第百九十話 結末
第百九十話 結末
サイド 剣崎 蒼太
「明里!嘘だろ、そんな……!」
ふらりと、明里の体が揺れて背中から床に向かっていく。彼女が倒れる寸前で抱き留め、乱暴に兜を脱ぎ捨てた。
今、自分の目が確かであるなら『邪神が明里の体に流れ込んでいった』。
「そんな……どうして……!」
明里の長い黒髪が白銀に染まっていく。その姿は去年出会った時の姿に酷似していた。
そう、邪神をその身に宿していた時と同じものに。
状況が掴めない。『誰かが消えてしまう』そんな嫌な予感は消えた。だがその代わりに、明里に何かあったと思えてならなくて。後先なんて全て無視して通り道の全てを薙ぎ払ってここまで一直線に駆けてきた。
そうしたらどうだ。明里が邪神と契約でもしたのか己の内側へと引き入れ、足元には何故か女になったあげくボロボロの響が転がっている。わけがわからない。
だが全てはまず明里だ。この子が今、どうなっているのか。
クリスマスの日、あの時。俺は彼女を殺す覚悟まで決めて『結椿』を手にとった。だが結果的に彼女は邪神その者ではなかったし、意識も彼女本人のものであった。
なんてことのない、過ぎ去ってしまえば笑い話にできる出来事だった。けれど、けれど今彼女が邪神に体を乗っ取られたのだとしたら。
角度的に視界には映らずとも、その存在感を放つ存在が、下にいる。アバドンの、我が同類の亡骸を依り代に顕現しかけている邪神がいる。
二つ同時に対応などできるはずがない。片方を迅速に『処理』する必要がある。アバドンの肉体を破壊しつくすには、自分でも余力を残さない文字通りの全力を出し切る必要がある。であれば、先に斬るべきは――。
「明里……明里……お願いだ、目を、覚ましてくれ……!」
気づかぬうちに声が震え、視界が歪む。頬を伝う液体など気にしていられない。
どうすればいい。考えろ。考えろ。何のための力だ。何のためのチートだ。一番大切な者を護れずして、何が勝利者か。
殺す事は、できない。あの時のような覚悟は決められない。それをするには、彼女の存在が自分の中で大きくなり過ぎた。
この子を殺すという選択肢しかないのなら、いっそ、世界なんて――。
「蒼太……さん……」
「明里!?」
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開く。彼女の声に笑みを浮かべて、そして絡み合った視線に戦慄する。
黄金の瞳だった。自分はこの目を知っている。きっと、今生きている人間として、最も『誰の瞳』なのかを理解している。
邪神の瞳。濃密なアレの気配を漂わせ、明里が目を覚ました。
「蒼太さん。嫌なら、抵抗してください」
そう言って、彼女の手が自分の首へと伸びてきた。
攻撃。そう思い迎撃しようとした体を理性で抑えつける。遅れて第六感覚が反応。だがその内容がおかしい。
これは攻撃でも拘束でもない。これは……。
「ん……」
「……?………!!??」
首に回された細い腕。軽く引き寄せられながら、彼女の唇が俺のソレを塞ぐ。
しっとりとしていて、柔らかい。確かな張りを感じながらも、しかし甘く蕩けてしまいそうな感触。
驚いて開いた口に彼女の熱い舌がねじ込まれ、こちらの舌ベロを嬲り、そのまま口内を蹂躙してくる。
脳が痺れる様な快楽。わけがわからず硬直したまま、彼女の行為にされるがままだった。
抵抗したければ、というのは嘘ではないのだろう。彼女の力は見た目相応のものでしかなく、自分どころか大抵の人間なら振りほどけるものでしかない。
けれど、自分は彼女が唇を離す時まで、そのままでいた。
「ぷはっ……」
透明な橋を作って唇を離し、明里が深呼吸をする。それでようやく、お互いに息をしていなかった事に気づいた。
「あか、り……?」
「蒼太さん。相棒って英語でなんて言うと思いますか?」
「へ?」
「いいから」
なんでこんな時にそんな事を?混乱する頭の中、彼女の有無を言わさぬ問いかけに、ぼんやりとした頭で答える。
「ば、バディ?」
「……はー。こぉれだから万年童貞クソ雑魚コミュ障は」
「人の心を傷つけないと会話できないモンスターかな!?」
ひょいっと、軽く俺の手から抜け出して明里が軽く伸びをする。
「うーん。頭にかかっていた靄がとけました。準備完了。万全万全。パーフェクト美少女明里様の大活躍が今始まるっと」
まだ跪いて、彼女を見上げる自分に明里が手を差し伸べてくる。
いつもの自信に満ち溢れた。しかしいつもと違ってほんのりと頬を染めた笑みを浮かべて。
「立てますか相棒。とっととクソったれな神様をぶっ飛ばして、今年こそは面白おかしいクリスマスにしようじゃないですか」
「――ああ。君と、俺もクリスマスを祝いたい。真っ当にな」
相棒の手を取って立ち上がり、兜を被る。今の顔を彼女に見せたくない。
「一応聞く。ちゃんと明里なんだな?」
「もちのろんですよ。まあ、中に『バタフライ伊藤』でしたっけ?あいつの声がガンガンするのが鬱陶しいぐらいですよ」
さらりと白銀の髪を一撫でし、明里が鼻を鳴らす。
「全部の力を、っていうのは私の手には出来なさそうですね。肉体の強化すらまともにできそうにありませんよ。不愉快ながら」
そう言って彼女が軽く手を振るう。膨大な魔力を明里の体内から感じられても、本来持ちえないソレを扱う術などありはしないのだ。
それは同時に、彼女が彼女のままである証拠。思わず笑ってしまうぐらい、相変わらず頼もしい相棒だ。
「さて……準備のほどは?」
「そうだな……誰かさんが力を貸してくれるなら」
「いいでしょう。ではその誰かさんになってあげますよ、相棒」
「ああ、頼むよ。相棒」
二人で鉄柵から身を乗り出し、下にいるアバドンの体へ視線を向ける。
『■■■■■■■■……ッ!!』
その巨体の『右側』は元々の姿のままだ。金色の瞳に爬虫類じみた鱗。三角形の頭部に長い首が続いており、背中には金色の突起が生えている。
だがその『左側』は明らかに異なる。
左胸に空いた、焼け焦げた穴。それから少しだけ離れた位置を囲うようにして黒紫の触手がびっしりと生えている。一見体毛のように見えるが、目を凝らせばその一つ一つが人間ほどのサイズをもちウネウネと動いている事がわかるだろう。
遺体であっても危険であるとされ、封印の為に張られていたワイヤーや呪符が溶け落ちていく。さながら腐った肉のように金属製の物までボロボロと。
あり得ざる存在。邪悪なる神。完全とは言わずとも、その一側面があの肉体に宿っている。
アレは呼び水だ。この息がつまるような重圧も、しかし本来の神格からすれば程遠い。それは、あの日見上げた自分が一番よく知っている。
チラリと、背後の響へ視線を向ける。出血はない。どういうわけか使徒に近い肉体のようなので、放置しても死ぬ事はないだろう。
また事情を聞かねばならない相手が増えた事に頭を痛めながら、己のコンディションを確認。
残念ながら、魔力は既に枯渇寸前。『エリクシルブラッド』が凄まじい速度で魔力を回復させていくも、それでもまだ足りない。この回復スピードでは、あのアバドンの体が核となって先に『本体』がくる。
アバドン全体が完全な依り代となっていれば、あるいはこうしている間にかの邪神が降臨していた事だろう。だが、それでもこのままでは同じ結末となる。
世界が軋むのがわかる。ドーム全体がひび割れていくのは孵化の前兆。恐らく外側でも世界が歪む程の圧力が漏れ出ている事だろう。
神格とはただそこにいるだけで、地上などという物は書き換えてしまう。既存の生物は圧殺されるか、それとも神気にあてられ気が狂うか。どちらにせよ、そう間をおかずに世界は押しつぶされる。
足りない。時間も、魔力も。
「大丈夫ですよ」
ぴたりと、自分の背中に小さい手があてられる。
「私がまだできない事を貴方がやってください。代わりに、貴方に足りないものを私が補います。なんせ、『パートナー』なわけですから」
「……そうだな。よろしく頼む」
「はい!任されました!」
剣の切っ先を、足元にあてる。ほぼ同時に背中から膨大な魔力が流れ込んできた。
血管の一本一本に熱湯でも注がれたような熱と痛み。眩暈すら感じるそれを、きっと背後の彼女も感じている。
ならば耐えられる。耐えてみせる。二人ならば!
「前とは、逆の構図だな」
あの時は、自分は天を見上げていた。大いなる天より落ちる、絶対なる存在を。
しかし今は、自分が見下ろしている。眼下にある大いなる存在を、しかしあの時と同じように刃を手に。
一番の相違点たる、相棒を背に感じながら。
「終わらせよう。お前の貌は見たくない」
流し込まれた魔力を、掌握。練り上げ、一つの形へと昇華する。
――まだ足りない。魔力は十分。されどそれを変換しきるのが、自分一人では足りていない。
ならば力を借りよう。今は亡き、送り出してくれた友人達の。
時計が自分の中の時間を加速させる。その引き延ばされた時間に戦旗の力を自分と彼女の強化に。そして、槍が基点となって雷撃を自分の全身に張り巡らせて、焼き潰れる神経の代わりを成す。
強引な調律。されど、これぐらいの荒業でちょうどいい。あの三人は、不器用で行き当たりばったりな、最高な馬鹿野郎どもだったから。
足元から、世界がもう一つ上塗りされていく。
これは夢の異界へと続く道中にして、この身が授けられた領地。いつ弾けるとも知らぬシャボン玉の一角であり、決して砕けぬ決闘場。
白銀の花々が咲き誇り、今。三人の異物を柔らかな大地へと立たせた。
『■■■■■■■■―――ッ!!!』
本体との繋がりを断たれ、憤怒の雄叫びをあげる大いなる怪物。それを前に、自分はゆっくりと両手に握る剣を振り上げる。
重い。いつも振るう、肉体の一部とも言える蒼黒の剣が、まるで星を掲げているようにさえ思えてしまう。
今まさにこの銀の花園は、『眼前の敵を屠るだけの力』を過不足なく自分へと供給している。その結果、あのクリスマスの時と同じだけの負荷が己へとかかっているのだ。
戦旗によって強化されても、複数の固有異能の同時発動にそもそもが無茶な行い。刀身から漏れ出る蒼の炎が大地を溶かし、美しい花々を燃える間もなく灰へと変えていく。
『■■■■■■■■―――ッ!!!』
あの時とは違う。あちらはただ落ちてくるだけの残滓ではない。その強大な咢をあけ、肉体に備わった権能を行使しようとしている。
極光でもって自分達を消し飛ばし、神の玉座となるために。
「あ、ぐぅ……!!」
見に纏う鎧が限界を超え、ひび割れて砕けていく。
恒星と化した剣を手に、苦悶の声をあげて耐える。両足を沈めていく溶岩と化した大地に、割れた兜が落ちる。むき出しとなった顔に熱せられた大気が浴びせられ、肺までもが熱に焦がされた。
肉体の感覚は、痛覚を残し消え失せたような錯覚さえ覚える。眼球が蒸発し、視界も奪われた。
だがこの世ならざる感覚が、自分を導く。他でもない、今まさにこちらを殺めんとする邪神より授けられた力が。
強引に展開したこの異界。それの維持を並行するこの身に降りかかる負担は想像を絶する。
世界を作り、恒星を掲げる。神話の創成期とすら呼べるそれに自分と言う存在は追いついていない。
脳内に、いくつかの記憶があふれ出る。走馬灯とでも呼ぶべきか。俺の死期が眼前に迫っているとばかりに。
されど。されど!
「―――」
耳はもう、聞こえない。熱で柄と一体化した己の手に、『彼女』の手が添えられるのが第六の感覚により伝えられる。
この熱量。神格の一部をその身に降ろした彼女だからこそ、この千里先まで生物を許容しない炎熱の空間に留まれる。
使徒であっても生存は不可能なこの場では、神気を纏う彼女とて長くはない。
だけど、その華奢で小さな手は、自分にとっては誰の手よりも頼もしく、力強い。
お互いに、笑いがこぼれたのがわかる。
「「燃え尽きろ!無貌の神よ!」」
一人では重すぎる剣も、しかし、二人でなら。
「「お前の居場所は、ここじゃない!!!」」
剣を振り下ろす。刀身に圧縮された炎が解き放たれ、自分の両腕諸共に剣その物を焼き尽くした。
一筋にまとめられた、蒼の斬撃。その余波で肉体を損壊させながら、しかし己が世界故にその結末を認識する。
「また……俺達が勝ったぞ……」
『ああ、おめでとう。人の子らよ』
金属製の床に背中から倒れ、胸の上に彼女の重みを感じながら。
鉄とコンクリートで築かれたドームに空いた穴。そこから覗く綺麗な月夜を、まだ治りかけの瞳でそっと見上げた。
読んで頂きありがとうございました。
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明日、『エピローグ 上』と最終章の設定を投稿させて頂きます。よろしくお願いいたします。




