第百八十五話 子供
第百八十五話 子供
サイド 宇佐美 京子
「黒江……?」
『大変だよね、単一種って』
無線から、花園麻里の声が響き続ける。
『先祖返りなんだって?これで完全にショゴスの……というか、ショゴス・ロードの力を再現できていれば、人間の生殖機能だって模倣できただろうに。中途半端な覚醒しかしなかったから、君は子を作れない。黒江ちゃんは、人でもショゴスでもない別の生物だ』
もとより、黒江は人から『人形のようだ』とよく言われる。だがそれを否定する様に、いつも突飛な行動をしたり、表情以外で感情を表現していた。
けれど、今はまるで本当の人形みたいだ。無言無表情で立ち尽くし、無線に指をあてたまま微動だにしない。
どうしようもない不安が胸中をよぎる。
このままでは、何か大切なものを失う。そう思えてならなかった。
「黒江。私の声を聴いて。移動するわ。別の敵がやってくる」
『黒江ちゃん。ずっと家族が欲しかったんだろう?自分の子供が欲しかったんだろう?だったら、うちにおいでよ。主上は誇張でもなく神の力を持っている。生命の一つや二つ。君の腹に埋め込むぐらい簡単だとも』
彼女の腕を掴み、強引にでも移動しようとする。だが、ぴくりとも動かない。
こんな事、今まで一度としてなかった。私を黒江が無視するなんて、絶対に。いつだって私が手を握ったら、『甘えん坊ですね』と、小言と一緒に握り返してくれたのに。
ただただ、私の掌には冷たい感触だけがする。
「黒江。どうしちゃったのよ黒江……!」
『黒江ちゃん。はっきりと言ってあげる。宇佐美家の当主も、その息子も……そして、宇佐美京子ちゃんも。君の子供ではない。別の人が産んだ、赤の他人だ。君の家族ではない』
「黙りなさい!貴女に、貴女になにがわかるの!」
『わからないよ。君達の心なんて。人は自分の知るものしか知らない』
「言葉遊びに付き合うつもりはないわ。黒江は私の家族よ。貴女になんてわたさない……!」
『それは傲慢が過ぎるよ、京子ちゃん。彼女の意思は彼女のものだ。君に彼女の何がわかるんだい?』
「このっ……!」
無線越しに聞こえるせせら笑いにまなじりを上げる。だが、それ以上口にできなかった。
私は、黒江が無表情でもなんとなく雰囲気で感情を読み取れる――気に、なっていた。
だが今はどうだ。どれだけ眼前の黒江を見つめても、彼女の心がわからない。今、何を考えているのか見当もつきはしない。
『おままごとなんだよ。君達のしていることは。碌に家族と過ごす時間もなく、兄を死なせ、誰からも必要とされない無能なお嬢様。それを唯一認めてくれる存在に、見返りのない愛をくれる存在に依存しただけなんだよ、京子ちゃん』
「黙りなさい……!」
『黒江ちゃんもさ。最初は興味だったんじゃないの?宇佐美家に取り入って、自分の居場所を作り上げながら、ついでとばかりに親子ってのが知りたかった。そうしているうちに、自分もほしくなったんじゃない?』
「黙って……!」
『けれどそこにいては、いつまで経っても得る事ができないよ。蒼太くんに、使徒に頼っても無駄さ。彼の力はあるべき姿に戻すだけ。先天的にない手足でも治せるだろうけど、それは普通の生物限定さ。元からそんな機能を必要としない君には、意味がない』
「黙れ!」
『黒江ちゃん……いい加減、自分の幸せを手に入れてもいいんだよ?』
靴が硬い床を蹴る音が聞こえてきた。それも大量に。
黒江の背後。そこから十何人ものシスターゾンビがやってきていた。各々が十字の剣をもち、虚ろな瞳でこちらを目指している。
「黒江、敵よ!移動するわ。考えるのは後にして!」
『いいや、敵じゃないよ。黒江ちゃん。彼女らは君を迎えに来たんだ。なんなら、君を私のハーレム入りさせるのは諦めるよ。主上への口利きだってしてあげる。私は……君の事を、君が思っている以上に好きなんだ。性的な意味よりも、一人の個人として』
黒江は動かない。ただ虚空を見つめる様は、後ろに見えるゾンビたちと変わらない。
「くっ……!」
やむを得ない。魔導書を腰のホルスターに戻し、体に強化の魔術を使いながら彼女を背負う。
体の中に大量の武器を仕込んだ黒江の体は見た目以上に重く、彼女が人ではないのだと否応なしに告げてきた。
その全てを無視して、駆ける。
『君の孤独を理解できる者は、そこにはいない。この世界中を見たって、ほんの一握りだ』
「それが貴女だって言うつもり!?よく聞くナンパの常套句ね!」
『私さ。実は人を好きになるってよくわからないんだ。これは、嘘じゃない』
こちらの悪態が聞こえないかのように、花園麻里は喋り続ける。
「人は自分の知るものしか知らないなんて言っておいて、さっきから自分は全て知っているような事を言うのね!黒江と碌に話した事もないくせに!」
『私はさ、女の子が好き……なんだと思う。少なくとも性的に興奮するのは女の子に対してだ。男の裸とか写真で見たり、一般的に整っているとされる男達に声をかけられても、なんの興味も抱けなかった。触れられそうになれば、嫌悪感すら浮かぶよ』
不幸中の幸いと言うべきか、ゾンビの足はそこまで速くない。走る事はできるようだが、それも一般的な女性レベル。魔術を使った私なら黒江を背負っていても追いつかれない。
ただしスタミナは別だ。ここにくるまでに魔力も体力も消耗しているし、何より相手はゾンビ。持久戦はあちらが圧倒的に有利だ。
しかもここは敵地。地の利がどちらにあるかは、考えるまでもない。
『けれど、小さい頃“出会って”しまってね。どうしようもない、人外の存在に。彼さえいなければ、こんな苦しむ事もなかったのにって、ずっと思っているよ。反則だよね、色々とさ』
何度目かの曲がり角。ここまで分岐点が一つもない。一本道だけが続いている。
やがて、やけに開けた空間にでた。
端的に言うなら、三次元的な迷路だ。縦に長く、面積もちょっとした体育館ぐらいありそうな場所。上下左右にいくつもの道と階段があり、人がぎりぎりすれ違える事ができそうな道幅の通路が所せましと張り巡らされている。
まずい。私の中の直感がそう告げるが、今さら止まれない。後ろにはもうゾンビどもがやってきている。
「『だからさ……黒江ちゃん。終わりにしよう?君はもう、十分に苦しんだ』」
無線だけでない、それ以外からも、あいつの声がした。
「黒江、腕を伸ばして。こういうフィールドは貴女が必要よ。このままじゃ、っ」
足に激痛がはしり、ほぼ同時に銃声。見れば、左足の甲に穴があいてそこから血がながれていた。
「っ、あああ……!」
痛い。辛い。けど、倒れるものか……!
激痛を堪えて走る。立ち止まっていては的だ。痛覚を遮断する魔力すら惜しい今、長期戦は愚の骨頂。
死ねない。死にたくない。まだやりたい事はたくさんある。しないといけない事はいくらでもある。
一歩進むごとに傷が広がる。魔術で強引に繋げた筋肉と神経が悲鳴をあげ、脳が焼け付くような痛みを伝えてくる。
次々と響く銃声と、その度に弾丸が私の体をかすめていく。遊ばれている。そのうえで、追い立てられているのだ。
相手が、一番狙いやすい場所に。
『理由をあげる。京子ちゃんを生け捕りにするよ。そうしたら、君は逆らえない。私が何をしようと、主上がなにをしようと。君は宇佐美家との契約により京子ちゃんの生存を最優先させる。だから、しょうがないんだ』
息が切れる。魔力が途切れる前に、体が限界だ。
『もう、いいだろう?』
体のあちらこちらが熱い。一番熱いのは目だ。怪我なんてしていないはずの場所なのに、妙に熱くて痛い。
まるで燃えるようだ。吐き気までする。頭まで痛くなってきた。
視界が、歪む。なんだ、これ。ただの疲労じゃない。毒か呪いでもやられたのか?
『君は被害者だ。世界の、人類の。君を受け入れなかった全ての』
けしきが、にじゅう、に。
『取り戻していこう。奪われた幸せを。君の子供を』
眼前で、太ももを撃ち抜かれて倒れる私がいた。
『……なに?』
急停止した私の少し前を弾丸が通り過ぎていく。破裂しそうな肺を心の中で鼓舞しながら、力いっぱいに怒鳴る。
「いい加減にして!」
誰に対して言っているのか、自分でもわからない。それでも吠える。
「黒江を、私の家族を誰にもわたしたりなんかしない!今は彼女に守ってもらわないといけないの!死ぬわよ、私!弱いもの!」
『なにを勝手に』
「だって!」
体のあちらこちらに出来た傷が広がり、出血が増えるのがわかる。だがどうでもいい。
今はこの、何重にもぶれている世界に酔わないようにするのが全力だ。
「私が将来黒江を護らないといけないの!こうしておぶって、立派になったって教えないといけないのよ!」
ぴくりと、背中で何かが動いた気がした。
「だから邪魔をしないで!私は、私の人生には黒江が必要なんだから!!」
視界に、頭を撃ち抜かれて倒れた私が映る。半歩右に避ければ、後方の鉄柵に着弾する音が響いた。
『……不快だよ、君は』
「初めて意見があった気がするわ。私も貴女が大っ嫌いよ」
見えない。けれど、『視えている』彼女を睨みつけた。
苦虫を噛み潰し、金色の片眼でスコープを覗く花園麻里。その視線と、自分の瞳をしっかりと交差させる。
「私の家族は、私が守る。今までも、これからも、私を守ってくれたように」
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