第百五十話 自分の幸福
第百五十話 自分の幸福
サイド 海原 アイリ
「っ………!!」
自分の右肩に振るわれた見えない尻尾を、空気の流れを頼りに小太刀で裏拳を放つ様にしていなす。
そして続けざまに放たれる左右の爪をそれぞれ半歩さがる事で回避。そして相手の顔面を膝で狙うが、それは後ろに跳ねられて避けられる。
飛んだり跳ねたり、ヒットアンドアウェイと言うには粗末すぎる立ち回りで、彼女は私に近づいて反撃されては大袈裟なぐらい距離をとる。
だからこそ、こうして膠着状態にもちこめているのだ。彼女がちゃんとした戦闘技術を身に着けていたら既に手足を折られているかもしれない。
「取り消してください。私はまだ『幸福』を得ていません」
「いいえ。貴女は、もう。得るべきものを、得たのです」
上手く喋れない。肺が痛い。このアマルガムを貰ってから、実戦でここまで疲弊したのは初めてだ。
致命傷は受けていない。だが全身に受けた打撲と擦り傷。なにより紙一重の攻防は心身ともにこちらを削ってくる。
「意味がわかりません。ですが説明は不要です。時間の無駄ですから」
「貴女も既に理解しているからですか?」
「……貴女は、よくわかりません」
笑みの消えた無表情。だがその気配に僅かながら揺らぎが見える。
頼むから迷ってくれ。不本意ながら真っ向からの一騎打ちでは勝ち目以前に生き残る事すら叶わない。
……いいや、訂正だ。『生き残る事は確実にできる』。
だから、これは矜持の問題だ。
「わからないなら教えてあげます。私の事も、貴女の幸福の事も!」
息は少しだけ整えられた。叫ぶとともに大きく踏み出す。
全速力で駆ける。時速にして百キロ以上。人間大のそれが短距離でそれだけの速度を出せば、普通なら目で追う事すら難しい。
だが、あいにくと彼女は普通ではない。
「無駄です」
勢いそのまま、逆手に持った小太刀で彼女の右腕を狙うが、それは不可視の尻尾で防がれた。
だが止まらない。刀だけではなく手足全てを使ってラッシュを打ち込み続ける。
右へ左へ。時には周辺の家屋の壁を使って三次元に。止まることなく連撃を与え続ける。
無茶な軌道に全身が軋み、引きつるような痛みを伝えてくる。だが、ここで隙を見せればあっという間に制圧されかねない。
あの尻尾は厄介過ぎる。見えず、聞こえず、臭いもなく。触れる事でようやくそこにあるのだと薄っすらわかる。
あるいは、私のような異形に片足突っ込んだ者でなければ触れる事ができても数秒後には記憶からすら消えてしまいかねない。そういう存在だ。
しかもとんでもなく硬く、速く、力が強い。下手をすれば剣崎さん以上のポテンシャルをこの尻尾はもっている。
「おおおおおおおお!」
だからこそ受けに回れば押し込まれる。前に出ろ。小太刀を逆手に持ったのは出来る限り間合いをつめて、彼女が尻尾を操りづらくするため。
「私は、海原アイリ!」
「は?」
「中学三年生で、今年受験です!少し前まで、貝人島って所に住んでいたから、少しだけ世間知らずです!」
「なにを……」
僅かに尻尾の動きが緩んだ。その防御の隙間を右の打ち下ろしで強引に広げ、左手を突き込んで彼女の胸倉を掴む。
「しまっ」
「自己紹介を、してるんですよ!」
全力でぶん投げる。いかに人外の力をもとうと、彼女自体の体格は私よりも小さい。であれば、このアマルガムならば片手でもこうして放り投げられる。
空中で器用にバランスを立て直す彼女を走って追いかけながら、その辺の木の柵や壁を片手で引き抜き投げつける。
当然尻尾で防がれるが、落下地点を修正できればそれでいい。
「っ、この下は」
気づかれた。だがもう遅い。彼女の尻尾については剣崎さんから出来る限り聞いている。あの距離では地上に伸ばしても届かない。
バシャリと、小さな水柱を作ってエマちゃんが川へと落下した。深さは子供の膝程と浅い川だし、流れも彼女の身体能力ならあってないものだろう。
しかし、私には違う。
「ふぅ……!」
この力、あまり好きではないが使える物は使う主義だ。
足に絡みついた水を爆発させ、加速。脚力と合わせる事で一段上の速度でもって肉薄する。
「なっ!?」
初めて彼女が目を見開いた。
空中に飛び散った水を刀身に纏わせて、それを増幅、更に放出する事で推進力に。
重機同士が衝突したような轟音が響き渡る。小太刀と不可視の尾がぶつかり合い、そして僅かに私の刀が押し込んだのだ。
左手を右手にそえ、更に押し込もうとする。ギチギチと音をたてて尻尾の甲殻と刀身で火花が散った。
「この刀は、剣崎さんから、『蒼黒の王』から貰った力です!」
「っ!」
「私はあの人に救われました!命も、心も、家族も!だからっ」
「うる、さい!」
水滴を帯びた事で動きがわかるようになった尻尾が、彼女を中心に高速で回転。その膂力に吹き飛ばされ川の水に受け止めさせながら両足を踏ん張る。
衝撃で吹き飛んだ川の水が雨のように彼女を濡らす。その中で、美しい金髪の隙間からエメラルド色の瞳がこちらを覗く。
どんな宝石よりも美しく感じるだろうそれは、しかしどこまでも暗い深海を見ているようだ。
自然と背筋に悪寒がはしる。落ち着け、気を静めろ。飲まれるな。
怪異との戦いは心の戦い。海原家の人間としてそれは常に修行してきた。だが、それでも一瞬とはいえ飲まれかけるとは。
不可解なのは、恐怖に飲まれかけた瞬間、『彼女に仕えたい』と思ってしまった事か。二君をいただこうなど、我ながら度し難い。
「私の前で、その名前を出さないでください」
「いいえ、できません。私は彼に忠義を誓った身。絶対に彼の隣に立つのだと、決めたから。だから私ある所に剣崎さんの影はあるのです」
「……私のお父さんを殺した人を、語らないでください」
「貴女にとってはそうでも、私にとっては恩人です」
問答の最中でも止まらない。ただの言葉だけで全てを伝えるには、私は口下手すぎる。あいにくと、まともに喋れる同年代などいないのだ。
正面から突っ込むと見せかけて、足を振り回して水しぶきを上げて相手の視界をつぶす。その隙に側面へと回り込みながら、舞い上がった水を左手で掬っていった。
握り込んだ水の量は大匙一杯分に届くかどうか。だが、それを勢いよく放つと同時に魔力で増幅。人を丸のみにできそうなほどのサメに変化。
高速で飛んでいく水のサメだが、次の瞬間には爆散させられる。構わない。とにかく、彼女を自分に釘付けとさせる!
「私は貴女のお父さんを知りません!貴女も、私の恩人を知りません!」
鎌足尾城という人物について、剣崎さんと新垣さんから聞いている。
はっきり言うならクズだ。排泄物を下水で煮込んだうえに吐しゃ物をぶっかけた以上に醜悪な性根をした、外道というほかに表す言葉が思いつかない。
死んで当然。とまでは、なんの権限も持たぬ身ゆえ言わないが、剣崎さんが鎌足尾城を殺した状況を聞けば仕方がなかったと思う。
しかし、それは私の視点で言える事。その娘から見えるものは、違う。
私が知る剣崎さんと、彼女が知る剣崎さんが違うように。
「剣崎さんは、馬鹿で、お人よしで、スケベで、視線がいやらしくて、優柔不断なヘタレです!」
「黙って……」
水による加速を受けながら、デンプシーロールのように左右から連撃を叩き込み続ける。小太刀でもって斬撃を加え続け、尻尾で受けるエマちゃんを少しずつ後退させていく。
「けど、優しくて、強いのに儚くて、一生懸命に生きる。そんな人です。彼に救われた人は、きっと大勢います!」
「黙ってよ……」
左右の連撃に相手の目が慣れたころ合いを見計らい、右手を上から包み込むように左手も使い、下から上に小太刀で殴りつける。
不可視の尻尾もろとも彼女の体躯が僅かに浮いた。
「殺人を推奨する事も、許す事もおかしな話です。ですが、それでも!」
「黙って!」
尻尾が振るわれる。狙いはこちらの右肩、寸での所で刀身を差し込み受けた。肩が外れそうな衝撃を感じながら、左手で柄頭を上げる事でどうにか刀身の曲線で受け流す。
水面に叩きつけられた尻尾が、まるで爆発したみたいに川の水をまき散らす。衝撃でこちらの体が揺らいだ所に、彼女の小さい脚が蹴り込まれる。
左手を腹部の前に構えて足裏を受けるが、そのまま左手ごと腹部に衝撃が叩き込まれた。
「ごぶっ……!?」
内臓が、潰れる。考える間もなく水を操作して後ろに飛び退き、辛うじて体勢を立て直す。
距離を取るのは悪手とわかりながらも、そうせざるを得ない。左前腕に鈍痛。これは骨が折れたか。それ以上に脇腹が痛い。これは、ちょっとまずいかもしれない。
膝をつきそうなこちらに、彼女は追撃をするでもなく俯いていた。
呼吸をするのも億劫になりながらも、必死に肺を働かせながら喉を振るわせる。
「私からも、質問です」
「………」
「ただ恨みをもつだけなら、どうして『泣きそう』な顔をしているのですか?」
彼女の頬を濡らすのが、川の水だけではないとこの身ならばわかる。
濡れた頬を拭う事もせず、エマちゃんがこちらに体ごと向き直る。だがその両手はだらりとぶら下がり、立ち姿に覇気がない。
「わかりません……」
「いいえ、貴女はわかっているはずです」
「わかりません……!」
「いい加減、向き合う時です。自分の中の答えに」
「……っ!」
ざぶりと、彼女の足元で音がしたかと思えば、川の水が不自然に避ける箇所があった。その部分だけが円形に広がり、水底近くまで空洞となっている。
「今、私の尻尾は水につけられています。そして、私の尻尾は先端から猛毒を出す事ができます」
「うん、そうですね」
「下流にいる貴女は、これから流す毒から逃れられません。使い手であり多少の耐性はある私以外は、生き残れない」
「それで?」
バシャリと音をたてて、彼女に向かって歩き出す。あいにくと走る事もできそうにないので、ゆっくりと、散歩でもするように。
大丈夫だ。彼女は、もう――。
「わかりませんか?私の意思一つで貴女は死にます」
「だから、どうしてほしいの?」
「止まってください。そして私の『幸福』は失われたのだと認めてください」
「いやだ。絶対に」
「なら……死んでください」
一瞬で川の色が変色。彼女の瞳とは違い、薄汚い緑色に水面が侵される。
足に一瞬チクリとした痛みがしたと思ったら、すぐに水につかっている箇所全体が焼ける様な痛みを覚えた。
激痛に呼吸が数秒止まる。まるで硫酸の中でも歩いているみたいだ。
「痛いでしょう?今なら間に合います。訂正してください。降伏してください。そうすれば……」
何かを、言っている気がする。耳がよく聞こえない。仮面の内側で、自分の呼吸音だけがうるさく響く。
だが、揺れる視界でも彼女が無表情を――無表情のふりをしているのはわかった。
あの子は、ほんの少しだけ私に似ている。なにか『する事』を決めて、それに従っていればいいと思っているのだ。
私は、『海原家の使命を護る祖母との絆を護る』なんて、そんな理由で命を懸けた。
ああ、今なら、剣崎さんが自分を『小娘』と断じたのかよくわかる。
こうしてまた命を懸けて、そしてエマちゃんと相対する事で、ようやくわかった。
「どうして立ち止まらないのですか?毒の放出点に近づいています。より濃度の高い毒を受ける事になりますよ」
「エマ、ちゃん。あのね?私、周りがちゃんと見えないタイプなんだって、最近気づいたの」
「そうですね。足元周辺を見てください。死にますよ」
「けどね、愛してくれる人がいるの。恋している人がいるの。助けてくれた人が、いるの」
自分でもなにを言っているのかわからなくなってきた。
煩わしくなって、仮面を脱ぎ捨てる。少しだけ呼吸はし易くなったが、代わりに空気中に混ざった毒が目鼻を刺激する。
そのせいか、とうとう目も見えなくなってきた。
「失ったものは、たくさんあるよ。お父さんも、お母さんもいないのは、すごく辛い。けどね、だからって、今あるものを否定しないで」
お母さんが死んだ。お父さんがどこかに行ってしまった。かつての友達は皆離れていった。よく知らない島に押し込まれて、化け物を見る様な目で遠くから監視される日々。
それでもお婆ちゃんがいてくれた。そのお婆ちゃんも、私も、まとめて救い出してくれた人がいた。自分だってボロボロのくせに、満足そうに笑って、いつも通りに振る舞う馬鹿な人がいた。
「後悔はしてもいいの。けどね、せっかく手に入れたものまで壊すのはもったいないよ」
「なにを、わけのわからない事を」
「君には、何がある?それを壊したくないから、私を殺さないんでしょう?」
エマちゃんが殺す気なら、私は最初の一撃で死んでいる。
剣崎さんをして、超常の猛毒と評する尻尾の針。ともすればアバドンであっても触れれば死は逃れられない。己も血の力がなければ死ぬしかないと、彼が言っていた。
今もそうだ。わざわざ弱い毒をばら撒かなくても、即死級のを流し込めばいい。もう歩く事すらやっとな私は放っておいて、自分は川から出た後に最大出力を流せばいい。
「誰かを殺したら、今あるものが壊れてしまうから。そう、思っているんでしょう?」
「黙ってください……!私の『幸福』はっ」
「自分の幸せは、自分で決めて」
何かにぶつかった。霞む視界で、微かに金髪の頭が自分の胸元にあるのに気づく。
そっと、もたれかかるように彼女を抱きしめた。
瞳から、鼻腔から、口から、耳から、血が流れだす。弱めの毒でも、これか。
「ね……今、幸せ?」
「―――」
ああ、だめだ。もう意識を保てない。答えを聞く事もできない。
でも、言いたい事は言えた気がする。だから、
「私の、勝ちだね……」
格好良くはいかなかったけど、褒めてくれるかな、御屋形様は。
読んで頂きありがとうございます。
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