第百六十八話 家族との再会
第百六十八話 家族との再会
サイド 宇佐美 京子
新垣巧が指揮権を握った十数分後。眷属たちによる再度の襲撃が行われていた。
奴らの侵攻を押さえる為、前線から銃撃音が絶えず響いている。そしてまた、私の周囲でも銃声はなくとも静かとは言えない状態になっていた。
「六班、敵集団を殲滅!」
「七班補給完了。いつでも出られます!」
「三班がポイント2のBに到着しました!」
次々に告げられる報告の数々に、男は不敵な笑みを浮かべ続ける。
「六班は一度こちらに戻りなさい。七班は4のAに向かい、八班と合流。三班は予定通り罠を起動させ後退だ」
「「「了解!」」」
宇佐美家が用意した指揮所。そこでは公安も宇佐美グループも関係なく人が動き、彼の指示により迅速に動いている。
魔術知識が足りない公安。戦力が足りていない宇佐美グループ。
その両者が互いの欠点を補い合い、世界基準でも高水準な対魔術部隊として動いている。その姿に、ほんの少しだけ感動を覚えた。
それはそれとして。
「宇佐美さんこの魔術式はいったい?」
「なんでリンゴが『知識』になって蛇が『悪意』になるんですか!?蛇は不老長寿の象徴では?」
「この魔法陣とこっちの魔法陣になんの違いが?」
「ふふ……それはですね」
現在前線で八面六臂の活躍をしているだろう黒江へ。助けてください。
公安が思った以上に魔術を知らな過ぎる。むしろどうしてこんなあり様で日本は今まで無事だったの?たびたび海外の魔術結社が日本に来ようとしては海で沈没していたのは、てっきり日本政府が迎撃していたからと思っていたのだが。
まさか二流がせいぜいの新垣巧すら、公安の魔術師では上澄みだとは思わなんだ。
結界や怪異からの精神干渉を防ぐための術式すら構築できない公安に、どうにかして魔法陣の起動だけでも教えなくてはならない。
私の足元には指南役としてここに連れてきた分家や傘下のジジババが倒れている。くそっ、こんな時だけ年寄り面を!
かと言って泣き言を口にすれば侮られる。宇佐美家の者としてそれはできない。
精一杯余裕の笑みを浮かべ、どうにか魔導書片手に公安へと講義を行っていく。
「緊急です!至急ご報告しなければならない事が!」
そんな事を叫びながら、お父様が回してくれた部下の一人が指揮所へと入って来てまっすぐ私の傍にやってきた。
「どうしたの?」
「こちらを……」
そう言って差し出されたメモを受け取り、たたまれたそれを開いて内容を確認する。
「なっ……!?」
先ほどまでの余裕が消し飛び、思わず声がもれる。
上に立つ者として鉄火場で見せるべきでない姿。だが幸いな事に指揮所は各連絡事項が飛び交っており、私が驚いた声を出しても数人が視線を向けてくるだけで、それもすぐに元に戻る。
「おや、どうしたのかね宇佐美京子さん」
だが、この男は誤魔化されなかったらしい。
「い、いえ、それは」
一瞬、この場で言うべきか迷う。なんせここのツートップが会話など、先ほどと違い注目を集めるだろう。
この状況下で、メモの内容を明かしていいものか。
「ふっ……東京で動きでもあったかね」
「っ……!?」
バカな、この男。どこまで……!
「おおかたアバドンの死骸あたりで、真世界教の残党どもが騒ぎ出したかな?」
「ご存じ、でしたか……」
「ふっ……なに。ちょっとばかし変わった知り合いがいてね」
不敵な笑みを浮かべ、新垣巧は余裕の態度を崩さない。
これが、公安のエース……。
「ふっ……これはまた、帰りが遅くなりそうだ」
もう一度『ふっ……』と余裕の笑いをし、男はスマホを少し操作した後に指揮を再開する。
あれが、私がなるべき姿の一つ。という事か。
上に立つ者として相応しい姿を見せ続ける男の背中に、流石は使徒の寵愛を受けるだけの事はあると感じ入るのであった。
* * *
サイド 剣崎 蒼太
四人それぞれ足音をたてて道路を歩いて行く。それらが反響しているというのに、未だ眷属どもはやってこない。このフロアではもう底をついたのだろう。
最後の直線。そこをゆっくりと歩きながら、少しだけ思考が揺れる。
もしかしたら、義妹は操られているだけで非はないのかもしれない。
もしかしたら、義妹が犯人というのはミスリードで別に黒幕がいるのかもしれない。
もしかしたら、義父母も蛍も囚われて自分の助けを待っているのかもしれない。
そんな意味のない思考が、浮かんでは脳裏を通り過ぎていく。
第六の感覚が、今までの経験から培った直感が、そのような都合のいい妄想はありえないと言っているのに。
「――来ます」
立ち止まり、呟く。その直後に轟音が響き、少し遅れて咆哮が聞こえてくる。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――ッ!!』
『ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――ッ!!』
二体――いいや、二人分の雄叫び。眼前の道路が砕け、そこから一体の怪物が現れる。
まず目に入るのは、巨大な顔。今までの眷属同様に口だけ残したのっぺらぼう。ただし、その口は横にではなくまるで顔の正中線をなぞる様に縦方向へと裂けている。
首から下は無く、かわりに後頭部から芋虫のようにブヨブヨとした体が生えているのだ。そこからは無数の手足が不格好に生えており、それらを動かして這いずる様に移動していた。
最後に、顔面の本来なら目があるべき箇所。そこには、二つの大きな顔がある。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――ッ!!』
片方は中年男性だろうか。顔のサイズに合った眼鏡をかけた、厳格そうな人。けれど笑ったらくしゃりと顔を歪ませそうな、そんな顔。
けれども、今は目玉をギョロギョロと動かし、獣の威嚇のようにこちらへと吠え立てている。
『ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――ッ!!』
もう片方は中年女性。昔は整った顔立ちだったのだろう。綺麗な年のとり方とでも言えばいいのか。実年齢よりも少しだけ若く見られるような顔。
けれども、今はその顔を醜く歪め、獣の遠吠えの様なものを繰り返している。
見間違えるはずがない。この世に産まれ、引き取られて十数年。ずっと見てきた顔だ。育ててきてくれた顔だ。
「義父さん……義母さん……」
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――ッ!!』
『ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッ!!』
べちゃりと、自分の横に彼らの唾が飛んでくる。涎をまき散らしながら吠える彼らに、もはや理性などない。魂だけが『つなぎ』として肉体に残された、ただの怪異。
「さがれ剣崎!打ち合わせ通りにいく!地形を」
「――ごめんなさい」
それが、誰に対しての謝罪だったのかわからない。
今生の家族と碌に向き合ってこなかった事か。田中さん達との作戦を無視する事か。はたまた、もはや救う術のない二人に対してなのか。
ただ、事実は一つ。
「皆、離れてください。コレは、俺一人でやらないといけない」
ここで剣を振るうべきは、俺一人という事のみ。
「っ、総員散開!剣崎の前に出るな!」
田中さん達が跳び退る。ありがたい。こんな我が儘を許してくれて。
自分へと迫りくる怪異を前に、両手で握った剣を高々と掲げる。それだけ悠長な動きだと言うのに、彼らは未だ自分にたどり着かない。
路面を砕きながら進む速度は、せいぜい子供の全力疾走ていど。己が体重に耐え切れずよたよたと進み、時折砕けたコンクリート片で白すぎる皮膚を傷つけながら進んでいる。
弱い。一層、二層の守護者と比べてあまりにも脆弱な存在。常人二人にただ眷属の余り物を継ぎ接ぎしただけの、先の眷属どもにすら劣る戦力。こんなものを自分の前に出した理由は、『そういう事』なのだろう。
刀身へと魔力を収束。ただそこにあるだけの熱量で、大気が歪み足元が溶けていく。
恐怖があるのか、怪異が急停止し怯えた様に向きを変えようとする。だがそれすらも遅い。後退も転進もできぬその体は、ただ縮こまる事しかできない。
「おやすみ、なさい」
声を震わせるな。思考を保て。視界を曇らせるな。使徒のもつ肉体の制御能力を駆使し、乱れる剣筋を矯正する。
振り下ろされた刀身から放たれた蒼の熱線。それが眼前の全てを飲み込んでいく。入り組んだ道路もなにもかもを燃やし、熔かし、消し飛ばして。依り代の壁へと衝突。上から下に悲鳴のような騒音を響かせて傷跡を残していく。
つなぎとして絡みついた全てを焼き払うために。二人の魂が、せめてここから解放されるために。眼前の怪異を物理的、霊的ともに完全に滅却する。
刀身を振り抜き、炎の奔流が止まった頃に。白い煙を残して眼前の視界が飛び込んでくる。
ドロドロに溶け、熱を持ったままの道路の跡。大きく抉れるように消し飛んだ目の前の景色には何もなく。少し遅れて『四つの』空間のひずみが現れる。
「剣崎……」
「問題ありません。肉体的ダメージはなし。魔力量も戦闘許容範囲内です」
背後から話しかけてきた田中さんに、振り返る事もなく答える。非礼は承知。ただ、今はこれしかできそうにない。
「現れた階段は四つ。恐らく、一つに付き一人しかのぼれないのでしょう」
第六感覚がそう言っている。また、魔力の流れも各ひずみの奥に見える階段を構成する魔力が曖昧で、使徒が複数乗り込めばその段階で崩壊する事を告げていた。
「自分はこのまま戦闘が可能です。皆さんも戦えるのであれば、このまま進む事を提案します」
「あんた、どう見ても変よ。少し休んだ方が」
「今は、立ち止まれません。ここで立ち止まったら、俺はいつまでも動けない」
新城さんの心配気な声に、硬い声で返す。
自分は弱い人間だ。迷う時間があるのなら。泣いてしまえる時間があるのなら。もう一度足を進めるまでに、その何倍もの時間を要するだろう。
反対意見はなし。一番近い位置にあった階段へと踏み込めば、背後でひずみが閉まり彼らと分断されたのがわかる。
これでいい。あそこから声をかけられたら、止まってしまうかもしれなかったから。
ゆっくりと上っていく。一段一段を踏みしめる様に。四つある階段でも、どうせ自分が選んだ階段が向かう先は予想がついていた。
やがて、最後の段を踏み越えて、ザバリと足が海水につかる。
階段を抜けた先は、真っ黒に塗り潰された壁や天井に囲まれた、異様に広い空間。そこには風と共に波が揺れ動き、足元を海が埋め尽くしていた。
「久しぶり、兄さん」
ぷかりと浮かんだ人間大の海水。球状のそれに腰かけるようにして、少女は嗤う。
夜を織り込んだような漆黒のベールをドレスのように身に纏い、肩にかかるぐらいの長さをした栗色の髪を風になびかせている姿はどこか幻想的だ。光源などなさそうなこの場で、互いの姿がはっきりと見えている事もまた、どこか非現実的な空気を生み出している。
だが、少女の外見で最も注目すべきは腰から下。
深い緑色をした魚の下半身。二層の守護者とは違う、誰もが想像するような人魚の姿をした『剣崎蛍』が、クスクスと嗤っている。
白い肌に髪をはりつかせ笑う姿は、整った容姿も合わさってさながら人魚の姫のように見えるかもしれない。
ただ、自分にはその姿がどこまでも醜く歪なものにしか見えなかった。
「ああ……久しぶりだな、蛍」
「アア、アア……本当に、この日が待ち遠しかった」
恍惚そうに、蛍は嗤う。待ち望んだ願いが叶った童女のように。一切の迷いも、罪悪感もなしに笑みを浮かべる。
彼女の暗く濁った瞳を見て、第六感覚が告げる。
「兄さん。これで私は、貴方と対等だ」
もう、だめなのだと。
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