第百四十七話 禍津獣
第百四十七話 禍津獣
サイド 剣崎 蒼太
『ああああああああ!?』
霧の向こう側から地面が揺れる程の咆哮が響いてくる。当たり前だが、随分とお怒りらしい。
さて……どうやらこの霧、もはや魔力の奔流や多少の風圧では打ち払う事もできないらしい。
まるで体に纏わりつくかのように吸い付く濃霧。それが己の血と反応して小さく火花を起こしている。この身を浸食しようとしているようだが、あいにくと『死にかけ』だろうとこの程度で侵される体ではない。
問題は視界。こうも霧が濃くては相手の姿も見えやしない。
視覚は前述の通り。聴覚。足元の山からの音が気になってこの戦闘ではそこまで役にたたない。そろそろ奴も目覚めるという事か。
嗅覚、触覚、味覚。あいにくとそれらで周囲の状況を把握できるほど熟達してはいない。
であらば。
「すぅ……」
第六の感覚に触覚以外の五感を集中。己が肉体を作り変える感覚。お世辞にも愉快とは言えない感覚を覚えながらも、『第六感覚』そのものはあまりにもクリアになっていく。
周囲の木々の数。山の起伏。地下にいる怪異の存在。全てがまるで見えているかのようにわかる。
不要な情報はカット。ただ眼前の敵へと集中する。
『ゆる、さない!許さない許さない許さない!』
もはや変わり果てた姿の鹿野さん――いいや、『鹿野』が右手に切り落とされた右の角を握る。
瞬間、魔力が折れた角に流れ込むなりその姿を変形させる。柄ができ、刀身と呼べるものも形成され、しかし柄元から切っ先までの間にいくつにも枝分かれする。
歪な七支刀を手に、鹿野が咆哮をあげながらこちらへ突貫してきた。その速度は先ほどよりも数段速い。
分厚い霧を抜けてきた彼の一撃に合わせ、こちらも横殴りに剣を叩きつける。
質量は向こうが上。だがそれを覆すには魔力が足りない。万全ならいざ知らず、この眩暈がしそうなほど血を使った後では出力が安定してはくれん。
だが、それでも獣同然の相手ならば。
七支刀へと横殴りにぶつけた剣を引きながら、体を回す。相手はそれだけで真横を通り過ぎ、山の斜面へと頭から突っ込んだ。
だが止まらない。その程度ではこの獣は止まらない。
『あああ!』
砲弾がぶつかったような衝撃波と轟音が響くのも無視して、霧と土煙を貫き鹿の後ろ足が眼前に迫る。
それを剣でかち上げながら顔を逸らして回避。蹄が兜を掠めるが、耐えられない衝撃ではない。
上半身をコマのように回しながら放たれる七支刀の下を潜り抜け、彼の胸元へ剣を伸ばす。
刀身に纏わせた蒼の炎。触れれば鉄をも半瞬と経たずに熔かすそれを帯びた、使徒の剣。
尋常なる生物であれば絶死は逃れ得ぬ斬撃を、鹿野の胸へすれ違いざまに振り抜いた。
『あああああああ!?』
「っ……!」
硬い。それに重い。斬った感触はそんな所だ。致命傷には程遠い。
それでも第六感覚により彼の胸に深い傷を刻んだのを把握する。心臓に届くほどに抉り、手のひら二つ分を引き裂かれた傷口。その周囲は毛が燃え落ち皮膚は焼けただれている。
だが、その傷口へと霧が急速に吸い込まれていくではないか。
『おおおおおおお!!!』
瞬く間に傷が完治。まるで今の一撃などなかった事であるかのように、鹿野が再度突貫してくる。
また加速した。更に相手の質量が上昇しているのも確認。霧によって強化されているのか。
あえて正面から受け、両足を膝まで地面にめり込ませながら刀身の炎を解放。それを推進力とする事で強引に鹿野の突撃と拮抗させる。
「聞こえていますか?今の貴方は正気を失っている。これ以上霧の中にいれば戻れなくなりますよ」
『あああああああ!お前さえ!お前さえいなければ!僕が!』
七支刀が紅く輝き、重圧が増していく。
蒼炎を弾き散らすように渦巻く紅の奔流がこちらの肉体を押し始めた。
『僕が一番だったのにいいいいいいいいい!』
「ぐ、ぬぅぅ………!」
地面を爆発させながら、自分の体が壊れた玩具のように打ち出された。数回のバウンドの中何本か木々を破壊しながら体勢を立て直し、剣を地面に突き立てて急停止。
すぐさま顔を相手の方へと向ける。敵位置は『真上』
『おおおおおおおおおお!!』
左手に十数トンはあろう巨岩を掲げ、鹿野が上から振ってくる。回避は間に合わない。巨岩を両手の剣で受け止めた。
杭が槌で打ち込まれたように、体が地面に埋没。だがそれも一瞬のこと。全力でもって巨岩を粉砕し、剣を構えようとしている鹿野の懐に。
「しゃぁっ!」
駆け抜けざまに左太ももを切り裂き、通り過ぎる直前に後ろ蹴りで膝裏に踵をいれる。
『が、あぁ!?』
膝をつきながらも左手で体を支えて右手の剣を振るってくる鹿野。だが、その体勢からならこちらが速い。
一閃。下からの振り抜きで相手の右手首を切断。骨の隙間を縫うように通り過ぎた刀身が彼の飛び散った血を端から焼き尽くし、そのまま両手で持つ剣を弓でも構えるように引き絞る。
『い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!??』
「眠ってくれ。もう」
切っ先が丸太ほどもありそうな彼の喉を貫き、内側から気道も血管も焼き潰す。
肉は燃やし、骨は断った。だが直感でわかる。これでは『足りない』。
すぐさま剣を捻り傷口を抉ると、斜め上に向かって引き裂く。左手で鍔を殴りつける事で強引に首を引き裂いた。
ぶちりと音をたてて垂れ下がる鹿野の頭。そしてむき出しになる焼け焦げた断面。そこに切っ先を突き刺そうと剣を振りかぶる。
だが、第六感覚が警報を鳴らす。これは――足元!?
考えるよりも先に跳躍。突如足元から突き出した何本もの肉の塊がヴェールのように鹿野と自分とを遮った。
状況は変わった。だがやるべき事は変わらない。邪魔な肉塊ごとアレに止めをさす。刀身に魔力を流し込んで炎を噴射。加速と殺傷力を底上げし、地面を踏み砕きながら前へ。
次々と足元から肉塊どもが突き出し、時には上下左右選ばずにこちらへ向けられるその大口。
それらを一切減速することなく潜り抜け、あるいは切り裂き、燃やして押し通る。
最後の壁である肉のヴェールを横薙ぎに焼き払って、鹿野の体へと斬りかかり――。
『アアアアアアアアア―――ッ!!』
獣の咆哮と共に繰り出された七支刀の一撃で弾き飛ばされた。
人の体格しかもたぬこの身とは言え、炎による加速によって戦車砲を上回る破壊力をもっての突撃だったはず。それが、まるで子供の投げた球を大人が打ち返すように軽々と弾かれた。
肉塊どもが左右により、こちらと彼……いいや、あの獣との間に道を作る。
それはもはや、鹿野が人間だった名残すらも消え失せていた。
筋繊維がむき出しとなった右腕。全身の毛は赤黒く染まり、首は肉塊によって補修された影響か異様に伸びている。
『ギ、ギギ』
歯ぎしりをするように口を鳴らしながら口角より泡の混じった涎を垂らすその姿に、理性など欠片も視られない。
神獣と呼ぶにはあまりにも醜く、人と呼ぶには強大で、ただの獣と呼ぶには汚れている。
禍津獣。聞き慣れない言葉なれど、自分にはそうとしか表現できなかった。
「ああ――」
『ガフッ、フルルルルルル……!』
「貴方は間違ってはいない」
八双の構えをとり、目の前の怪物と相対する。
「村人たちが祀るべきは、俺ではなく貴方だったよ」
『ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――ッッ!!』
聞くだけで人の心を破壊しそうな雄叫びと共に、禍津獣は駆け出した。
* * *
サイド なし
うぞりと、重々しい音をたてながら土の下で眠る怪異は覚醒へと向かい始める。
神より堕とされた日より、いったいどれだけの月日が経ったのか。どれだけの苦渋があり、どれだけの代償があったのか。
それを知る者はいない。知る必要もない。だが、『神格』の一部を喰らったこの一側面は、再起のチャンスを手に入れた。
収穫の時はきた。逃さぬように囲んだ農園を、今こそ喰らいつくしてその身に力を取り戻す。
旧神の枠からも外された『元神格』が、新たなる地上の支配者となるために。人にとっては長く、神々にとっては瞬きのような時間の睡眠を終えようとしていた。
かの者は全てを喰らう。失ったモノも。手に入らなかったモノも。手に入るはずもなかったモノも。
理不尽に、暴虐に、ただひたすらに。いつかは眠り続けるかの神さえをも、喰らうために。
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