶対に見せられないけど、今の私にはそんな小さな意地よりも、目の前にいる大切な人と共に過ごしたいという気持ちの方が強かったので、思いの丈を正直に伝えることにした。


「今日、一緒にいたい……」


 それでも出てしまう自分の可愛くない性格から、赤いであろう顔を見られないように俯いて小さくそう言うと、それさえもきっと理解して受け止めてくれるであろう彼はクスッと小さく笑って頭をポンポンと撫でてくれた。


「うん、一緒にいよう。明日は休みなんでしょ?」

「うん、休み」

「じゃあ一緒にご飯食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝よう。明日は少し寝坊して、近くのカフェにブランチしに行こう!」

「寝坊するの?」

「するよ」


 だって美樹ちゃんに会うの久しぶりなんだから、と見つめる瞳の奥に情欲が孕んでいるのに気付く。それが何を意味するか分からないほど子どもでもなければ清いお付き合いでもなかった。


「……スケベ」

「美樹ちゃん限定だよ」

「……でも好き」

「うん、俺も大好き」




 きっと今夜は安心して眠れる。

読んでくださりありがとうございます。


いいね、☆、感想頂けるととても励みになります。


よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ