第九十八話 近く
第九十八話 近く
サイド エド・ウルージ
どうして、どうしてこんな事に……。
地下深く。持ってきた発電機をつないだ幾つものライトが照らし出す神殿で頭を抱える。
ここは変わった神殿だ。ギリシャ風の所もあれば東洋風の部分もある。そして一見大理石に見える柱や壁は、謎の物質を削りだして作られていた。
ともすれば新興宗教団体が既存の宗教をつまみ食いして作り上げた、キメラじみた物にも見えるかもしれない。だが、ここには確かな『格』が存在した。
人間の自分には見慣れぬ物なのも無理はない。なんせここは人の作った神殿ではないのだから。
「よぉエド。進捗はどうだい」
背後からかけられた声に肩をびくりと震わせる。振り返れば、自分をこんな所に連れてきた『元同僚』がいた。
「サイ……」
サイ・パーコス。偽名だが、そんなものは自分も同じだ。
黒髪を前髪も含めて乱雑に後頭部でまとめ、顎に無精ひげを生やした男。黄色人種らしいが、出身は不明。そもそもうちの業界で見た目なんぞ相手の素性を探るうえであてにはならない。
黒いシャツにツナギ姿の奴は、いつも通り鋭い目をしながら軽薄な笑みを浮かべている。
「おいおいそんな暗い顔するなよ。ちゃーんとこの神殿の掃除はしておいただろぉ?あいつら、汚いのが好きだからな。価値観が違う相手ってのは付き合うのが大変だぜ」
「ぼ、僕はもう足を洗ったはずだ」
「うーん?」
心底不思議そうに首を傾げるサイに、眼鏡をかけなおしながら精一杯睨みつける。
服の上からでもガタイの良さがわかり、いくつもの戦場を生き残ったサイと違いこちらは完全な裏方。日本ならともかく、アメリカの街にでも行けば見つけるのが難しいほどの普通の男だ。直接戦闘になれば勝ち目はない。
だが、こっちにも生活がある。
「巻き込まないでくれ。今すぐ解放してくれたら、ここの事は誰にも」
「おいおいおいおい。悲しい事言うなよ、エドぉ」
いつの間にか頬が触れそうな距離に近づいていたサイが、こちらと肩を組んでくる。
「お前だって昔はあんなに楽しんでいたじゃねえか。あの時の情熱はどうしちまったんだ?」
「っ……もう、昔の事だろう。今は妻も娘もいるんだ」
「はー、家庭をもっちまうと人って変わっちまうもんだ。ま、それでもこの仕事だけは付き合ってもらうぜ」
「そ、そんな!」
「まあまあ。この仕事が終わったら解放してやるよ。それ以降は関わらねえし、用済みだって殺したりもしねえ。報酬も出す。契約書だってあるぜ?」
サイが懐から丸められた羊皮紙を投げつけてくる。内容は、確かに彼の言う通りだった。
「俺の伝手でグールの神殿を動かせる魔術師なんてお前しかいないからよぉ。頼むよ、な?」
両手を合わせて頭をさげてくるサイに、硬い唾を飲み込む。
もしここで断れば、いったいどうなってしまうのだろうか。
「やるやらない以前に、無理だよ。サイ」
「うん?」
「ここの神殿はもう『壊れている』んだ。彼らの神を召喚できない」
そう、壊れているのだ。長い間碌に整備もされなかったからだろう。刻み込まれた術式は破損し、壁画の呪文も大部分が読めなくなっている。
これではどんな魔術師も、あらかじめ術式や呪文について全て把握していなければ起動は無理だし、そうだとしても神殿の立て直しが必要だ。どれだけの時間が必要かわからない。
「ああ、それなら大丈夫だ。儀式はするが、召喚はしなくていい」
「は?」
ひらひらと手を振るサイに疑問符を浮べる。
どういう事だ?
「依頼主はグールどもじゃねえ。利用しろとは言われたがな。むしろ、あいつらの儀式が成功されたら困るのよ。なんせ俺たちゃ人間だからな。グールの神様はお呼びじゃねえ。あいつらには秘密だぜ?」
「な、ならなんで」
「さあな。政治の一環らしいが、詳しくは知れねえ。というか、知りたがりは長生きできないのはお前だって知っているだろ?」
そう言われれば口をつぐむしかない。
だが、儀式だけなら、確かに不可能では……。
「な、頼むよエド。昔三人で馬鹿やったよしみでさ」
「……わかった。生贄はどうなってるんだ?早く終わらせて帰りたい」
「あー……」
サイが目を泳がせて頭を掻く。任務中にやらかした時のこいつの癖だ。
「実は、原因不明だが生贄を集めてくるはずのグールどもが全員死んだ」
「はあ!?」
馬鹿な。確か生贄の確保に向かったグールは百七体。暗い地下は彼らのテリトリーだ。それを撃退どころか全滅など。
「ま、まさか日本のエージェントが!?」
「それはわからん。銃弾で殺されたグールもいたが、大半は斬殺か焼死だ。怪獣でも暴れたみたいだったぜ」
「か、怪獣……」
そう言われて浮かぶのは一体の異形。十一年前、自分がこの業界から足を洗った原因である大いなる怪物。
アバドン。あれを目にして生き残れたのは、まさしく幸運だったと言わざるをえない。
「そうビビるなって。流石にあんな怪物、金原武子ぐらいしか他にはいねえよ。ま、噂の『蒼黒の王』って線もあるが……アレが偶然ここに居合わせるなんてどんな確率だって話だ。そもそも、アバドンクラスの怪物がいるならとっくにここら一帯焼け野原だぜ」
「それは、まあ」
アバドンに金原武子。どちらも表と裏で知らぬ者はいない超越者。それが死んでからまだ半年程度。噂では相打ちになったとも、『蒼黒の王』が殺したとも言われている。
この二者の共通点は『破壊』。一度その腕を振るえば街の一つなど一晩で滅びる災厄の権化。もしも噂通り『蒼黒の王』が奴らを討ち取ったのなら、同類の可能性が高い。
自分の考えすぎか。
「だが、それだけの戦力を殺せる敵がいるのは事実なんだろ?」
「なぁに、心配すんな。俺らにはアレがある」
そう言ってサイが顎で示したのは神殿の端に鎮座する深紅の甲冑。全体的に機械的な印象を受けながらも、人が身に纏う為に曲線が多いシルエットをしている。兜には金色に塗った馬の毛などもつけられていた。
「依頼の一部でアレの戦闘データもとる予定だ。ちょうどいいさ。ヨナも二号機を着て生贄の確保に向かったしな」
ヨナ・リー。当然ながらこいつも偽名な元同僚。あのサドも来ているのか。
「この日本で発見された……なんだったか……あ、あまる……」
「『アマルガム・トルーパー』か?」
出所は不明ながらも、かつて存在した『偉大なる種族』の残したオーバーテクノロジーの一つとも言われている謎の技術。
それがほんの数カ月前に日本で発見されたと言われている。
「そうそれ。アレのデータを企業が入手して作った試作機だが、いいぜぇ。こいつは傑作だ」
サイが笑みを深める。先ほどまでの軽薄さは鳴りを潜め、こいつの本性をむき出しにした獣のそれに変わる。
「あー、誰でもいいから試してぇなぁ。この『インクイジター』の性能をよぉ」
* * *
サイド 剣崎 蒼太
ここはどこだ。
結論から言おう。迷った。
とりあえず長引きそうだなと思った段階で明里に電話をしたのだが、突然通話が切れてしまった。スマホの故障かとも思ったがそうでもなさそうだったし。原因は不明である。
それから件の少女達を探して歩き回る事三十分ほど。第六感覚を信じて適当に壁を切り裂いたら謎の通路があったので進んだのだ。
だが、どういうわけかこの場所は無駄に入り組んでいる。なんとなくだが利便性とかガン無視して、むしろわざと迷いやすくしているようにも思えた。
そして、自分にはこういう所をマッピングする能力もなく、スマホもGPSが使えないので機械でマッピングもできない。
結果、絶賛迷子中である。いや誰にも絶賛はされていないのだが。
それでも割と平静でいられるのは、第六感覚が少女達はまだ死んでいないと告げているからだ。
どうも彼女たちも動き回っているらしい。それに銃弾の薬莢が落ちていた事から推定ハンドガンを所持しているはず。なんでそんな物騒な物を、とも思うが明里という例がいるので驚きはしない。
それはそれとして、どうしたものか。
とりあえず同類の死体の下を這いずって逃げようとするグールの首を斬り飛ばしながら、左腕を掲げて中指につけた魔道具の指輪を起動する。
魔道具の指輪と言えば、この剣はいつもの頑張って探した廃材から作った物だ。
もうね。半年なんですよ固有異能の剣がぶっ壊れてから。いや壊したんだけども。本来出せる火力を越えた力を強引に出したのだから。
半年かかって未だに直っていない。いや、『使えない』と言った方がいいのか?まあ一応理由はわかっている。
端的に言うと、バタフライ伊藤のせいである。
あの時自分は奴の顔面を焼き潰すだけの力を求めた。そして奴は馬鹿正直にその力を与えたわけだ。バタフライ伊藤の開催したゲームの賞品として。本当にふざけた話だ。
で、不本意ながらそのおかげで奴の顔面を潰せたのだが、問題はその後。というか『偽典・炎神の剣』と『夢幻月下の花園』は未だ修理中の原因がその問題なわけだが。
なんせ、百も千もある。あるいは無限に存在する貌の一つとはいえ神格の一部。それを自分はあの空間で破壊したわけだ。そしてあの空間は俺の固有異能であり、魔法的には体内といっても差し支えない場所で。
何が言いたいかと言えば、与えられた力と、焼き潰された奴の貌が崩れた時にこぼれた力。それらがあの中で渦巻いているわけだ。もしも自分が奴に作られた存在でなければ、拒絶反応を起こしているか内側から乗っ取られていたかもしれない。
そして奴の……不本意ながら『使徒』だからこそあの時賞品として与えられた力は『偽典・炎神の剣』へと定着し、奴の貌に内包されていた力は『夢幻月下の花園』に根付こうとしている。
現在、俺の二つの固有異能は厳密に言うと『修理中』ではない。『改造中』なのだ。組み込まれた力がなじむまでの時間が必要な分、余計に時間がかかっている。
恐らく先に剣の方が出来上がって、次に空間の方が再使用可能になるのだろう。感覚的にだが。
……正直不安だ。
パワーアップしてくれるのはありがたいが、それはそれとして邪神の力が追加されるとか、もう厄ネタの気配しかない。
いや、邪神が関わっていると不安とか言い出したらこの肉体自体がアウトなのだが、それはもう置いておこう。
閑話休題。
色々と考えている間に起動していた指輪が停止した。こいつは貝人島の経験もあり一応作ったマッピング用の魔道具だ。とりあえず周囲の熱反応から物凄く大雑把にだが地図ができた……はず。
テストは何回かしたものの、実戦では初めて使う魔道具だ。普段は文明の利器に頼るか、力技でどうにかしているし。
指輪を目の前で再起動すると炎が空中を踊り、周囲の地図を三次元的に映し出す。
「……うわぁ」
思わず声をあげてしまうのも無理はないと我ながら思った。なんだこれは。設計した奴は酒でも飲んでいたんじゃないか。
蟻や鼠だってもう少し考えて穴を掘るだろうに、しっちゃかめっちゃか過ぎて見る気すら失せる。
いや、単純にこの魔道具の出来がそこまでではないのも原因かもしれないが、この地図を頼りに動くのも……。
だが、第六感覚が教えてくれるのは近場にある隠された扉や通路。そして上下左右と東西南北の方角くらい。これが軍人さんとかレスキュー隊の人なら十分だと言えるのかもしれないが、あいにく自分はそういうのに疎い。どっちを向いても同じような景色にしか思えない。
ああ……貝人島の時は新垣さんが地下に潜る時同行してくれたから助かったのだが、今回は当然いない。本当に彼の連絡先を持っていない事が悔やまれる。なんなら今一番会いたい人ナンバーワンだ。というかこういうのはお巡りさんの仕事なのでぶん投げたい。
いっそラブコールでも送ったら来てくれないだろうか。
そんな益体もない事を考えながら、ないよりはマシかと自分を慰めて指輪の地図を視ながら歩き出した。
* * *
サイド 新垣 巧
今は絶対に『蒼黒の王』に会いたくない。いや普段から会いたくないけども。
知ってはならない真実というか、知りたくなかった事実というか。娘が剣崎蒼太こと『蒼黒の王』と頻繁に連絡を取り合っているという事を知ってから、自分はこの情報の裏を探った。
なんせ娘はまだ中学生。いくら『軍隊格闘技』や『銃火器の取り扱い』や『爆弾の作り方入門編』や『電子戦の基本』や『密林でのサバイバル初級』や『車・小型船・セスナの操縦方法』等を教えたからと言って、ただの一般人である。
……一般人ってなんだっけ?いやだって本人が教えてって言ってきたし。普段家を空ける事が多い分、あの子のお願いは無理のない範囲で叶えてあげたいし。
とにかく、娘のスマホが中継地点に使われただけという結論を出すために睡眠時間を一週間の平均二時間に削って調べた。魔術とマッドどもが作ったエナドリなしでは倒れていたかもしれない。なんせ通常業務は別にあるので。
上に報告した結果は『白』。だがすぐに処分した手元の資料は『黒』。流石に泣いた。
もうね。何がどうなっているんだと。
うちの娘は母親に似て天使の様な美しさと愛らしさを持っている。故に、悪い虫がつく事は想像できた。そいつらを法律スレスレで『穏便に』諦めてもらう手段も千通りほど考えてあった。
悪い虫が虫どころか王だった件について。
胃が痛い。そしてどうしても二人の会話ログを思い出せない。記憶の奥底に封印した気がする。魔術で思い出そうとすると胃袋が上下左右に引き千切れそうだ。こう、娘に悪い虫がとか。核弾頭の上でタップダンスしている気がするとか。色々な感情が混ざったような……。
娘にも電話してそれとなく聞いたのだが、のらりくらりと躱されてしまう。
うーん、さすが我が愛娘。国家所属のエージェント基準でも既に二流クラスの腕前があるぞぉ。けどお父さんそれぐらいなら経験で看破しちゃうなぁ。
恋ではない。と思いたい。というか実際恋ではないのだろう。ただ強い『信頼』と『親愛』を娘が『蒼黒の王』に向けているのはわかった。
本来なら一度会いに家へ戻るべきなのだろうが、忙し過ぎて無理だ。だが、それが却って心の平静をもたらしているかもしれない。
なんせ、今娘や『蒼黒の王』と遭遇したら冷静でいられる気がしない。自分の行動一つで日本の存亡が決まりかねないのに。
というわけで今日も今日とて仕事である。仕事に逃げる事に関して、うちの職場ほど向いている所はない。なんせ上司からして有給を神話生物と思っているような生活をしているのだから。
「諸君。既に任務内容は伝えた通り。変更はない」
今回の任務はとある街の地下鉄……の、横に作られた謎の空間に住んでいるグールが行おうとしている『儀式』の阻止である。
どうもここの県知事は裏で魔術師や怪異と契約して女遊びやギャンブルを楽しんでいたらしい。勿論一般にはバレない裏のルートで。
で、だ。その行いが度を過ぎているとして別の班が送られ、彼を拘束。今は『皮を被った別人』が県知事になりすまし、穏便に辞職する予定である。本人はきっと安らかに眠っている事だろう。
そしてその県知事のデスクから見つかった書類が問題だった。あの爺、アメリカの『企業』ともつながりがあったらしく、グール共の助っ人に魔術師の傭兵を雇っている。しかも、謎の新兵器までひっさげて。
色々な思惑が交差した結果なのだろうが、万一にでもグールの儀式が成功して神格が降臨されては困る。
その阻止が我らの仕事だ。
「ふっ……では、狩りを始めるとしよう」
「「「了解」」」
あー、とりあえず一年ぐらいは時間欲しいなぁ。心の整理に。それまで『蒼黒の王』とは絶対に会いたくなーい。
偽装したトラックから降り、ニヒルな笑みを浮かべて駅の隠し通路へと向かった。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。
Q.なんで剣崎は鎧に自分の血を使わないの?
A.バタフライ伊藤の作った転生者達が使う戦装束は基本的に毎回一からその場で作っています。なので改造してもアバドンみたいな例外を除いて改造しても意味がありません。また、剣崎の場合鎧は専門外のせいで元が高性能な鎧の分効果が薄いです。
Q.キャラ多くない?
A.第一章から三章までに出たメンツ以外は今章の使い切りタイプです。モブ:1、モブ:2、NPC:Aな女子組と敵:A、敵:B、敵:C+グール達ぐらいの感覚で大丈夫です。
Q.剣崎って方向音痴?
A.音痴ではありませんが得意でもありません。地下の謎空間とか、文明の利器なしだと普通に迷うぐらいです。




