第百八十二話 バイト
第百八十二話 バイト
サイド 宇佐美 京子
「はあ……はあ……!」
『ほらほらぁ、追いついちゃうよぉ』
通信機から聞こえてくる猫なで声が鬱陶しい。
ドームの中に跳び込んでからはどういうわけか『真世界教』の信者とは遭遇していない。侵入者がいるのはわかっているだろうに。
だが、その代わりとばかりに追ってくる者達がいる。
「っ、黒江!」
「はい」
眼前の角から飛び出して来たシスターの振るう剣を、黒江が間に入って受け止める。
彼女が持つ軍用ナイフと鍔ぜり合うのは十字剣とでも言えばいいのか。両手持ちの長剣だ。もっとも、明らかに実戦を想定した物ではなく装飾用だろう。なんせサイズが人間大だ。鍛え上げた軍人でも容易には振るえまい。
だというのに、そのシスターは軽々と剣を振り回している。剣道の型に似た動きで何度も面をうってきて、それを黒江がナイフで凌いでいた。
そもそも黒江がパワー負けする時点で通常の人間ではない。ついでに言えば、やけに肌が白く目も虚ろ。これは――。
「ゾンビとか、悪趣味にもほどがないかしら!」
『最近はわりと流行っているらしいよ?』
後ろからくるもう一体に向かってポケットから取り出した種子を投げつける。それがシスターの足元で光ると、瞬く間に成長し彼女の両足をからめとった。
後方からのシスターが転倒したのと同時に、前方で発砲音。黒江の右掌が煙をあげシスターが顔を仰け反らせて倒れていく所から、そういう事だろう。
すぐさま足の蔦を引きちぎった後方からのシスターに黒江がバク転をして接近。その遠心力をのせた踵落としを頭蓋に叩き込んだ。
潰れたザクロみたいになった頭を見ないようにしつつ、どうにか息を整えようと呼吸に専念する。
あくまで推測だけど、膂力は人間以上だが頑丈さは並み。知能は低く剣道の真似はしても素人レベル。身体能力は個体差によって幅が広く、集団で走ってきてもこうしてバラバラにしか追いついてこない。
ただし、精神も魂もない相手というのは個人的に苦手だ。『どうせ私の魔術では神格案件には力不足』と、拘束系や目くらましをいくらか用意して来てよかった。
『あーあ、酷いなぁ。私のハーレムメンバーを。三号と十二号はお尻が大きくてお気に入りだったのに』
無線から聞こえてくる声は、本当にただ『もったいない』としか思ってないような声。反吐が出る。
人格破綻者とは思っていたが、ここまでとは。我ながら騙されたものだ。
まあ、あの時は私の未熟もあるがそれ以上に剣崎くんの方へ意識が行きすぎたというのもある。使徒を目の前にそれ以外へどう集中しろと。
……言い訳ね。御父様やお爺様なら一目でこの女の危険性に気づけたわ。兄でも、きっと。
「お嬢様」
黒江に言われて振り返れば、彼女がシスターの遺体を足でひっくり返す所だった。そして、顎で示された場所。改造修道服の下腹部に『Ⅻ』という文字が白く書かれていた。
……本当に悪趣味。
『ここまでで壊されたのは、その子らも含めて四人だろう?いくら君達が美人だからってさぁ、二人補充しただけじゃ私の心は傷ついたままだよぉ……』
無線越しに聞こえるウソ泣きを無視し、黒江へとハンドサインを送る。
(内側、外側、ここ。どこに?)
(内側に。他と合流を)
頷いて返す。外に出れば狙撃。ここに留まれば包囲。奥に向かえば罠だろうが……せめて新垣巧らと合流ができないか目指すか。
ベストなのは、外で暴れているだろう海原アイリと新城明里と合流する事かもしれない。なんせ二人とも『蒼黒の王』から格別の寵愛を受けている。所有している魔道具の質が違う。
だが、花園麻里がそちらに行くのを警戒していないとは思えなかった。
『初めて会った時から欲しいなぁ、って思っていたよ。今でも君の尻肉の感触を忘れられない。毎晩枕にして眠りたいよ』
無視だ。こいつの話しに付き合う気はない。
無線機は……もう他のメンバーと通じる気がしない。ここに置いていくか。
そう思って耳から外した時だった。花園麻里の声が一段と低くなり、勝手に音量が上昇させられる。
『それ、外したら怒るよ?ピュートーン……あの怪異どもをたくさん送り込んじゃおうかなぁ』
うっっっっっっざ。
「……私、貴女の事きらいだわ」
『酷い!?こんなにも愛しているのに!ラブリーラブリー京子ちゃん!』
どの口が言う。少なくとも人を殺してゾンビにし、侍らせるような奴が愛を語るな。百歩譲っても相手の意思を尊重しろ。私はこいつにゾンビハーレムされるぐらいなら自爆するぞ。
周囲を警戒しながら、ドームの中を走る。やけに入り組んでいる。ここに来る途中、ヘリの中で大まかな見取り図は見たがこんな風ではなかった。魔術的に改造が施されているらしい。
『あ、そうそう!追加のメンバーを送る前に聞いておきたい事があったんだ!』
「……なに」
『ああ、ごめんごめん。京子ちゃんじゃなくって黒江ちゃんの方なんだ』
どうでもいいが、こいつが黒江の名を気安く呼ぶのは妙に腹が立つ。
「なんでしょう」
黒江が自分の耳につけた無線に触れ、相変わらずの無表情で応える。
『単刀直入に聞くんだけどさ、うちにこない?ゾンビじゃなくって裏切る形で』
「お断りします」
なにを言うかと思えば。
あまりにも馬鹿らしい。黒江は私が産まれる前からずっと我が家に仕えてくれている。いかなる時も守り、教え、傍にいてくれた。
まあ仮にも専属でついているはずの私や、それどころかお父様にまでかなり舐めた態度しているけれども。忠誠心とか欠片も感じられないけれども。
「宇佐美家の福利厚生を舐めないでください。有給は簡単に取れますし、私の年収は通常の業務だけで一千万以上。特別手当を合わせれば下手な社長よりも上です。更にお嬢様を適当に煽って遊べるおまけまでついているのですよ?」
「待って」
今とんでもない事を言ったぞこのメイド。
「なんですかお嬢様。今私の忠誠の高さをアッピルしている所ですよ」
「アッピルってなによ。どの辺に忠誠を表現する所があったの?」
「お嬢様を煽って遊べる」
「せめて給料の方で語りなさい……!」
本っ当になんでこう舐められているのか。実力?いいや。お爺様もお父様もすべからく遊ばれているので、たぶん関係ない。
いつもそうだ。無表情のくせしてやたら表現豊かにおちょくってくる。超えてはならない一線を把握して、笑い話にできる範囲で遊んでくるのだ。
かと思ったら、私達に危険が及びそうになると遊びが一切消えて全力で守りにきてくれる。それこそ、身を挺してまで。
なんというか、ずっと子供扱いを――。
『妊娠できるよ?』
「っ――――」
ピタリと、黒江の足が止まった。
「黒江?」
『私のハニー……主上と呼ばれている存在なら、君に子供を授けてあげる事ができる』
私の声にも反応せず、ただ黒江は。
『おままごとではない、本当の子供。欲しくはないかい?』
無線に指をあてたまま、本当の人形みたいに固まっていた。
* * *
サイド 新垣 巧
奇妙な沈黙が流れたが、とにもかくにも時間がほしい。
「さて……君は僕に因縁をもっているらしいが……詳しく話を聞いても?」
「……本当に、覚えていないのか」
完全な無表情になった落ち武者が、ぼんやりと呟く。ピュートーン達やベータが彼の様子を窺い、こちらにはまだ攻撃してきていない。
「すまないね」
「……なら、いい」
長い沈黙の後、落ち武者が深呼吸をしてから天井を見上げた。
その右手が、ゆっくりと上げられる。
「新垣巧以外、殺せ」
「各員撃てぇ!」
奴の右腕が振り下ろされる直前、全員で銃を落ち武者へと向ける。
発砲。もはや弾の残りなど気にしていられない。全弾撃ち尽くすつもりで放つが、それらは間に割り込んだベータの肉体で防がれてしまう。
「やはりお前は無粋な奴だよ。新垣巧」
落ち武者の右手が振り下ろされ、ピュートーン達がこちらに駆けてくる。
その速度、そして数は到底自分達が独力で対応しきれるものではない。ならばと、自分が前に出ようとする。
先ほど落ち武者は『新垣巧以外』と言った。ならば自分が盾になれば数秒は稼げるかもしれない。
しかし、唐突に襟首を引っ張られる。立ち位置と気配から、それが前田くんの手であるのがわかった。
代わりとばかりに、山田くんと竹内くんが僕の前に飛び出す。
なにをしている。やめろ。いつも任務の遂行と、己の生存を優先しろと言ってきたはずだ。この状況で僕を護るのは筋違いにも程がある。むしろ盾にするべき盤面だ。
先頭のピュートーンを竹内くんが切り伏せ、二体目を山田くんがタックルで怯ませ、口の中に細川くんがライフル弾を撃ち込む。
だがそこまでだ。ピュートーンの数はぱっと見ただけでも三十を超えている。更には弾幕が途切れたからとばかりに、ベータが一歩前に踏み出していた。
「新垣さん」
耳元で、前田くんが何かを呟いた。
「貴方と戦えた事、誇りに思います」
なにを、笑っている。
拳銃を片手に、前へ出ようとする前田くんに手を伸ばす。だがそれすらも止められた。山崎くんが僕を肩に担ごうと腕を回してきたのだ。
死ぬ。僕の部下が、また。僕の、指揮下で。また。『あの時』みたいに……!
「―――」
声にならない。息を吸い込む間もなく、ピュートーンの爪が、牙が、部下達に――。
「アローハー!」
とんでもない轟音と、わざとらしい英語が全てをかき消した。
部下達に襲い掛かろうとしていたピュートーンどもが弾かれたように吹き飛ぶ。いいや、実際に弾かれたのだ。
ある者は顔面を仰け反らせながら眼球より血を流し。ある者はくの字になって殴り飛ばされている。
そして、ベータには一台の大型バイクが突っ込んで爆発していた。直前に燃料タンクへと鉛玉が撃ち込まれたのを、後から気づく。
自分達の前に、二人分の人影が背を向けて立っていた。
片や、見上げるほど大柄な筋骨隆々の背中。革製の黒いジャケットからでもわかる、戦士の肉体。
片や、金細工がふんだんにあしらわれた改造軍服の小さい背中。見るからに華奢で、子供のお遊戯会めいたそれ。
「ベストタイミングじゃなーい!私達、映画のヒーローみたいじゃなーい!?」
「それを言うならヒロインでは?」
「たしかにー!うちの子ったらてんさーい!」
「……恥ずかしいのでやめてください」
ほっと息を吐きながら山崎くんの手をどけて床に足をつける。
この馬鹿どもは帰ったら再教育するとして、今は駆けつけてくれた『バイト』諸君に礼を言うとしよう。
「本当に最高のタイミングだったよ、二人とも」
「……別に。仕事ですので」
「ごめんなさいね?この子ったらリベンジ前にシャークガールに会っちゃって不機嫌なのよー」
「余計な事を言わないでくださいジェイムズお姉さん……!」
「あっはっは!うちの子ったら可愛い過ぎない?」
バイクの爆炎を薙ぎ払い、ベータが苛立った声をあげる。
『何者だ……公安のイヌか!』
「あらあら。その『身体』を使っているくせに私達を知らないなんて、ちょーっとアンテナ低すぎないかしら」
カラカラと笑いながら、二丁拳銃を持つ人物――『ジェイムズ・スペンサー』がベータに視線を向ける。
「大した者ではありません。強いて言うなら」
改造軍服のヒラリとしたスカートでカーテシーをしながら、しかし語気を強めて少女が名乗る。
「貴方達がいいように使っている子達の『姉』、エマという者です」
少女、『エマ・ウィリアムズ』が小柄な肉体からは想像もできない圧力でもって、『真世界教』へと名乗りを上げた。
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