第六十二話 意思
第六十二話 意思
サイド 海原 アイリ
わた、しは……何をしているのだろう。
森の中を裸足で歩きながら、ふとそんな事を考える。口元を伝う血が、足元に落ちていった。指で口元を拭い、目で確認する。
これは……私の血ではない。誰の血かは思い出せないが。だが何故だろう。喉が渇く。この血を舐めたい。そう思えて仕方ない。
「っ!」
血の付いた手を近くの木に殴りつける。かなり勢いをつけて殴ったというのに、こちらの腕には傷一つつかない。それどころか木の表面がはじけ飛び、樹皮のついた木片が周囲を散らばる。
「ははっ……」
笑いながら、口元の血を袖で乱暴に拭った後また歩き出す。
後、どれぐらい私は私でいられるだろうか。私の意思は、私が私である証明はどれだけできるのだろうか。
わからない。わからないが、『何か』が私を塗り潰すというのならやる事は決めている。母のようになる前に、自刃する。
私達海原の人間が、自分というものを保てるのは己が意思あってこそ。それを失うならば、もはや自分ではない。なら、やりたい事をしよう。
自分の体を好き勝手使われるなどごめん被る。誰の思惑かは知らないが、そんな計画ぶち壊してやる。
……お婆ちゃんを一人残してしまうのは、気が引けるけども。
学校の保健室みたいな所で目覚めた時、最初に確認したのは指輪だった。剣崎さんが渡してくれた、どんな怪我や病気も治してくれる魔法の指輪。『賢者の石』とも、彼は言っていた気がする。
私のようにオカルト等の知識がない者でも知っている程の伝説。なるほど、世界中の現代医療をかき集めても届かない領域の治癒を授ける力があるこれなら、賢者の石と呼ばれても違和感はない。剣崎さんの言う通り、あの指輪は貴重な物なのだろう。
そう、簡単に手に入る事など、ありはしないほどに。生涯に一度目にする事だ出来るだけでも、全ての運を使い切ってしまうほどの逸品。何故それほどの物を彼が持っているのか。『作れる』と断言したのかはわからないが、同時に『作るのに時間がかかる』とも言っていた。
賢者の石。そんな物を作るのにかかる時間とやらは、いったい人生いくつ分なのか。想像すらもつきはしない。
そんな物を私に預けてくれた事に、感謝をしなければならないのだろう。そして、その信頼を裏切り、言われた用途以外で使おうという事への謝罪も。
彼は私が怪我をした時に使えと言っていた。だが、私は病魔で死にかけている祖母にこそ使いたかったのだ。この一件がひと段落したら、本土にいる祖母の治療に向かおうと。
だから、罰が当たったのかもしれない。私の手から、奇跡の力はなくなっていた。
そこから先の記憶は曖昧だ。だが、口元の血からして、罪深き事をしてしまったのだろう。それを償いもせず、自分勝手に死のうとしている自分が情けない。来世とやらがあるのなら、その時に罰を受けよう。あるいは、地獄で、か。
向かう先は、伝説にあった小太刀が保管されているという神社。普段は、よくわからない忌避感から近寄らないけども、だからこそ場所はよくわかっている。あの不思議な気配のする、雨みたいな臭いがする刀なら自分を殺せるはずだ。
直感でわかる。もう、自分は尋常な手段では、己が意志で死ぬ事さえもできないのだと。
……ああ、まだやりたい事も、行きたい場所もたくさんあった。もう一度島の外に出てみたかった。剣崎さんと、友達と遊びたかった。お婆ちゃんと、また一緒に暮らしたかった。
ごめんね。娘に続いて孫まで、先に逝きます。行先は違うかもしれないけど、できるだけ、お迎えが行く時私も一緒に向かうから。ゆっくりと、待たせてね。
もう少し。もう少しだ。あと少しで、神社に――。
「―――え?」
岩だらけの海岸に、波が打ち付ける。人工的に増設された浮島部分ではない、元々島にあった海岸。
「なんで、私……ちゃんと……」
確かに神社に向かっていたはず。道を間違えるはずがない。普段から避けていたからこそ、どこにあるかはよく覚えている。
……待て。そもそもあそこへの道のりは、古びてはいても道路があったはずだ。途中に民家だっていくつもあったはず。
なのに、なんで自分は森の中を、なんの疑問も持たずに歩いていた?
「あ、っ゛!」
お腹に、焼ける様な痛み。着物の緩んだ襟から、銀色の宝玉が浮かび上がって輝いている。その光が、自分の体を作り変えているのが感じ取れる。
「ああ……」
そっか。私……もうとっくに『私』じゃなくなってるのか。
宝玉を中心に、鱗が体中を覆っていく。段々と痛みもなくなってきた。それどころか、五感が曖昧になっていく。
曇天の空から、ポツリ、ポツリと雨がふってきた。次第にそれは強くなり、私の体を濡らしていく。水を肌で弾くたび、自分が自分でなくなっていく。
私は、もう、意思一つ通す事が――。
「ぇ……」
ザリっという足音と、ここ数日で嗅ぎ慣れた、異様に美味しそうな香り。
振り返れば、見覚えのある蒼黒の鎧が立っていた。
「けんざき、さん……?」
黒地に蒼の装飾がほどこされた全身鎧。手には刃こぼれだらけの剣を握って、こちらへと歩いてくる。兜で顔はわからないけれど、間合いを測っているのだと自分にはわかった。
何より、目がいくのは彼の左腰。
朱色に塗られた柄と鞘。金色の柄頭と鍔、鞘の装飾。聞いていた話とはだいぶ違う見た目だけど、それでも、アレが自分を『殺す物』だと本能が訴えかけてくる。
「君を、止めに来た」
感情を押し殺したような声が、兜越しに聞こえてくる。
「あ、はは……」
申し訳ない。けど、ありがたかった。涙が出てしまうほど、彼が来てくれたことに感謝する。
今まで見てきた誰よりも強くて、不思議な力を持っていて、それでいてやけに俗っぽくって、優しくって。そして、傷つきやすい私の友達。
初めて近くで見た月下の下の騎士様と、生身で顔を合わせた残念な男前さん。同一人物と思えないぐらいズレた人だったけど、どっちも彼なのだとすぐにわかった。
強く、災害が人の形をした様な騎士としての姿も。
脆く、ちょっとスケベだけどとても優しいただ人としての姿も。
二つの顔を持ち、それが同居する人。どれだけ『人という種』から離れようと、自分の意思で己を人と疑わない心を持っている人。だから、私はこの人と友達になりたいと思ったのだ。
そんな彼に、私を殺させるのは申し訳ない。だけど、それでもこうして来てくれた事がたまらなく嬉しかった。
我ながら、自分勝手で、罪深い女だ。島の女の人達によく影口を言われていたのは、血筋ではなくこういう性格を見抜かれていたからなのかもしれない。
どうか、私を止めてくれた後も、笑って過ごしてほしい。けど、忘れないではいてほしいな。それは少し寂しいから。十年ぐらいは、思い出して悼んでほしい。
一人で死ぬのは恐かったけど、友達が見守ってくれるなら、もう何も怖くない。
『ありがとう』
そう言おうとした声も、かすれて消える。そこで私の意識は、完全に消え去った。
* * *
サイド 剣崎 蒼太
全身を鱗で覆われたかと思えば、それが白い光と共に弾き飛ばされる。そして、現れたのは一体の異形。
白銀にそまった両目。全身を濃紺で染め上げた、サメの頭に人の体をもつ怪人。両腕は肘から先が黒く染まり、ヒレの様な形をした骨が露出していた。
そして、下腹部の宝玉は一際強く輝いている。
海原アイリの面影を何一つ残していない怪人が、口から涎を滴らせてこちらを見ている。その視線に親愛の情はない。ただの、獲物を前にした獣のそれだ。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――!!!」
「安心しろ」
人を止めた。いいや、止めさせられた怪人と、剣を八双に構えて相対する。
「お前の『意思』は、守ってやる」
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
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