第六十三話 アマルガム
第六十三話 アマルガム
サイド 剣崎 蒼太
紅い葉脈の様なものが、突き刺さった小太刀から彼女の全身へと広がっていく。それが浮き出たのはほんの数秒の事。そして、それが消え去った後はハラハラと銀の紙片が散らばっていく。
紙片の元は、怪人としての彼女の体。強靭な肉体も。歪な肉塊も。牙の生えた触手も。それら全てが紙片となり、舞い上がっては溶けるように消えていく。下腹部に埋め込まれていた宝玉も、光を失い地面に転がり落ちた。
残された海原さんを抱き留め、地面に着地する。先ほどまで土砂降りだった雨は、徐々にしとしととした小雨へと変わっていく。
「けんざき、さん……わた、し」
「もう、大丈夫だ。動かずにじっとしていろ」
「いいんです……」
喉に小太刀が刺さった状態で、彼女は儚げにほほ笑んだ。
「優しい人……けど、自分の体は、自分が一番わかるから」
「君を死なせない。だから」
そっと、こちらの唇に指があてられる。
「きいて、ください。もう、最期だから……」
うっすらと、目に涙を浮かばせたまま少女は喋る。
「ありがとうございました。私の願いを、意思を拾ってくれて。それを通せない事が、一番の心残りだったから……」
何かを言おうとしても、あてられた指で唇を動かせない。ただ、少女の独白を聞くことしか出来なかった。
「無理かもしれませんけど、この事を気に病まないでくださいね?怪物と成り果てた時に、私という人間は死んでいたのです。だから、貴方が斬ったのは、ただの怪物。私の仇をとってくれただけなんですから」
涙をこぼしながらも、しかし少女は精一杯の笑みを浮べた。
「だから、ありがとうございます。剣崎さん。私の事、少しの間でいいですから、こんな友達がいたって、思い出してくださいね?」
そっと、割れ物を動かす様に気を付けながら、唇にあてられた指をどかす。
「君は、死なない。こんな所で死なせない」
「……いいんです。私は」
「いや本当に死なないから」
「……はい?」
なんか、遺言みたく色々言っているわけだが……。
「冷静に考えろ。物理的に刀が刺さった状態で人が喋れるわけがないだろう」
「え、それは、こう魔法とか」
「そう。魔法だ。俺は魔法使いなので、小太刀を色々改造した」
「……んん?」
大変だった。二徹だけならまだしも、連日の戦闘。特に海原さんと飛蝗がきつ過ぎた。本当に二度と蘇るなよあの飛蝗。
「え、けど、この刀って神社の……」
「ああ。伝承は俺も神主さんから聞いた」
この小太刀で貫かれれば、『人から怪物に変わった者は人の姿に戻り数秒のうちに死ぬ』と。
つまり『数秒なら人の姿で生きていられる』わけだ。
「数秒の猶予があるなら、どうとでもなる」
我チート転生者ぞ?血の一滴までチートぞ?なんなら血が一番チートだからな?
「今、君を人の状態で治療をしている。体内の人外としての因子を吸いだしながら、同時に損傷した分を治している所だ。だから刀には触れないように」
この小太刀。調べてみれば『深き者ども』の因子を吸い上げる効果があるらしい。それを魔力に変換して刀身の修理などをしているようだ。そして、刺された対象は体にあったものが突然ごっそり消えるから、それが原因で死ぬと。
極端な例をあげれば、いきなり血を半分ぐらい抜かれた様なものだ。なら、その血を補ってやれば済む話である。
「ただ、普通にやっても君の場合この宝玉が邪魔だったから、はがす必要もあったんだよ」
そう言って、落ちていた銀の宝玉を拾い上げる。もはや碌に力を感じないが、単に内側へと引っ込んだだけだと見ただけでもわかる。
これは海原さんの体内にある因子を引き出し、強化する為の外部装置。これのせいで急速な深化が発生していたわけだ。どうにも潮臭い物体である。絶対なんらかの神格が関わっている。
「これのせいで体に色々影響が出ているし、その治療もかねて色々仕込んだから……あ、終わった」
「へ?」
小太刀が光ったかと思えば、黒いチョーカーとなって海原さんの細い首に巻き付く。こちらからは見えないが、後ろ側には刀型の装飾が付けられているはずだ。
「海原さんの体はだいぶ作り変えられていたから、短時間での完治は難しい。今はほぼ人間だけど、完全に、となると時間がかかる。その間の制御装置も兼ねているから」
チョーカー型なのは決して自分の趣味ではない。
魔法の基礎中の基礎、見立てである。首につなぐ。という形をとる事で、制御に関する力を高めているのだ。
決して『女の子がチョーカーしてる姿って……なんかエロくない?』という個人的な感情は一切関係ない。
「なんかこの小太刀から一定範囲内なら因子が抑制されるみたいだけど、その機能はちゃんと持ち越したし、なんなら指向性も持たせれば範囲も伸びるから。あ、ついでにこれ」
そう言って海原さんの手に指輪を握らせる。
「なんか事情があるらしいから、特急で作っておいたぞ。できれば後で用途を教えてくれると助かる」
「あ、ありがとうございます……え?え?」
「それと、山田さん……海原さんを診ててくれた人も助かったよ。後で謝りに行こう。俺も一緒に行くから」
いやぁ、本当によかった。流石に海原さんが人を殺したとなれば、どうすればいいのかわからなかった。小太刀を取りに工房へ寄った時、新垣さんから通信があったのだ。渡した指輪の効果もあって、今は元気に走り回っていると。
まあ彼女はかなり『混ざった』人だったから、喋れるだけの力があればそう死にはしないと思っていたけど。最悪の事態にならずよかった。
「………」
何故か完全に無言となった海原さんから、そっと視線を逸らす。
胸元が開き過ぎなのだ。臍まで見えてしまっている。今にもたわわな果実がこぼれ落ちそうだ。
ここに到着した時、視線が胸に固定されたのを覚えている。意識がそっちに行き過ぎて、声に動揺が出ないよう必死だった。すぐに怪人化したので、その心配もなくなったが。
横目で見るぐらいならバレないかな……?そう思っていると、海原さんが顔を覆ってしまう。
「殺してください……」
「なんで!?」
こっちは助けるために滅茶苦茶必死だったんだが!?その努力全否定!?
いや、最終的に治療するから『九割殺し程度ならセーフか』と、割と本気で斬りかかったけども!?殺す気まではなかったからね!?
「なんで……その……完全に私、死ぬ流れ……」
「いや、なんでって。死んでほしくなかったからに決まっているだろう」
自分でも少しキザな言葉だとは思うのだが、それでも本心だ。
顔を知り、名前を名乗り合い、言葉も交わした相手。そんな人を手にかける痛みは、もうたくさんだ。
殺すのではなく救いたい。そう思う事に、なんら恥じるところなどありはしない。だから彼女の指の隙間から覗く瞳を、真っすぐと見て断言できる。
「俺は君を死なせたくなかった。それ以上の理由なんてない」
……あれ、今の俺ちょっとカッコよくない?
「……剣崎さんのおたんこなす……変態……視線が卑猥マン……」
「ごめんなさい……」
やっべバレてた。
顔を真っ赤にして襟をなおす海原さんから目を逸らす。我ながら、だからモテないのではなかろうか。
「……本当に、ありがとうございました」
「うん。気にしないで……?」
だからセクハラで訴えるのはやめてください。社会的に死んでしまいます。
「さて……」
左手に持った宝玉に一度視線を向けてから、顔を上げて海を見据える。
「いるのはわかっています。出てきたらどうですか?」
「え?」
こちらの言葉がわかるのか、それとも声に反応しただけか。ざばりと音をたてて、異形が海から上がってくる。
「ギョ」
ギョロギョロとした目。平たすぎる鼻。エラのある顔。全身を鱗で覆い、手足の隙間には水かきが見える。
深き者ども。次々と岩場に上がってくる魚人達は、そう呼ばれる。
「……これはお返ししますので、帰って頂けませんか?」
そう言って宝玉を掲げる。
十中八九、これを海原さんのランニングコースに置いたのは彼らだ。きっと、魚人の信仰する神と関り深い品なのだろう。
本音を言えば嫌だが、今の所彼らは人を傷つけていない。こいつらのせいで海原さんが、とも思うが、明確な敵対行動はされていないのだ。伝承にあった者達も、同一個体とは限らない。
であるなら、こちらから武力を行使するのは憚られた。
「帰って頂けるなら、こちらから攻撃する意思はありません。もちろん、そちらが害意を」
「置イテケ」
濁った声が、深き者どもから発せられる。
「宝モ、母体モ、置イテケ」
「全部、置イテケ。殺ス、ゾ」
「オ前ノ、血、上手ソウ。オ前ノ血モ、置イテケ」
「コロス。殺シテ、奪ウ」
感情の読み取りづらい顔だが、彼らがニタニタと嗤っているのはなんとなくわかる。完全にこちらを下に見た、そんな視線。手に持つ銛をちらつかせ、下卑た感情を隠しもしない。
「そうですか」
どうやら、彼らは勘違いしているらしい。自分が既に満身創痍で、立ち上がる事すら難しいほど疲労しているのだと。
確かに片目は焼け焦げたし、骨はバッキバキだったが……そんなものはもう治った。被害は武装が全損しただけ。素手であろうと、彼らの百や二百、余裕をもって蹂躙できる。
だがまあ、それは自分の役目ではない。
「海原さん、頼めるかな?」
「……はい。私が戦います。剣崎さんは逃げてください」
なんか悲壮な覚悟を決めて立ち上がる海原さん。おお、安産型ながらも上向きなお尻が目の前に。
じゃなくって。
「首の後ろ。チョーカーの後ろ側に触れて、魔力を流し込んでみてくれ」
「え?」
「ほら、来るぞ」
「あ、わぁ!?」
既に深き者どもが走り出している事に気づき、海原さんが短く悲鳴を上げながらも言われた通りの行動をとってくれる。
刹那、金色の光が彼女を包み込む。
「これ、は……」
黒の戦闘服に、金色のボディアーマーと籠手、具足。頭部には、サメを模した黒金のフルフェイスヘルメット。
そして、腰には例の小太刀が提げられている。
「君の力だ。使いこなしてみなさい」
『特殊戦闘服:アマルガム』
あの小太刀には因子を吸い取り変換する機能がある。それを応用し、外装としての機能を付け加えた。
こんなご時世だ。護身の道具はあった方がいい。そういう思いを込めて、この力を彼女に託したい。
……最初、戦闘服のデザインを『ピチピチスーツにしてエッッッ!』と思っていたのだが、ふと『いや命を預ける装備にそういうのはどうよ』と冷静になってしまって色とヘルメット以外特殊部隊みたいな感じになっちゃったけど。実用性重視したらエッチな機能完全に消え去ってしまった……。
「……はい!」
海原さんが力強く頷き、小太刀を引き抜いて構える。
ああ、ようやく彼女の構えが気になっていた理由がわかった。これ、前に動画で見たナイフ術と合気道を組み合わせたような動きだ。なんとなくスッキリした。
と、なれば。今まで無手で戦っていたのは……もしかして、全力とは程遠かったなんて事もありうる、のか?
「いきます!」
突然の変身に動揺して足の止まった深き者どもに、海原さんが駆け出す。
半ば反射で突き出したのであろう銛に刀身を滑らせ、通り過ぎざまに首を切り裂く。綺麗に刃のたった一撃が、容易に首の骨まで断ち切っていく。
踊るような軽快さと、戦士としての無駄のなさ。それが組み合わさった動きで、彼女は次々と魚人達を斬り捨てる。
三体ほど斬られたあたりで、ようやく再起動した魚人たち。慌てて銛を突き出していく。
彼らの身体能力は、恐らく常人を軽く超えている。素手で人の頭蓋を砕く事も可能だろう。それが、長柄の武器を使って集団行動をする。なるほど、昔の島民が手も足も出なかったのも頷ける。
だが、だ。
「せ、やぁ!」
乱戦に持ち込んだ段階で長物の利点は大部分失っているし、そもそも味方が邪魔でまともに振るえていない。更に、海原さんの動きは『人外を殺す』ための武術だ。
きっと、長い年月をかけて、怪物を殺すための技を磨いてきたのだろう。何代も、それこそ何十年、いいや百何十年と時をかけて。
なにより。
「はぁ!」
牽制の為に放ったらしい掌打が魚人の顔面を砕き、異音を出しながら絶命させている。
こと身体能力という点においても、既にアドバンテージはなくなっていた。
あの戦闘服には、作成にあたって自分の血を十ミリリットルほど使っている。頑強さは鎧を纏った自分並み。膂力や速度についても、転生者基準で視ても決して低くはない。賢者の石と同じ力をもつ血と、海原さんがもつ因子。更に小太刀の力を組み合わせた結果である。
数の利、リーチの差は練度と乱戦で潰れた。彼女の持つ小太刀は彼らにとって猛毒に等しく、技量では何倍も差がある。そして、身体能力に至っては子供とヒグマほども離れてしまった。
もはや戦いではなく、蹂躙劇。彼女の今までの努力が今、形となって現れた。
……というか、技量やばくない?身体能力とか再生力、魔法の類が互角なら、自分普通に負けない?あれ、小太刀さえあれば生身でも深き者ども蹴散らせたんじゃね?
それはそれとして、彼女の思わぬ抵抗に逃げようとしている個体に石を投げる。うん、ストライク。
人に危害を加えない。というなら見逃すが、そうでないなら見逃す理由はない。ここで殺す。
いやぁ、うん。動く死体でも同じ人間でもないから、ぶちころがしても良心が痛まないって楽だわぁ……。
三十少しはいただろう深き者ども。それが一匹残らず息絶えるのに、三分とかからなかった。
ふと、空を見上げる。曇天だった空は、いつの間にか呆れるほどの青空に。そうして現れた日の光が、アマルガムを解いて振り返る赤い髪の彼女を照らし出していた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマークいつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。
この結末に不満をもたれるかもしれませんが、作者の好みとしてこういう形にさせて頂きました。




