エピローグ 下
エピローグ 下
サイド 江縫 美恵子
パトカーから救急車に移されて病院に運び込まれ、検査も終え個室のベッドに寝かされている。
不思議な事に、私はまだ生きている。これまでの服薬による内臓のダメージは完全に消え、健康診断をすればオール満点なのだそうだ。
いや、それは『蒼黒の王』陛下による慈悲だとわかっている。私が言っているのは『復讐もはたせずに生きている』事が納得できていないのだ。
「ちくしょう……」
真っ白な天井が歪んで見える。涙があふれて止まらない。
皆の、家族の仇をはたせず生き残ってしまった。エド・ウルージも、サイ・パーコス、ヨナ・リー。誰も殺せなかった。
奴らはもう新垣という者達に確保されてしまった。自分ではもう手が届かない。
ではいっそ死ぬか?馬鹿な。これは『蒼黒の王』陛下がくださった命。自らの勝手で息を止めていいはずがない。
『恵美子ちゃん!』
……それに、死ぬと泣く奴もできてしまったし。
ああ、それに今の家族にもちゃんと話さなければ。あの人達は私と向き合おうとしてくれていた。だが、復讐のため使い果たすつもりだった命だ。お互いのために距離をおいていたが、ちゃんと話すべき、なんだろうなぁ……。
色々とやらないといけない事はある。生きなければならない理由はある。けど今は、泣いてもいいのではないだろうか。
「ごめん……パパ、ママ、お姉ちゃん……!」
それから数分ほど涙を流すままでいると、病室の扉がノックされる。
「……どうぞ」
病室にあったティッシュで涙と鼻水を拭い、扉に向かって返事をする。『失礼するよ』と一言いれて入ってきたのは、例の新垣という男だった。柔らかい笑みを浮かべてこちらを見ている。
この男も謎の男だ。パトカーを使っていたり『蒼黒の王』陛下が『警察に任せましょう』と言っていた事から警察関係者なのだろう。それも裏側の。
だが問題は『蒼黒の王』陛下との関係だ。あまりにも親し気に接する陛下と、丁寧に距離感をはかりながら接しているのがこの男。
はっきり言って、政府の裏側専門という事実よりもそちらの方が気になる。何者なんだいったい。
とにかく慎重に接するべき相手なのは事実だろう。
「すまないね、長々と一人にさせてしまって。色々と聞きたい事があるだろう」
「……いえ。一人で考えたい事もありましたので」
嘘ではない。考え事をしたかったのは事実だ。
「ははっ。では、その考えごとに答えは見つかりそうかい?」
「……とりあえず、生きます」
「ほぉ……」
子供安心させるような笑みから、不敵で油断ならない顔へと変わる。
「うん。それは素晴らしい。こういう事件に関わった結果自分の命を捨てたがる人も少なくないからね」
「……質問、いいですか?」
「答えられる範囲なら」
「今回の事件の顛末を、教えてください」
「ふむ。では順をおって話そう」
まず、驚いた事に列車の乗客に死者はいない事。どうやら『蒼黒の王』陛下がお助けになったらしい。
市子と双葉はそれぞれ別の病室にて休養中。だが精神的な疲労はともかく肉体面は問題ないらしい。こちらも『蒼黒の王』陛下のおかげだとか。
そして、あの三人について。
「ヨナ・リーは我々との戦いで死亡が確認されている。サイ・パーコスとエド・ウルージはうちで拘束中だ。予想されていた『外』からの圧力もなく、しっかりと縛っているよ」
「……意外ですね」
「ここまで話す事にかね」
小さく頷く。てっきりその辺は答えてくれないかと思っていた。
だが、ヨナ・リーは死んだのか。できれば私の手で仕留めたかった。いや、殺しは……しかし。
あの時は静まりかけた復讐の炎も、こうして助かったという『安堵』を前に再熱し始めている。
命を捨てる気だったくせに、こうして生き延びてしまうと簡単に揺れる自分に嗤ってしまいそうだ。
「それは善意……だけではないのはわかるね」
「ええ。むしろ、善意だけなら怖いですよ」
「けっこう。では、こちらの要件に移ろうか」
そう言って新垣は鞄から二枚の書類を取り出す。
「片方はくそったれな契約書だ。地獄への片道切符と言っていい。まっとうな神経をしているなら絶対に選ばない事をお勧めするね」
右手に持った契約書をひらひらと揺らした後、左手の契約書をベッドについている机に置く新垣。
「こっちはとても真っ当な契約書。今回の事件を口外せずに、静かに生きてくれればいい。しばらくは監視もつくが、危害を加えるつもりはないから安心しておくれ」
「……そのくそったれな契約書について詳しく聞きたいんですけど?」
「おやおや。これは本当にお勧めできないんだ。なんせ『いつ死んでもいいです』という契約書だからね。具体的に言うとうちへの就職用の契約書」
「貴方達の……」
つまり、政府の犬となり化け物達の関わる事件に駆り出されるわけか。なるほど、それはいつ死んでもおかしくない。
今回、生き残ったのは間違いなく『蒼黒の王』陛下のおかげだ。彼がいなければ間違いなく私も、あの二人も死んでいた。いいや、楽に死ねたら僥倖ぐらいの状態になっていただろう。
それが日常となる。あいにくそこまで裏の世界に詳しくないが、命がいくつあっても足りないのは確かだ。
「また質問したい事ができました」
「知りたがりだねぇ。長生きできないよ?」
「就職したらエド・ウルージやサイ・パーコスを拷問できますか?」
こちらの問いに、新垣は不敵な笑みを崩さない。
「君が望むなら、彼らを『教材』にするのもやぶさかでないだろうね」
「そちらの契約書をください」
そう言って、彼が未だ持っている契約書を指さす。
「……ご家族とは話したかい?」
「貴方の家族はその仕事を知っているのですか?」
「ふぅ……いやな子供だねぇ」
「私は……私は平穏な日々に戻りたいわけではありません」
幸せだった日々は過去の物だ。もう取り戻せない、もはや遠い記憶。
ああ、似たようなものはこれからも手に入るだろうさ。今の家族と向き合って、受け入れて。そして市子たちと笑いながら過ごすのだ。それはきっと、眩しいぐらいに幸せな日常なのだろう。
だが、私がほしいのはそんな日常じゃない。この復讐の炎を奥底に沈めて、やがて消えるのを待つ生活なんてごめんこうむる。
賢い選択ではないだろう。だが、それが私の答えだ。安易に死ぬつもりはない。だが、復讐をはたせる可能性が小指の甘皮ほどもあるのなら、私はそれに賭ける。
「……一度この契約を結べば、前線から逃れるのは難しいよ?」
「こんなガキの覚悟などと嗤われるかもしれませんが、命は捨てるつもりであの地下に行きました」
「……はあ」
新垣の笑みが崩れる。心底呆れたような、悲しいような。苛立たし気なため息をついて、彼の顔はまた不敵な笑みを形作る。
「ようこそ、愚か者。君はこれから私の部下だ。さて、では早速だが……」
ペンと朱肉。そしてくそったれな契約書を机に置いて、彼はこちらを見下ろす。
「『新人研修』は今からでも大丈夫かな?」
ペンを取り名前を書き込むと、その横に朱肉で赤くした親指を押し付ける。瞬間、心臓に針を刺されたような痛みを感じた。
ああ。これが愚か者への罰だと言うのなら、随分と手ぬるい話だ。いっそ残酷なほどに。
「ええ。よろしくお願いします。新垣さん」
代わりに、たっぷりと味合わされるのだろう。愚か者に相応しい末路というやつを。
「あ、それとうちの班は『蒼黒の王』との窓口係もやっているから、そのつもりで」
「陛下に謁見できるのですか!?」
「そっかー。喜んじゃうかー……」
* * *
サイド 米国魔術管理機関・職員
「くそが!」
蹴りつけたゴミ箱が壁にぶつかって転がる。中に入っていたチリ紙やストローがぶちまけられるが知ったことか。
「おちつけよニック」
「これが落ち着いていられるか!」
同僚のトミーに怒鳴り散らす。お互い本名は知らずとも十年以上の信頼関係がある男だ。だが、それでも声を荒げずにはいられない。
「なんなんだよ、これは!」
そう言って指さすのはパソコンに映る一つの動画。
日本にいるグールども。その神殿にての映像だ。リアルタイムだが足がつかないよう、いくつもの中継点を使って手に入れた物だ。
今回の計画では、アバドンを始め『ジョーカー』と呼ばれる超常の存在が記されたリスト。そのうちの大半が死んだ日本の『裏側』を知るのが目的だった。
グールたちの儀式を行わせる事で日本の出方を見る。儀式が成功して被害が出た所で日本人が一万や二万死んだところで知った事ではない。むしろ『支援』をして色々と工作できる。
失敗しても日本の手の内が知れるはず。どれだけの戦力を投入する『余裕』があるのか。最近話題となっている『トルーパー』の性能はどの程度なのか。値千金の情報が手に入る。
どういった結果になっても我が国は得をする。そういう計画だった。その為に傭兵を雇い、日本の友人達にも手を回していた。なんなら英国の人員もこちらを勝手に支援して情報を得ようとしていただろう。
だが、結果知れた情報は最悪のものだった。
『蒼黒の王』
あのアバドンや金原武子を討ち取ったとされる怪物。今米国が、いいや世界が最も情報を求める存在。そして、絶対に敵に回してはいけない災害。
「まさか、『蒼黒の王』が日本のエージェントとこうも親しいとはなぁ」
トミーが内臓を全部吐き出すようにため息をつく。
そう、この映像にはわざわざハイスクール生と思しき女三人を助けるために現れたと思しき『蒼黒の王』がうちの傭兵を蹂躙し、やってきた日本のエージェントと親し気に話す姿が映っている。
まるで『見せるべきものは見せた』とでも言いたげなタイミングで、カメラが仕込まれていた兜は王によって踏み砕かれ、映像は途切れている。
「ふざけるな!どうやって日本はあの化け物を手懐けた!」
我が国とて、できうる手段をすべて使ってアバドンや金原武子を自陣に引き込もうとしてきた。それ以外にも鎌足尾城や人斬りもだ。
だが全ては失敗。アバドンは理性がないし、金原武子は人語を解しても会話が成立しない。鎌足尾城は各国の牽制がぶつかってコンタクトもとれなかったし、人斬りも占有はできないと国同士で密約がされている。
で、それら全てを単独で殺しつくしたとされた怪物と、日本のエージェントがとってもフレンドリー。
「ふざけるな!畜生め!」
「落ち着くんだ、ニック。大丈夫、まだ我が国の優位はゆるがない。経済的にも武力的にもだ」
「ハハッ!落ち着くのはお前だよトミー!冷静な思考ができていないね!」
ふざけた事をぬかす同僚を嘲笑う。
「アバドンと同じく『蒼黒の王』は見る者を発狂させる力をもっているかもしれない!それに『トルーパー』の現物は全て日本にあるんだぞ?もしも量産化された『トルーパー』とあの化け物が同時に攻め込んで来たらどうする!』
「それは……」
「くそっ……!」
乱暴に椅子に座り、目頭をおさえる。
常に最悪を想定しろ。それがうちのモットーだが、だからといってこれはあまりにも最悪が過ぎる。これで『トルーパー』の量産まで日本にされてしまっては、我が国は存亡の危機だ。
今でこそ我が国は世界第一国であり、日本は事実上の傘下にある。英国がきな臭いものの、まだ許容範囲だ。
しかし、日本なんて野蛮な猿どもの帝国じゃないか。力をもったら使うに決まっている。
「こいつだ……」
画面の最後に映った男を見る。未だに素性が明らかになっていない、日本のエージェント。
先日の各国の裏側が集まったホテルでの一件で、まるで全て知っていたかのように必要な戦力を最高のタイミングで投入してきた、忌々しい男。
コードネームは、たしか『新垣巧』。これだけ大暴れしているのにそれだけしかわかっていない不気味な存在。こいつが『蒼黒の王』と懇意にしている可能性が高い。あるいは、日本政府ではなくこいつ個人が親しいのか?
……ありえる。日本政府に送り込んだスパイや買収済みの友人達からも『蒼黒の王』が日本に下ったという報告は来ていない。となれば、まだ希望はある。それも『二つ』だ。
一つはどうにかして新垣巧を米国に引き込む。排除はNOだ。『蒼黒の王』の反応がわからない。
もう一つの希望。
「『スコーピオン』はどうなっている」
「『教育』は進んでいるらしいが……だが」
「なんだ。言ってみろよ」
口ごもるトミーに問いかければ、奴は視線を泳がせる。
「まだ子供だぞ。あそこまでしなくても」
「ハッ!何を言うかと思えば、今更か」
立ち上がり、トミーのネクタイを掴んで引き寄せる。
「アレは兵器だ。我が国の財産だ。国土と国民の自由を守る為、消費する弾丸だ。それ以上余計な事は考えるな。お前だって消されるぞ」
「……わかった。すまない」
乱暴にネクタイを放してコーヒーを飲みに行く。
……こいつ、そろそろだめだな。『再教育』か、そうでなくとも『廃棄』が必要だ。申請書を書いておくか。
そう思っていると、突如警報が鳴り響く。
「なんだ!」
すぐさまコーヒーカップを投げ捨て銃を引き抜き警戒態勢に入る。トミーも立ち上がり銃を構えていると、スピーカーから声が聞こえてきた。
『スコーピオンが脱走!協力者がいるもよう!繰り返す、スコーピオン脱走!』
「なっ」
思わず口が半開きになる。ふざけるな。あれには投薬が効かないからと、できうる限りの魔術的、物理的な拘束をしていたはずだぞ。
なんにせよ驚いていても事態は変わらない。体は訓練通りに動く。
「トミー、エリア3に――」
口を塞がれ、首筋にチクリと痛みが走る。
「っなに、を……」
呂律がまわらない。力が抜けていく。
「ごめんなさいねー。ちょっと貴方の顔が必要になっちゃって」
トミー?違う。声は奴のままなのに、これは。
しこうも、できない。いしき、が―――。
「……悪いわね。私、これでも義理は通すたちなの」
聞いた事のない野太い声が、自分の耳がとらえた最期の言葉だった。
* * *
サイド 九条 黒江
「だから!剣崎君は大至急ニップレスかブラジャーをつけるべきなのよ!恥じらいをもつべきだわ!」
「まず貴女が恥じらいをもってくれませんかねー!?自分の発言を録音して寝る前に聞いてみてはいかがですか!?」
「うう……いきなり話すのはやっぱりちょっと恥ずかしいですね……しばらく会ってなかったから余計に」
「貴女は恥じらう所が他にあるからね?手に持っている物見てみようか。なにその袋。正直怖いのだけれど?」
変態と化した乙女二人を相手に常識を説こうと奮闘するマイフレンドを横目に、剣崎様との会話を思い出す。
頭の中がグルグルする。これでも長生きしているつもりだが、あまりにも理解の外すぎた。
「マイフレンド明里。質問があります」
「なんですかマイフレンド黒江。その前におたくのお嬢様の教育をしてほしいのですが?」
「剣崎様はご自身の乳首が卑猥である自覚があるそうなのですが、どう思われますか?」
「なんて?」
「乳首の卑猥さを改善するよう努力もしているそうです」
「 」
長く。それは長い吐息の後に、マイフレンド明里は天井を見上げた。
「私、実はどこへでも行ける翼がほしかったんです」
「現実を見てください、マイフレンド」
* * *
サイド 茂宮 市子
地下鉄の事件から一週間が過ぎた。私は今、普通に学校に通っている。
あの一件はただの脱線事故として処理され、その際に壁が破損してパイプから漏れ出たガスが原因で乗客や運転手は幻覚をみたのだとか。
奇跡的に死者行方不明者は無く、かすり傷や軽い打撲だけの事故として報道されている。いや、報道されていたと言うべきか。もう世間では芸能人のスキャンダルや、政治家の汚職でもちきりだ。
あっという間に忘れられていく事件だが、私はあれが夢幻の類でないとはっきり覚えている。
新垣というお巡りさんから、双葉の『症状』を抑えるための道具が支給される事。そして、恵美子ちゃんが実家に帰った事を伝えられた。
お礼とお別れが書かれた手紙。それだけ残してあの薄情な女の子は行ってしまったのだ。
悪夢みたいな本当の出来事。けれど自分の人生であんな経験は二度としないのだろうとも思う。
これからは、きっと今まで通りの何気ない日常を過ごしていくのだ。
「いっちゃんせんぱーい!」
「どした、双葉ー」
駆け寄って来た後輩へ雑に返す。こいつ、無駄に元気だなー。人が感傷に浸っているっていうのに。
まあ、こうして無事でいてくれるだけいいか。ちょっと変わったチョーカーをつけている以外、今まで通りの双葉だ。
「部活の帰りにちょっと付き合ってほしいんですけど……」
「ふふん。どうやら私のコーデ技術を頼りたいようね」
「はい。私ってどんなオムツが合うのでしょうか」
「うん……うん?」
「実はあれからくせになってしまって……付き合ってください」
……きっと、今までと変わらない日常が続いていくのだろう。うん。そうに違いない。そうであってくれ。
「先輩?なんで目をそらすんですか先輩」
「うん、行こっか、茂野さん」
「苗字!?」
カムバック。今まで通りの日常……!
読んでいただきありがとうございます。
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この後、今日中に第四章のプロローグを投稿したいと思います。




