第百四十話 盲点
第百四十話 盲点
サイド 新垣 巧
「では、くれぐれも気を付けて」
「「了解」」
真っ白な濃霧の中へと竹内くんと細川くんが入っていく。
竹内くんはトルーパーを。細川くんはここに来た時も装備していた防護服を着ている。そして二人とも腰にはワイヤー。こちら側の木に端を固定しているので、ある程度進んだ後でも戻ってこられるはず。
この村へと向かう前はこの方法で戻ってこられた。だが村側から霧に入った場合も同じとは限らない。村人たちもこれほど霧が出続けた事はない為、霧の中を無理に進んだ事がないのでわからないらしい。
虎の子のトルーパーを突撃させるのは賭けになるが、例の肉塊と遭遇した場合を考えると行かせないわけにもいかない。竹内くんも二度は奇襲を受けないだろう。彼はそういう男だ。
つながっているワイヤーが時折揺れる。これの回数や揺れ幅を使って連絡を取れないか試しているが、なんとか使えそうだ。
そうして待つ事三十分。銃声と爆音が聞こえてくる。不幸中の幸いと言うべきか、ジョーンズ社の私兵から回収した武器を『蒼黒の王』が村を通さずに一部横流ししてくれているので不足はない。
ワイヤーの振動から彼らは戻ってくるらしい。念のため改めて周囲を警戒している所に二人が帰って来た。
「二人とも無事かね」
「問題ありません」
「同じく。トルーパーにも破損はなし。グレネードを三つ、アサルトライフルのマガジンを四つ消費しました」
「よろしい。では、例の物は?」
「こちらに」
細川くんが鈍い銀色のケースを差し出してくる。大きさはティッシュ箱程度。だが今の自分からしたら同じ重さの黄金に等しい価値がこの中身にはある。
「大変よろしい」
それを受け取り、不敵な笑みを深める。
いやほんと、笑わないとやってられない。
出て来そうになるため息を腹筋に力を入れて堪えるのは、もう今日だけで何回目か。だが指揮官が不安な姿を部下達に見せるわけにはいかない。命を預かる者達には、『強い上官』であらねば。
「では戻って調べようじゃないか。あの肉塊が、この村とどう関係があるのかをね」
* * *
おばば様の『好意』により提供された家屋を改造して作った簡易的な工房。持ち込んだ機材と、何故かやたら協力してくれた『蒼黒の王』によって作った物だ。
某使徒が関わった部分以外はどうしても簡易的なぶん調べられる範囲や精度は限度があるが、使えない事はない。
そこで例の肉塊から採取された血液や肉片を調べたのだが……。
「ふっ……おやおや、これは」
対象が乗った二つの魔法陣と、それら間に置かれた天秤。そのはかりの上には二種の魔法陣が書かれた紙片が置かれている。
村に来る時に持ち込んだ対象の魔力濃度と性質をはかる魔道具だ。濃度と性質が同じ場合のみ、これは床と水平になる。
結果は『同一』。片方は肉塊の血肉。ではもう片方は……。
「野土村のキノコが例の肉塊と同じ、ねぇ」
非常に扱いにくい魔道具だが、その分うちの所有する道具としては精度が高い。信用できるだろう。
だがその場合、このキノコは『どこ』から『どのように』生えているものなのか。一応菌の集まりに見えるのだが、こうなってくると色々疑わしい。
「地脈のデータを」
「はい」
壁に貼り付けられたこの村の地図。そこには赤い線で囲いが出来ている。それは丁度『村を囲う山の配置』とぴったり同じ。
あの霧、どう考えても『地面から』出ている。地脈由来のものであるのだが……地脈そのものが人を怪異に変えるなどほとんど聞いた事がないし、その数少ない事例にも今回の一件は合致しない。
こういう時本部のデータベースが使えないのが痛い。どうにか近い事例とその解決方法を知る事ができれば、この霧の突破にも役立つと思うのだが……。
「いや……」
「新垣さん?」
地図に描かれたここいったいの地脈を指で撫でる。
「この地脈、本当に地脈か?」
「は?」
隣の細川くんが疑問の声をあげる。なんだねその『とうとう過労で壊れたか』とでも言いたげな目は。君だってもう少しキャリアを積んだらこっち側になるんだからね?逃がさないよ?
この業界、そもそも前提が間違っているなんてザラにある。『それはそういうもの』なんて考えが一番の毒だ。
「ふむ……これはまた、外れてほしい予感だね」
それはそれとしてお腹痛い。なぁにこれ。切実にこの予想は外れていてほしいんだが?
「たしか、この村の歴史についておばば様の家に」
「新垣さん」
ノックがしたと思ったら、外から竹内くんの声が聞こえてきた。彼には見張りをしてもらっていたのだが、来客か?
「焔さんがいらっしゃっています。お通ししますか?」
「ふっ……ああ、通してくれ」
「はい」
数秒後、扉が開かれてそこから一人の鎧騎士が入ってくる。
黒をベースに蒼の装飾がほどこされた全身鎧。蒼の腰布を翻し、王冠めいた六本角。全身から放たれる威圧感もあって、誰もがこう評するだろう。
『蒼黒の王』
「お忙しい中すみません。いや、本当に。お疲れ様です」
そんなのが営業に来た新入社員みたいに入って来た。逆に怖い。
想像してほしい。数十隻の大艦隊がやってきてそんな感じで話しかけてくるのだ。もうね、いっそ高圧的な方がまだ脳の耐久値削らないよ?
「いえいえ。御身ならいつでも歓迎ですとも。ささ、こちらに」
「ああ、これはどうも。失礼します」
勧めた椅子に素直に座る使徒。うーん、脳がバグりそう。
対面に座り、努めて笑みを作る。あー、これ万一彼が暴れ出したら真っ先に死ぬ位置だわ。いや、そんな事をする相手ではないとわかっているのだが、どれだけ理性では大丈夫とわかっていても戦艦の砲塔に首を突っ込みたいかと。
「それで、本日はどのような?」
「実は、村の空気がかなりまずい事に……」
「ふむ、それは我々も感じていた所ですな」
とある仕事を任せた加山くんと下田くんから、ついでとして聞かされた報告。そこには村全体でいわゆる『楽勝ムード』が流れてしまっているのだとか。
まあそうもなる。使徒の庇護を直接与えられた外界とのアクセスが極端に制限された村。『箱入り』に随分と劇薬を与えたものだと心底思う。
「鹿野さんは不機嫌だし、村人たちは緩んでいるし、大前田さんは怪しいし」
「そうですか……」
「あ、そう言えばその大前田さんってどうなりました?」
そう、それこそが加山くんと下田くんに任せている仕事である。すなわち、自警団副団長である大前田氏の監視。
「彼なら今日も『蒼黒の王』がいれば村は安泰だ。その為にもどうにかして留まってもらうぞと、村人たちに告げて回っているそうですよ」
「うわぁ……」
本気で困った様子で兜に覆われた頭を抱える焔。
彼に対するプロファイリングが正しいのなら、困惑が強いだろう。彼らがそうする理由はわかっても、この使徒に対しては『足りない』。
「俺、この村に永住とか無理ですよ?せめて電気と水道ぐらいは……」
びっくりするほど人間社会に毒されてるな、この使徒……。
本当に発言だけ切り取ると普通の人間だ。善良な一般市民としか言いようがない。
だが目の前にいるのは歩く核兵器なんだよなぁ……一公務員が対応する案件じゃなくない?泣くよ?
「いっそはっきり言ってしまえばよろしいのでは?」
「ですが、そうすると今度は勝手に失望したあげく絶望して、大暴走とか……」
「ありえなくはないですな」
「ですよねー……」
ここの村人は村人で、本当に普通の民衆なのだ。メンタルが。
自分を守ってくれる絶対者が現れて浮かれて、しかしその絶対者は自分を守ってくれない。そうなったら、間違いなく勝手に絶望する。
そもそもな話し、『たかが』村一つで使徒を制御しようというのが間違いだ。やろうと思えば国どころか世界に喧嘩を売れる存在をその程度で買収できるわけがないだろう。
村人にとっての『国』とはこの小さな村一つなのだ。世界とも言っていい。外界から遮断されすぎたここは、まるで時代が遡ってしまったようだ。
ぶっちゃけ廃村あるあるな気もする。アップデートがね、出来てないのよ。この村の場合仕方のない部分はあるけども。
「申し訳ありませんが、これと言って明確な打開策はありませんな。強いて言うなら村人だけの力で襲撃者を『圧倒的に』返り討ちにできた場合ですが、これは大変難しい」
腐っても相手は世界最大の兵器会社の私兵。しかも違法改造済み。そんなのの襲撃を一切の被害なく撃退できるか?どう考えても無理だ。
辛勝はおろか普通の勝利でもダメ。圧倒的でないと村人たちはこう思う。『蒼黒の王がいれば』と。
「そう、ですか……」
まあそもそもな話し、その無駄な勧誘をどうしても止めたいとは思ってないんだけどね!
だぁって『蒼黒の王』に対するそういった勧誘がどれだけ効果的か。そしてどういう方向性がいいかとか、見極めるいい機会だし。
ついでに言うと、だ。
「自分にはこの空気がそこまでまずい物とは思えませんがね。無論、最善ではありませんが、次善ぐらいなら言える。これ以上を望むのは酷だ」
「え?」
疑問の声をあげながら顔をこちらに向ける焔。それに対し、優雅にコーヒーを飲む。持ち込んだインスタントだが、胃にしみる……。
というか、兜被ったままの相手にこれはセーフかな、今更だけど。失礼じゃないよね?
「浮かれているぐらいがちょうどいいと思いますよ。むしろ、正しく危機感を持ってしまった場合、彼らは『もたない』」
「もたない、ですか?」
「ええ。確実に崩壊します。村と言う小規模な集団すら維持できない。攻め込まれる前に散り散りとなってしまうでしょう」
断言できる。民衆の心とは弱く出来ている。というか、強かったら統治とか無理だし。
「人間、誰しも見たくないものは見ないのです。僕も含めてね。なんせ現実を見たらどれだけ自分が窮地にあるか知ってしまう。生きている意味を喪失させてしまうのです」
具体的に言うと一人娘が使徒を相手に好き勝手言っているとか。けど明らかに強い信頼関係が出来上がっているだとか。父親としての感情と公安としての感情がせめぎ合っているとか。
とりあえず娘とこの使徒のメールのやり取りについては一切見ないようにしているし、見た物は忘れた。ちょっと心と胃壁が耐えられない。
「人の視界は狭いのですよ。それが人の処世術とでも、言えばいいのですかね」
例えばそう、どれだけ『善良な一般人』と結論を出そうとも、眼前の存在を『使徒』とみている自分なんかも、ね。
あー、やだやだ。こんな大人、なりたくなかったのになぁ。
「人は、見たくないものは見ない……」
「さて……焔さん。『協力者』としてこちらからもご相談がありましてね。この村の、いいえ。ここの地脈と、例の肉片についてです」
切り替えよう。今ここにいるのは『新垣巧』という公安職員なのだから。
……妻が見たら、きっと呆れながら本の角で殴ってくるな。
「……それについて、俺も思っていた事があります」
「おや、ではせーので言ってみますか?」
「はい」
男二人、気味の悪い事にぴたりと声が揃ってしまう。
「「あの山々の下には巨大な生物が埋まっている」」
あの肉塊は『山の地下に住んでいる』のではない。
山そのものがあの怪物なのだ。
* * *
サイド 海原 アイリ
「ああああああああ………」
なぜ、なぜ私はあんな事を口走って……。
『その……もし、もしもですが。どうあっても色香に負けそうになった場合、家臣として、その……』
「死ね。十分前の私なんて死んでしまえ……ダメだ死んだら恩を返せない……!」
本当に、なんであんな事を言ったのだ私は!
いや、うん。剣崎さんを怪異の飼い犬にしないためには、決してハニートラップにひっかからせてはいけない。
私とてそう言った経験はないが、新城さんや九条さんとも意見が一致しているのだ。
『あの拗らせた童貞は一度体を許したらどこまでもド嵌りする。キャバクラで身を崩すタイプの馬鹿』
いや私はそこまで辛辣に言ってはいないけども。でも本質的な部分では、はい。
なんというか、能力は本当に人の域を軽く超えているのに危なっかしいのだ。我が恩人は。
恐らくだが、微妙に女性不信というか人間不信なのに性欲だけ突っ走っちゃった場合というか、不信がっているからこそ懐に飛び込まれると無条件で全てを差し出しそうというか。
海原家の教えで、怪異に惚れこんでしまった人間がどんな末路を迎えるのかは知識として知っている。更に言えば、あの神格には届かないまでも私達からしたら大差がわからないほどの異能が、怪異の手にわたったら?
一怪異が、剣崎さんの力を己が欲望のままに使ったらどうなるか。間違いない。人類は滅ぶ。本物の神格が降臨してその神気に触れて気が狂う。
それを回避するには、いっそ人間が彼のはじめてを奪ってしまった方がいい。それも理屈ではわかるのだが。
「あああああああ……!」
だ、抱く?彼を?もしくは抱かれ……いや剣崎さんは抱かれる側だわ。
お、お館様と仰ぐ方だし?受けた御恩を考えれば私の身など安いのだけれど?それはそれとして乙女の純情というか、そもそもこの感情は恩と恋でどっちなのかとか。
と、というか剣崎さんってこういうのどうなの?ふ、ふしだらな女って嫌われた?あ、ありえる。お婆ちゃんが言っていた。
『いいかいアイリ。あんたの話を聞いた限り、その剣崎ってお人は相当に童貞を拗らせたお方だ。無理に攻めの態勢をとるとかえって身を引いちまうから気をつけな』
や、やらかした……!
「あああああああああ!あああああああああ!」
その辺の木に頭を打ち付ける。私の馬鹿!未熟者!世間知らず!
「あの……あまり騒がしくは、あの……」
なにやら『あまり人をいれるのはちょっと……』と言って剣崎さんと一緒に入れてくれなかった人が言っているが、ちょっとこの乙女心の暴走を止められそうにない。
「すみませんんんんんんん……!」
「ですので、自然破壊はやめて頂けると……」
それはそれとして申し訳ないとは思うので、木へのヘッドバットをしながら謝罪する。
もうほんと、私の馬鹿……!
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
Q.そんなに怪異に惚れるのは危険なの?
A.クトゥルフ神話で大半の怪異は『人間=玩具・食料・敵対種族・苗床・ちょうどいい生贄・下等生物』のどれかとしか考えていないので、とても危険です。
Q.剣崎、童貞卒業したいのになんで海原を抱かないの?
A.へたれ拗らせ童貞としか言いようがありません。
剣崎
「恋なのか恩義なのかもわかっていない、特殊な環境で育った中学生を一時の感情でどうこうとか、人としてアレかなって。それはそれとして明確に自分の意思で『好きです。愛してます』って言われたら全力でゴールイン」
Q.海原の受けた恩ってどんなのだっけ?
A.自分が身も心も怪異に成り果てそうな時に助けてくれた。死にそうな唯一の肉親たる祖母を治療してくれた。島から碌に動けないのを移動可能にしてくれた。現在進行形で怪異の因子を取り除いて無害化してくれている。なお、これらは使徒パワーと賢者の石、イス人クラスの超技術を使って行われた。
ぐらいですね。
海原
「……もう人生かけて恩返しするしかなくない?」
剣崎
「だからって中学生が人生かけるのは色んな意味でどうかと思う」




