閑話 落ち武者
閑話 落ち武者
サイド ■■ ■■
「お侍様!」
「うん?」
城を見上げていた所に声をかけられ、振り返れば幼子が三人ほどやってきていた。
「どうした」
「これ!私達から!」
そう言って差し出されたのは木でできた十字架だった。
膝を曲げてそれを受け取ると、子供たちがニッコリと笑う。
「お侍様達が来てくれたおかげで皆勝てるって言ってたから!」
「お礼をしたいなって私達で作ったの!」
「そうか……よく出来ておる。ありがたく貰っておこう」
嬉し気に笑う子供らにこちらまで笑みがこぼれる。
こうして、幸せな世がもっと広まればいい。だからこそ自分達は『天草殿』の助太刀に馳せ参じたのだ。
その時、強く鳴らされる鐘の音。敵襲だ。
あちらこちらで怒号が響き、周囲にいた見張りの兵達も慌ただしく走り出す。
「お主ら、すぐに隠れよ!走れ!」
「「「は、はい!」」」」
去り際に、一人の少女がこちらを振り返り、大きな声で呼びかけてきた。
「お侍様!主の御加護がありますよう!」
「応!」
自分も木で出来た十字架を懐にしまい、己の兵達の元へ走る。
なにも寺や神社を壊せとは言わんのだ。ただ、我らの信仰を許してほしい。その為だけに集まったのが我々だ。
だからこそ負けられぬ。ここにいる者達を、あの『母子』のようにはさせられん……。
脳裏によぎる妊婦の亡骸を思考の奥へとしまい込み、駆ける足を速めた。
* * *
「ぬぅ……」
腹の虫が、収まらぬ。
幕府軍に包囲されてもうかなり経つ。あちらは兵糧攻めを仕掛けており、もはや城の中に食い物などありはしなかった。
海に漁をしに行こうとし、死んだ者も少なくない。ありつけたのはほんの少しの海藻だけ。それすらも、全員の手には行きわたらない。
……城のあちらこちらで、殺してくれと言ってくる者達がいる。
飢えに耐えられなくなった者もいれば、足手まといになるぐらいなら死んだ方がいいと言う者もいる。
そして、それを受け入れる者も、いる。これが情けと言って、楽土で会おうと言って、ひと思いに終わらせてやる。
「お侍様……」
かつて、木の十字架をくれた子供らの一人が、自分を呼び止めた。
「おっかあと……私を……お願いします」
メダンを口にくわえて跪き、首を垂れる親子に。
自分は刀を手にかけた。それしか、できなかった。
* * *
「はあ……はあ……!」
折れた槍を杖代わりに、足を引きずって進む。
炎に飲まれた城の中を歩き回り、生き残りがいないかと探して回る。
だが、
「誰か、誰かおらぬのか……!」
かすれる声に応える者は誰もおらず、城内にはただボウボウという炎の音だけが響いている。
侍も、農民も。男も、女も。老人も、子供も。誰も彼もが死んでいる。メダンを咥え、あるいは十字架を手に。焼けて、体のどこかを失って死んでいる。
「誰か……!」
「お侍……さま……」
「っ……!」
転びそうになる足を踏ん張り、必死に声がした方向へと向かう。
そこには、自分に十字架をくれた子供の、最後の一人がいた。倒れた柱に挟まれて動けずにいるようだ。
既に周囲は火に飲まれている。すぐにでもここを出なければ……!
「待っておれ……すぐにどかす……!」
「お侍様……お願いが、あります……」
「わかっておる……!今、助ける……!」
「楽に、してくださいませんか……?」
びくりと、肩が震える。
「馬鹿な事を申すな……!たわけが、その様な事を言う暇があったら、自分でも出られるように力を出せ……!」
「腰から下の感覚が、ありません。どうか、どうか……このまま焼け死ぬぐらいなら、せめて……ひと思いに……」
どれだけ柱を動かそうとしても、ビクともしない。炎の音に紛れて幕府軍の声がする。砲撃の音もだ。
もう時間も、体力もない。
「……ならば、儂もここで死のう」
「お侍様……?」
「案ずるな。貴様一人では行かせん。共に行ってやる」
「……ありがとう、ございます……」
娘の手にメダンを握らせてやり、脇差の切っ先を後頭部へと向ける。
下を向き、瞳を閉じたであろう娘の頭蓋の隙間を、己の刃が貫いた。
「ふぅぅぅぅ……」
さあ……自分も死のう。
どっかりと座り込み、脇差を鞘におさめて燃える天井を見据える。
我々は負けた。何もかも負けたのだ。キリシタンの立場は今までよりも更に悪くなるかもしれない。
だが、この行いが無意味だったとは思わない。何か、何かを変えられたはずだ。
木製の十字架を手に、神へ祈る。
主よ。我らが父よ。どうか、私どもをお導きください……。
瞬間、視界が回った。
文字通りそうとしか表現できない。遅れて、砲弾が近くに着弾したのだと察した。落ちていく景色の中、やけにゆっくりと動く世界の中を、自分は――。
『―――』
人を、地獄を見た。
* * *
「………」
なぜ、自分は生きている。
うちあげられた砂浜で、呆然と遠くに見える燃え尽きた島原の城を眺める。
碌に動ける身でもないが、このまま死ねるとも思えない。ふと視線を向ければ、手にしていた木製の十字架がバラバラに砕けていた。
あの娘との約束を、果たせなかった。死すべき時に死ねなかった。
衝動的に脇差へと手が伸び、しかし止める。それは教えに背く行いだ。自刃はできぬ。
「生きろ、と、言うのですか……?この地獄を」
ぽつりとつぶやいて、黒く染まった空を見上げる。
「っ……ふざけるな!」
かすれた声を目一杯轟かせ、喉が潰れるのも構わず天へと吠える。
「なぜ、なぜあの子らを死なせた!なぜ皆を助けなかった!見守っているのではないのか!?今も、今までも!なのになぜ!なぜ……」
激しくせき込みながら、うなだれる。
「なぜ……拙者だけを、生き残らせたのですか……この世は地獄だ。悪魔ばかりが練り歩く。なのにどうして、死に場所すらも奪うのか……貴方様は……本当はいないというのか……」
バシャリと、押し寄せてきた海水が自分の手の中にあった十字架の残骸を持ち去っていく。
それを防ぐ力も残らぬ自分の手に、何かが乗っかるのを感じ取った。
何の気なしに視線を向ける。あまり触れ慣れぬ感触だったからだ。
「本……?」
不思議な本だった。所々血がついているのか茶色く変色したそれは、人の顔が張り付いていたのだから。
背表紙に書かれた文字は外国の……エゲレスなる所の字か?れぷりか……?偽物?
何かの写しと思われる本に、不思議と視線が吸い寄せられる。海を流れてきたはずなのに濡れた様子が一切しない本。明らかに異常だ。なにより、表紙に使われている皮。張り付いている人の顔。これではまるで、人間を素材に作ったようではないか。
ぞっと背筋が凍り付く。研ぎ澄まされた感覚がこれはよくない物だと告げている。人の道に、神の教えに反するものだと。
今すぐ脇差を引き抜き、切り刻んで海にでも捨てるべきだ。
そう、思っているのに。何故か目が離せず、指は表紙をめくろうと動いている。
「我らの神が、いないと言うのなら……」
口が、勝手に動く。
「ならば、拙者は……」
指先が、表紙に触れた。
「本当の救済を、あの子らに……!」
表紙の顔と、目があった気がした。
読んで頂きありがとうございます。
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少し後に、百八十四話を投稿する予定です。そちらも見て頂ければ幸いです。




