第六章 プロローグ
プロローグ
サイド 剣崎 蛍
学校からの帰り道、部活の友人と共に歩いて行く。
「やー、やっぱり蛍は速いねー。もしかしたら全国いけるんじゃない?」
「うーん、どうだろう。目標タイムにはまだ届かないし、なによりもう私達は引退でしょ」
「そうなんだけどさー。ほら、高校でもやるでしょ?水泳」
「まあ……やるけど」
「だったら目指そーよー!ビックな女になってやろうぜ!胸と違って!」
「女同士でもセクハラってあるのよ」
「ごめんってー!」
相変わらず馬鹿な事を言う友人に白い眼を向けて歩いていると、後ろの校門から駆け足でこちらにやってくる足音が聞こえてきた。
何の気なしに振り返ると、そこにはクラスメートの……ダメだ、名前を思い出せない。
「あれ、まっさんにジャガリンじゃん。どったの」
友人の言葉に、そう言えばそんなあだ名のクラスメートがいたのを思い出す。
校則で髪こそ染めていないものの、どこかキャピキャピした様子の二人。なんというか、自分とはあまり相いれないタイプだ。
「二人とももう部活してないんじゃないっけ?」
「そうなんだけどさー。剣崎さんがまだ部活やってるって聞いたから」
「そうそう。もう受験考えて引退する時期なのに真面目だねー」
……やけに距離が近いな。なんのようだ。
そう思って二人を見ていたのだが、どうにも落ち着きがない。
「……なんのよう?」
「実はさ、剣崎さんに聞きたい事があって」
「剣崎さんのお兄さん。幼馴染さんと別れたってほんと?」
「っ……」
また、その話か。
「あ、それは、だね」
戸惑う友人の声を無視して、『愚者』の二人はさえずり続ける。
「やっぱ男子校だったから続いていた関係っていうか?やっぱ男同士が趣味ってわけじゃなかったんだねー」
「ね、もしもその話しが本当だったらさ、紹介してくれない?ちょっとだけ!ちょっとだけでいいから!」
ふざけた調子でこちらを拝んでくる愚者どもに、舌打ちしそうになるのを堪える。
友人の前だ。彼女にまでヘイトがいくのは避けたい。
「別れたのは確かだけど、未練はかなりあるみたいよ。傷心旅行にも行ったし、帰ってきてもかなり思い詰めているようだったから」
「ま、マジかー……」
「前に駅前で見かけたとき、店員さんの巨乳ガン見していた気がしたんだけどなー……」
何を言っているんだ、こいつらは。
妄想と現実の区別もついていない馬鹿に付き合うつもりはない。友人の手を引いて歩き出す。
「ごめん。私達この後本屋による予定だから、失礼するね」
「え、あ、ちょっと」
「ごっめーん!うちらもそろそろマジで受験考えないとだからー!そっちも受験がんばれよー!」
私に合わせて駆け足になってくれた友人がそう言い残して、愚者どもを置き去りにしていく。
皆、どうしてそんなに愚かなんだ。
あの『太陽』に、近づこうと思おうなんて。
* * *
「マジで本屋によるんだ……」
「参考書を買いに来たかったし……」
「ま、いいけどねー」
本屋に入って参考書の置いてある所に進みながら、友人が後ろから声をかけてくる。
店内だからかその声は小さめだったけれど、私の耳にははっきりと聞こえた。
「やっぱり、お兄さんの事苦手?」
「……別に」
苦手なわけではない。ただ、私はその一端を知っているだけ。
誰も彼も、あいつを理解していない。両親も、岸峰さんも、生徒会の奴らも、あの花園さんも。
いいや、理解できないのはしょうがない。誰も彼も、太陽を肉眼で理解する事などできはしない。眩しすぎる光に、その姿を正しく認識などできないのだ。
だが、それでも近づこうなんて愚行をおかすのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
蝋で出来た翼でなにができる。アレに近づくと言う事は、落ちて死ぬと同じ意味だというのに。
「あー、えっと……けどさ。皆がお兄さんに粉かけたいってのもわかるなー、私」
友人の言葉に、足が止まる。彼女の視線は、『これでデートは完璧』と書かれた雑誌に向けられていた。
「ほら、成績優秀で運動神経抜群。そのうえあの顔でしょ?そりゃあ世の女どもは放っておかないってー」
やめろ。
「今はもう幼馴染さんや生徒会のガードもないわけだし?アタックしてみようって皆思うよ、うん」
やめてくれ。
「正に完璧な人って感じじゃん!噂ではかなり優しくてボランティアにもよく出てたらしいし?なんなら私もアタックしてみたいなーって」
もう、やめて。
「あ、けど高校受験は失敗したんだっけ?やっぱ誰しも完璧じゃないのか。けどそういう弱点があった方が――」
「私、あっちの方見てくるから。貴女はその辺の雑誌でも見ていて」
「え、あ、あれ?」
友人であってほしい人に背を向け、参考書のコーナーに大股で進んでいく。
誰も、誰もアレをわかっていない。それに近づく意味を、わかっていない。
『蛍ちゃんのお兄さんってすごいねー』
『剣崎!?もしかして剣崎蒼太の妹さん?』
『ねえねえ、蛍のお兄さんってさー』
どいつも、こいつも……どいつもこいつも!
苛立ちを飲み込みながら、目当ての本を探して本棚に指を這わせる。
その時になって指先に血がついている事に気がついた。手を強く握り過ぎていたらしい。
「やばっ」
小さく声をあげて、血がついてしまった本を手に取る。ビニールの包装がされていないようで、背表紙に染みができてしまった。
……買うしか、ないかぁ。
値札もついていない本。中学生の身としてほのかに恐怖を感じながら、仕方なくレジに持って行く事にした。
それにしても、なんだろうこの本は。表紙の文字が良く読めない。
けれど、不思議と『素晴らしい』事が書かれている気がした。
* * *
気づいたら、自分の部屋にいた。
窓の外を見れば外は真っ暗で、いつの間にか夜になっていたようだ。本屋でこの本を買って、そして『友人』と別れて家に帰ったのを思い出す。
そうだ。それで部屋に戻って、この本を読んでいたのだった。
あちらこちら何も書かれていない所があったし、そもそも全文英語で書かれていたから辞書なしだとまともに読む事もできない。
はず、だった。
けれど不思議とその内容が理解できたのだ。おかしい、義兄と違って、私はそれほど英語が得意ではないのに。
『やあ、初めましてフロイライン』
気が付けば、机の上にもう一冊本が置いてある。
いいや、本とは呼べないかもしれない。なんせ表紙も中身もすべて真っ白な白紙で、その一ページ目に先の文言が書かれているだけなのだから。
『君が住んでいる場所は随分と厳重なんだね。本当はそちらに直接会いに行きたいのに、こうして文字を送る事しかできないなんて』
「……あなたは、誰?」
開かれた一ページ。そこに書かれた文字が独りでに変わっていく。
ああ、これは夢だ。だってこんなにも心が温かい。足元がフワフワしていて、頭も靄がかかったみたいにぼんやりとしているのだから。
『私の名前は、そうだな。あしながおじさんとでも呼んでおくれ』
「あしながおじさん、ね。私は孤児ではないのだけれど」
『そうだね。けれど、君の両親はちゃんと君を見てくれているかい?』
呼吸が、止まる。
両親、私の、両親は……。
「……あなたには、関係ないでしょう?」
『あるとも。私は願いを持つ者全ての味方さ。君にも願いがあるのだろう?さあ、それを私に教えておくれ』
これはきっと、悪夢の類だ。
窓の外が真っ暗なのは夜だからではない。何もないからだ。
真っ黒に塗り潰された世界。その中に私の部屋だけがぽつんとある。なんともまあ、不気味な夢だ。
『私は君の願いを叶えたい。けれど、君の住む場所のせいで力が制限されてしまうんだ。だから、君が君の願いを書き綴ってほしい』
「書く?もしかして、その本に?」
『そうだ。君は聡明な子だね。私の力は制限されてしまっているけども、この本に願いさえ書いてくれれば、私は君のもとにその願いを叶える為やってこれる』
「願いを……」
いつの間にか握られていた羽ペンを、本へとのばす。
『大変な作業になるだろう。けど大丈夫、君が願いを書き上げるまで、私が君を守ってあげる』
「まも、る……」
頭の中に、古い記憶がよみがえる。
『兄ちゃんが守ってやるからな』
ギシリと、歯の奥で音がした。
「なら、叶えて。私の、願いを……!」
『――ああ、勿論だとも。君の願いは必ず叶う。私が叶える。安心して?』
一ページ目をめくる時に、最後に書かれた文章がチラリと見えた。
『君は完璧に正しい。だから、その願いも叶えられてしかるべきものなのだから』
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