第百九話 ニードリヒ
第百九話 ニードリヒ
サイド 剣崎 蒼太
窓は全てシャッターで閉じられているものの、廊下は明かりがついているので視界には困らない。
だが代わりに扉が多い。それもあって方向感覚が混乱しそうだが、幸いな事にナビ役が二人いた。
「今この辺ですね」
「うーん、これならすぐに西棟の地下についちゃいますねぇ」
パンフレットに付属している地図にペンで書き込みながら、西棟の地下一階を目指している。
というのも、先の放送で『西棟の地下一階でパターンα』と言っていたのだ。とりあえずそこが今回の一件に関わっていると思われる。まあ、普通にブラフかもしれないのだが。
一番いいのは『ガイドさんの言う通り、ただの火災報知機のトラブルだった』だ。感じ取った魔力は偶然通りがかった敏腕魔法使いでしかなく、自分達はただのうっかり三人組だったと。
本当にそうであってほしい。ガイドさんに土下座すれば済む話であってほしい。いや、佐藤さんは捕まるかもしれないけども。そこは自己責任という事で。頑張れ社会人。
ただまあ、そんなのは願望と言うにもおこがましい『妄想』でしかないのだろうが。
「二人とも、下がってください」
「はい?」
「佐藤さんこっちです」
襟首を掴まれて引きずられる佐藤さんの代わりに前へと出た。
視界の端で明里が『美国』を腕輪から実体化させるのを確認する。
体高二メートルほどの鋼の戦士。大きさのおかげでスリムにみえる体つきだが、近くで見ればかなりの威圧感がある事だろう。
黒と灰色の都市迷彩カラーをしたこのゴーレムの背には二本のサブアームが取り付けられており、左側に全身を隠せそうな大盾。右側には細長い箱を保持している。
彼女の護衛用にカスタムを続けたこのゴーレムだが、今は俺に任せてもらうとする。この通路では美国の基本的な戦い方は適していない。
「何かが来ます。友好的とは言えない、人外が」
一直線に長い通路の先、少し遠くに見える曲がり角。そこからひたひたと音がする。皮膚が直接床に接しているような、しかし所々に硬い音も混ざっている。
それに少しだけ遅れてやってきた刺激臭。腐った生魚を肥溜めにでも放り込んで三日間放置したような。そんな臭い。
佐藤さんの前だが、やむを得ない。
「おおっ!」
鎧を身に纏い、手に指輪から変化させた剣を呼び出す。固有異能の剣は……あと少し。あと少しで使えるはずだが、今は出せない。
肌を舐められているかのような不快感。それでいて巨大な肉食獣の口が目の前にあるような危機感。それが同時にこの身を包んでいる。
間違いなく、この先にいる何かは強い。『偽典・炎神の剣』が出せないのを本気で悔やむほどに。
『ア、ァァァァァ……』
それは、一言であらわすなら『二足歩行する深海魚』だった。
基本的な骨格は人間に近い。二本の足で歩行し、暗がりで見れば一瞬だけ人間と見間違うかもしれない。
だが明かりのある所で見れば、誰であってもアレが人間でないとわかるだろう。
全身を覆う滑りのあるブヨブヨとした、黒に近い灰色の皮膚。所々に鱗のような物が見受けられ、背中からはピンク色の触手が二本。人の胴体ほどもあろうかという太さの手足。全体的に大柄なその怪異だが、右腕は他よりも明らかに肥大化している。
だが最も目を引くのはその体格でも、異臭でも、右腕でもない。
目だ。ぎょろりと輝く黄金の一つ目。奥に向かって長い頭部で、ひときわ目立つその瞳。
「二人とも美国の陰に。できるだけ頭を出すな」
剣を正眼に構え、怪物を見据える。
対する怪物もこちらをじっと見つめる。その視線がどんな感情を含んでいるかは読み取れない。しかし、何かがあるのだけはわかる。第六感覚が不完全ながらも奴の感情を受信している。
「アレは、初見で余裕が許される相手じゃない」
バキリと、怪物の顔から音がする。顔面中央にある眼球の真下。そこが横一文字にひび割れたかと思えば、隙間だらけで長さ違いの、嚙み合わせの悪そうな牙が覗く。
『アアアアアアアアァァァァ!!!』
決して広いとは言えない通路で、互いに正面から突撃する。
足元の床を踏み砕きながら前へ。突き出された奴の右手とこちらの剣が衝突し火花が散る。衝突は拮抗。こちらは両手持ちだというのに、奴の右手一本と互角か。
剣越しに迫る黄色の六本指。左手と違い右掌の形状は人間とはかなり違うか。
その時、ざわりと第六感覚に悪寒が走る。よくわからんが、このままだとまずい。
剣の力を一瞬緩めて奴の右手を引き込むと、流れたその腕を刀身で跳ね上げる。
ほぼ同時に奴の右手が発光。バチバチと空気が焼ける音がしたかと思えば、雷撃が周囲にまき散らされる。ほんの一瞬だけ周囲が雷光に包まれた。
閃光の直後に照明が壊されて周囲が暗くなる。だが互いにそれで相手を見失うような感覚はしていない事など、今の攻防だけでわかった。
「あまり周囲を壊さないでー!?」
「頑張ります!」
佐藤さんに短く返しながら、怪物の首を狙う。
しかし視界の端で奴の背中にある触手が動いたのが見えた。鋭い先端がこちらへと向けられる。
「っ、のぉ!」
すぐさま振るおうとした剣を引き戻し、自分の顔面目掛け弾丸もかくやという速度で突き込まれた触手二本を、刀身を回転させるように斬り捨てる。
右腕はかなり頑丈だが、触手は、いいやそれ以外はそこまでの強度はないと視た!
「そこぉ!」
不慣れな構えだが、コンパクトに腕を振るい右手一本で突きをねじ込む。フェンシングと明里の軍隊格闘技の見様見真似。右足で強く踏み込みながら、黄金の一つ目めがけて切っ先を放つ。
たとえ慣れぬ動きとはいえこの身は人外の領域。当然のように切っ先の速度は音速を超えている。
だが、奴はその右手であっさりと刀身を掴んで止める。両手持ちで互角だった膂力差が、片手での突きで抗えるはずもない。六本指が発光。先ほどの雷撃がくる。
「な、めるなぁ!」
剣から手を放し、左手で腰の後ろから魔導式の拳銃を引き抜き血でできた銃口を眼球に突き刺した。
『アアアアアアアア――!?』
悲鳴を上げる怪物が右手から剣を手放しこちらに伸ばすが、体を寄せる事で回避。リーチが長い分その腕ではこちらを掴みづらかろう。
そして同時に、こちらを引きはがそうと伸ばされた左手を自分の右手で押さえる。右腕と違いそれ以外の膂力はこちらが上のようだ。
「すぅ……!」
小さく息を吸い込みながら、拳銃の出力を最低出力に。施設はできるだけ傷つけるわけにはいかない。
引き金をしぼり魔力の導線をつなげ、銃口から熱線が放たれた。最低出力でも鉄くらいなら溶かせるそれが奴の脳を眼球もろとも焼き焦がす。
『アアアア、アアアアアアアア!』
「ぐ、っぅ……!」
断末魔の声をあげながら暴れる怪物を抑え込みながら、振るわれる手足が鎧を傷つけるのを耐える。
銃弾程度であれば傷一つつかない鎧は一撃ごとにへこみを作り、中の自分はめり込んだ鎧が肉を圧迫し痛みに歯を食いしばる。
それから数分か、あるいは数秒か。怪物が大人しくなり魔力も静まった所でたまらず突き飛ばす。
重い音と共に倒れた怪物の右腕を踏みつけながら、低出力の熱線を胸に二発。銃口をむけつつ少し離れてから剣を拾い上げ、顔面と胸に二度刺し。
「……やったか?」
「わー、ここまで念入りに死亡確認する人も珍しくない?」
後ろから若干ひいた様子の声が聞こえる。うっさいぞおっさん。初見の怪物とかいう危険物相手に油断できるか。
ちらりと振り返れば、明里が周囲を警戒しながら傍に『美国』を控えさせていた。
「蒼太さん。大丈夫ですか?」
「ああ。とりあえず美国にも持たせている『ヒートガン』でも右手以外なら抜ける。けどできれば低出力で頼む」
「了解です」
美国が右手で腰から『ヒートガン』……自分が使っている魔力式拳銃の改良型を装備しているのを確認し、倒れている怪物を観察する。
胸にできた火傷から低出力でも皮膚を焼き下の筋肉まで焦がす事ができるようだ。そして千切れた触手は断面の肉が盛り上がっており、斬られてすぐに再生が始まっていたと思われる。
しかしまあ、なんとも不思議な生物である。戦闘時間は三分にも満たなかったと思うが、貝人島で遭遇した怪人達とは比べ物にならない。飛蝗や海原さんを除いてだが、あれらはほぼ使徒と化していた。
というか、この魔力。そして何よりあの『金の瞳』。見間違えるはずがない。
「蒼太さん。その怪物、もしかして」
「ああ。『アバドン』に関係する何かだろうな」
アバドン。世界中で暴れまわり、個体としては歴史上で最も人を殺した生物であり。
自分と同じ『転生者』である怪獣。
「うーん。ちょーっと状況がわからない。おじさんも話しに混ぜて?」
「ここ、なんかアバドンの研究をしていたみたいです」
「わお」
佐藤さんがふざけた様子で返してくるが、その表情は本気で驚いているように見える。
「そんな事パンフにも公式HPにも書いてなかったけどねぇ」
「明かせない様な研究だったんでしょう」
自然と語気が荒くなる。
もはやこの騒ぎの原因がこれである事は確定であり、また、この個体のみでない事が予想される。
なんせ未だあっちこっちから強大な魔力を感じ取っている。まるで何かに邪魔されるように上手く読み取れないが、両手足の指の数より多いのは確かだ。
「まあ、ここが危ない研究をしているってのはさっき私が話した通りだねぇ」
食堂を出てからの道すがら、佐藤さんからここの黒い噂を聞かされた。
曰く、不自然な金の流れが存在している。
曰く、一般の研究員では存在すら知らせてもらえない区画がある。
曰く、職員でもない外国人が頻繁に出入りしている。
エトセトラエトセトラ。国の研究所だからその程度の噂が流れるのは日常茶飯事だが、彼のボスが『臭う』と言って見てくるよう命令してきたとか。
「……」
無言で倒れた怪物を見下ろす。
これの正体はなんなのか。一応自分の方が強くはあるが、それでも決して油断慢心が許される相手ではない。間違いなく、正面から自分を殺しうる存在である。
「ああ、それともう一つ」
「……なんですか?」
「『ニードリヒ』」
佐藤さんが、歌でも口ずさむように、しかしどこかふざけた声音を混ぜながらその単語を響かせる。
「謎の噂を調べる時に見かけた単語だよ。前後の文章が意味不明だったが、もしかしたらコレの事をさしていたのかもね」
そう言って彼が倒れ伏す怪物をつま先でつつく。
「ニードリヒ……ドイツ語ですか?」
「たしか……山とかの高低で低い時とかに使ったと思いますけど。流石のパーフェクト美少女たる私も詳しくは知りませんが」
明里はどうやら聞いた事があるらしい。あいにく、自分が知っているドイツ語は一から十までの数字と『ヴァイス』とか『シュバルツ』ぐらいだ。
低い……まあアバドンは山みたいにでかいし、それと比べれば小さいが。それが名前の由来としては微妙に違和感がある。
「私としても詳しくは知らないからねー。そこまで興味もないし。それよりこれはまた……ふーん」
爪先で怪物……『ニードリヒ』を弄る彼が特徴的な顎に指をあてて唸っている。何か気になる事でもあるのやら。
だがその前に。
「あの、その辺にしてもらっていいですか?」
「うん?」
「足で弄るのを止めて頂けませんか?」
何故かはわからない。だが、妙な不快感があるのだ。彼がその死体を足で弄る姿に、無性に腹がたってくる。
「蒼太さん?」
明里が不思議そうな顔を浮べる。
自分は討ち取った怪異を相手に、そこまでの情を抱くタイプではない。死ねば仏と、転生者のくせに思ってはいるけども。
そもそもアレは明確に敵対の意思を持って攻撃してきた。なにより、会話もなしに殺した自分がこのような事を言う権利もない気がする。
何より、少しでもこの怪異の情報を知るのは重要な事だとも理解している。
だが。
「それ以上『遺体』を足で弄るのなら、俺は本気で怒ります」
あふれ出る魔力をどうにか抑えるが、足元からチリチリと漏れ出るのがわかってしまう。
「……これは失礼しました。以後気をつけましょう、プリンス」
一歩引いて胸に手を当てながら首を垂れる佐藤さん。一見ふざけた態度だというのに、妙に真剣みをおびていた。
まるで忠実な家臣が主君にでも向けるかのように、彼は服従の意思を見せる。
「あ、いえ。そこまで畏まらなくとも」
「あ、そう?じゃこれまで通りに!」
「……ええ、そういう感じで」
わからん。この人は本気で分からん。
「……よくわかりませんが、死体からそこまで情報が出るとは思えませんし移動しましょう。研究所内に渦巻いている魔力はおさまっていませんし」
「ああ」
明里の言葉に頷いて返す。相変わらず膨大な魔力がまき散らされているせいで、周囲の生体魔力すら碌に追えない。だがそれでも、各所から強い魔力が動いているのを感じるし、何より第六感覚が告げている。
これは『序盤も序盤である』と。
「では行きましょう。このスーパーパーフェクト美少女に続いてください!」
「え、プリンセスちゃんが仕切るの?」
「応っ」
「え、プリンス君も従うの?」
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