第三十六話 差し出された手
第三十六話 差し出された手
サイド 剣崎 蒼太
危なかった……。
今夜も何かあるかもしれないと思い、島を散策していた。
しかしというか、この島は無駄に広い。そのうえ森が多い。いや、雑木林と言うべきか。それによって視界が悪い。
ついでに言えばこの島は地脈の流れが少し歪だ。この場所に来られたのは、異様な音が響いたからに過ぎない。
本当に、危なかった……!
「キィ……」
まるで痛みを感じさせない動きで蝙蝠怪人が立ち上がる。割って入る際に裏拳を奴の右胸に叩き込んだが、感触的に肋骨をへし折り肺も潰れたはず。
というか、こいつは鳴き声らしき物を出しているが呼吸はしているのか?
「ひゅー……かほっ」
呼吸と言えば、背後にいる少女も危うい。更にもう一人倒れている人もだ。二人とも一刻も早い治療が必要だろう。
だが蝙蝠怪人に背中を見せるわけにもいかない。こいつがどういう攻撃を持っているかよくわかっていないのだ。鎌足の様な攻撃手段を持っているかもしれない。
……多少危険だが、速攻を仕掛けるべきか。
そう決めた直後、蝙蝠怪人が先に踏み込んできた。大振りの右手。刃物の様に長く鋭い爪を、こちらに向けて振り下ろしてくる。
だが、第六感覚でその動きは読めていた。速度もそれほどではない。迎撃で振り下ろされる右腕を斬り飛ばす。返す刀で右肩から胴体を斬り捨てる。そのつもりだった。
脳裏に、昨夜使い魔越しに見た光景を思い出す。あの蜘蛛怪人は、死んだすぐ後に爆発していた。もしもこいつも同じように爆発した場合、後ろの二人は。
「ちぃ!」
斬撃を中断。剣を引き、横殴りに柄頭で奴の頬を抉る。
柄越しに伝わる、硬い物を砕いた感触。視界の端で、白い欠片と黒い液体が飛び散った。
だというのに、やはり怯んだ様子もなく奴は吹き飛ばされた勢いそのままこちらと距離を取り、空へと飛んで行ってしまった。
「なっ」
逃げるつもりか。すぐさま左手で腰の後ろから杖を引き抜く。『偽典・炎神の剣』が修復中の今、自分には飛び道具がない。今使っている剣はただの代用品だ。飛び道具として作ったのが、この指揮棒めいた杖だ。
杖先に魔力を込めれば、バスケットボール大の火球が出現。音速に近い速さで飛んでいき、空中の蝙蝠怪人に向かっていく。この距離なら、昨夜と同規模の爆発が起きても二人を庇えるはず。
だが、それに対し奴は火球に向かって左足を突き出したのだ。
胴体にぶつかるかと思った一撃は左の足裏に着弾し、膝辺りまで一息に炭化させた。だが、その炎は蝙蝠怪人の胴まで届かない。あろうことか、奴は左手の爪を自らの膝に食い込ませて引き千切ったのだ。
燃え尽きていく足を落とし、蝙蝠怪人がふらつきながらもどこかへと飛んでいく。
「くっ……!」
追撃を仕掛ければ、殺せる。だが。
振り返れば、もはや呼吸音すら怪しくなってきた二人。彼女たちを見捨てて奴を追う事は、自分にはできなかった。
杖をしまい、籠手の内側に嵌めた二つの指輪を消費。炎が二人の体を包み込むと、数秒程で傷と一緒に消失した。
念のため近づいて確認しようとしたが、その前に少女がせき込んで気道の血を吐き出した。
「はぁ……はぁ……あなた、は……?」
血まみれでこちらを見上げてくる少女。その赤い髪と顔立ちは間違いなく昼間遠目で見た少女で間違いない。
「君は」
「けほっ」
少女の後ろに倒れていた女性も、軽く咳をしはじめる。あちらも命に別状はなさそうだ。内心で胸をなでおろす。
「あっ!?だ、大丈夫ですか!?」
少女が慌てて女性に寄り添い、上体を起こす。
……待て。あの女性、どこかで見た覚えがある。特徴のある顔ではないから、すれ違っただけで印象に残っているとも思えないし、かといって知人ではないはず。
「あっ」
思い出した。彼女はあの新垣何某の傍にいた人だ。
「君、その人は大丈夫だから、ここからすぐに離れるんだ」
「え、け、けど」
「正体を知られてもいいのか?」
「っ」
少女がこちらの言葉に息をのむ。やはり、この子が例のサメか。姿が変わった所を直接見たわけではないが、この何かが争ったとしか思えない周囲の状況が物語っている。ついでに魔力もだ。
「その人は命に別状がない。だから、大丈夫だ」
「……す、すみません。失礼します!」
こちらに勢いよくお辞儀をしてから、少女が雑木林の中に走っていく。揺れたなぁ……。
さて、問題は『こっち』だな。
直後にハイビームに照らされて、少し目を細める。ザリザリと音をたてて、黒い車が近付いて来た。かなりのスピードで来たかと思えば、数メートル先で急停止する。
「内田さん!」
「これは……」
車から出てきたのは、細面の男と新垣さんだ。やはり、か。
「この化け物……!」
「よしたまえ」
懐から取り出した銃をこちらに向ける細面を、新垣さんの手が腕を掴んで止める。
「しかし!」
「彼女は『蝙蝠の怪物』と言って通信が途絶えた。目の前の彼ではない。それに、どうやら生きているようだぞ」
「えっ!?」
細面が、その細目を見開いて倒れている女性を見る。まあ、見た目血だまりで横たわっているから、死んだと勘違いしてもしょうがない。
新垣さんが、こちらから一切視線をそらさずに、不敵な笑みを浮べてみせる。
「状況から察するに、彼女を助けてくれたのですかな?」
少し考えて、右手の剣を消す。
この剣はボランティア活動に見せかけて、その辺の山に不法投棄されていた壊れた自転車や冷蔵庫を材料に作った魔道具だ。血を使った事もあって名刀並みの切れ味と自分が振り回してもそうそう壊れない強度がある。
だが一番の利点は、こうして指輪に変化させられる事。携帯するのに便利だ。
まあそんな事は今どうでもいい。ゆっくりと両手を上にあげた後、左手を腰に回し杖を引き抜く。
いずれの動作もゆっくりと行ったのだが、細面の方は強くこちらを警戒していた。それでも、銃を下に向ける冷静さはあるようだが。
『肯定します。彼女の傷を治療したのは私です』
空中に、炎で字を書いて答える。
新垣さんに声を聞かれるのはまずかった。昼間彼とは会話をしている。鎧でくぐもっているとは言え、一言二言口にすればバレる可能性があった。
「それは、ありがとうございました。彼女は私の部下です」
両手を腰の横に揃えて、きっちりとしたお辞儀をする新垣さん。それに合わせて、細面の方もいつの間にか銃をしまって同じようにしていた。先ほどまでの激昂が嘘のように、無表情になっている。
……逆に、怖いんだが。
『お構いなく。偶然ですので』
字を書いたが、これお辞儀をしている相手には見えなくないか?そう思い、杖を指先で軽く叩いてみる。その音に気付いて、二人ともようやく頭を上げてくれた。
「いやいや、我らとしては仲間の命を救ってくださった方。どうか、お名前を聞かせていただけませんか?」
この狸。よくもいけしゃあしゃあと。
『名は語れません。貴方も魔法に関わる身なら、わかるでしょう』
適当に勘でいったが、たぶん当たりだろう。こんな事件に首を突っ込み、『蝙蝠の怪物』とやらに言及しない段階でやっぱりこいつらはまともな警官じゃない。
警官というのは嘘か、あるいは警察に超常現象専門の部署でもあるのか。なんとなく後者な気がする。
「いやぁ、これは失礼を。遂、恩人の名前を知りたいと気が逸ってしまい」
『そういう事は誰にでもあるものです。そう言えば、逆にあなた方の名前を窺っても?偽名でも構いませんが』
「ああ、これは申し遅れました。私、新垣と申します。隣にいるのが細川。貴方に助けて頂いたのが内田です。彼女が心配なので、様子を見てもいいでしょうか?」
『ええ、どうぞ』
数歩引き下がると、新垣さんと細川さんが早歩きで内田さんに近づき、細川さんが抱き起した。
「内田くん。聞こえるかい内田くん」
「あ……に……にし」
「新垣だよ内田くん。君の上司の新垣だ」
「失礼しました、新垣さん。ここは……そうだっ」
ガバリと起き上がった内田さんが周囲を見回して、こちらを見るなり目を見開いて懐に手を突っ込んだ。
「『蒼黒の王』!?」
なんて?
「落ち着きなさい。彼に害意はない」
その手を引き抜くより速く、新垣さんが彼女の肩を掴む。それに数秒沈黙した後、内田さんも手をゆっくりと引き抜いた。
「申し訳ございません」
「彼はね、君を助けてくれたんだ。むしろ礼を言うべきだよ」
「……ありがとうございました。先ほどはとんだご無礼を」
「私からも謝罪を。部下が申し訳ございません」
『いえ、お構いなく』
そうこくのおう?……蒼黒の王?え、なにそれ。
『もしも感謝をしてくださっているなら、いくつか質問に答えてくださいませんか?』
少し迷ってから、踏み込んだ。今はとにかく情報がない。今こっちにあるのは『サメ怪人の正体』『正体である少女の住居』ぐらいだ。後は『蝙蝠の怪人はゾンビに近い』『怪人は死ぬと爆発する』という未確定情報か。なんにせよ少なすぎる。
新垣さん達が公的機関ならもう少し知っているかもしれない。ついでに、彼らがこの問題を解決してくれるなら万々歳だが。
とりあえず聞くだけタダだ。
「ほう……質問ですか?」
『ええ、構いませんか?』
「……勿論ですとも。それぐらいお安い御用です」
「新垣さん……」
小声で止めようとする細川さんに、新垣さんが一瞬だけ目を向ける。それだけで伝わったのか、彼は『失礼しました』と引き下がった。
『まず、この島で何が起きているのかを教えて頂けますか?』
「何が、ですか……我々の知る範囲で、となりますが」
『それでも、お願いします』
とりあえず、この質問で『自分はこの件には巻き込まれただけ』とわかってくれるか?まあ、そう思い込ませるためのブラフと考えられる可能性もあるが。
「私どもとしましては、昨夜未明にサメの様な怪人と蜘蛛のような怪人が戦闘を行っていたという情報程度しかありませんね。それと、少し前に近海でここの漁師が三人行方不明になっているとか」
漁師が行方不明?
海で、となるとサメ怪人が浮かぶが、彼女は内田さんをかなり心配していた。人を襲うように思えない。
……魔瓦の様な例もあるから、完全には信用できないが。
『そうですか。ではあなた方が何者かを窺っても?』
「そうですねぇ……警察にも、こういった事件を扱う部署が存在するとだけ。でもいいでしょうか」
具体的な所属は話したくないか。少し強めに聞くか?いや、公権力と積極的に敵対はしたくない。
『では、蒼黒の王とは?』
「アバドンが東京に襲来した後に、呼ばれるようになった貴方の二つ名の様な物です」
ええ……いや、ええ……なにその、中二全開な。
正直困惑する。ノートの片隅とかに書いているならともかく、自分が他人から大真面目にそう呼ばれるのは……その……つらい。
「なにぶん、貴方の名前を知る事ができませんでしたので、我々もそう呼ばせて頂いているのですよ。そういうのに詳しくはありませんが、ネットでも有名だとか」
マジかぁ……マジかぁ……これ絶対ネットの玩具になっているパターンだ。
『その呼び名は、やめて頂きたい』
「では、なんとお呼びすれば?」
困った。なんで事件の事を質問したいのにこんな事で考えさせられなければならないのだ。
魔法使いにとって偽名とは難しい。あまり自分に関連するワードを入れると、『縁』をたどって本名を知られる可能性がある。逆に、関係無さ過ぎる偽名だと咄嗟に反応できない。
『焔、とお呼びください』
考えあぐねた結果がこれだ。どうせ炎を使いまくっているのは知られているのだし、諦めよう。
それはそれとして、自分から名乗る偽名が『焔』って……結局中二っぽい。
「なるほど。では焔殿」
『呼び捨てで構いません』
「ふむ……では焔さん」
新垣が、相も変わらず不敵な笑みを浮べながら、両手を広げて一歩分進んでくる。
「我々と、同盟を組んでいただけませんか?」
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