閑話 海原アイリ
閑話 海原アイリ
サイド 海原 アイリ
どうやら私は、化け物らしい。
父親……だった人が、最後に私を化け物と呼んで家を出ていくのを見送った。
私の両親は、いわゆる駆け落ちというのをしたらしいのだ。貝人島に住んでいた母を、イタリアから来ていた父が連れ出したのだとか。
小さい頃、二人は見ているこちらが恥ずかしくなる程仲良しだったのを、今でも覚えている。
美しく、淑やかな母。逞しく、明るい父。生活はあまり裕福ではなかったけども。それでも、充実していた。
幸せだった。都会では私みたいなハーフやクォーターは意外と珍しくないようで、髪が父譲りの赤である事も、特に気にはされず友達もたくさんいた。
毎日が輝いていて……明日が来るのがいつも楽しみだった。唯一の悩みは、学校の宿題ぐらいだったか。
そんな生活が少しずつ壊れていったのも、私はよく覚えている。
母の姿が、徐々に変わっていった。加齢による物ではない。目の形が、顔の形が、体つきが。少しずつ変わっていった。それこそ、まるで魚の様に。
最初の頃は、私も父もそこまで気にしていなかった。普段から顔を合わせている事もあって、ゆっくりとした変化には気づきづらかったのか。それとも、『視たくなかった』だけなのか。
どちらにせよ、その代価を支払う事になる。
私が小学四年生の頃。そして、母の顔がもはや昔の面影すら怪しくなった頃。事件は起きた。
料理中、突然母が奇声を上げだしたのだ。まな板の上の魚を抱えあげ、狂ったように叫びだした。長い髪ははらはらと抜け落ちていき、歪な頭皮が晒される。
どうしたのかと近寄った父を殴り飛ばし、家を走って出ていく母。それを呆然と見ていた私は、慌てて倒れた父に近づいた。
鼻と口から血を流し、父は呆然としていた。母は昔武術を習っていたと聞いていたが、少なくとも大の男の鼻と前歯を力任せの一撃でへし折る事など、できないはずだった。
家を出ていった母は、人を殺した。
近所のスーパーに駆け込むなり、鮮魚コーナーで暴れ出したのだそうだ。ありえない程の怪力で客や店員を殴り殺し、奇声を上げながら暴れたらしい。まるで、怪物のようだったと、後から聞かされた。
最終的に、取り押さえる事も出来ず警察に射殺されたらしい。そんな事をお巡りさんから聞かされながら、私は呆然とする事しかできなかった。
全てが、変わってしまった。
朝、起きてもお母さんはいない。友達は皆、私を無視するようになった。今まで優しかった近所のおじさんやおばさんが、ひそひそ言いながら遠くにいる。
そして、父が私を置いて出ていった。家族の思い出と共に、私だけが残された。
どれぐらい、玄関で立ち尽くしていたのだろうか。異臭がすると近所の人から通報を受けた警察が、私を保護したらしい。その辺は、正直よく覚えていない。
なんだか色々言われたが、最終的に、私はお婆ちゃんの所に引き取られた。
お婆ちゃんに連れられて、私はこの貝人島にやってきた。
『私達はね、この島から離れたら人じゃなくなってしまうのさ』
そう、お婆ちゃんはどこか寂しそうに言っていた。握られた手が、少しだけ痛かった。
この島での暮らしは、あまり充実した物とは言えないものだった。
島にある学校では皆から無視をされるし、髪の色について陰口をよく言われた。向けられる視線は、侮蔑か恐怖ばかり。
島の人たちも私とお婆ちゃんにだけ露骨に関わらない様にして、時には、敵意にまみれた目を向けてきていた。
だけど、お婆ちゃんとの日々だけは、私にとって得難い物だったと断言できる。
口下手で、厳しくて、小言が多くって、神経質で、ケチで、やたら目つきの悪い人だったけど。
あの人は、私の『家族』でいてくれた。
「あ……?」
ふと、目が覚める。薄暗い部屋の中。体を起こして周囲を見てみれば、そこが家の客間である事に気づく。
たしか……そうだ。剣崎さんの匂いを追って……その後……。
「ああ……そうだった……」
しっかりと、覚えている。私が理性を失っていた時の事も、はっきりと。
父の言っていた事は正しかったのだ。やはり私は、どうしようもない化け物で。きっと、いつか母の様になってしまうのだ。
指輪の嵌められた手の平を見下ろす。
「島に災い来たりし時は、その武をもって先頭に立つべし……か」
海原家に伝わる、教えの一行目。
大昔のご先祖様が、それはもう島の人たちに迷惑をかけたらしい。そして、その罪を償う為にも、島の護り手となるのだとか。
正直、ご先祖様とか島の人たちとか、どうでもいい。
ご先祖様なんて会った事もないし、島の人たちも命がけで助けたいと思う理由はない。死んでしまえとまでは思わないが、自分の身を挺してというのはごめん被る。
だけど。
「お婆ちゃん……」
お婆ちゃんなら、きっとこうする。誰よりも『海原』の名に責任を持っていたお婆ちゃんなら、絶対に。
今は、一人ぼっちのこの家。お婆ちゃんは、二年前に倒れてしまったのだ。歳ももう七十を過ぎていた。あんなに大きく感じた背中も、今は私よりも小さい。
気丈な人だが、寄る年波には勝てなかった。現在は、本土の病院で入院している。
いつ、お婆ちゃんが母の様になってしまうかわからない。そうでなくとも、内臓のほとんどに転移した癌と、肺の病気が死を運んでくるかもわからない。
鬱々とした日々。不可思議な銀色の玉が体内に入った事もあって、私はもう、疲れ果てていた。それでも戦っていたのは、半分意地だ。
だが、そんな所に希望が転がり込んできた。
剣崎さんから渡されたこの指輪。死にかけの人すら簡単に癒す、謎の炎。毒や病気にだって、外傷と同じように効くと彼は言っていた。
貰い物を、相手の言った用途以外に使うのはよくないとわかっている。だが、この指輪はお婆ちゃんに使いたい。今は島を離れられないけど、本当ならすぐにでも本土の病院に行きたい。
きっと、この指輪はかなり貴重な物なのだ。私の中の何かが、これには尋常でない力と技術が注ぎ込まれていると告げている。そもそも、千切れた手足だろうが生やしてしまうこれが、尋常な品であるはずがない。
だが、どうか……どうか、私の『意志』を通させてほしい。
『惰性や罪悪感で、海原家の教えを守っているわけじゃないよ』
いつだったか、お婆ちゃんに『なんで昔の人の罪を私達が償わないといけないの』と、聞いた事がある。
『私がやりたいからやってんのさ。あんたも、自分の意志ってやつを大事にしな。どんな時だって、それがあんたである証拠なのさ』
私達の様な者にとって、『自分の意志』だけが己を定義するうえで必要不可欠なものなのだ。それが崩れてしまえば、もう私達は人ではなくなる。人どころか、自分ですらない『なにか』になってしまう。
剣崎さんには、全てが終わった後にできうる限りの償いをしよう。求められるのなら、お婆ちゃんに関わる事以外の全てを差し出そう。
だから、どうか。もう一度、この家で『家族』と過ごさせてほしい。
「え……?」
どこからか、煙の臭いがした。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。




