第五十五話 化け物と呼ばれるべきは
第五十五話 化け物と呼ばれるべきは
サイド 新垣 巧
咆哮をあげながらも、海原アイリは理性まで失っていないらしい。するりと、自分から見ても中々の技量を感じさせる構えをとった。じりじりと距離を詰めながら、間合いを測っている。
というか、理性があるのならお願いだから引いてほしい。
「山田くん待った。一時待機。各員、発砲は控えるように。避難誘導を続けてくれ」
『『『了解』』』
無線で指示を出し、ベレッタを引き抜く。下手に撃って海原アイリに当てるわけにもいかない。
「化け物だ!化け物が増えたぞ!」
「海原家はやっぱり化け物の家だったんだ……!」
「……いや、もしかしてあれ俺達を守ろうとしてるんじゃ」
「ちくしょう!し、死にたくねえ!死にたくねえ!」
そしていい加減島民が危険になってきた。彼ら『に』危険が迫っているのではない。彼ら『が』危険因子となるのだ。
ここまで『警察が謎の生物を相手に銃を撃ちまくって迎撃している』という、非日常すぎる状況に冷静な判断が出来なくなっている。銃声というのは、人の脳みそを意外なほど乱すのだ。
そこに来て『海原アイリが怪人に変身した』という情報。このままだとどうなるのか。もはや自分の頭では予想もつかない。
「細川くん」
『狙撃位置、移動しました。いつでも撃てます』
「よろしい」
その時、カメレオン怪人が動いた。
二メートル前後の巨体でありながら軽やかなステップで一息に距離を詰めると、一瞬タックルの様な体勢にはいる。
それに反応して自身の足へと意識を向ける海原アイリ。だが、あれはまずい。
「顔面!」
そう叫ぶが、一歩遅かった。カメレオン怪人の左の拳が、海原アイリの顔に突き刺さる。
フェイント。とうとうそんな事まで怪人がやりだした。焔から聞いた『加藤』という人物。どうやら技術か何かが向上しているらしい。
ふらつきながらも反撃をしようとする海原アイリ。右の拳を、低い姿勢にあるカメレオン怪人の頭に振り下ろそうとする。
だが突き出された拳を手に取るや、エラの部分をもう片方の手で掴んで一本背負い。更に海原アイリの頭が地面付近にくるや否や、その側頭部を地面と挟むように蹴り飛ばした。
カメレオン怪人の動き。確かに総合格闘技のそれだが、技量という一点に限ればサソリ怪人の方が上だろう。
だが、奴のあれはよく言えば実戦的。悪く言えば邪道のそれだ。『競技』ではなく格闘技を『道具』とした動き。
勝つ。いいや、殺す為なら何をしてもいいという戦い方だ。
何が言いたいかって?海原アイリが非常に不利というだけの話だ。
サソリ怪人以下とは言え、それでもカメレオン怪人は高い技量を持っている。その上で戦い慣れした動き。対して海原アイリの腕は悪くはないが、経験の浅さが立ち姿にも出ている。
「細川くん!」
『了解』
バウンドして転がっていく海原アイリに追撃をしかけようとするカメレオン怪人の膝裏に、ライフル弾が命中する。
「ギィッ」
カメレオン怪人のぎょろぎょろとした目が、細川くんのいる位置に向けられる。
今回は人手が無さ過ぎて単独行動をしてもらっているので、彼を狙われたら非常にまずい。バリケードから腕だけ出して、乱雑にベレッタの弾を放つ。狙いなぞつけられていないが、それでも海原アイリを当てずカメレオン怪人の周辺に撃ち込むぐらいはできる。
意識がこちらにも向いた。奴の両目が、左右それぞれに動いて自分と細川くん両方を見てくる。
どちらを狙うか迷っているのか。なんにせよ好都合。
その無防備に晒されているカメレオン怪人の後頭部目掛けて、海原アイリが拳を叩き込みに行く。
それを受け流したカメレオン怪人だが、次の瞬間足払いがはいった。バランスを崩したカメレオン怪人の鳩尾に紺色の拳が抉り込む。
「ギェッ」
よろめくカメレオン怪人がふらついた。そこに追撃をしようとする海原アイリに警告をとばす。
「そいつは舌を高速で伸ばしてくる!射程は不明!」
「ガア゛ア゛!」
返事をするように叫んだ海原アイリが、ちょうど繰り出された紫色の舌ベロを回避する。
先端に鋭く尖った銀色の部品を装着した舌が通り過ぎる中、そちらに意識がいった海原アイリの腹部に灰色の拳が叩き込まれた。
「外さない自信のある者だけ撃て!」
上半身を出して両手で構えた拳銃を発砲。別方向から細川くんも狙撃。こちらは胴体であちらは眼球狙いのようだ。腹部に直撃した自分の弾は無視されたが、眼球狙いは嫌がったのか手でガードされる。そう言えば、サブマシンガンで足止めしていた時も顔は守っていたな。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛!」
顔を庇ったのは左手。その隙にカメレオン怪人の右手を海原アイリは掴むと、捻りながら顎を大きく開く。
「ひっ」
「ば、化け物」
かみ砕かれ引き千切られるカメレオン怪人の右腕。それを見て島民達が悲鳴を上げる。というか、まだ逃げてなかったのか。
「ギェ」
カメレオン怪人が短く吠えながら、海原アイリの顔面を殴りつけて怯ませる。
それでも文字通り片手落ちの状態。ここからなら状況はひっくり返されない。勝った――という時こそ、何が起きるかわからない。
カメレオン怪人に意識を向けながらも、周囲から敵の援軍が来ないかを警戒。
そう、自分は『敵の援軍』を警戒していた。後になって、この時は冷静さを失っていたと自覚する。
「は?」
視界の端で、何故かグラウンド側に走っていく複数の島民達を確認。最悪の想像が脳裏によぎり、無線に指をあてる。
「下田くん!グラウンドの島民を止めろ!」
『っ!?』
だが、一手遅かった。
ときに、このグラウンドは手入れがされていない。当然だ、人がいなくて潰れた学校なのだから。そして、あっちこっちに放置されて壊れた遊具や倉庫の残骸がある。
それらを手に持った島民達が――。
「どっちも死ねぇ!」
「死んじまえ化け物!」
「この人殺しがぁ!」
よりにもよって、海原アイリに向かって投げだした。
ぬかった。こういう事件に遭遇した時、人間というのは予想もつかない行動をするものだ。自分達の様に、訓練と実践を経た者達ですら例外ではない。
怪異に魔術。その他諸々。往々にして、そう言ったものはただ『在る』だけで人の精神を犯す。その結果、とんでもない愚行におよぶ場合など吐いて捨てるほどある。
「下田くん、加山くん、走れ!殴ってでも止めるんだ。殺してはダメだぞ!」
『了解!』
『はい!』
本音では今すぐ眉間に銃弾を撃ち込みたいが、ここで『人が人を殺す』姿を晒すわけにはいかない。海原アイリの前では!しかもどのタイミングで焔がくるかもわからない!
最悪は続く。こんなものが『最も悪い状況ではない』とでも言うかのように。
今日の海原アイリは、比較的理性的なようだ。それが、かえって不運を呼んだ。
守ろうとした人間に攻撃される。それは事前に覚悟していても心を抉るものだ。命がけの状況であればあるほど、本能が『逃げていい理由を見つけた』と叫びだす。
それが理性とぶつかり合い、出来てしまう空白。そこを見逃してくれるほど、怪人は、怪異という存在は甘くはない。
動きが一瞬とはいえ止まってしまった海原アイリに、カメレオン怪人が距離を詰めて拳を連続で叩き込む。
顔面。鳩尾、肩。腹。側頭部。顎。
一度あそこまでペースを掴まれてしまっては、逃げられない。反撃をしようと腕を上げれば叩き落され、退こうとすれば隙をついて強烈な一打がいれられる。
「細川くん!」
『近すぎます。撃てません』
「わかった。私が倒れたら指揮を頼む」
『ッ……了解』
「よし」
よしじゃないが。
今にも吐きそうだ。なんだこの状況。そう思いながら、バリケードから跳びだして走る。
「山田くん、ついてきてくれ」
「はい!今度こそ出番ですね!」
こうなれば、至近距離で山田くんを『暴走』させる。どちらが標的になるかわからないが、とにかく両者を遠ざけられればそれでいい。
その後は……僕、死ぬかもなぁ。いやだなぁ。
けど、今日本が滅びるのだけはダメだ。あそこには、守りたいモノがいる。
「頑張ろうかぁ……!」
覚悟は決めた。同時に、海原アイリが蓄積されたダメージに膝をついた。歓声が、どこかから聞こえる。
膝をついた海原アイリのエラを掴んで引き寄せたカメレオン怪人が、口を開く。その口元から、ギラリと銀色の光が陽光に反射していた。
「山田くん」
「はい!せー」
瞬間、カメレオン怪人の姿がかき消える。
別に透明化したわけではない。砂埃と衝撃波がまき散らされ、自分の数メートル隣を飛んでいくのを感じ取った。
「山田くんストップ!」
「あが」
開かれた彼女の口に、ベレッタを横向きに挟ませる。バキリという銃が壊れる音が響いたが、今はどうでもいい。
砂埃が舞った場所。そこには、一人の騎士が、いいや、『王』が立っていた。
蒼黒の全身鎧。王冠の様にあしらわれた六本角。蒼の装飾が各所に刻み込まれていようと、しかしその装いは実戦を想定した物だと一目でわかる。
ただそこにいるだけで、空気が何倍にも重くなったかのような錯覚を覚えるほどの重圧。生物の根源的恐怖を呼び起こし、アレが決して逆らってはならないモノだと本能が吠え立てる。
焔。自分の知りうる限り、現在地上で最も強い『個』が舞い降りた。
「ギェェ……」
声に反応して視線を向けてみれば、よろよろとカメレオン怪人が立ち上がる姿が見えた。ただし、その左手足は失われ、胴体にも袈裟斬りに切れ込みが入っている。先の一瞬で、随分とイメチェンをしたものだ。
怪人というのは共通して痛覚がないらしい。撤退も出来ないと判断したのか、片足立ちのまま跳ねるように、いや実際片足だけで跳んで焔へと突撃していく。
胴体と地面がほぼ平行になるように、地面を蹴って加速していく。器用にも左右にジグザグと動きながら進む様は、傍から見ている自分でも目で追いきれない。
そして、その変則的な動きから高速で舌が伸ばされる。
もはや目視すら出来ないその一連の動き。では何故自分がそれを察知できたかと言えば。単純な話、止められたからだ。
突き出された鋭く尖った舌先が焔の左手に握られ、次の瞬間思いっきり振り上げられた。
僅かに舌がたわみ、カメレオン怪人の体がとんでもない勢いで空に。直後、今度は隕石もかくやと言う速度で地面に振り下ろされた。
叩きつけられ、全身が歪に歪んだ怪人を焔が掴んだ舌を振り回して引き寄せる。
首が不自然に曲がったまま飛んでくる怪人の首を右手の剣で両断。残された体は股間を蹴り上げられて空に。
一瞬。自分達が命がけで戦っても、足止めが精一杯だった怪人がまるで羽虫でも潰すような気軽さで蹂躙される。
ああ、アレが本気で人を滅ぼしに来たら、ちょっと止められる気がしないな。『個』であれは卑怯すぎる。
怪人の体は十メートルほど上昇した所で爆発。灰色の肉片と黒い体液がまき散らされた。
それから傍の山田くんを庇いながら、ついでに首に腕を回して絞め落とす。爪がこちらの腕を抉ってきてとても痛い。頼むから暴れないでほしい。
爆発がおさまり、視線を焔の方へと向ける。そこには、彼どころか海原アイリの姿もなかった。
『新垣さん!ご無事ですか!』
「ああ、問題ないよ。山田くんの方も間に合った」
無線に答えながら、周囲を見回す。
呆然として静まり返る島民達。とりあえず海原アイリに攻撃した島民達を絞め落としている部下達。そして、どっちの方角に行ったのかもわからない焔たち。
……あ、これ日本終わったかもしれん。
『新垣さん』
「はいこちら新垣です」
ほぼ条件反射で無線に出る。焔からだ。死刑宣告かな?
『そちらが落ち着きましたら、もう一度海原という少女をお預けしたいのですが、大丈夫でしょうか』
「勿論ですお任せください命にかえましてもお守りしますので、ええ」
『お忙しいでしょうに申し訳ございません。よろしくお願いします。失礼します』
きれた無線から指を離す。
……あ、そうか。焔は海原アイリが島民達から攻撃された瞬間を見ていないのかもしれない。
ワンチャン……ワンチャン、あるか?
『新垣さん、この状況は……』
「ふっ……」
不安気な部下の声に、不敵な笑みを返してやる。
「多少予想外の事があったが、問題ない。軌道修正は可能だ。各員、それぞれの職務に集中」
大丈夫。胃薬はマッド製のをいつも持ち歩いている。
なんとなくお腹を抑えながら、山田くんを肩に担いですっくと立ちあがる。帰りたい。帰りたいけど、とりあえず。
「仕事を、しようか……」
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。
次回、剣崎視点から始めさせていただきます。
Q.海原負けすぎじゃない?
A.剣崎が海原の狂化フォームへの深化を邪魔をしているだけで、本来の力が出せれば大暴れできます。(誤字ではありません)
Q.新垣さんなんで上に報告しないの?
A.剣崎との契約のせいで諸々報告したら自分も部下も死ぬので、詳しい情報の共有は最終手段になってます。
Q.山田ってなんなの?
A.ちょっとお薬が手放せないだけの見た目中学生な中年です。
結論。彼ら彼女らの苦労はだいたい剣崎が悪いですね。




