第七十四話 日向晴夫
第七十四話 日向晴夫
サイド 剣崎 蒼太
「か……」
ガラリと、晴夫の手から剣が滑り落ちる。太陽を模した鍔をもつ装飾剣が床にぶつかって音をたてるが、彼は気にした様子もなくこちらを見ていた。
「かいちょぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!」
声がでけぇ。
彼は、『五分刈りではなく七分刈り』とこだわりのある短髪の、中々の美丈夫である。黙っていれば、それこそ由緒正しき武士だと言われても納得できるほどだ。
そんな奴が、顔から出るもの全部だして突っ込んできた。
「ストーップ!止まれ!待て!晴夫!」
あわや衝突という直前で、床に二本線を引きながら急停止する晴夫。だが慣性の法則とでもいうのか、飛び散った涙と鼻水と涎がこちら目掛けて飛んできた。
「生ごみガード!」
「ぎゃああああああ!?」
咄嗟に麻里さんの後頭部を掴んで盾に。
「そんな麻里さん、俺を庇って!?」
「なにすんじゃぼけええええええ!?」
用は済んだので生ごみを放り捨て、未だ漢泣きをする晴夫へと目を向ける。
「あー、うん。元気そうだな」
色々と言いたい事、聞きたい事はあるが、とりあえず落ち着かせなければ話もできない。元々、こいつは人の話をちゃんと聞かないタイプだし。
思い込んだら一直線。よく言えば愚直な、悪く言うとただの馬鹿である。
「会長……!お゛びざじぶり゛でず……!」
「とりあえず泣き止め、な?」
「ばい゛……!」
ずるると凄い音をたてて鼻水が逆流していく。え、こわ。
「ぷはっ。会長、こうしてまた会える日を一日千秋の思いでお待ちしておりました!」
「いや、オーバーな」
「ランスの卑劣な罠により御身と離れ離れとなってから三十七日と十二時間五十二分!この晴夫、指折り数えておりました!」
怖い。自分は男にそんな事をされて喜ぶ趣味はない。
「遂に仇敵ランスと裏切り者グウィンを討ち取る時が来たのですね!先鋒は俺にお任せください!いかなる障壁も打ち壊してみせましょう!」
「晴夫」
「はい!」
「何度も言うが、俺とランスが争う理由はない。俺とグウィンはそういう関係ではなかったし、二人の関係をむしろ応援しているぐらいだ。どうか、彼らを祝福してやってほしい」
幼子に言い聞かせるように、この大男に語り掛ける。
いやほんと、俺からすると争う理由が一切ない。勝って得られるものはなく、恨みと呼べるのはせいぜい内申点の事だけだ。それも、謝ってくれるのなら十分だ。何故か恋愛関係で謝られてばかりだけど。
「会長……貴方のお気持ち、この晴夫よくわかります……!」
「わかってくれたか」
「やはりランス討つべし!グウィン討つべし!」
「うーん、この」
ぶっちゃけこうなる気はしていた。中学時代から何も変わっていない。
「会長の優しさを利用し、甘露を飲む外道どもめ!会長、我慢しなくていいのです!御身の思うままに行動してください!」
我慢しない場合宇佐美さんの胸に跳び込むしかなくなるが?グウィン?なんで男の胸に吸い付かなきゃいけないの?
「……もう、うん。とりあえず続きは明日にしよう。ゆっくり話し合おう。くれぐれも、それまでは迂闊な行動をするなよ?」
「はい!こうして会長と再会できた事、これは神の思し召し!会長もここにいるという事は、『選ばれた』のでしょう?やはり天は我らに味方している!」
神はやめろ。マジで。というか、なんか気になること言ったな。
「『選ばれた』、ね。明日、色々と聞きたい事がある。頼めるか?」
「勿論です!この晴夫、たとえ火の中水の中溶岩の中!万難を排して駆けつけますとも!」
「いやそこまではしなくていいから」
廊下の水道場で顔を洗っていた麻里さんがレイスに囲まれて悲鳴を上げていたので、適当に炎を放って救助しておく。めんどくせえな。
その際なぜか宇佐美さんが跳びはねていたが、どうしたのか。気配でそれを察知しただけで、網膜に焼き付けておかなかった事が悔やまれる。
「それにしても、何故あの女が?」
晴夫が不思議そうに、トテトテと戻ってくる麻里さんへと訝し気な目を向ける。
うん。それは全面的に同意する。だが麻里さんだし。美女や美少女がいる所なら台所の悪魔ばりにどこでも現れるだろう。
「ふっ、私は彼女たちのボディガードさ☆」
硬直している宇佐美さんに肩を回し、速攻で九条さんにはたき落とされている麻里さんがドヤ顔を決める。
「なるほど。ご婦人方、悪い事は言いません。その女だけはやめておいた方がいい。魔女です」
「酷くない?」
「魔女?」
あ、宇佐美さんが再起動した。中二ワードに反応したのだろうか。
「はい。その女は東に貴婦人がいればスカートに潜り込み、西に幼い少女がいれば入浴を覗く愚か者です。関わると碌な事がない」
「酷い!名誉棄損で訴えてやる!」
「麻里さん」
親戚のよしみで、優しく笑いかけてやる。
「事実陳列罪なんてもの、日本の法律にないんですよ?」
「事実無根だよ!?」
いや証人だらけだよ。なんなら俺も証人として法廷に立つつもりあるよ。
「ああ、そういう事」
何やら納得した様子の宇佐美さん。『魔女』が思っていた意味じゃなくってがっかりしたのだろうか。拗らせた中二病だし。
「それはそうと、ここから出る方法とか知らないかしら?」
宇佐美さんがそう聞くと、晴夫が大きく頷く。
「それでしたらご安心を。いつでも戻れますとも。ああ、ですが校舎の外に出てからの方が面倒も少ないですね」
そうしてもう一度窓から校舎の外に出ると、晴夫が鎧の後ろ腰からスマートフォンを取り出した。
彼は左の籠手を手早く外すと、画面を操作していく。
「なにを――」
しているのか。そう聞こうとした瞬間、彼の目の前に半透明な板が現れた。縦二メートル。横一メートルほどのそれは、向こう側に普通の月に照らされた景色を映し出していた。
「さあ、行きましょう!私の弟も今は家にいますからね!今日はここらで切り上げるとしましょう!」
その光景になんの疑問も持った様子もなく、晴夫は邪気一つない笑顔を浮かべていた。
* * *
サイド 宇佐美 京子
「はぁー……」
車に乗り込み、背もたれに体を預けて大きく息を吐く。
宇佐美グループ会長の孫として、使用人の前で見せてはならない姿だ。だが、今日は流石に仮面をかぶっていられない。
「黒江」
「はい」
「帰ったら、お風呂に入るから用意して」
「漏らしましたか」
「逆に聞くわ。貴女は?」
「私も帰ったらお風呂です」
「そうね」
私は魔法薬で。黒江はたぶん体質で。周囲にはバレていなかったようだが、仲良くやらかしたわけだ。
剣崎蒼太には気づかれる可能性もあったが、彼は血や敵の臭いにでも集中していたのか、それとも女性の匂いを意識的に感じ取らないマナーがあったか。
なんにせよ原因は彼なので感謝しようとは思わないが。
宇佐美家の直系でありながら無様に漏らした。だが、それを恥じる気もないし、誰に何を言われようと知った事か。
「アレは、なんなの……?」
魔に関わる者でなければ、魔術を行使する姿でもなければそこまで気にならないだろう。
だが、私の様な魔術師や、黒江のような訳アリからしたら彼の身に纏う装備が視界に入るだけで気が狂いそうになる。
喜びと、悲しみと、悦楽と、恐怖と。あらゆる感情が叩きつけられる。それがこちらの心を犯し、塗りつぶしそうになる。まるで『この世の全て』を内包した何かを前にしたようだ。
いったいどんな素材を使ったらあんな物が出来上がるのか。
ベースは、多少仕立てのいい衣服やコートだったのだろう。だが、そこにバケツでもひっくり返したみたいな粗雑さで、しかし確かに意図と技術を持って作られたなにか。
あえて表現するなら……『名状しがたき冒涜的な装い』とでも言えばいいのか。一般人からしたらもの凄いイケメンがやたら似合っているコスプレをしているだけなのに。
黙っていられては精神防壁を突破されて頭がおかしくなると思い、どうにか馬鹿な事を言わせて『これは人間だ』と思い込もうとした。
……よく考えたら、とんでもなく失礼な事をした気もするが。大丈夫だろうか。後で報復とかされなければいいが。
だが、今はその心配よりも。
「剣崎蒼太が言っていた『彼女』。それが鍵かもしれないわね」
彼が言っていた『自分は魔法使いではない』というのは嘘ではなかったと思う。人間相手に鍛えた観察眼だが、それが剣崎蒼太にも通じるなら本音のはずだ。
それに、彼は『魔法使い』や『魔法』とよく言っていた。基本的に、この業界では『魔術』と呼ぶものを、だ。
何故魔術と呼ぶかと言えば、この力は鍛え、磨き、継承してきた。その自負があるから『術』と言うようになったと聞く。まあ由来はこの際どうでもいいが、業界人とは思えない。
そんな彼がああも異常な力を使える理由。本人の言う通り、道具のおかげだとしよう。となれば、その『彼女』とやらが真実を知るはず。
「黒江、もう一度彼の経歴と交流関係を洗って」
「かしこまりました」
もう何度も調べた事だが、あの謎の人物を知る為には労をいとうてはいられない。
容姿は魔性の美貌。表面的な内面はどこにでもいる小心者。それでいて怪物を燃やし尽くしても眉一つ動かさない異質さ。かと思えば歳相応に俗物的な視線を向けてくる。
あまりにもちぐはぐだ。まだ人格が複数あると言われた方が納得のいく。
いや、もしかしたら単純に、凡人が異常な力を与えられただけ?馬鹿な、あれだけの美貌を作ろうと思ったら、神域にたどり着いた芸術家でもなければ無理だ。そもそも、あんな力を誰が授けられるというのか。
……やはり、剣崎蒼太の言う『彼女』こそ、真実に最も近い位置にいるはず。
知らない方がいい真実なんてものは、世の中ありふれている。それはこの業界でも同じ事。不用意に手を突っ込んで、指先からまるまる食い殺されるなんて珍しくもない。
知ったがゆえに身を滅ぼすか、はたまた気づかぬ間に滅びを迎えるか。
「ままならないわね……」
窓の外を眺めて、そう呟く。私の様な『出来損ない』には、やはり……。
こちらの思いなど知るはずもない夜空を照らす月は、嫌味なほど静かにこちらを見下ろしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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宇佐美「やはり、その『彼女』とやらが……!」
某パーフェクト美少女「気づいてしまいましたか。私がいかに美しく完璧か……!」
宇佐美「彼の事を洗い出す必要があるわ」
某公安部の人「ヤメテ……仕事増やさないで……核ミサイルの上でタップダンスしないで……」




