第四章 エピローグ 下
エピローグ 下
サイド 尾方 響
「佐藤三郎、たぁだいま戻りましたぁー!」
「おかえりー。その偽名気に入ったの?」
貸し切りにされた映画館のシアターの扉を勢いよく開き、入ってきたのは真世界教の幹部こと『落ち武者』だった。
どうでもいいが、なんで突然ここに集められたのだろうか。いつもの朽ちた教会でもないし。
「特にこだわりはありませんが、プリンス君に名乗ってしまいましたからねー。そうそう変えるわけにもいかなくなったなと」
「ふーん。けどそれ、たぶん公安に目をつけられた名前だろうから使わないでね?」
「手厳しい!?」
にっこりと笑みを浮かべながらも冷たくあしらう褐色のシスターに、落ち武者がショックを受けた様に胸の前で両手を固めながら片足をあげる。正直きもち悪い。
だがシスターの少女は気にした様子もなく、首をコテンと曲げる。
「で、私の息子の成長記録は?」
「……あっはー!?こーんな所にお土産の『ふぐ刺し饅頭』が!」
「ありがとう。後で美味しく頂くよ。で、成長記録は?」
「……ふぅ」
持っていたお土産の箱を近くの座席に置くと、落ち武者は無駄に綺麗な土下座をした。
「誠に申し訳ございません。主上のお子、我らが王子の記録を持ち帰る事ができませんでした」
「ふーん」
部屋の空気が一気に張り詰めたのがわかる。冷房の効いている室内だったとはいえ、室温がマイナスまで下がったかのようだ。
まったく関係がないというのに、同席する自分と花園さんまで呼吸が一瞬止まった。だがそんなのは生ぬるい方だ。
「私、とっても楽しみにしていたからこうして『貌の一つ』が経営している映画館を貸し切りにしたんだけどなー」
シスター服の少女――邪神の視線にさらされる落ち武者にいたっては、物理的に重圧が発生。周囲の椅子がバキバキと押しつぶされ、中央にいる彼自身からも異音が響く。
このままだと間違いなく死ぬ。その直前、邪神の重圧が消え失せた。
「まー、しょうがないか。お使いを頼んだだけだし、そこまで怒りはしないよ」
カラリと笑う少女。先ほどまでの威圧感は嘘のように、今は無邪気な笑みを浮かべている。
ああ、ただの冗談だろうとも。邪神が本気で怒りを覚えたのならこの程度で済むはずがない。少なくともそこの落ち武者は死ぬよりも酷い事になっているのは確実だ。
だが、それでも全身の骨が砕けたか、一部は皮膚を突き破って大量の血さえ流している様子だ。いかに落ち武者が魔術師と言えど、あれでは遠くないうちに死ぬ。邪神の戯れはただ人には過ぎたものだ。
アレを只の人と言っていいかはわからないが。
「ありがたき幸せ。主上の寛大なお言葉に感謝を」
圧縮されて壊れた人形が逆再生でもするかのように、立ち上がりながら体を復元していく落ち武者。常人が見れば悪夢の類かと悲鳴をあげ、場合によっては気が狂うかもしれない。
しかしこの場にまともな輩など存在しない。勿論、自分も含めて。
「代わりと言ってはなんですが、私の『視界』だけでも……」
そう言って落ち武者が自分の頭部に触れる。
額の辺りにずぶりと指を入れると、そのまま側頭部に生えた髪にそって頭が開いたのだ。まるで車のトランクでも開くぐらいの気安さで。
本来なら見えるべき頭蓋骨はおろか、そこには脳みそさえも存在しない。上映などされていないシアターの照明は、しっかりとその中身を照らし出した。
「っ……」
思わず声をあげそうになるのを堪える。隣では花園さんが『きもー』とぞんざいに言っていたが、正直気にしていられない。
蛆がわいていたのだ。落ち武者の頭部。その内側にはいっぱいに蛆が敷き詰められ、うねうねと蠢いている。
落ち武者は平然と二、三匹ほど指でつまむと、頭を閉じて恭しく邪神へと差し出した。
「どうぞ。あの研究所での記憶にございます」
「うーむ。よきにはからえー」
跪く落ち武者から満足げに蛆虫を受け取った邪神が、上を向いて大きく開いた口にそれらを放り込もうとする。
「待ってマイハニー!それは流石に汚い!キッスする時に気になっちゃうよ!」
「なーんて酷い事を!私の体の一部が汚いと言うのかい!?」
「おっさんの体なんて頭のてっぺんから爪先まで汚いわい!」
「はー?貴女だっておっさんとおばさんから産まれた存在ですがー?謝りなさい。全国のお父さん達に謝りなさい!」
「いーやーでーすー」
「あーやーまーれー」
子供みたいに喧嘩する落ち武者と花園さん。一見いい大人が馬鹿をやっているだけの滑稽な姿だが、先の落ち武者が見せた中身がちらついて不気味さしかわいてこない。
「うーん。しょうがないなぁ」
そう言って邪神がどこからともなく髑髏を取り出すと、頭部を開いてそこに蛆虫を放り込む。
「ほら、特製の映写機に入れたから、もう喧嘩はやめなさい」
「「はーい」」
狂っている。こいつらは本当に、まっとうな存在ではない。
思わず苦笑が漏れた。はたしてこんな思考がいつまで出来る事やら。それ以前に、今の自分はそんな風に思う権利があるのやら。
「けどさぁ、お使い一つまともにこなせなかった落ち武者が悪いんだるぅぅぅぅろぉ?なんで記録を持ち帰れなかったのさ」
混ぜ返す様にそう花園さんが嫌味を言うと、ピタリと落ち武者の動きが止まる。
「うん?どした?」
「ぎ」
「ぎ?」
「ぎぇぇええええええええええ!」
「うぉう!?」
驚いて花園さんが椅子からひっくり返るが、それも無理はない。
突然落ち武者が叫びだしたかと思えば、自分の首をガリガリとひっかきだしたのだ。皮膚を裂き血がダラダラと流れるのもお構いなしに、爪は血で染まっていく。
「あの男!あの男またもや!何度我らの邪魔をすれば気が済むのか!ああ、あああ!許すまじ!許すまじぃぃ!」
驚いた。人間に興味を抱かない彼が、ここまで明確に憎悪を表している。落ち武者が『本音で』誰かに恨み言を叫ぶ姿など初めて見た。
そこでふと、足元に冷気を感じた。視線を床に落とすと、落ち武者の足元から白い靄みたいな物が広がってきているのだ。
「があああああああ!」
一際大きい雄叫びをあげたかと思えば、落ち武者が頭を乱雑に開いて一掴みほど蛆を手に取り勢いよく床へと叩きつけた。
衝撃で潰れる蛆たちへと、怒りが収まらないのか落ち武者は何度も地団太を踏むようにして靴で潰していく。
それが数秒ほど続き、落ち武者が随分とスッキリした様な顔で笑みを浮かべる。頭を開いたままで。
「お騒がせしました。いやぁ、あの男の事になるとつい」
「あの男って……」
思わずそう声をもらすと、勢いよく落ち武者がこちらに振り向く。その勢いで何匹か蛆が床に落ちた。
「よくぞ聞いてくださいましたお嬢様!」
「その呼び方はやめてください」
「では響君!いかにあの男が、政府の薄汚い走狗が下劣なる悪漢であるかをお伝えしましょう!」
大仰に身振り手振りを交えながら、落ち武者が語りだす。
「我らが教祖、魔瓦迷子様がまだご存命であった頃!奴は我らにあらぬ因縁をつけてきたのです!公僕でありながら一切の警告もなしに発砲なんて当たり前!街をあるけば敬虔な信者が攫われ洗脳され、帰って来たと思えば拠点や工房を爆破する為の爆弾が体に仕込まれていたなんて数知れず!そうでなくとも幹部たちは次々と毒や狙撃、トラックの衝突などで殺されて行ったのです!ああ、わが友たちよ!なんと無残な!」
……よくわからないが、確かに褒められた手段ではないのだろうな。人を洗脳して爆弾を体に埋め込むとか。
だが。
「奴の度重なる悪辣な行いはエスカレートするばかり!その上、真世界教についてあらぬ悪評まで流される始末。これ以上アートに損害を受けるわけにはいかないと、教祖は北海道へと本拠地を移す事にしたのです!なんと、なんと卑劣な輩である事か!我らはただ芸術を広めていただけなのに!」
人を殺して遺体を弄んだのを『作品』と呼んだり、見ただけで精神が侵される絵を嬉々として並べる様な奴らを撃退したのなら、その政府の人凄く偉いのでは?警察かは知らないが、滅茶苦茶がんばったのでは?
そう思うが、口にしたら長くなりそうなので小声で『そうですねー』『酷いですねー』と流しておいた。
ああ、会長。貴方も面倒な先輩や教師に絡まれた時、このような気持ちだったのですね。
「はいはい。その辺にして私の子供の成長記録を見ようじゃないか。今スクリーンに映すから」
「ああ、主上!どうか、どうか忌まわしきあの男の名を教えてください!顔だけでも構いません!どうか、どうかぁ!」
「だめー。それじゃ面白くないからね」
「ああああああ、そんなぁあああああ!」
悶える落ち武者に、クスリと邪神は笑みを浮かべる。それは楽しんでいるというよりは、嘲笑うタイプの笑みだった。
「けどヒントはあげよう」
「ヒント、ですか?」
「そう。とびっきりのヒントさ」
打ちひしがれたように膝をついた落ち武者に、座席に腰を下ろしながら邪神は振り向きながらこう言った。
「知り合いを六人たどれば世界の誰とだって繫がりがある。そんな考えが人の世にはあるらしいよ?」
* * *
サイド 新垣 巧
「ええ。どうもありがとう。報酬は指定の口座に入れておくよ。では」
通話を切り、小さくため息をつく。
ぽんぽんいたい……。
宿泊しているホテルの廊下を歩きながら、マッドどもに作って貰った水なしで飲める胃薬をケースから取り出し三錠を一気に飲み込む。
現在七十七連勤。仕事に逃げたいとは一時期思ったが、今は仕事場から逃げたい。そんなおじさん心をどうかわかってほしい。
国立海洋博物研究所。以前からきな臭い噂はあったが、上層部が隠蔽していたので深くは探れなかった。
流石に自国の研究所で無茶な事はせんだろうと思っていたらコレだよ。
なんだアバドン細胞の研究って。しかも木山所長の独断はほとんどなくって直前まで国の方からゴーサイン出していたって。馬鹿かよ。
政治屋どもめ。国の税金以外にもよほど『お友達』から小遣いを貰っていたと見える。
ニュースでは研究所のある人工島『ゆりかご』で発生した謎の大火事について放送している。
奇妙な蒼い炎に包まれた研究所は燃え尽き、中にいた職員や見学に来ていた外部の客達も全員焼け死んだとアナウンサーが言っているのを、部屋のテレビで確認した。
その後少し調べたが、概ね『研究中の事故』と処理されるようだ。しばらくは国立の研究所と言う事もあって管理体制に非難が殺到するだろう。
まあそれは僕が対応する事じゃないから知らん。問題は、いつの間にかこちらが担当する事になっていた案件だ。
蒼い炎って……しかもアバドン細胞の暴走を研究所一つにおさえられる存在なんて一人しかいないじゃん……。
大慌てで島への移動ルートにある駅などの監視カメラをチェック。愛娘と憎いあんちきしょうが仲良く歩いているではないか。くそが!
とにかく二人に繋がりそうな情報は全て消去。ついでに研究所内の監視映像も衛星を経由して電波障害が直るなり破壊した。
しかも、だ。もしかしたらあの男も関わっていたかもしれない。
真世界教最高幹部が一人。『落ち武者』。
経歴、年齢、本名、人種など、その一切が謎の男。そいつが同じタイミングであの島にいたのだ。
奴ら真世界教を関東圏から追い出すのには苦労した……娘の近くにあんな奴らがいたら危険すぎると、独断で排除に動いたのだ。
上の方は癒着か脅迫か。あるいは危機感の欠如か。ゴーサインを出してくれなかったので全て自分自身と個人的な伝手だけでやったのを覚えている。
あれは、マジで死ぬかと思ったなぁ……何度か教祖である魔瓦迷子とニアミスしたので、見つかっていたら確実に終わっていた。
幹部と呼べるものは粗方殺したが、落ち武者だけは仕留めきれなかった。
真世界教は教祖が死んだ後もまだまだ活動を続けている。はてさて裏にいったい何がいるのやら。落ち武者は確かに優れた魔術師だが、それだけではあるまい。
……あ、なんかお腹痛くなってきた。
追加の胃薬を口に入れながら廊下を歩いていると、向こうから走ってくる人影が。
「班長!」
「どうしたのかね江崎くん。あまり騒いでは他のお客さんに迷惑だよ」
新入りの江縫美恵子……現在は『江崎』を名乗る少女に余裕のある笑みを見せながら、全方位に意識を張り巡らせる。
いかに新入りとは言え、素質の高いこの子がここまで焦る。いったいどんな厄介ごとなのやら。
「班長の持っている刀が『蒼黒の王』陛下の作品というのは本当ですか!?」
あ、これ別の意味で厄介ごとだわ。
「それがどうしたのかね」
「是非一度見せてください!お願いします!」
「君ね。竹内君から苦情がきているよ?機体の前で五体投地をしていて整備の邪魔だと」
「そんな!日に一回は陛下への祈りを捧げないと!」
うーん、この。
まさかとは思うが、あっさりとこの子がうちに配属されたのって『蒼黒の王』係だからとか言うまいな、我が上司殿よ。
「お願いします班長!なんでもします!なんでもしますからどうか!どうかご慈悲を!」
「ふっ……やめたまえ江崎くん。レディがそんな大声を出すものじゃないよ」
本当にやめて。僕らこれでも秘密の存在だよ?そうでなくても中年男性に泣きながら『ご慈悲を』って言う女子高生の図を考えようね?このフロアがうちの息がかかっている所じゃなかったら死んでるよ?僕が。
「わかった。次の休暇にでも見せよう。それでいいかな?」
「ありがとうございます!」
大きく頭をさげる江崎くんに内心でため息をつく。
うちの業界は何よりも『狂気への耐性』が重視される。戦闘能力や捜査能力は二の次だ。
その点、彼女は素養が高いとも言えるし、逆に失格とも言える。他に信仰をもっている人間は異形と遭遇しても精神を元のまま保ちやすい。反面、信仰の対象には攻撃できないどころか敵対したらこちらを攻撃する可能性すらある。
はっきり言って危うい。ご家族の復讐をはたせたのは我ら公安と『蒼黒の王』のおかげと思っており、特に『蒼黒の王』については熱心に信仰しているようだ。
「ほらほら。明日は朝一の新幹線に乗るんだ。もう寝なさい」
「はい!失礼しました!」
無駄に綺麗な敬礼で去っていく江崎くん。ああ、疲れる……。
だがそれでも明日はようやくの休日だ。再三にわたる有給申請がついに通ったのだ。これで平均睡眠時間が二時間の職場から逃げられる……!
明日はしばらくぶりに家へ帰ろう。いい加減娘と向き合うべきだし、何よりお父さん寂しい。娘の為に今の仕事をしていると言っていいのだ。
輝かしい明日を思い浮かべながら歩いていると、仕事用のスマホに着信が。
すっごく嫌な予感はするが、いつも通りワンコールで出る。
「こんばんは、新垣です。ええ、お世話になって……なるほど」
電話越しにニヒルな笑みを浮かべてみせる。
「ふっ……了解しました。お任せください」
連勤記録更新が決定した瞬間である。
ああ、我が娘よ。寂しいだろうが、待っていてくれ。お父さん、ブラックな社会の荒波の中でも頑張るからね……!
読んでいただきありがとうございます。第四章も書き終える事が出来たのは皆さまのおかげです。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
この少し後に第五章『復讐の先』のプロローグを投稿させて頂きたく思います。
Q.そう言えば四章にいたナンパ男たちってなに?
A.落ち武者が魔術関係なしの心理誘導でしかけたテコ入れです。
あそこで明里がフリーでいると、剣崎と話す木山の様子を遠目にでも観察してその狂気に気づきかねません。
そうなった場合、アバドン細胞をばら撒く前に剣崎が第六感覚でアバドンの存在に気付き、二人そろって地下に特攻。細胞がなければ壁や床を壊して直通で行けるので。
美国がライフルを。剣崎が試作品のヒートガンを乱射して地下のアバドンとアリシアクローンを攻撃。戦闘モードに入った使徒の魔力で研究所の職員や警備員、見学客は逃走。
そうこうしている間に剣崎の固有異能が再使用可能に。美国の援護を受けながら斬りかかってアバドンの残骸もアリシアクローンも燃やされます。
のんびりとロケットも燃やして、木山教授を捕縛する事で事件解決。剣崎の心にほんのり傷をつけるだけで終了してしまいます。




