第百八十六話 親
第百八十六話 親
サイド 宇佐美 京子
吐きそう。
見えすぎるのだ、視界が。単純に視野が広く遠くまで見えるといった基礎的な能力の向上だけではない。明らかに本来見えないものが視えている。
頭を撃ち抜かれる私。心臓を撃ち抜かれる私。投擲された剣で串刺しになる私。
それらの未来を視ては、足を必死に動かして回避する。正直かなりきつい。自分の現在地がどこなのか、未来の自分とごっちゃになりそうだ。
歯を食いしばり、背中に感じる重みに意識を向ける。そうだ、私はここにいる。黒江と一緒に。
『土壇場の覚醒?それとも三味線ひいてたのかな?どちらにせよ、厄介な子だね、君は』
「貴女、ほどじゃ、ないわよ!」
視界では捉えているのに、追いつけない。花園麻里はこの入りくんだ場所で、まるで全ての障害物を無視するようにこちらを捕捉し続けている。
ゾンビどもと視覚をリンクさせている?ありえる。必ずと言っていいほどこちらを最低一体が捕捉しているし、そうでない時は本人がこちらに狙いを定めている。だが、たぶん別の力もある。
透視……いいや、千里眼か。しかもただの遠見ではない、様々な能力を複合させたかなり上位の魔眼。
尋常な人間が持っていい物じゃないし、手に入れる事も不可能。となれば、邪神関連か。まあこの状況でそれ以外という方が考えられないが。
だが、問題はそこじゃない。追いつけないのがまずいのだ。
「どき、なさい!」
上の通路から跳び下りて、無駄に際どい下着を晒しながら剣を振り下ろしてくるゾンビ。それに頭をかち割られる自分を幻視して、急ブレーキからの魔術。投げつけた種が発芽して絡みついた所を、思いっきり蹴りつける。
魔術で強化した足がゾンビを下へと叩き落とした。これで残り九体。まだ多い!
「はあ……はあ……!」
『随分と息が切れてきたじゃないか。動きづらそうな胸と尻だものね』
「うっさいガリガリ!」
本気で体力がつきそうだ。魔術で補助していても、動かすのは結局私の体だ。骨も筋肉も悲鳴を上げ続けている。
出血も無視できない。特に足の甲。これが一番の重症だ。無理に動かしたせいか、もう爪先の感覚が一切ない。
ゾンビのせいでこちらが動きを止めた間に、花園麻里が鉄柵に銃を置いてこちらを狙ってくる。私のお腹めがけて放たれた銃弾を避けるが、間に合わずにかすめていった。
「っぅ……!」
特殊繊維で編んだこの服を貫通してくる。かなり特殊な弾頭だ。それでも、外でうちの車を壊したような大口径でないのが救いか。いや、それだったらもっと簡単に追いつけていた可能性があるか?
思考がグルグルと回る。頭が痛い。
「お、おおおおおお!」
だからどうした!
ここで立ち止まれば私は死ぬ。そして黒江はあのクソ女に連れていかれる。そんなの許せるわけがない。
だからもうこれ以上痛いなんて言わない。今だけは、絶対に。
「その無駄に綺麗な顔をぼっこぼこにしてやる!」
『口が悪いお嬢様だ。親の顔がみてみたいよ』
「会社のSNSでも見なさい!主要な一族は全員載っているわよ!」
軽口を返しながら、走る。
眼前に二体のゾンビが降って来て、更に奥では一体下の通路から這い上がって来た。
その奥に奴はいる。後退すれば背中を撃たれる。前進しても同じ事。逃げ場なんてない。左右に大きく避けても、この道幅では避けきれないだろう。
だったら!
「おぉりゃああああ!」
種子を握ったまま一番近いゾンビの腹を殴りつける。体をくの字にしながらもゾンビが剣を振りかぶるが、知った事か。
自分の手を食い破って種から蔦が生えてくる。魔力だけじゃない。私の血肉も使って強化する!
一時的に出力をあげた魔術により、蔦が太く素早くゾンビの全身をからめとった。その状態で、真っすぐと前へと走る。
全身が軋む。その音をBGMにちょっとだけ、テンションがあがってきた……!
「どぉけぇええええ!」
バキバキという音と共に、踏み込む。ゾンビの体を貫通して届く弾丸は戦闘服でも耐えられる。衝撃で肉が多少潰れようが構わない。今はバランスを崩さない事が大事だ。
進路上のゾンビを一切減速せず突破。気づかないうちに全身のリミッターが外れていることに気づく。壊れた神経と筋肉を循環させた魔力を編み込んで疑似的に再現。止まるな。
『猪か、君は……!』
「負けないって、言ったぁああ!」
後十メートル。背後や左右から別のゾンビがやってくるが、追いつかせない。
「私、はぁ!」
後五メートル。ライフルで撃ち抜かれた蔦を起点としてゾンビが拘束を破り、私の頭を掴んできた。親指が右目を抉り、視界を潰す。未来視にブレが生じ、もはやどれが次に起きる出来事がわからなくなる。
けれど、私はここにいる。黒江を背負って今走っている!
「家族を、手放さない!」
後三メートル。左足でゾンビの腹を蹴り飛ばし、離れた瞬間飛んできた弾丸を左肩で受けながら、走る。
蔦が千切れた時に右手の指が二本減ったが、まだ動く!遠隔で蔦を動かし、ゾンビを足場に。
黒いベールに包まれた頭を踏み台にして、上の通路に。そこにいる花園麻里の前に降り立つ。
「これでぇ!」
「なっ……!?」
ライフルを取り落としそうになりながら、花園麻里が後退る。だがそれよりも先に私が踏み込んだ。
種を、投げれば!
パキリ。
そんな枯れ枝が折れるみたいな音。同時に、左足から体が崩れる。投げつけた種が明後日の方へ飛んでいき、壁にぶつかって小さな音をあげる。
「このっ……!」
「……ここまでだね」
ひらりと、あと数メートルまできていた敵が後ろの作業用のエレベーターへ飛び乗って。ぶら下がっている端末を操作して上へのぼっていく。
「君は頑張ったよ。それだけは認めてあげる」
上からその声が聞こえてくるのに、見上げる事しかできない。
もう最後の種子を使ってしまった。いいや、それ以前に魔力切れだ。今まさに、肉体を循環させていた魔力が底をつき猛烈な吐き気と共に意識が落ちそうになる。半分以下になった視界で、のぼっていくエレベーターから身を乗り出して銃口を向ける花園麻里を見る。
手を伸ばす。遠い。届かない。
「あ、ぁぁぁぁ―――」
黒江を護らなきゃ……護らなきゃ、いけないのに……まだ足りないの?私は、また家族を目の前で失うの?
あの日、兄が死んだ日。あの時と同じように、肝心な時に動けない、無力な娘のままなの?
「――ぁあああああああ!」
いいわけ、ない!
足りないなら追加で持ってこい!自分の中にある何かを――魂を燃やせ。
ほんの一握りの、微かな魔力。それを使って立ち上がる。削る速度が足りない。魔力の生成に時間が足りない……!
こちらを見下ろすスコープ越しの金の瞳が見開かれる。だが引き金を絞る指は止まらない。
「ううううううう!」
だったら、死に際の魔力全部使ってあいつに呪詛を叩き込むまでのこと。どれだけの効果があるか。いいや、やるのだ。あいつが私の家族に手を出せないぐらい、叩きのめす必要がある。分らせなければならないのだ。
宇佐美京子は、二度と家族を奪わせないと。
「本当に、この子は……」
強い力で横に引っ張られる。自分がいた場所に弾丸が突き刺さり、今度は上に体が引っ張られる。
ああ、これは知っている。小さい頃、これでよく遊んでもらったから。
「黒江……?」
「はい。お嬢様」
私に回される手が熱い。彼女の伸ばされた右手の指先。そこから細く伸びる黒い糸が上に見える鉄柵に巻き付いている。
「貴女……いいの?」
「いいもなにも。先ほどから何を二人で好き勝手言っているのか」
「くっ……!」
次々と鉄柵に糸を――体の一部を伸ばして縦横無尽に跳び回る私達を追って花園麻里が銃口を動かすが、捉えられていない。
ようやく気付く。彼女はその瞳こそ特異だが、それ以外は常人のままだ。反射も力も、素のそれでしかない。
「ようやくあの『魔眼』から外れて動けます。なぜ私が悲劇のヒロインみたいに語られなければならないのか」
平坦な声ながら、後ろから聞こえる彼女の声が強くいら立っているのがわかった。
「千里眼に加えて停止の力。ええ、ええ。どうやら貴女の主上とやらは凄まじい力を持っているようですが、私には不要です」
後ろから聞こえている心音が弱々しい。黒江もかなり無理をして動いている。
停止の力?どういう事――ああ、そういう事か。
「黒江」
「はい」
「私が決めるわ」
「――ええ」
少しずつのぼるエレベーターに近づいていく。それにより少しずつ狭まっていく回避範囲。徐々に金の瞳がこちらを捉えだす。
「心外だな!そう的外れな事を言った覚えはないんだけど!」
「いいえ。そもそも貴女は前提を間違えています。それは」
ぐるりと、黒江が空中で奴に背中を向ける。そして大きく遠心力をのせて、『私を』奴目掛けてぶん投げた。
「はぁ!?」
金の左目が、ぶれる。私か、黒江か。私を投げた直後に左手の平を向けた黒江に、奴は視線を定めた。
飛んでくる私の着地点から逃れるが、それでもエレベーターはそう広くない。鉄柵に囲まれただけの吹き抜けだが、それだけだ。
――私は、もう家族を得ています。
「これが、私達の!」
ライフルを手放し拳銃を取り出した花園麻里に、右足を折ながら前へ。脳内麻薬に体を任せ、腕を振りかぶる。
「力、よ!」
両手で掴んだ『魔導書』。戦闘も想定され頑丈に装丁がされたその角が花園麻里の左目へと叩き込まれた。
「がっ……!?」
顔を仰け反らせながら、僅かに血の軌跡を描いて鉄柵を背に崩れ落ちる彼女を左目で見届け、
「強いでしょ、私。すぐにでも、守れるように……」
ぐらりと視界が傾く。だが、柔らかいなにかに受け止められた。
「ええ。ですが、まだまだです。まだ……私がお守りします。京子様」
「そうね……まだ少しだけ、お願いね」
ガタンと音をたてて止まったエレベーターで、黒江の胸に抱かれて息を吐く。
今度は、守れたのだ。守られるだけじゃない。二人で守り合えた。いつか、いつか私だって皆を護れる人になるんだ。
「黒江ぇ……いたいぃ……」
「はいはい。よく頑張りました。今止血をしますのでお待ちください」
「痛すぎるぅ~……黒江ぇぇ……」
「……本当に、まだまだですね」
うるさい。逆に片目潰れて全身傷だらけで指もいくつか失ってなお戦意喪失しない女子がどこにいるのか。いるのなら会わせてほしいものだ。もしもいるなら裸踊りでもなんでもしてやる。
残った方の目で泣きながら彼女の薄い胸に頭をこすりつける。撫でてほしい、昔みたいに。
それを察したのか、おざなりにポンポンと頭を撫でつつ、黒江が包帯を巻いていってくれる。だけどめっちゃ痛い。いや止血のために必要なのはわかるんだけど、この血管や傷口を圧迫する感じは本当に辛い。
「……あーあ。負けたのか、私。こんなのに」
「っ……」
びくりと肩を震わせる。まだ視点が定まらない瞳で声のした方向に向ければ、鉄柵に体を預けたままの花園麻里が、自嘲気に笑っていた。
無言でナイフを構える黒江を片手で制する。銃は彼女の手から離れて転がっているし、魔眼も潰した。もはやただの女子大生だ。
なにより、戦意がない。いかなる未来でも彼女はここから武器を向けてくる事はないだろう。
「貴女、ずいぶんと好き勝手言ってくれたわね。黒江が動揺して固まっているのかと思ったら、貴女が魔眼で止めていたなんて」
本当に焦ったんだからね?黒江がもしかしたらって本気で心配したのだ。まあ杞憂だったのだが。
「いやぁ……けど、そう的外れでもないんだろう?私には表面的にだが相手の感情がわかるんだからさ」
そう言って花園麻里が己の潰れた目を指さす。それに対し、私も口をつぐんだ。
……はっきり言って、思い当たるふしはある。黒江が私に向ける視線や、お爺様たちに向ける態度は本当に……。
不安になって黒江を見上げる。それに対し、彼女は無表情のまま肩をすくめてみせた。
「まあ思わなくもないですが、口説き方が気に入りません」
「おや、だめだったかい?」
「そうですね。私を口説くならもっと給与や福利厚生で誘惑してください」
「ははっ。今度からはそうするよ」
そう笑う花園麻里だが、彼女は立ち上がるどころか傷口さえ押さえずに黒江を見つめてきた。
「黒江ちゃん。君は、幸せ?」
「……はい。百パーセントとは言えませんが、悪くない『人生』ですよ」
「そっか……そっかぁ……」
大きなため息をついて天井を見上げる彼女を睨みつける。
どれだけいい感じの空気をだそうが、こいつは犯罪者でゲス野郎……ゲス女郎だ。流れで味方になんてしてやるものか。よりにもよって黒江を奪おうとしたのだから。ついでに私をボコボコにしてくれやがったし。
こいつの身柄を使って絶対に『蒼黒の王』に貸しを作ってやる。一生飼い殺しも覚悟しろよこのアマ。
内心で威嚇しながら花園麻里を警戒していると、びくりと『目』が反応する。
え、待って。なにこれ。ノイズ?今まで多すぎる未来を幻影みたいにあっちこっちに映し出していた力が、途端に乱れていく。あたかも台風の夜の古いテレビみたいに。
「どうしました、お嬢様」
「黒江、それが――」
「あらぁ?もう負けたの、あんた」
ぞわりと、全身が総毛立つのがわかった。呼吸をするのが難しいほどの圧迫感。
まるでそう。初めて『あの王』の力に触れた時のような。
「ああ……君かぁ。好きじゃないんだよなぁ、ブサイクだから」
「あら。心外ね。今の私は、誰よりも美しい」
明らかに人間ではない足音をさせながら、通路を歩いてくる影。
全身をサソリか何かの甲殻で覆った女が、何かを引きずって歩いて来たのだ。数少ない露出部位たる口元を醜く歪ませ、女が手に持った何かを投げてよこす。
それは、花園麻里が使役していたゾンビの一体だった。
「おかしいなぁ……私達、仲間だよね。『ガンマ』」
「……ええそうね。だから、後始末しにきてあげたのよ。栄光ある主上の傘下に、貴女みたいな下賤な女はいらない。大いなる力を手に入れた私に処理されるのを光栄に思いなさいな」
状況はいまいち飲み込めないが、アレが危険人物というのはわかった。
「……そう。なら後はお二人でごゆっくり。黒江。私達はお暇しましょう」
「いいえぇ。貴女もついでに殺してあげるわぁ、宇佐美家のアバズレ」
だめかぁ。
「主上の新しい体。その寝所に土足で入り込んで生かして返すわけないでしょう?けどそうね。そこのいけ好かない女を潰してくれた事に感謝して、ひと思いに殺してあげる」
こちらに見せびらかす様に、女。『ガンマ』が指先の爪を突き出してきた。そこからは緑色の粘液が垂れていき、床にふれるとジュウジュウと音をだして煙をたてる。
「わかるかしら。これは使徒でも殺しうる猛毒。私はね、三騎士の筆頭とか言って威張っている『アルファ』さえねじ伏せてあのお方の隣に立つの。いつの間にか私達の存在まで知っていた貴女と、宇佐美家の者共の首を差し出して『真世界教』のトップになる」
恍惚とした様子で、女は語り続ける。その間に私を黒江が背中に担ぎ上げた。
「黒江……置いていきなさい。私は戦えないわ」
「冗談が上手いですね、京子様。貴女を護ると言ったはずですし、ご自身でも言ったはずでは?」
「……それもそうね」
悔しいなぁ……これだけ頑張ったのに、無意味だったのか。
何かを言っている女の少し後ろ。通路の角から煙が出ている。アレは爪から出た毒ではない。薄っすらと犬みたいなシルエットが出来始めている。
未来視の代償。時空を彷徨う猟犬が嗅ぎつけてきたのか。
万に一つも私が生き残る可能性はなくなった。未来視もなぜか使えない。恐らく、目の前の女が原因だろう。神格関連は予知系の魔術にとって鬼門だ。
間違いなく使徒クラス。いくら黒江でも勝ち目がないし、今の私はただの足手纏いだ。
……今度こそ、守れたって思ったのに。
「京子様」
「……なに、黒江」
「私は貴女と、貴女達といられて、幸せでしたよ」
「ええ。私もよ、黒江」
そっと、彼女の首筋に顔をうずめる。最期に視るのは、彼女がよかったから。
「すなわちぃ!私こそが」
その時、不自然に女の声が途切れる。不思議に思って、少しだけ顔を上げた。
「……ああ、本っ当に最悪」
花園麻里の声がどこか遠く感じる。
「――間に合い、ましたか?」
蒼の炎が躍る。
両断され炭化する怪異の死体。頭を踏み潰されたと思しき猟犬。それらを背に、一人の王が立つ。
「お久しぶり……って言うのは、変ですかね。宇佐美さん」
「そうね……けど、そう言いたい気分だわ」
剣崎蒼太。最強の使徒が、そこにいた。
読んで頂きありがとうございます。
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Q.アルファ……いったいどんな危険な奴なんだ。
A.剣崎と明里が潰したアレ。




