②少女期
私は極度の人見知りで人の目を見て話すのが苦手だった。母に似て血の気の多い性格だったが学校では大人しくすみっこに収まっていた。内弁慶というやつである。
黙っているのだから仕方ないが、静かな子だとか勝手な印象を持たれるのもとても嫌だった。いわゆるクラスの一軍的な人間は、なぜか大人しくしている人間を上から見るのだ。勝手な印象で可哀想だとか、相手をしてあげようとかそんなところだろう。
そんな中でも私は親しい友達を何人か作り、なんとか学校生活を送っていた。そして成長するごとに自分の母親が周りの母親と違うという違和感を感じ、戸惑った。
友達を叱る母親達を何度か目にしたが、私には怒りの中にもどこか子を思う愛情のようなものが垣間見れたのだ。それが自分の母親にはなく「そもそも何で怒られているのだろうか?」とわからくなるほどその形相にただ怯えていた。母親のヒステリーはすごく嫌だったし、トラウマだったのだ。
私はどこか違う自分の母親と友達の母親を比べ、いつの間にか周りを羨むようになった。
それと同時にある程度知恵がつき出した私は、母親が精神異常者ではないかと思うようになった。しかしまさか本人に問いただせるわけもなくその頃の私には何も出来なかったのだ。
唯一の頼みの綱とも言える父はというと、明らかにおかしい母親を見て見ぬ振りをした。余計な事を言ってヒステリーを起こされるのが面倒だったのだろう。
今思えば父は病院へ連れて行くなど母をもっとケアする必要があった。子供が殴られていたのだから。知ってか知らずかただ仕事に没頭し続けた父の罪も私は重いと思う。
成長するごとにこれまでのことが怒りや憎しみに変わり、私はすっかりひねくれていた。「どうしてこんな家に生まれたのだろう…」「どうしてこんな親の元に生まれたのだろう…」これまでの人生いろいろと迷惑をかけたこともあったけれど、わたしはその迷惑を悪いと思わなかった。それくらい当然の報いなのだから。