悪役令嬢と「オバサン」令嬢。クラスメイトをオバサン呼ばわりしていたら、王太子から婚約破棄されました。
とある朝。
とある国の王立学校には、今日も貴族の令息と令嬢が集まっていた。
登校して教室に入った彼らは礼儀正しく朝の挨拶を交わし、授業が始まるまで歓談をしている。
そんな中、教室の扉が開いて1人の令嬢が教室に入ってきた。
「あら、オバサン。おはよう」
教室に足を踏み入れてきた令嬢に、別の令嬢が声をかけた。
その言葉の内容。「オバサン」という15歳の少女には不釣り合いの呼び方に、教室の空気が凍りつく。
クラスメイトを「オバサン」呼ばわりしたのはメリア・ローゼン公爵令嬢。
公爵という筆頭貴族の娘であり、王太子の婚約者でもある令嬢だった。
赤い髪を背中に流したメリアは15歳という年齢から考えても幼い顔立ち、貧相なスタイルをしており、年齢よりもずっと子供っぽく見える。
「おはようございます、メリアさん」
優雅に頭を下げて挨拶を返したのは、メリアとは対照的に背が高く、制服を着ていなければ成人女性にも見える大人びた少女だった。
青みがかった銀髪を頭の後ろで結っている彼女の名前はアリーシャ・レイウッド。レイウッド伯爵家の令嬢であり、学園内において『奇跡の少女』と呼ばれる女性である。
仇名の由来は整い過ぎているその容姿。非の打ち所がないほど美しい相貌、洗練された立ち居振る舞い。おまけに成績も常にトップをキープしているのだから、『奇跡』と呼ばれるのも納得だった。
「ねえ、オバサン。宿題でわからないところがあるのだけど、教えてくれないかしら?」
「もちろん、構いませんよ。一緒に勉強しましょう?」
「やった! お願いね、オバサン!」
必要以上に「オバサン」と連呼するメリアに、周囲にいるクラスメイトは顔を引きつらせる。
今年の春から同じクラスになって以来、メリアはアリーシャのことをずっと「オバサン」呼ばわりしていた。
子供っぽい容姿のメリアがアリーシャの美しさに嫉妬しており、嫌味として「オバサン」と呼んでいるのだともっぱらの噂である。
本来であれば誰かが窘めても良さそうなものだが……メリアは公爵令嬢にして王太子の婚約者。誰もメリアの行動を咎めることができず放置されていた。
「ねえねえ、オバサン。この問題なんだけど……どう解いたらいいのかな?」
「そこはですね、メリアさん。こっちの法則を使って数式を解いていくんですよ。まずはこっちの式から……」
メリアが咎められない理由として、アリーシャが怒ることも泣くこともなく、酷い呼び方を受け入れていることもあった。
アリーシャはいくら「オバサン」呼ばわりされても、いつもニコニコと穏やかな笑みで受け答えしているのだ。
そんな大人びた対応にますますアリーシャの評判は上がっていき、対照的にメリアの評価は落ちている。
「許せないな……どうにかして、助けてあげたいんだけど……」
「心配いらないわ。じきに王太子殿下が動くって噂だから」
机を寄せ合って宿題をしている2人の姿を眺めつつ、クラスメイトがヒソヒソと言葉を交わす。
「どうやら、ようやく王太子殿下が婚約破棄をする覚悟を決めたらしい。近々、あの悪役令嬢に断罪を降すらしいぜ」
「ええっ……でも、そうなったら次の婚約者は誰になるのかしら? 王太子妃にふさわしい女性なんて他には……」
「いるじゃないか、最高の令嬢が」
遠目に見ていたクラスメイトの視線が、メリアと机を並べるアリーシャに向けられた。
「アリーシャ様は確かに伯爵家の出身で王家とは釣り合わないけど……誰もが認める最高の貴族令嬢だ。王太子殿下はあの方を新しい婚約者として指名するらしい」
「素晴らしいわ! アリーシャ様だったら、誰だって納得するわね!」
「もしも反対する人間がいたら、僕達が支持してアリーシャ様を押し立てればいいんだよ。アリーシャ様を支持する人間は学年を問わず大勢いる。貴族家の後継ぎである僕達がこぞって支持すれば、伯爵令嬢のアリーシャ様だって立派な王太子妃になれるはずだ!」
クラスメイトが頷き合い、アリーシャのために全力を尽くすことを誓い合う。
そんな彼らをよそに……メリアは相変わらずの様子でアリーシャに話しかけている。
「ああ、わかったわ! オバサン、ありがとう!」
「はい、よくできました。次は同じやり方でこっちの問題を解いてみましょうね?」
一見、和やかな空気で会話をする二人であったが……それもじきに終わることになるだろう。
噂されていたように王太子が動き出したのは、その数日後のことである。
〇 〇 〇
「メリア・ローゼン! 君との婚約を破棄させてもらう!」
「ええっ!? 急にどうされたのですか、王太子殿下!?」
婚約者である王太子から突きつけられた言葉に、メリアは驚いて口元を抑えた。
場所は貴族学校にある一室。生徒達が交流するサロンとして使われている部屋には、多くの貴族の令息・令嬢がいて2人の姿を見守っている。
中には事前に婚約破棄のことを知らされていたものもいて、「とうとう悪役令嬢が断罪されるのだ」とニヤニヤと嘲笑していた。
「理由を説明してください! どうして婚約破棄だなんて言い出したのですか!?」
「説明しなければわからないのか? 王太子妃として……いや、次期王妃としてふさわしくない振る舞いをしておいて、本当に呆れさせてくれるよ」
メリアよりも1学年上の王太子は軽蔑しきった目で、怯えた顔のメリアを見下ろした。
背の高い王太子が小柄なメリアを睨むと、大人が子供を苛めているようにしか見えないのだが……構うことなく、婚約者を断罪する。
「無論、君がアリーシャ・レイウッド伯爵令嬢を苛めているからに決まっているだろう!?」
「は……私がオバサンを? 何の話ですか?」
「何の話って……その「オバサン」呼ばわりに決まっているだろうが!?」
王太子がどんどんヒートアップしていき、感情のままに声を荒げる。
この王太子、実は以前からアリーシャに対して恋心を抱いていたのだ。
公爵令嬢のメリアという婚約者がいたから、淡い恋心を封じていたのだが……そんな片恋相手を虐げる婚約者にとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。
「クラスメイトを「オバサン」呼ばわりする貴様のような性悪女に次期王妃は務まらん! 貴様を婚約破棄して、代わりにアリーシャ・レイウッドを新しい婚約者にする!」
「はあああああああっ!? 何を勝手なことを言ってるんですか、貴方は!?」
「黙れ黙れ! これは王太子である私の言葉を遮るな! これは決定事項だ!」
「決定事項って……!」
なおも言い返そうとするメリアであったが、そこに新たな人間が現れた。
サロンの扉を開き、もう1人の当事者であるアリーシャ・レイウッドが飛び込んできたのである。
「何の騒ぎですか、これは!?」
いつもの丁寧で礼儀正しい仕草を捨てて、アリーシャはサロンの中にいる人間達に声を張り上げる。
アリーシャは肩で息をしており、ここに急いで駆けつけたことがわかった。
「オバサン!?」
「貴様、まだ言うか……!」
なおも「オバサン」呼びを止めようとしないメリアに、王太子が額に青筋を浮かべて腕をふり上げた。
そのまま婚約者の頬を張り飛ばそうとする王太子であったが……それよりも先に、アリーシャがメリアに抱き着いた。
「やめてください! メリアに何をするのですか!?」
「退くんだ、アリーシャ! そんな悪役令嬢を庇うことはない!」
「悪役令嬢って……メリアが何をしたというんですか!? この子は何も悪いことなどしていないではありませんか!」
「くっ……君は優しすぎる! その女は君のことを「オバサン」などと呼んでいるのだぞ!? クラスメイトを苛めているじゃないか!」
王太子は威圧的な口調で言い募るが……そんな王太子を、アリーシャがキッと睨みつける。
「この子は私の姪ですよ!? 『叔母さん』と呼んで何が悪いんですか!?」
「…………は?」
アリーシャの言葉に、王太子は手をふり上げたまま固まった。
叔母さん……『オバサン』でも『小母さん』でもなく、『叔母さん』と言ったのか。
「私はメリアの叔母です! 私の可愛い姪っ子を苛める人はたとえ王太子殿下であっても許しませんよ!」
アリーシャの言葉に、王太子はもちろん、サロンにいた全員が固まった。
そのタイミングでようやく騒ぎを聞きつけた教員が駆け込んできて、その場はお開きになる。
王太子による婚約破棄という大騒動により、後日、関係者を集めて改めて事情説明が行われることになったのであった。
〇 〇 〇
数日後。
王宮にて当事者であるメリア、アリーシャ、王太子。それにメリアの父親であるローゼン公爵と国王を加えて話し合いが行われることになった。
話し合いの結果、知らされていなかったいくつかの事実が明らかになり、王太子が思わず声を上げる。
「ま、まさかアリーシャが婚約していたなんて……しかも、相手は公爵の弟である隣国の大公だと!?」
愕然とした事実を知らされて、王太子がガクガクと震える。
そう、アリーシャはすでに婚約していたのだ。
相手はメリアの叔父。隣国の大公家に養子に入っているローゼン公爵の弟だった。
隣国の大公家――ルートリヒ大公家は後継ぎに恵まれず、流行り病によって親戚の若者を大勢失っている。
本来であれば国内にある遠縁の貴族家から養子を入れるべきなのだが……隣国は政情が非常に複雑であり、どこの家から養子をもらっても政治的に角が立つ状況だった。
そのため、友好関係にあった他国の貴族家――つまりローゼン公爵家から養子を迎えることになり、両国の王家の許可を取ってメリアの叔父が現・大公となったのである。
1年ほど前、隣国から帰省してきた叔父がローゼン公爵家を訪れた際、メリアのところに遊びに来ていたアリーシャと顔を合わせることになった。
当時、14歳だったアリーシャはルートリヒ大公のことを一目見るや気に入り、その場で10歳以上も年上の大公に婚約を申し込んだ。
大公もまた美しい少女に一目惚れしたのだが……相手は姪の友人。自分よりもずっと年下の少女だ。
いくら未婚で妻がいなかったとしても、素直に「うん」と頷ける状況ではない。
大公はアリーシャと婚約する条件として、貴族学校の卒業まで待つことを提案した。
学園で同年代の男子と接しながら、それでも年上のオジサンである自分を選んでくれるのならば妻として迎え入れる……求婚してきたアリーシャにそんなふうに応えたのである。
「もちろん、私はルートリヒ大公の妻となる意思を固めています! 卒業まで待つ必要などなかったのですが……」
アリーシャはそう言って、恥ずかしそうに笑った。
頬を薔薇色に染めて微笑むアリーシャの姿は恋する乙女そのもの。政略ではなく、本心からルートリヒ大公を慕っていることがわかる。
「だ、だったら……メリアがアリーシャを「オバサン」と呼んでいたのは……」
「私のことを『叔母』として認めてくれていたからですよ。メリアにそう呼ばれるのはとても嬉しかったので訂正せずにおいたのです!」
王太子の問いに、アリーシャははっきりと答えた。
愕然と固まってしまう王太子へと、今度はメリアが横から言葉をかける。
「ちなみに、アリーシャと叔父様の婚約は表向きには伏せられていましたが、国王陛下にはちゃんと報告してありますよ? 伯爵家の娘が隣国の大公に嫁ぐなんて、外交上、とても重要なことですから」
「だ、だったらどうして私に知らせてくれなかったのだ!? 私は次期国王、王太子なのだぞ!?」
「知らせましたよ。王太子殿下には私の方から手紙を送ったではありませんか?」
「へ……?」
メリアの言葉に王太子は固まり、目を白黒とさせる。
「王太子殿下にはこれまで何通も手紙を出しましたけど……そういえば、1通たりとも返事が戻ってきたことはありませんね? ひょっとして、私からの手紙を読まずに捨てていたのですか?」
「あ……」
王太子が気まずそうに顔を伏せる。
幼い容姿の婚約者が気に入らず、せめてもの抵抗として手紙を読まなかったのだが……そんな手紙の中に重要な知らせが混じっていたらしい。
「この馬鹿者が……何という愚かな……」
「どうやら、王太子殿下は我が娘を軽んじていたようですね」
「…………」
国王とローゼン公爵がそろって侮蔑の目を王太子に向ける。
王太子は弁明の言葉もなく、無言で項垂れた。
そんな情けない息子の姿に国王が深々と溜息を吐く。
「……こうなった以上、メリア嬢との婚約は白紙に戻すしかあるまいな。公爵家の後ろ盾を失ったからには、息子を王にするわけにもいかん。廃嫡して、王位は弟に継がせることにしよう」
「そんな……私が廃嫡されるなんて……」
父王の言葉に、王太子はますます肩を落とす。
しかし……「嫌だ」などといえる状況ではない。
メリアからの手紙を読まなかったのも、勘違いからメリアを断罪して婚約破棄したのも、全ては王太子の独断なのだから。
「ああ……何と言うことだ。こんなことならもっとメリアに誠実でいれば良かった……」
いよいよ頭を抱えてしまう王太子であったが……そんな彼に、救いの手を差し伸べる人間がいた。
「あら? 私は構いませんよ。王太子殿下とこのまま結婚してあげても」
「ッ……!?」
メリアが悪戯っぽく笑いながら、そんなことを口にしたのである。
「良いのか、メリア。この男はお前を捨てようとしたクズだぞ?」
「メリア嬢、無理することはない。次期国王の候補者は他にもいるのだ」
父親である公爵だけではなく、国王までもがメリアを気遣う。
しかし、メリアはニッコリと笑いながら両手をパチリと合わせた。
「こんな事を仕出かした殿下にはペナルティが必要でしょうけど……私が言う条件を守ってくれるのなら、王妃になってあげてもいいですよ? もちろん、殿下もかまいませんよね?」
「…………」
おかしそうに言ってくるメリアに、王太子は頷くしかなかった。
どんなに不利な条件を突きつけられようと……自分の地位を守るためには、この子供のような容姿の婚約者に縋るほかにはないのだから。
王太子は年下の婚約者に頭が上がらず、言いなりになる未来が決定したのである。
〇 〇 〇
それから半年後。
貴族学校の卒業を待つことなく、アリーシャは隣国のルートリヒ大公家に嫁ぐことになった。
それというのも、メリアの叔父であるルートリヒ大公が今回の騒動を聞き、いよいよ年下の妻を迎え入れる覚悟を決めたのである。
元々、ルートリヒ大公はアリーシャのことを心から愛していた。
しかし、10歳以上も年下の少女から愛されているという自信が持てず、婚姻を先送りにしていたのである。
アリーシャがあくまでもルートリヒ大公を夫として決めており、メリアから『叔母』と呼ばれているのを受け入れていると聞き、結婚に踏み切ったのだ。
「これで本当に親戚になれたわね。メリア!」
「うん、改めてよろしくね! アリーシャ叔母さん!」
結婚式の前日、アリーシャがメリアの屋敷を訪れた。
2人の少女は抱き合いながら、改めてお互いの絆を確かめ合う。
「それにしても……メリアは良かったの? あんな男と結婚をすることになってしまって……」
王太子のことを『あんな男』呼ばわりして、アリーシャは不安そうに姪の顔を覗き込む。
国のために、混乱を避けるためにあえて嫌な立場を受け入れているのではないかと気遣うが……メリアの顔に浮かんでいるのは満面の笑顔である。
「もちろん、いいわよ! 最高じゃない。国王になった夫の弱みを握ることができるなんて!」
今回の騒動を許すにあたり、メリアは王太子にいくつかの条件を認めさせている。
条件1
王太子の方からメリアと別れることはできないが、メリアはいつでも婚約破棄または離縁することができる。
条件2
王太子は側室や愛人を持つことはできない。これはメリアとの間で子供が生まれなかった場合も同様であり、その場合は他家から養子をとるものとする。
万一、王太子がメリア以外の女性と子供ができたとしても、その子供に王位継承権は発生しない。
条件3
王太子はメリアと別れた場合、強制的に王位継承権を失う。また、すでに王位についていたとしても退位して、他の王位継承権者に玉座を譲らなくてはいけない。
条件4
離縁または婚約破棄した場合、王太子は過失の有無に関わらず個人財産の90パーセントをメリアに譲らなくてはいけない。
条件5
王太子がメリアと別れた場合、王族としての地位を失って平民落ちとする。
なお、ここでの「別れる」には「死別」も含まれる。
これらの条件を認めさせたことにより、王太子はメリアに完全に頭が上がらなくなってしまった。
メリアに見捨てられたら王位を失って平民になってしまうのだ。これから一生、メリアの顔色を窺って生きていくしかない。
条件5で死別も平民落ちの条件として追加させたため、暗殺などの強引な手段を使うことも不可能である。それどころか、自分の地位と人生を守るために全力でメリアの安全を守るしかなかった。
「私は叔母さんのことを苛めたりしていないけど……『悪役令嬢』と呼ばれていたのは間違いじゃないかもしれないわね」
実質的に国の支配者となったメリアは、そう言って愛しい叔母に笑いかけたのであった。
その後、アリーシャは望み通りに大公妃に。メリアは王太子妃になった。
異なる国に住んでいた2人であったが、その後も二人は仲睦まじく交流を続け、両国の友好関係を守り続けたのである。
おしまい
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