第五十一話 乱打
第五十一話 乱打
サイド 剣崎 蒼太
「ひっ」
その獣としか言えない姿に、悲鳴を上げたのは彼女に一番近い位置にいる自分でも、その次に近い位置にいる新垣さんでもなく。
「うわあああああ!」
「ば、化け物ぉ!」
「で、伝説は本当だったんだ……!」
島民たちだった。
彼らは無秩序にその場から逃げようとする。わけもわからず、不可視の存在が一方的に傷つけた時とは違う。
彼らにはその正否は別として、今回は怪人の『姿』と『出自』がわかっているのだから。
こうなる事は、必然だった。
「しまっ、落ち着いてください!」
「細川くん、竹内くん。倒れた人の救助。それ以外は避難誘導!」
「「「了解!」」」
なまじ動けるぐらい回復した人と、最低限死にはしない程度に手当された人が混ざっていたのも不運だったかもしれない。
彼らは我先にと逃げ惑い、前にいる者を押しのけ、横にいる者を突き飛ばし、後ろにいる者に足を掴まれながら少しでも怪人から離れようと動き出す。
まずい。これでは避難どころではない。というか、だ。
「新垣さん、俺はあの子を!」
「焔さ――」
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
突進してくる怪人へと、こちらも踏み込む。とにかく人のいない所に移動させる。話はそれからだ。
こちらに向かってくる怪人の腕から、内側から突き破る様にヒレの様な形をした黒い骨が生えてくる。それはまるで刃の様に鋭く、鈍い輝きを放っていた。
互いの刃がぶつかり合い、甲高い音と共に衝撃波が周囲をかき乱す。
「このっ」
剣で弾き上げ、向こうが左手を突き込んでくる前に前蹴りを叩き込む。
重い感触。まるで『転生者』と相対しているかのようなプレッシャー。トラックも横転させる蹴りを受けて、怪人は数歩下がっただけだ。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
理性など欠片もないと、動きだけでわかってしまう。乱雑に振り回される両腕。武術のそれは名残すらなく、闇雲にこちらへと向けられる。
であれば捌くのは容易い―――などとは、口が裂けても言えない。
「くっ……!」
ひたすら剣で叩き落していくが、まるで竜巻とでも打ち合っているようだ。
正に野生。『人の業』を捨てる代わりに、『獣の爪』を得ている。何度目かの衝突の末、僅かに出来た隙に跳び込んだ。
左肩から怪人の胸に体当たりをし、続けざまに左肘を鳩尾に、そして左の裏拳を顎へと連続して叩き込む。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……!」
押しやられ、森へと後退していく怪人。
どうする。どうすればいい。
今は紛れもなく『怪人』だ。だが、アレは間違いなく『海原さん』だ。斬り捨てる事など……!
「アガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
牙を剥きだしに、噛みつきがくる。
「このっ」
それを刀身で受ければ、衝撃で互いの足が踝まで地面に埋まる。
その血走った瞳と向き合いながら、うめき声を上げて振るわれる怪人の右手を左手で掴んで押さえる。
フリーになった左手で脇腹を殴られるが、鎧の防御力で受け止める。が、想像以上に威力がある。無防備に受け続ける余裕はないか。
状況は拮抗。向かい合い、組み合った状態で互いに睨み合う。
「海原さん!聞こえるか!」
周囲に人影無し。新垣さんとの通信も切れている。誰かに聞かれる心配はないと踏み、声を大にして呼びかける。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
「くそっ」
ダメだ。完全に飛んでる。
こうなれば、殴って止めるしかない。最初に蝙蝠怪人と戦った時、負傷により変身を維持する事が出来ず生身の姿になっていた。アレをもう一度やる。
手持ちの指輪はもうないが、海原さんに渡してある物がある。かなり無茶な方法だが、今から負わせる怪我はそれでどうにかするしかない。
「歯ぁ食いしばれ!」
膝蹴りを銀の宝玉に叩き込み、痛みと衝撃で怯んだ隙をついて右手を剣から放し、アッパーを叩き込んだ。
轟音と共に剣と歯が吹き飛び、縦回転しながら海原さんが森の奥へと飛んでいく。
剣を回収している余裕はないし、するつもりもない。万が一でも殺すわけにはいかないのだ。
もう、顔も名前も知っている相手を殺すなどごめん被る!
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
木の幹に足をつけ、跳びかかりながらこちらへと右腕を突き出してくる海原さん。それを紙一重で回避。兜の頬部分が火花を散らす中、カウンターで相手の顔面に拳を叩き込む。
問題は、自分に格闘技の心得などない事か。
格闘技の類は、それこそ転生者同士の対策として動画などを研究していたぐらいだ。後は、柔道部や空手部を生徒会長として冷やかしをしていた時ぐらいか。
鎧を鳴らしながらファイティングポーズをとる。対して、首を鳴らしながらこちらを睨む海原さん。
ここからやるのは、見様見真似の格闘技『擬き』。この肉体のポテンシャルを頼りに、脳内にある動きを出力する。
自信はないが、それでもやるしかない。
「いくぞ……!」
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――!」
真っすぐと突っ込んでくる海原さん。
また、速くなった。左右から反復する様に放たれる連撃。それらが重く響き、地面を抉りながら徐々に後退させられる。
やはり、今までとは比べ物にならないほど身体能力が上がっている。自分と同等。膂力に限れば、もしかしたらあちらが上かもしれない。
「こ、の」
左の籠手で拳を受けながら、強引に一歩踏み出す。右のボディを狙いに行くが、先に彼女のアッパーが掠めていった。
「ぐっ」
ただ掠めるだけでも、刃の様に鋭いヒレが兜を撫でていく。縦に線が走り、衝撃で脳が揺れる。
「シャアアアアアアアアアアアアア!」
「がっ!?」
崩れたガードを素通りし、あちらのボディブローがこちらに炸裂する。鎧が拳型にへこみ、体が後ろに弾かれていく。
背中から木に直撃し、後ろからミシミシと音が聞こえた。ぶつかった木が倒れる音だけではない事が、直感的にわかる。
「ずいぶん、重くなったじゃないか……!」
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
追撃しようと跳びかかってくる海原さんが、その場で跳躍しドロップキックを仕掛けてくる。両足を揃えて、ほとんど地面と平行になってロケットの様に。
それをギリギリで避けながら足首を掴み、勢いそのまま振り回して、森の更に奥の方へとぶん投げる。
木を頭から打ち砕き、地面に顔から突っ込んだ彼女を追いかける。こちらが到着した瞬間に跳ね起きた所に、顔面へと膝蹴り。
人間相手なら、身体能力を常人基準にしても命に関わる一撃。なのだが。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
まるで堪えた様子もなく、フックがこちらの脇腹に。へこんだ胴鎧が肉に食い込む。
「ごっ」
その一撃に思わずよろめけば、あちらの頭が胸に叩き込まれる。膝を使ったそれは、ただの頭突きというより、変則的な蹴りにさえ思える。
弾かれながらも、どうにか両足を踏ん張り転倒を避けて構える。あちらも体勢を立て直し、こちらを睨んでいた。
向かい合いながら、様子を観察。どうやら、かなり再生力があるらしい。砕けた歯はもちろん、肉が潰れ、骨が歪んだはずのダメージも逆再生の様に治っている。
こちらもダメージは既に完治。鎧の破損も修復した。仕切り直しと言う事か。
小さく呼吸を整えて、前へ。顔面中央への膝蹴りがあまり有効ではなかった事から、サメの鼻先に神経が集中しているという噂は間違っていたか、それとも彼女には適応されないかのどちらか。
距離を詰めれば、あちらの猛攻がはじまる。拳から腕のヒレによる斬撃に変化。火花を散らしながら、鎧が徐々に削られていく。
だが好都合。この身の再生力を考えれば、内臓に響き残る打撃の方が怖い。
関節を重点的に守りながらにじり寄り、大ぶりの右ストレートに見せかけ踵で海原さんの爪先を踏みに行く。
ぐしゃりという感触を感じながら、あちらの右腕を左で掴みながら右の拳をアッパー気味に相手の鳩尾に。しかしそれは相手の左手。それもヒレ部分で防がれた。
「くっ……!」
幸い自分の攻撃で指が切れるという事はなかったが、攻撃が完全に防がれた。
「ガア゛ア゛!」
「うおっ!?」
咄嗟に上体を反らせば、次の瞬間目の前に海原さんの歯が。ガチンと大きな音をたてて、火花が散る。
生物が持つ、捕食者への根源的な恐怖。それが、目の前の嚙み合った歯によって背筋に流し込まれる。
似ても似つかないはずなのに、何故かアバドンを前にしたような圧迫感を感じ取って、僅かに硬直する体。
その隙を、相手は逃してはくれなかった。
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
アッパーが顎に直撃。上に向かって体が打ち上げられる。だが、奴は自分の顔の前まで来たこちらの足を掴むなり、地面に向かって叩きつけてきた。
土ぼこりを上げ、地面にクレーターをつくり埋まる体。そこに馬乗りとなってくる海原さんが、拳を叩き込んできた。
だが、首だけ動かして回避。地面に埋まる拳を横目に、肘打ちを地面に打ちながら全身を使って逆にこちらが上へ。
上下逆転した状態で同時に相手の顔面目掛けて拳を。コンマの差でこちらの右拳はあちらの顔面に。対して海原さんの拳は自分の顔の真横を通り過ぎている。
地面と挟み込むようにして叩き込んだ。流石にこれは――っ!?
「やばっ!」
即座にこちらの首に『添えられていた』彼女の右腕を、肘に掌底を叩き込む事ではずす。鋸でもひくように引き戻された腕。あの一撃、外したのではなく最初からこちらの首狙いか!
いや、というか攻撃してきたという事は。
「うおっ」
背中に受けた蹴りに、強制的に前転させられる。手を付いて体を反転。立ちながら顔を上げれば、海原さんが地面から跳ねてこちらに右手を伸ばしている所だった。
「がっ、ぐぅ!」
咄嗟に左肩の鎧で受ける。拳ではなく掌打の一撃。鎧が歪み、押し付けられる。
歪んだ装甲のせいで左腕が動かない。すぐに修復しようと魔力と意識を向けるが、それをさせまいとする様に今度は左のフック。
紙一重で避けるが、ヒレがかすめていく。目の前に物理的に火花が散っていく。
連撃が止まらない。もはや拳を握る事すら忘れてしまったのか、むき出しの爪を振り回し、ヒレを叩きつけてくる。
「このっ……!」
「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
泣きたいのは、こっちだと言うのに。
右手一本でガードしながら、さばき切れずに体を揺らされながら後退する。
……何故、自分は『泣いている』と思ったのだろうか。
きっと、彼女の咆哮があまりにも痛々し過ぎたからだ。
赤く染まった目を輝かせながら、意味のない雄叫びと共に暴れ続ける。その姿がまるで、血を吐いている様にさえ思える。叫び声と共に、何か大切なものまで失っていっている。そんな気がする。
傲慢だとは理解している。自分の様な、心技体全てにおいて未熟な者が、抱いていい感情ではないと理解している。
だが。
「今、助けてやる……!」
どうしても、その姿が哀れに思えてしょうがなかった。
大ぶりに振るわれた、こちらの左手側からの一閃。鈍く輝くその斬撃は、いくつもの傷を刻まれた鎧を貫き、こちらの首を刎ねるに足る一撃だろう。
必殺の一撃。だからこそ。
俺の勝ちだ。
両肩の鎧を『パージ』。勢いよく飛んだそれが、彼女の右腕を少しだけ持ちあげた。
僅かに上へと逸れた海原さんの右腕。その小指を右手で掴み、左の拳を彼女の右肘へ打ち抜く。
へし折れた小指と歪んだ右肘。叫び声を上げながら反対側の手でこちらに攻撃しようとする海原さんに、更に追撃。左の拳を、槌でも落とす様に右肘を壊しにいく。
完全に潰れた右腕。再生までおよそ三十秒。
掴んだ小指を引っ張り、突き込みを崩す。掠めた左手が、兜の一部をはぎ取っていった。
だがそれだけ。こちらが止まる理由など微塵もない。
「眠れ……!」
小指を手放し、両手を強く握る。ここで、決める。
腰と太ももの鎧もパージ。広がった可動域を存分に活かし、地面を蹴る。
まず左の拳が彼女の顎を打ち抜いた。そして続けざまに右の拳が頬骨を穿つ。そしてまた左、右と拳を叩き込んでいく。
両の足が、地面を穿つたびに悲鳴を上げる。強引な急制動と反発。技術不足を補うために、骨が軋み関節が歪み筋が裂けていく。
だが耐えられる。すぐに治る。なら戦える。続けられる。
高速で放ち続ける無限の連撃。脳を揺らし、視界を定めさせず、体幹も振り回す。反撃などさせはしない。
デンプシー・ロール。
左右に上体を動かし、勢いを一切減衰させずにフックを叩き込み続ける。ボクサーにとって基礎中の基礎であり、奥義。格闘技を知らない自分でも、人外の肉体を酷使して再現。出力する。
一撃一撃が、分厚い鉄板も障子紙の様に貫く拳。それの連打。
「落ちろ……!」
繰り返す事十六連。最後の一撃は、彼女の左側頭部に深くめり込んだ。
第六感覚により、海原さんが意識を失った事を察知。強引に回転を中断。踏み込んだ左足が地面に深く埋まりながら、膝が逆方向に曲がる。
膝を地面についたのは、奇しくも同時。変身が解除されてこちらへ倒れ込んでくる海原さんを、どうにか受け止めた。
「おわ、た……?」
激痛を発する左足の位置を手で戻しながら、兜を解除して海原さんを見てみる。そこには、口を半開きにして目を閉じている彼女がいた。
一瞬やり過ぎたかと思ったが、呼吸をしている事に気が付いて大きくため息をつく。
「勝ったぁ……終わったぁ……」
半泣きになりながら、空を見上げる。
嫌味なほど透き通った青空が、こちらを見下ろしてきていた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。
アーマーパージ。
全身鎧族共通の奥義。剣崎だと部分的にしかできないし、勢いはあっても体から離れるごとに魔力が薄くなり、威力が低下。至近距離でも大した威力はない。更に、再生には普通に破損した場合以上の時間がかかる。




