第九十七話 危険地帯
第九十七話 危険地帯
サイド 茂宮 市子
電車から逃げて謎の少女の誘導に従い、跳び込んだ扉の先にあった線路を移動する事十分ほど。
「はあ……はあ……」
「大丈夫ですか、いっちゃん先輩」
駆け足で移動していたため、息が苦しいし脇腹も痛い。こんな事なら体育の授業をもっと真面目に受けておくんだった。
自分に比べて双葉は少ししか疲れていないようだ。さすが中学までは陸上部だっただけはある。
……たしか胸が大きくなって上手く走れなくなったんだったか。
「先輩、意外と余裕あります……?」
こちらの視線に気づいたのか少し引き気味の双葉に首を振る。
「ぎゃく……つかれて……あたまがとっちらかって……」
「そ、そうですか、すみません」
色々な考えが頭をよぎる。
電車に残された人達はどうなったのか。七三眼鏡さんはどうなったのか。なんで自分達がこんな目にあっているのか。
なにより。
「あの化け物は、なんなの……?」
「グールよ」
意外な事にペースが落ちた自分に合わせて歩いてくれていた謎の少女が振り返り、名前を言うのも嫌だとばかりに吐き捨てる。
「ぐーる?」
弟がやっているゲームで聞いた事がある気がする。たしか、人の血肉を食べるんだっけ?そのゲームではゾンビみたいな見た目だったが。
「そうよ。人の死体を好んで食べる薄汚い怪物ども。死体を食べたいあまり、自分で死体にしてから食べる害獣よ」
「た、たべ……」
双葉が引きつった声をあげる。
正直そんな気はしていた。昔、近所で逃げた中型犬に追いかけられた事がある。
あの時の犬は、自分を食い殺す事ではなく脅かして遊んでいたのだろう。わざと追いつくかどうかのギリギリで走り、こちらの逃げる姿を楽しんでいた気がする。
だが、あの時見た怪物の顔。あれは全然違った。愉悦を感じながらも純粋に喜んでいる様に感じられたのだ。間違いなく、あれは私達を殺すつもりだった。
「じ、自衛隊!警察に電話しましょう!」
「それだ!」
ここまで焦っていて忘れていたが、こういう時こそ通報すべきだ。
あんな化け物、私達だけで逃げ切れるとも思えない。警察や自衛隊に助けてもらわないと。
「え、け、圏外?」
「そんなっ」
いくら地下鉄で繋がりづらいからと言って、圏外?ホームとかの近くじゃないと繋がらないの?
「無駄よ。相手はグールどもだけじゃないもの」
「え?ひっ」
謎の少女の目を見て、咄嗟に喉から悲鳴がもれる。
濁っていた。まるで泥の中に廃油でも流し込んだみたいな、見ているだけで人を不安にさせるような恐ろしい瞳。
「人類の裏切り者。グールと契約して人を食わせ、対価を受け取り富と快楽を得る外道ども。そういう奴らは存在するのよ」
「裏切り者って、まさか妨害電波とか……」
「出ているでしょうね。奴らは用心深い。警察や自衛隊に見つからないよう逃げ隠れするし、なんなら組織内に情報提供者だって忍ばせているに違いないわ」
「そんな……」
「……行きましょう。地下は奴らのテリトリー、いつ襲ってくるかわからないわ」
懐中電灯と拳銃を構えた少女が先導を再開する。
「……あ、あの」
「なに?」
「私、茂宮市子です。こっちは後輩の茂野双葉で、同じ軽音部です」
「はあ?」
歩きながら行った自己紹介に、謎の少女が訝し気に首だけ振り返る。
「だから、あの、名前を聞いてもいいですか?」
いつまでも謎の少女では言いづらい。それに、少しでもこの絶望的な状況から気を紛らわせたかった。
「……江縫美恵子。敬語はいいわ。貴女たち、同い年ぐらいでしょう?」
「じゃあ美恵子ちゃん!私達の事も名前で呼んで」
「……いいけど」
とっつきにくそうな雰囲気とは反対に、美恵子ちゃんは意外とノリのいい子らしい。面倒くさそうにしながらも答えてくれる。
「それで美恵子ちゃん。聞いていいのかわからないけど……その拳銃って」
「ああ……買った物よ。東京で」
「東京で!?」
「普通に売っているわよ。弾も含めて三万円で」
「普通に!?」
え、東京だよね?日本だよね?そこでなんで鉄砲なんて売ってるの?
「アバドンは知っているわよね。アレが去年の十二月に東京で死んだのも」
「う、うん」
テレビでよく、海の向こうで暴れていると報道されていた。それが去年日本にもやってきたのだ。前に来たのは十何年も昔の話だったらしいけど。
それを自衛隊が頑張って、世界中を恐怖させていたアバドンを討伐したってニュースで言っていた。十二月はほとんどその話で持ち切りだったのを覚えている。
一月とかも東京の被災者への追悼や支援が放送されていたけど、三月になる頃にはいつもの日常に戻っていた。未だアバドンから出た放射線物質の汚染地域に指定された場所を除いて、だけど。
「アレの死体をめぐって、今世界中の特殊機関や『魔術師』達が東京で殺し合いをしているの」
「ま、魔術師?殺し合い?」
なんとも現実味のない単語だ。特に前者。
「化け物がいるんだもの、魔術師だって存在するわ」
「そ、そう言われると」
「たしかに……」
つい先ほどありえない化け物に襲われたばかりだし、私が産まれる前からいるから麻痺しているけど、アバドンだって通常ならあり得ない生物だってテレビで学者さんが言っていた気がする。
「だからなのか、それとも別の理由があるのか。今の東京はちょっと裏路地にいけば誰でも銃が手に入るわよ。まあ、ライフルとかショットガンは高いし、持ち歩けないけど」
「……その、銃を持っている理由って、さっき言っていた復讐と関係が?」
「ちょ、双葉ッ」
自分も気にはなっていたが、なにをストレートにぶっこんでるんだこの子は。
気分を害したかと思って美恵子ちゃんをチラリと見るが、眉間に皺を寄せているだけでこちらの言葉を不快に感じたというよりは嫌な事を思い出しているみたいだ。
「ええ。そうよ。そもそもあの電車に乗っていたこと自体、こうして復讐にくるためだったもの」
「そんな、知ってたんですか!?」
「ふ、双葉」
「あの電車が襲われるって、知っていたんですか!?だったらなんで教えてくれなかったんですか?警察とか、自衛隊とかに!そうだったら、皆……死なずに……!」
明らかに冷静じゃない。どうにか正面に回り込んで抱きしめるようにして落ち着かせるが、今にも美恵子ちゃんに跳びかかりそうだ。
「言ったら、信じてくれた?」
「っ……!」
どこか馬鹿にするように笑みを浮かべる美恵子ちゃんに、双葉が歯を食いしばる。
「……謝るつもりはないわ。これは私の復讐よ。十年前、私のママとお姉ちゃんを壊し、パパを殺したあいつらに復讐するの」
「み、美恵子ちゃん」
「クヒ、クヒヒ……ようやく見つけた……これも『蒼黒の王』のお導きに違いないわ……!」
どす黒い感情を隠しもしない嗤い声をあげながら、美恵子ちゃんが自分の髪を撫でつける。蒼いメッシュが入った所をだ。
「う、ぐぅ……」
「よしよし」
頭では、自分の言い分が勝手なものだとわかっているのだろう。双葉はそれ以上言えずに泣き出してしまった。
背中を撫でながら、もう片方の手で双葉の手を取る。
「いこ?ここは危ないよ。絶対に、無事に帰ろ?」
こちらの手を握り返し、片手で涙を拭いながら歩き出す双葉。
なにはともあれ、ここが危険なのは変えようもない事実だ。あの化け物共も私達を探しているかもしれないし、美恵子ちゃんの言う『人類の裏切り者』とやらも気になる。どこか安全な所に行かないと。
「美恵子ちゃん。そう言えば私達ってどこを歩いているの?」
「県知事がグールの為にわざと乱雑に作った、使われていない線路よ。この辺はそういうのがたくさんあるの。まずは、貴女達を安全な所に連れていく」
「い、いいの?」
「……ええ。私の復讐に他の人を巻き込むつもりはないわ。それに、『蒼黒の王』ならきっとそうするもの……」
「『蒼黒の王』?」
先ほども自分の髪の蒼く塗ったメッシュを撫でていたが、関係あるのだろうか。
「貴女も知っている?『蒼黒の王』」
「偶にネットで見かけるけど……」
「世間ではアバドンを殺したのは自衛隊ってされているけど、本当は彼がやったのよ」
「ええ……?」
にわかには信じられないのだが、美恵子ちゃんは気にした様子もなく続ける。
「十四人を食い殺した『闇夜の鬼』事件。次々と人を攫う巨大なカラス人間の『黄色の翼』事件。それ以外にも、裏で話題になっていた事件を突然現れては人々を助けて、怪物を殺してくれる。それがあの王様よ」
「そ、そうなの?」
「ええ。『現代最強の怪異殺し』。彼に助けてもらった人間は百人を軽く超えるし、私みたいに怪異や悪の魔術師に恨みを持つ者からしたら生きる伝説よ。この髪も、『蒼黒の王』をリスペクトしてのものだし」
どこかうっとりと、蒼い髪を撫でる美恵子ちゃん。
「ああ、不思議ね。この髪のおかげか今日は王を身近に感じる気がするわ……」
「そ、そうなんだ。けど私が知っている『蒼黒の王』って……」
昨日偶然ネットで見かけた動画を思い出す。
「おっぱいって叫びながらスクワットをしている人なんだけど」
自称『蒼黒の王の従姉』なフラワーガーデンという人が投稿した、東京で撮られたらしい映像を加工してループさせ、そこに無駄に美声で『おっぱい』と連呼し続ける動画が密かにバズっていた。
「あの動画を投稿した奴はいつか必ずぶち殺すわ。絶対に」
そう言った美恵子ちゃんの目は滅茶苦茶座っていた。
* * *
サイド 海原 アイリ
何故かメンチを切り合っている二人を避けて、金髪の胸が凄く大きい人に近づく。何か事情を知っていそうだ。
「すみません、あの二人はなんで喧嘩しているんでしょうか?」
「ああ、ごめんなさい迷惑を。その、隣にも喫茶店があるらしいから、そっちに行ってもらえるかしら。ここの店はうちの家が抑えているし」
「いえ、殺し合いが始まったら止めようと思うので」
「発想が物騒過ぎない……?」
金髪さんがドン引きしているが、こっちからしたら冗談ではない。
なんせメイド服の人はよくわからないけど凄く強そうだ。武道を嗜む者として、彼女の立ち姿がいかに熟練のそれか一目でわかる。
そして凄く美人な子。あっちは多少鍛えているようだが、それでもちょっと真面目な部活レベルの武術だと思う。だが問題はやけに火薬の臭いがする事。そしてまるで荒事になれているみたいな空気。
睨み合っている二人とも私から見たら堅気じゃない。ここで殺し合いなんかされる前に、どうにかして制圧ないし周囲への被害を減らさないと。ここは剣崎さんの住んでいる街なのだ。
「その、何故かうちのメイドが突然あの子を睨んだと思ったら、あっちも睨んでて。そのままこんな事に……」
「はあ……」
残念ながら原因は不明か。それにしてもこの女の人がメイドさんの主らしい。この無害そうな人も警戒しなくては。
ならあちらに直接話しを伺うか?
そう思って振り返ったらメイドさんと凄く美人な子が抱き合っていた。
「なんで?」
思わず心の底から疑問が出る。いや本当になんで?何があったの?
「ふっ、どうやらなかなかやるようですね」
「貴女も雇いたいくらい良いメイドですよ」
……うん、まあ、いいか。
「黒江、なにがあったの……?」
「お嬢様。いやぁ、この方話しがわかる人ですよ。てっきりどこかの刺客かと」
「私の美しさ故に美人スパイと疑ってしまう気持ちもわかります。こちらもつい本当に人間かな?と疑ってしまいました」
……ああ、なるほど。どうやらここには『裏』の事を知っている人だけらしい。唯一『どういうことどういうこと』と目を泳がせている金髪の人だけ怪しいけど。少なくともあちらの二人は私も怪異について知っていると気付いているらしい。
その時、凄く美人な子のカバンからメロディーが流れる。
「うん?ちょっと失礼」
そう言って歩いて店の隅に向かう彼女の声が少しだけ聞こえた。
「おや蒼太さん。どうしたんですかいったい」
「「っ!?」」
人の話を盗み聞きするのはマナー違反だとはわかっているのだが、つい耳を澄ませてしまう。
「黒江?どうしたの」
「黙っていてくださいお嬢様」
「ええ!?」
少女のスマホから、聞き慣れた声が微かに聞こえてくる。普通ならこの位置だと聞こえない声量だが、未だ魚人の血が吸いだしきれていない自分なら聞き取る事ができた。
『本当に申し訳ない。待ち合わせには遅れると思う』
間違いなく剣崎さんの声だ。え、というか待ち合わせ?
「ほう、このスーパーパーフェクト美少女よりも優先する理由が……まああるんでしょうね蒼太さんなら」
な、名前呼び……。
『この埋め合わせは必ずする。というか間に合うように頑張るから!ど、どうかまたデートのチャンスを……あっ』
デート!?
「おーっと。私のデートは高いですよって言いましたよぉ」
『い、いやつい口が滑りましてですね』
「蒼太さんの中で私はそんな軽い女ですかぁ?」
私にはわかる。というか同性が聞けばどう考えても彼女の声が糾弾しているのではなく、相手をからかって楽しんでいるものだとわかるだろう。
ぶっちゃけると、親しい間柄でじゃれているだけだ。
『違います違います許してください』
「しょうがないですねぇ。まあ心もパーフェクト美少女な……おや?」
少女がスマホから耳を放し、画面を操作する。どうやら突然通話が切れたらしい。
「うーん、今のきれ方は通信妨害ですかねぇ。まあ機械的な妨害だった気がしますし、そういう手段でやってくる相手なら蒼太さんを殺せないでしょう。まーた事件に巻き込まれていますね」
小声でそう呟いて戻ってくる少女。そして視界の端でメイドさんに耳打ちされて『ええ!?』と声をあげている金髪の人。
「ではマイフレンド黒江さん。私、ちょっと面白そうなイベントを見つけたので参加してきます。ごきげんよう」
「ちょっと待ってください」
店を出ていこうとする少女の肩を、金髪の人とそれぞれ掴む。
「はい?」
「ちょっとだけ」
「お話しいいですか?」
ちょっとだけ剣崎さんの救援に向かうか迷ったが、それにしてもこの人から話を聞くのが先決だった。彼の現在地わからないし。
「それはそれとして、これどういう状況なの……?」
じゃあなんで一緒に肩を掴んだんだこの金髪の人。
読んでいただきありがとうございます。
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Q.闇夜の鬼事件とか黄色の翼事件ってなに?
A.クトゥルフ界隈だと理不尽かつ突然に人が人外に襲われるので、今作ではチート転生者が人外も探索パート抜きで勘で唐突に襲います。お話が成立しないぐらい雑に剣崎が人外を辻斬りした結果です。




