第百三十七話 立つ場所
第百三十七話 立つ場所
サイド 剣崎 蒼太
「スペンサーさん」
おばば様を振り切り村人たちの輪から抜け出して、自分が向かう先は決まっていた。
子供たちを連れて歩くその背中に、出来るだけ力を込めずに声を出したが大丈夫だっただろうか。
もしも声に本音が混じっていては教育に悪い。あのくらいの子供が知るべきではない感情だ。
「……『蒼黒の王』」
振り返ったスペンサーさんが、唇を一度舌で湿らせた後にこちらを真っすぐと見てくる。
「少し、二人で話したい事があります。すぐに済むのでお時間を頂けないでしょうか」
ここではぐらかすなら俺にも考えがある。そう言いたい事など、この状況でわからないほど愚かではないはずだ。
なんせ彼は『使徒』の戦闘能力を多少は知っているはずだから。それすらできないなら、『もういい』。
「わかったわ。妙子ちゃん、エマを少しの間だけお願いできるかしら」
「はい!任せてください!」
「ちょっと!私だって面倒ぐらい見れるんだから!行くわよ、エマ!」
「はい」
そうして離れて行こうとした三人が、こちらに振り返る。
「あの!さっきは助けてくれてありがとうございました!」
「そ、その……ありがとう」
「ありがとうございました」
仲良く頭を下げた後、改めて小走りに去っていく子供たち。
……ああ、きっと常であれば心温まる光景なのだろう。少なくとも、目の前の人物へ向ける炎への燃料とはならなかったろうに。
兜を被っていてよかった。こんな顔見られたくなかったから。
「スペンサーさん。まずは何故あのような事をしたのかお聞きしたい」
「……ここで奴らを足止めできるなら、するべきだと考えたからよ。あわよくばジョーンズ社の魔術師を減らせる。そうすればエマへの追手もしばらくは減るはずだから」
「俺は言いましたよね。エマちゃんには自己満足の範囲で支援すると。それでは不服だったという事ですか?村を巻き込まなければならないほどに」
「悪いけど貴方を信用しきる事はできないわ。会ったばかりですもの。背中を完全に預ける理由はないわ」
口調は厳しいが、戦闘の意思はないらしい。スペンサーさんの両手はだらりとさげられている。
なるほど。たしかに『自己満足の範囲で助けます!』なんて他人が言ったら信用できない。誰だって疑うだろう。
だからどうした、という話しだが。
「それで、俺が怒らないと思ったのですか?」
一瞬で間合いを詰め、彼の喉元に剣を突き付ける。あとほんの数ミリ動かせば切っ先が皮膚を貫くだろう。そうでなくとも、小指の甘皮分の魔力を流し込めば人の身など一瞬で消し炭にできる。
「あなた達に協力するのは個人的感傷だ。それが俺の怒りでもって覆されるとは思わなかったのか?」
この周囲に村人がいないのは気配でわかる。誰も彼もが『村を滅ぼしに来た政府軍』とやらの対応で忙しい。
故に、ここで本当に殺してしまっても誰も来ないし、今ならその政府軍とやらのせいにもできる。
「スペンサーさん。あなたが俺を通して誰を見ているのかも知らないし。今までどういう経験をしてきたかも知らない。というか興味はない。だが、忘れないで頂きたい。俺は『人間』だ。笑うし怒る。人の心をもった人の子だ。使徒だからなどと、力はともかく人格までも決めつけないで頂きたい」
この人は俺の『選択』を歪めた。選択肢を増やしたならいい。減らすのでもしょうがない。だが、勝手に歪めた。
端的に言おう。俺は今、個人的な怒りでもって誰かを殺したいと本気で思っている。
「謝罪するわ、焔くん。償わせて。私に出来る事ならなんでもね」
そう言って、スペンサーさんは銃に向かいかけていた手を左右に開いて見せる。
「あなたの流儀を私は知らない。手足でも内臓でも、寿命でも構わないわ。けど命だけは勘弁してちょうだい。あの子が安心して暮らせるその日までは、死ぬわけにはいかないの」
「……それが『魔法使いの流儀』ですか」
「ええ。このもめ事なら、手足の一本が妥当とされているわ。一本と言わず好きなだけもっていきなさい。それが私にできるせめてもの誠意よ」
「では、腕を一本頂きます」
「そう。優しいのね。右でも左でも好きな方を」
「あなたのではない」
「……は?」
剣を引いて数歩下がり、視線を明後日の方向へと向ける。それは先ほどエマちゃん達が去っていった方角だ。
「あなた、未だに俺みたいなお人好しは縁も情を切れないと思っていますね?」
視線をもう一度スペンサーさんにもどす。
あの表情、どうやら本気でわかっていないらしい。どこかで『常識とはその者の偏見だ』などと聞いたが、なるほど。魔法使いにとっての『常識』はそうらしい。
「舐め過ぎだよ、あなた。本当に守る気があるのか?」
ここにいたのが他の使徒であれば。それこそ鎌足であったなら既に首を刎ねている。魔瓦であったら死ぬより辛い目にあっているだろう。人斬りは契約次第。金原はいかに彼女をおだてられるか。アバドンならそもそも会った段階で食われている。
自分で言っていておかしな話だが、彼らは俺と出会えた事を幸運に思うべきだ。傲慢な感想で反吐がでるが、理性はそれを肯定している。
なんにせよ、使徒に。力を持っているだけの常人にそんな事をして、暴発しないと本当に思っているのか?
「魔法使いがどれだけ感情的にならない生き方をしているのか知りませんが、俺には適用されない。そちらの道理だけで決めるな。俺が、決める」
「まっ……あの子は、関係」
「ありますよ。あるに決まっているでしょう。それに、あなたは目的の為なら己の手足だろうが内臓だろうが、尊厳だろうが平然と犠牲にできる。だから、『いらない』」
ケジメの問題だ。そして、ケジメは相手にとって最もしてほしくない事でなければならない。
「あなたのせいであの娘が腕を失う様を見ていてください。無論、抵抗してくれて結構。ですが、俺と戦った後に諸々を片付けられるのなら、ですが」
スペンサーさんの顔が油汗でびっしりと濡れる。ようやく余裕綽々とした表情が崩れたか。
はっきり言おう。遅い。
「へい、か。『蒼黒の王』陛下。申し訳ありません。ですがどうか、どうかあの子だけは」
「冗談ですよ?」
するりと、剣を消して両手を上にあげる。
「……」
「あの子を傷つけるなんて、そんな酷い事を俺ができるわけがないでしょう」
本心である。ここで大人のやらかしを子供に押し付けられるメンタルをしていたら、ここまで精神的に追い詰められていない。
俺のメンタル強度をなめるなよ?豆腐だぞ?
「初手で、悪いと思ってもいないくせに謝罪をしなかったのだけは嬉しかった。だから今回だけは見逃します。本当に感謝してくださいね?」
理性を総動員させて、ほとばしりそうな魔力を抑える。
怒ったから誰かを殺す。四肢を切る。それは今の人の世に反する。俺は人間だ。獣にも原始人にもなるつもりはない。
「ええ、はい。けど一応言っておきますね?」
そっと、軽くスペンサーさんの首を掴む。本当に触れるだけと言えるほどに、力なんてこめずに。
「次はありません。その時は俺も心を鬼にします。人の心ではなく、ね」
それでも、堪忍袋には限度があるのだ。何度も言うが、人なので。
「……感謝します、王よ」
「違いますよ」
もう彼に用はない。手を放して背を向ける。
「俺を呼ぶのならば王でも使徒でもないはずです。名乗ったのですから」
「……礼を言うわ、焔くん」
「ええ。あの子への謝罪はこの村にいる間の戦闘として返させてもらいます。では」
軽く跳躍してこの場から離れる。
向かう先は決まっている。海原さんと女子高生達が心配だ。そして新垣さんにも合流しなければ。
あー……。
「我が人生ながら、生きづらいなぁ」
* * *
例の宿泊地に戻ると、そこには海原さんに女子高生達。そして新垣班の皆さんと、ちょうど全員が揃っていた。
「おや、焔さん。随分と面倒な事態になりましたね」
「新垣さん、早速ですが情報はどれぐらい把握していますか?できれば色々と共有したいのですが」
着地してすぐに、挨拶もなしで本題に移る。それでも彼は肩をすくめるだけだった。
「ええ、喜んで共有しようではありませんか」
相変わらずの不敵な笑み。全身から余裕を漂わせながら、新垣さんが語りだす。
「まず、村に侵入した謎の部隊はジョーンズ社の私兵で間違いありませんね。直接の戦闘はしていませんが、間違いなく改良型のインクイジターを装備しているようです。まあ、様変わりしていましたがね」
「ええ、霧の影響で変異した体と融合していました。ただ、理性は残っているようです」
「あれは理性と言うより、入力された事をやっているだけですよ。精神攻撃の類は受け付けないと考えるべきでしょう。それと、ここに彼らが来た理由について教えてほしいのですが?貴方の家臣からはそこまで聞けておりませんので」
そう言って新垣さんの視線が海原さんに向かう。既にアマルガムを纏い戦闘態勢に入りながら、彼女は女子高生達の傍にたたずんでいた。
「家臣たるもの、全ての情報を打ち明けるわけにはいきません」
「家臣じゃないです」
ありがたいけども。情報の出し方を選ばせてもらえるのは。だからって自称家臣を吹聴しながら胸を張るのはやめてくれ。せめて胸を張るなら私服の時にしてくれ。
まあ、情報に関して新垣さんにだから全ブッパでいいだろう。
「実はこの村にジョーンズ社CEOのひ孫が来ています。勿論、会社には無断で」
「ほう、それはまた」
「そしてそのひ孫は俺と同じ使徒、鎌足尾城の娘です」
「ふっ……なんともまあ」
「俺は一応その子を護る契約をしましたが、それはこの村の中で、今回の戦闘のみです。正直仲はよくないですね。保護者の方に喧嘩売られましたので」
「ふっ……使徒の娘の保護者と喧嘩、ですか」
「村人たちはジョーンズ社と全面戦争をするつもりですよ。あと、俺の戦力をあてにしている節があります。冷静じゃないですね。熱狂状態だ。色々あって、アメリカ政府が村を滅ぼしにきたと勘違いしています」
「ふっ……ふっ……」
新垣さんが眼鏡の位置をなおし、するりと目を細める。
「……焔さんはこの村に協力するおつもりで?」
「最低限は。一宿一飯の恩がありますし、そうでなくとも契約の内容と部分的に一致します。逆に、新垣さんはどうするおつもりで?」
「自分達はこの霧の脱出方法を探しつつ、自衛のために応戦ですね。勿論、警官として一般人達も守りますよ」
「そうですか……」
新垣さんと一緒に行動できないのは残念だが、そうして動いてくれるのも頼もしい。
「ではお互い協力していくという事でいいでしょうか?『一般人』である俺がしゃしゃり出るのはお門違いだとは承知していますが、やらねばならない事があります」
「ふっ……こちらこそ。焔さんを頼りにさせていただきますよ」
そう言って握手した所で、村の方から気配を感じ取る。これはおばば様と鹿野さんか。
おばば様を背負った鹿野さんがこちらに駆けてくるのを目視。あちらも俺に気づいたようで、少し驚いた顔をしている。
「これは『蒼黒の王』陛下。家臣の『方々』と意見の交換を?」
「俺に家臣はいませんよ」
「私だけです」
「いません」
なんか馬鹿が馬鹿を言っているが今は無視だ。この子この村に来てからやけに積極的だな。
「ほう……では、そこのお役人たちは御身の指揮下にないと」
「無論ですね。彼らを従えた事など一度もない」
おばば様の気配が変わる。鹿野さんもだ。それは怒りと警戒。恐らく新垣さん達を敵と考えているのだ。それに応じるように新垣班の皆さんも戦闘態勢に入る。
流石に事態が飲み込め始めたのか、女子高生達も恐怖で息を飲んでいる。危険を感じ取ったのだ。
なるほど。このタイミングで日本政府の人間が村に来たとなれば、ジョーンズ社を手引きしたと思うのも仕方がない。
「お待ちください」
だがそれは杞憂に過ぎない。この場で戦う理由などないのだから。
「確かに俺は彼らを従えた事はありませんが、ここにいる新垣さんは『俺を保護してくれる人』です」
「「「……は?」」」
先ほど彼は『一般人を護る』と言ってくれた。なんと頼もしい。申し訳ないが、早速頼らせてもらおう。
「まず先ほどは言えませんでしたが、勘違いを正させて頂きたい。俺はこの村の為に戦闘をするつもりはありません」
「ええ!?」
「……やはり、そうなりますか」
驚く鹿野さんとは対照的に、おばば様は冷静に頷く。彼女も先ほどよりは落ち着いたようで、俺がジョーンズ社の私兵を切ったのは『善意』であって『宣言』でも『義務』でもないと気付いたのだろう。
「ここにやってくるジョーンズ社の私兵との戦闘はしますが、目的が違います。それをはっきりさせておきたかった」
「それを語らず、我らを利用してもよかったものを。お優しい方だ」
「まさか。そうなればお互い大変な事になる。いやですよ、俺は」
この婆さん、さてはそれに気づいた後も勘違いしたふりをして、俺をなし崩し的に協力させる気だったな?短い間に俺を情で操作できる人間と察したか。なし崩しに村人たちと行動を共にさせられれば、正直言って多少の肩入れはしてしまうかもしれない。
だが、それはこの新垣さんが止める。
「俺の立ち位置は『ここ』です。少なくとも今回は、ね」
そう言って新垣さんの斜め後ろに立つ。ちょうど細川さんと対になる形だ。ポジションを奪った形の竹内さんにはちょっと申し訳ないが。今回だけなので勘弁してほしい。
「なんと……!?役人が、使徒を制御している、と言うのですか……!」
おばば様が目を見開き、まるで信じられない光景を見たとでも言うように後退る。
いや、冷静に考えてほしい。俺は極論通りすがりの一般人だぞ?
そしてこの村には『謎の隠れ里』と改造兵士な『ジョーンズ社の私兵』、最後に『特殊だけどお巡りさん。しかも知り合い』がいるわけだ。一般人がどこにすり寄るかなど自明の理だろう。
「ふっ……なんのことやら」
「単独で動く事もありますし、普段から指揮下にいるわけではありません。ですが、この人になら任せられる。いざとなれば俺は新垣さんの指示に従いますよ」
この人が信頼できる人だと知っている。今生において最も格好のいい『大人』だ。
「ば、馬鹿な……この男は、いったい……!」
おばば様が、いいや、この場の全員の視線が新垣さんに集まる。
ある者は畏怖。ある者は恐怖。ある者は安堵。ある者は疑惑。あと何故か憐憫の視線な海原さん。いったいどうした。
しかし、それらの視線を一斉にあびようと、新垣さんは余裕の笑みを崩さない。
「ふっ……やれやれ。まあ、仕事はさせて頂きますよ」
ニヒルな笑みを浮かべて、彼はおばば様に軽く腰を曲げる。
「色々と、お話しをしようじゃありませんか。お互いのためにね」
読んで頂きありがとうございます。
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新垣さん
「警察官として一般人を護ります」
自分の事を一般人だと思っている実際立場は一般人な使徒
「お世話になります!」




