第九十五話 閉幕
第九十五話 閉幕
サイド 剣崎 蒼太
頭上を爪が通り過ぎ、近くにあった体育館が半分ほど吹き飛んだ。
尾の一閃を跳び越えれば、埃の溜まった床を箒で掃いたようにグラウンドに跡がつく。
放たれるブレスの光を正面から相殺するが、衝突の際に周囲へと拡散した魔力が爆撃でもしたかのように景色を変えていく。
だが。
『GYYYYYYYY―――ッ!!!』
「そこぉ!」
駆け抜けざまに杖先から伸びる炎の剣で右後ろ脚の内腿を深々と切りつける。
純白の美しい鱗は黒く焼け焦げ、直接炙られた部分は溶解し下の血肉を蒸発させている。
「どうした、その程度がお前か。盛岡……モルガンの描くブリテンの化身か」
『GYYYYYYYY―――ッ!!』
挑発にのって振るわれた怒り任せの前脚を飛び退いて避け、顔面に向かって炎を飛ばす。着弾。左目を焼き潰す。
天に轟く絶叫。それだけでこの距離なら人が死ぬほどだ。鼓膜どころか脳がシェイクされる。
今更その程度でどうこうなる体ではないが……それはあちらも同じらしい。
ずたずたに刻んだ羽は二枚とも既に原型を取り戻している。一度は切断までいった尻尾は真新しく生え変わり、先ほど裂いた内腿も既に鱗が出来始めた。
驚異的な再生能力。あれを殺しきるには一撃で絶命させるほどの火力が必要だ。
だが、それよりも問題なのは二つ。
「おっと……」
尻尾の横薙ぎを跳んで避けた所に、左の前脚が少し遅れて空中の自分へと横から振るわれる。
それを杖から炎を放出して指の隙間に潜り込む事で避けた。その時、アルヴィオンの瞳と目が合う。
学習している。これが一つ目の問題。
最初こそ生まれたばかりの獣でしかなかったのが、徐々にではあるもののこちらの動きを理解し始めている。
あるいは、時間さえあれば人の言葉でも簡単に理解できるのではないか。そう思えるほどだ。
「やっぱり、混ざっているよな……」
ブリテンの城の地下から現れた白の竜。なるほど、確かにそれはアルヴィオンだし、眼前のこれも『その役割』が与えられているのだろう。
だがしかし、それだけ役割を重視するこの空間において盛岡理事長は『誰の役』だったのか。
阿佐ヶ谷先輩がアーサー王。ランスがランスロット。グウィンがギネヴィア。どうも安直に名前をモジった様な配役を考えると、おのずと彼の役割が見えてくる。
モルガン。アーサー王の姉である彼女は、ケルト神話におけるモリガンと同一視されることもある。『盛』岡『岩』息。随分とまあくだらない話だ。
あれは城の地下からだけでなく、モリガンの腹から産まれたもの。そしてアーサー王伝説の締めくくりに欠かせない騎士がまだ出ていない。
となれば、今暴れている巨獣の本来割り当てられる役は『モードレッド』である事はだいたい察しがついていた。
そして、何故それが関わってくるかと言えば、だ。モードレッドは『実はアーサー王の子』である。その出生は特殊なものながら、彼の王から多くの才能を引き継いでいると言われている。
反逆者としての逸話こそ有名だが、短期間で円卓の騎士に数えられるだけの武勇と知略をもつ優秀過ぎる騎士でもある。このアルヴィオンも、あるいは阿佐ヶ谷先輩のDNAが混ざっているのかもしれない。
結論を言おう。こいつ、モードレッド役を与えられる予定だっただけあっておつむがめっちゃ優秀。
本来なら幕引き兼何らかの触媒にでもするはずだったのを、盛岡理事長は死に際のやけっぱちで暴走させ、新たにアルヴィオンという役割を与えたわけだ。はた迷惑な。
そして二つ目の問題が、こうしてつらつら考えている『時間』である。
「このっ」
放たれたブレスを相殺し、その度に空間が歪み傷つく。結界の強度が限界近い。
こいつとの戦いを街中でしてみろ。あっという間に千人単位で人が死ぬ。ここは今生における実家も近いのだ。考えるだけで血の気が引く。
しかも悪い事に、こいつは俺がブレスを受ける時に足が止まる事を学習したらしい。積極的にブレスを放ち、こちらの動きを学ぶ時間を得ようとしている。
ただでさえそこにいるだけで結界が軋むのだ。それがこうも魔力をばら撒かれてはタイムリミットが加速度的に短くなっていく。
「でぇい!」
曲線を描いて縦横無尽に奴の顔面を狙う炎弾を複数放つ。苛立ちを感じながらも、頭の中で術式を考え続ける事もやめない。
自分の専門は魔道具。その中で更に『火』と『剣』に偏るわけだが、とにかく魔道具の知識はある程度ある。
そして、要石も極端な話し魔道具の一種。であれば、乗っ取りも不可能ではない。……はず。
ぶっつけ本番の一発勝負。我が事ながら無茶苦茶な状況に笑えてくる。こういう時こそ十二月に獲得した固有異能が使いたかったが、残念な事にあの邪神のせいで未だ修理中である。
「っ……!」
流石に、少し疲れてきた。
結界の損傷軽減と、宇佐美さん達のいる校舎の防衛。その為にある程度は正面からぶつかり合うか、注意を引き付けるために隙も見せなければならない。それが着実に魔力と肉体を削っていく。
いかに血その物が固有異能『エリクシルブラッド』であれ、生成される魔力も治癒力も減った先から全快とはいかない。回復には僅かにだがタイムラグが存在する。
その僅かな隙間が、こうして短期間のうちに積み重なってきた。
まだか。まだなのか、要石は。宇佐美さんは……!
……もしかしたら、逃げたのかもしれない。そんな邪な考えが脳裏をよぎる。
あってまだほんの数日の相手。命を懸け合った仲でもなく、血縁などは当然ない。まったくの赤の他人。
そんな彼女が、命をとしてここに要石を届けてくれるのか。そもそも、要石のあるはずの校舎からも歪な魔力が感じ取れている。その状況下で要石を取りに行くのは、危険極まりない行為である。
はたして、彼女を信用していいのか。自分の中の冷静な部分が、そう問いかけてくる。
ああ、まったくだ。道理で考えれば彼女の選択はおのずと自らの生存へと傾くのは必然。アバドンとは違い、アルヴィオンの討伐は被害さえ気にしなければ自衛隊の戦力でも不可能ではないだろう。
『GYYYYYYYY―――ッ!!!!』
「このクソトカゲ……!」
こっち目掛けて降り注ぐ瓦礫や樹木を焼き払った所で、奴の動きに変化が現れる。
自分が校舎の方へとこいつを近づけない様にしているのに気づいたのか、アルヴィオンは校舎の方を向くなりブレスを放出した。
慌てて射線上に跳び込み、杖から放つ熱線でもって相殺する。
だが今までの様な単発ではない。長々と、未だ途切れることなく無遠慮に白の極光は放たれる。
秒針が一つ進むたびに空間が悲鳴をあげるのと共に、杖からも異音が発生し始める。周囲の大地は自分を避けるように抉り飛ばされ孤立し、熱線のせいか周りの温度も上昇し続けている。
限界なのは結界だけではない。自分自身の装備もまた、許容範囲を越えようとしていた。
ああ、きっと頭のいい人なら、この場ですぐさま『杖の暴走』を選ぶのだろう。この杖に込められた魔力を意図的に暴走させ、空間全てを焼き尽くす。
それでも炎使いたる自分は異能の関係もあって生き残るだろう。アルヴィオンは焼け死に、街の『大半』には被害が及ぶ事もない。
代わりに、自分以外のこの結界内にいる人間全てが死ぬ。そして、学校から半径百メートル以内は、確実に焼け落ちる。一瞬でだ。
どれだけ死ぬか。それを天秤にかければ、どちらを選ぶのかはわかるだろう。
あったばかりの他人に街一つの命を預けるか、はたまた数百人の犠牲で数万人の命を救ってみせるか。
ああ、うん。
「俺は、馬鹿なんでな……!」
「剣崎君!」
後方から、声が聞こえる。更にその後方では馴染のある気配達が、機械的な魔力の群れを抑え込んでいるのも感じ取れた。
「宇佐美さん!」
自分はそんな天秤を使うほど公平な人間でもなければ、美人に弱い軟弱者だ。そして、そこから変わろうとも思わない愚か者でもある。誰かにこの内心を悟られれば無責任の誹りは免れまい。
だが、それが俺の選択だ。俺の人生だ。俺が今選びたかったのは、彼女を信じるただ一択。
「くっ……!」
鎧表面が、僅かにだが溶け始める。杖も木製部分が焦げはじめ、頭も熱中症になったみたいにくらくらする。
術式を組むための演算が……これは、できるか?
いかに邪神から授けられた知識があるとは言え、それを扱うのは俺という人間だ。ミスもするしコンディションに左右もされる。
だがやらねばならない。この要石を掌握する魔法使いが今必要なのだ。
……魔法使い。
「こ、の……!」
「お嬢様、あと少しです」
背後に気配が近付いてくる。常人ではすぐにでも死にかねない熱の中を、じりじりと牛の様な歩みであれ、前へと進んできている。
要石に回す予定だったリソースの半分を、背後へと向かう熱への対処に回す。これで彼女らも安全にこちらへ来ることができるはずだ。
「え?」
「宇佐美さん、お待ちしてましたよ!」
「っ、剣崎君。これを!」
振り返らずとも、宇佐美さんがこちらに要石を差し出しているのがわかる。
「いいえ、それは貴女が持っていてください!」
「ええ!!??」
「俺の腰の後ろに短剣が提げられています。それを要石に突き立ててください!」
「え、あ、はい!」
普段から作り置きしている魔道具。その一つを結界の関わる事件だからと持って来ていた。
ベースは去年の十二月で使用した術式破壊の短剣。それを破壊と乗っ取りに改造した物だ。見た目はただの黒い十字を象った短剣だが。
「刺したわ、次、あっづ!」
「お嬢様!?」
「要石の術式が流れ込んでくるはずです。半分はこちらで遠隔処理します。残りを、というかメインをお願いします!」
「む、無理よ。半分もってもらった今でも、頭が……!」
「選んでください。俺以外のここにいる人間全てが死ぬか、街にこのでかぶつが放り出されるか!」
「なっ」
酷い二択もあったものだ。あれだけ選択する事が己の人生の証明といいながら、勝手に選択肢を押し付ける。
だが、それでも。
「そんなの、いいわけないじゃない……!」
今の彼女なら、一緒に馬鹿をやってくれる気がしたから。
「お、お嬢様?」
「もうあったまきた!やるわよ、やればいいのでしょう!」
「お嬢様が壊れた……」
背後で聞こえる声に、思わず馬鹿笑いしてしまう。兜の隙間から流れ込んでくる熱風が気管を焼いていくが、構うものか。
鎧の中で肉体が蒸し焼きになり、破壊と再生が繰り返される。なあに、死にはしない。いい加減、自分のそういう感覚も壊れてきた気がする。
痛みだけなら耐えられる。斬られるのも刺されるのも、己の炎に炙られるのももう慣れた。
だから、自分の背後には絶対に通さない。
「お嬢様、無茶です。ここはもう」
「黒江!」
「はいっ」
「貴女、実は私の事を子ども扱いしているでしょう。未だに!」
「それ、は……」
「私だってっ」
脳の一部で組み替え続けている術式に変化が現れる。
不格好で、自分から見ても未熟な術式が走る。豪快と言うには躊躇いが見えて、慎重と言うには粗雑に過ぎる。
「私だって、もう泣いているだけの子供じゃない!」
だが、それでも一歩ずつ要石の掌握が進んでいく。
「宇佐美さん、俺がやりたい事はわかりますね!」
「ええ!ほんっとうに無茶苦茶ね貴方!」
「タイミングを合わせて!」
竜の放つブレスが勢いを増す。ここに来てのそれに、鎧にヒビが入り始めた。
あちらもこれだけ長く極光を放つのは自壊を招くだろうに、こちらが何かをしていると判断して潰しにきたか。
しかし、その判断はほんの数分ほど遅かったな。
「言霊をここに!」
この結界も、事件も、全てがアーサー王伝説という『物語』にそった見立てのため。
「『これにて演目は終わり』!」
いかに多くの人が語り継ぎ、どれだけの国の本に残ろうと、それが『モデルのあるおとぎ話』でという事に違いはなく。
「『長き公演も終わりの時がきた』!」
それを終わらせるのなら、この言霊しかあるまい。
「「『アーサー王伝説、これにて閉幕』!!」」
視界が大きく歪んでいく。紅蓮の業火も吸い込まれ、迫りくる極光も巻き取られる。
体全体に浮遊感。背後や校舎側でも感じていた気配達が希薄になっていく。
結界から押し出されようとする自分達と違い、校舎で暴れていた怪物どもも、眼前の竜も渦の中に飲み込まれていく。
『GYYYYYYYY―――ッ!!??』
この結界そのものが盛岡理事長の作ったアーサー王伝説の舞台。であれば、それに関する物は全てそこにしかあれず、それが終わるのであれば運命はともにある。
ランス達の体からも、騎士としての力が抜け落ちて渦に飛んでいくのを第六感覚で感知する。
空間と共に圧縮、破壊されていく偽りの学校と怪異たち。まるで古いテレビの電源を落としたように、ブツリと視界が切り替わる。
幕引きはあっけなく、気が付けば視界いっぱいに星空が広がっていた。月の色はいつもの白銀で、そっとこちらを見下ろしている。
寝そべったまま視線を横に向ければ、健在の校舎とこちらに向かってくる宇佐美さん達が見える。その向こうに、ランス達の気配も感じられた。
「おわっ、たぁぁ……」
鎧を解除し、焼けただれた肌が夜風に晒される。
背中にグラウンドの冷えた土の感触を受けながら、そっと目を閉じた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。今後ともよろしくお願いいたします。
明日、『エピローグ上』と三章の設定を投稿させて頂きたいと思います。
本編に関係ない情報。
モルガン
アーサー王伝説に出てくるアーサー王の姉。その辺の家庭事情は昼ドラばりに真っ黒だったりする。というかアーサー王伝説は異性関係が昼ドラな感じのが多い。
眠っているアーサーから子種を奪いモードレッドを出産したとされる。目的はブリテンを奪うため。
アーサー王伝説はケルト神話をベースにしているという説があり、彼女のモデルはモリガンという女神とされている。
当時はインターネットもなく、口伝や手書きの本ばかりだった事もあり、スペルミスなどでアーサー王伝説中でもモリガンと書かれる事があったとか。
諸説あり。




