瓜二つ
訳もなく虚ろに眺める窓外を一匹の蝶が橙の軌跡をかすかにたなびかせて、ふわりふわり弧を描き舞いながらいよいよ上空へと去ると、皐月はおもむろに伸びをしてから台所へ立ち、水でもどしたわかめと昨夜一気に塩抜きしたもずくに豆腐をそえて、トマトを二切れ、まずはつまんだ。
皐月のつもりでは、折々おちいる腹具合の不調を脱して快適へと転じるためのささやかな昼食なのだが、もとより好みの品々でもあるためかさほど不満も感じぬまま箸を運びつつチャンネルをかえてみると、折よく贔屓の中国女優が史劇と伝説の綯い交ぜになった華流ドラマ特有の舞台で主人公を演じており、皐月はいつもながらその希代の美貌にうっとりひきよせられつつ可憐な振る舞いに憧憬をいだき同情をおぼえながら、彼女のその真ん中から分け後ろで留めて、襟髪は下ろしたあでやかな黒髪が、以前は薄く染められていたように思い、しかしすぐには裏付けられぬうち雅やかな情景とともに物語はゆったりと進んでゆくので、そのままここちよく身を任せているとふと、くだんの人物がどうやら韓国の女性であるのを思い出した。
そのほとんど瓜二つの顔と姿態が、身体の線を強調しない着物に似た民族衣装のうちでたおやかに動き、わかりやすい表情でその気持ちを発露するのに見惚れつつ、知らぬ間にとめていた箸を再び動かしはじめた折から、忽然、インターホンがけたたましく鳴り、皐月はそれが誰かとすぐさま察しがつきながら、あまりの間の悪さに覚えず立つのをやめかけてたちまち思い直し、電話越しに受け答えて再び座に着きながら、鍵を開けておいたドアを抜けて部屋にはいってきた恭介に開口一番、
「ねえ、このひと綺麗だよね」
箸をもたない手で突如しめされてその方をみると、映っているのは中国三大美女に数えられるうちの一人で、恭介自身じつはひそかに、動画配信サービスを通じておなじくその女性がヒロインの別の華流ドラマに先日来夢中になっていたので、今更見間違いようもないものの、皐月に問われてにわかに居心地悪く、しかしそれはあくまで色には出さずに、
「そうだね。綺麗だと思うよ。中国人?」
「そう。ほんとに綺麗。でも恭介はなんだかあれだね、あんまり気がはいってないっていうか」
「そんなことないよ。いや、そんなことないって言うのも可笑しいけど」恭介は思わず苦笑に頬がゆるむと、
「このひと、誰かに似てて。それもそっくりなの。たぶん韓国のひとだと思うんだけれど。恭介は知らない?」
「さあ」
と、今度は本当に知らなかったため何の焦りもなきままに答えられたが、それにつけてもこのひとばかりではない。東アジアの女性はじつに美しい。日本女性にたいする愛は変わらず持ちつつも、しかし今の恭介には海を越えたすぐさきに住む、言葉のつうじぬ女性たちがあまりに愛しく、言語の意味は知らずともその音響がひときわ麗しく、彼女たちを愛でるひとときを習慣として持っているほどなのだが、もちろんこの性向は恋人である皐月に伝えるべきものではなく、また敢えて言う必要もないのみならず、知られずに置くに如くはないとさえ思うので、二人のあいだで話題にすべき事柄ではないと悟りつつも、しゃべりたい気持ちをつい抑えきれず、
「韓国の女優に? それとも皐月の知り合いとか?」
「知り合いって、まあ、わたしの韓国の友達にもびっくりするくらい可愛い子はいるけれど、さすがにその子とは別で、あ、そうかわかった、アイドルかなあ、女優じゃないと思う。そうそう、きっとそう」
「アイドルね、なるほど。いずれにしても俺はわからないけど」
「うん、自分で探すね」
「そうして」
「そうします」
そう答えてたちまちドラマに釘付けになる皐月のとなりで、恭介は日頃活動を追っている韓国アイドルの面々を入れ替わり立ち替わり脳裏に数え上げながら、あれもちがうこれもちがうとはねのけつつ、まだ見知らぬ絶世の美女を新たに検索できる喜びに陶然と胸高鳴らせるそのかたわらで皐月は、ヒロインを見つめる相手役の男がどうも役不足で物足りないような気がし、総髪に留めた髪が日頃は格別嫌いでもないのに、今日ばかりは滑稽に見えてむしゃくしゃしてくるのだった。
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