Chapter:1 CRIMSON PHOENIX
本作は拙作シリーズ『降魔戦線』の外伝的作品です。
「大人になった凰鵡や翔が書きたい」と思い立ち、変則的な遣り方ですが未来編を書くに至りました。
序章で登場した翔を主人公に一人称視点で描くという、本編とはまったく違う手法と雰囲気をあえて用いています。
また、登場人物のひとり、朱璃についての詳細は本編『邪願塔編』をお読みくださると嬉しいです。
※この物語には残酷描写や、性的な表現が登場します。
※また宗教的なニュアンスを想起させる単語が登場しますが、本作はいかなる宗教や団体とも関係がありません。
1
『Blue Moon of Kentucky』が鳴っている。
化石趣味と言われようが、好きなものは好きなんだからしょうがない。
ベッドからナイトテーブルに手を伸ばして、オレは軽快に歌うスマートフォンを掴んだ。
「んー?」
起床一番の喉に出せる限りの、爽やかな挨拶をかます。
「なぁに? 今起きたの?」
電話の向こうで朱璃が呆れた声を出す。
「モーニングコールのサービスなんか頼んだっけ?」
「お寝坊所長さんに出勤催促のサービスです。おはよう。仕事の依頼が来たわよ」
布団の中でもぞもぞと体を動かした。
隣が涼しいと思ったら、川の字で寝てたはずの同居人がひとりもいない。
部屋の時計を見ると、もう昼前だ。
「凰鵡は?」
「昨日入った調査依頼の件で、早くから出てるわよ」
ああ、そうだった。今日の朝イチでって頼んだの、オレだ。
で、そのオレは三日前に終わった案件の最中に、しくじって背中を強打。一時は起き上がるのも侭ならなかった。
二人揃って、今朝もオレを少しでも休ませようと、静かにベッドを抜け出していったんだろう。
「んー、じゃぁ朱璃ちゃんが適当に判断して……」
「さすがにそこまで出来るわけないでしょ。所長なんだから、頑張って出て来なさい」
言うなり、朱璃は電話を切った。
さすが鬼の事務係。我らの肝っ玉お母さん。凰鵡ほど甘くない。
所長って言っても、オレたちのチームに上下関係はないから、便宜上の肩書きのはずなんだが。
ともかく俺は素早く顔を洗い、髪を整えて家を出た。
服は大丈夫かって? 話している最中に着替えている。
凰鵡が毎日手当てしてくれているおかげで、今日はかなり痛みも退いている。
とはいえ、無理は禁物だ。ヤバい依頼でないことを祈る。
オレ達の住まいは十五階建てマンションの最上階。図体のわりにエレベーターの数が少なくて、たまに渋滞が起きる。
今日は運がいい。待ち時間もなく筺がやってきて、オレをスムーズに地上へと運んでくれる。
マンションのグレードは上の中といったところ。本来なら、おいそれと手の出る物件じゃない。
建物の完成直後に発生したトラブルを解決した見返りに、手頃な一室をいただいた、というわけだ(こういう遣り方に、凰鵡はあまりいい顔をしないが)。
あっという間に俺は一階に到着した。上に比べると、下階にはいくぶんリーズナブルな賃貸部屋が並んでいる。
廊下を少し進んだところで、俺はその部屋のノブを捻った。
鉄の扉に掲げている看板の文字は《CRIMSON PHOENIX》。
少し格好つけすぎかもしれないが、オレと凰鵡と朱璃、三人の名を合わせたものだ。
俺は大鳥翔。
大鳥を《鳳》と書けば、凰鵡の凰と揃えて《鳳凰》になる。
まぁ、厳密に言えば、フェニックスと鳳凰はイコールではないのだが。
がっちゃん、と背後で扉が締まる。
最上階に住居、最下階に事務所。行き来が楽でいい。
もちろんこの部屋も、普通なら賃貸のところ、件の見返りに格安で購入した。
「おはようございます所長」
えらく丁寧な挨拶で、朱璃が玄関まで迎えに来る。
「依頼者が来るのはいつって?」
「もう来てるわよ。だから起こしたの」
「アポなし?」
「うちアポ受けてないでしょが」
「次からありにしよう」
「八時出所の社則を導入するなら賛成」
「やっぱなしで」
なんていうふざけた遣り取りをしながら、応接室に入る。
客は二人。五〇くらいの女性と、オレより少し若く見える線の細い青年。
五〇のほうは会社の重役という風体。ワインレッドのスーツ姿。ややステレオタイプだが、女社長とかでもおかしくない。
青年ほうはミディアム・ヘヤーと流行りの服装。ファッション雑誌とかで見かける感じ。
奇妙な取り合わせだが、雰囲気か、体臭か、とにかくビビッと匂うものがあって、オレは納得した。
母子だ。息子の方はたぶん整形入れてるな。きょうび珍しくはない。
オレの顔を見るや、二人とも一瞬、目を円くする。
しょうがない。オレの右目周辺の傷痕は、かなり目立つからな。
「どうも。一応、この事務所の所長を任されている大鳥翔です」
〝一応〟と〝任されている〟を強調して自己紹介した。
「初めまして。私、モデル中心の芸能事務所をやっております、佐竹と申します」
熟女の方が腰の低い挨拶をしながら名刺を差し出してきた。
受け取っておく。少なくとも仕事中は何かと便利だし、依頼人の履歴として残しておくにも使える。
『芸能プロダクション 株式会社BAMBOO 代表取締役 佐竹志帆ーSHIHO SATAKEー』
なんとまぁ、本当に女社長。
「こちらは私の息子で、うちの所属モデルでもあるレオンです」
一瞬、頭のなかの文字変換器が停滞する。
芸名? 外国生まれ?
「旧字体の礼、と恩赦の恩、でレオンです」
ああ、[禮恩]ね。
本人には悪いけど、字面が面倒くさいのでオレは頭のなかで[レオン]とカナ変換することにした。
それにしても、親子なうえに、事務所の長と所属とはね。モデルについては全然詳しくないから、彼の活躍についてはなんとも言えない。
そのレオンくんは肩身が狭そうな面持ちで黙りこくっている。
目線はだいたいテーブルの下…………
「それで、うちにはどういったご用向きで?」
「はい。数日間、私達の護衛をお願いしたいのです。それと、我々を狙っているものの撃退も」
オレは軽くフンフンと相槌を打ちながら、内心で気落ちする。ヤバイ案件だった。
かなり逼迫してるらしいが、これもレオンの整形並みに、昨今じゃよくある話。
警察には行かないんですか──なんて質問は時間の無駄。うちの戸を叩いたなら、二人を狙ってるのが人間じゃないことは明白だ。
この世の理で推し量れない生命体群──妖怪、魔物、悪鬼……古今さまざまな呼び方をされてきたが、今ではおおむね《妖種》と呼ばれている。
かつては人間社会の裏に忍んでいたそいつらが、一般にも認知されるようになって久しい。
ほとんどは無害な連中なのだが、人間に害を(とくに悪意を持って)成すものが現れたとなれば、警察どころか自衛隊の手にすら余る。
なんとかして公的な対策を、と行政も必死だが、科学や人間の常識が通用しない妖種の生態を相手に、有効な対策の目処は立っていない。
結果として、その存在が明るみに出る以前から対妖種のノウハウを養ってきたその道の者達が、官民双方からの需要を得て、《対妖業》と呼ばれる新たな職種として地位を確立した。
かくいうオレ達三人も、かつてはそういう組織に属していた身だ。
「これらの事件をご存知ですか?」
社長さんが自分のスマホをテーブルに置き、画面を見せてきた。
ニュース記事だ。
隣でノートPCを開いて書類をつくっていた朱璃も、体を傾けて覗き込んでくる。
『住宅街で焼死体 蒼い炎が目撃される』
見覚えがある。半月くらい前に、深夜の住宅街で男が焼き殺された事件だ(被害者の詳細については忘れた)。
悲鳴を聞いて窓から現場を見た近隣住民の証言では、なんでも「蒼い炎に包まれていた」とか。
炎の正体については正体不明。色々憶測が出ていたはずだ。人体自然発火とか、鬼火とか、UFOからの殺人ビームとか…………
三つ目ならうちは専門外だ。
オレがうなずくと、佐竹氏は次の記事に移す。
こっちも焼死体の話。発見時間帯は夕刻。正午前から発生した山林地帯の小火が消し止められたあと、一本の木の枝に深々と刺さった遺体が発見された。現場検証の結果、地上五〇メートルにあったその場所こそが出火点だと判明。
消火にあたった人のなかには、周囲の木々が赤い火を上げるなか、出火点の炎だけが青かったと話した人もいたとか。
その次の被害者は公園の溜め池から発見された。やはり焼死体。可哀相なのは、池で飼われていた錦鯉が五匹、道連れで煮魚と化したこと。被害者を焼いた炎は水中でも消えなかったらしい。
死亡推定時刻は深夜。現場を直接見たものはいなかったが、付近では電柱を飛び移ってゆく蒼い人魂のようなものが目撃されている。
最後の一件は、戸建ての自宅もろとも。これも夜。煙草を吸おうと外に出た家のご主人が、庭で蒼い炎に包まれた。
悲鳴を聞いて駆けつけた奥さんと娘さんが消火器を使用したが、収まったと思って手を止めるたびに再発火。悲しいことに、妻子の懸命の努力は犠牲者の苦しみを長引かせただけだった。
最後には家屋にも引火したことで、二人は消火を諦め脱出。夫と家は全焼した。
日付は昨夜──地区名を見て、『火災』というヘッドラインだけオレも目にしていたことを思い出した。
以上四件、共通するのは〝蒼い炎〟か
「これらの事件と、お二人に関係が?」
オレが問うと、佐竹氏は軽くうなづいた。
「被害者は全員、うちと繋がりのあった方々なんです」
ほう? オレは記事に書かれた被害者達の職業を思い返す。
TV番組プロデューサー、カメラマン、脚本家、映画監督、なるほど。
「では、あなたはこれらの事件が通常の超自然現象ではなく、特定の人物を狙った何ものかの犯行で、その標的の中にお二人も含まれているとお考えで?」
通常の超自然現象──我ながら度肝を抜く言い回しだ。
「ええ」
「三つほど質問しても?」
もう一度「ええ」。
「再確認ですが、我々への依頼は、おふた方の身辺警護と、襲撃者があればこれを撃退すること、以上でよろしいですね」
三度目の「ええ」。
聞き飽きたので、「ええ」では返せない質問を投げることにした。
「依頼期間は何日を想定しておいででしょう。襲撃者が現れない場合、際限なく警護を続けることになりかねませんが?」
「当座は三日間、お願いできますか。その期日以内には解決すると思います」
「我々以外にも、捜査機関に依頼を?」
「ええ。そちらの規定には反しますかしら」
「いいえ」
「では、お引き受けくださいます?」
「もうひとつだけ、伺っても?」
「どうぞ」
「ご自身が狙われているという確証に至る、その根拠は?」
「身の危険を感じるのに、理由がいるでしょうか?」
「被害者は皆──あなたもそうですが──職業柄、横の繋がりの広そうな方々です。犯人を含めた私的な関係か、あるいは脅迫状の類でもない限りは、まさか自分が標的とは思わないものでしょう」
佐竹氏の表情が見るからに硬化した。
「私は何も、あなた方に〝誰それを殺して欲しい〟と言っているわけではないのだけれど、それでも事情を詮索されないといけないのかしら? 狙われていると思っているのは私の勘違いで、お願いする期間に何ごともなければ、それはそれでいいのだけれど?」
その瞬間、オレはこの件を引き受けることに決めた。
翔のスマホから流れた『Blue Moon of Kentucky』はアメリカのブルーグラスのポピュラーで、作中ではエルヴィス・プレスリーのバージョンを想定しています。
本当に古い趣味ですねw