【BOG-66】出撃準備
アンドルーズ空軍基地――。
ここはワシントンD.C.に最も近い空軍基地であり、アメリカ合衆国の首都防空という重要な役割を与えられている。
また、大統領の専用機「エアフォースワン」ことVC-747が拠点としている基地でもある。
セシルたちを乗せたシーモア・ジョンソン発のKC-787は慎重な着陸進入を行い、雨に濡れた滑走路へと無事に降り立つのだった。
土砂降りの雨が降りしきる中、KC-787から降りたセシルたちは移動用車両へとすぐに乗り込む。
「あーもう、びしょびしょだよ……!」
金髪を両手で掻き分け、運転手から渡されたタオルで頭を拭きながら愚痴るスレイ。
「私たちが来たことがよほどの感涙モノらしいな」
そう言うアヤネルも自慢の銀髪がペタッとなっているが、彼女はあまり気に留めていないらしい。
「涙の歓迎というわけか。しかし、まさかアンドルーズに2度も来ることになるとは思わなかった」
曇った窓ガラスに簡単な絵を落書きしつつ、セシルは部下の軽口にこう返した。
じつはセシルたちは先月ワシントンを訪れており、その時降り立ったのもこのアンドルーズ空軍基地だったのである。
アンドルーズ空軍基地が用意してくれた移動用車両は6人乗りサイズであるため、リリスたちはゲイル隊とは別の車に分乗せざるを得なかった。
いい歳した女6人でのおしくらまんじゅうなど、男からすれば眼福かもしれないが、当人たちにとっては悪夢その物だろう。
そんな光景、リリスは想像するだけでも願い下げだと思っていた。
「ねえ、あれってもしかして大統領専用機ではなくて?」
何気無く外の景色を眺めていたローゼルの目に飛び込んできたのは、2種類の青と白色で彩られた4発エンジンのジャンボジェット。
――大統領専用機のVC-747とその予備機であるVC-25Bだ。
ニュース映像やアメリカ映画では度々見かける機体だが、初めて目の当たりにする実機の迫力にローゼルは度肝を抜かれていた。
22世紀においては絶滅危惧種であるジャンボジェットを見たローゼルが素直に喜んでいた一方、彼女の隣に座るヴァイルは眉をひそめている。
もちろん、ある意味無邪気なローゼルの反応に対してではない。
「(首都攻撃の危機を前に安全な空域へ逃げ出すつもりか……情けない奴らめ……!)」
アメリカ政府の閣僚たちが乗り込み、いつでも離陸できるよう準備しているであろう2機のジャンボジェット。
彼らが死亡したら国家運営に甚大なダメージを受けることぐらい分かっているが、「リーダーは限界まで粘ってから逃げるべき」という考え方が一般的なオリエント連邦生まれのヴァイルにとって、アメリカ政府の緊急時対応は「最後まで残るべき者が責任を放棄している」ようにしか見えなかったのだ。
安全だとされていた空域に敵が待ち伏せしていて、そのまま撃墜されればいいのに――。
他人の不幸を願う「悪しき心」の芽生えを感じ取り、邪念を払うように首を横に振るヴァイル。
だが、「ドラゴン」撃墜作戦時の一件でアメリカ軍に不信感を抱いていた彼女の本音は……。
ゲイル隊及びブフェーラ隊の諸君、よく戻って来てくれた。
本来ならゆっくりと休んで欲しいところだが、事態は急を要している。
ルナサリアンによる「第2のコロニー落とし」についてはサビーヌ艦隊司令から聞いたと思われるが、ここでは具体的な作戦内容の説明を行う。
――では、ブリーフィングを始める。
本日8時15分頃、我が国が建造していたスペースコロニー「S.C.36 マグ・メル」の大気圏突入を世界各地のレーダーサイトが捕捉した。
スヴァールバル諸島上空から大気圏突入したコロニーは南西方向にゆっくりと進んでおり、宇宙での攻防戦で脆くなった外壁を散乱させながらも、その姿は健在である。
世界各国の研究機関によるシミュレーションの結果、アイスランド及びカナダのニューファンドランド島上空を通過したコロニーはニューヨークを通り過ぎた後、最終的にはワシントンD.C.の中心部へ落下するとみられている。
落着コースに含まれている地域では既に避難命令が出されているが、市民の避難よりも先にコロニーが落下する可能性が高い。
コロニー破壊に失敗した場合、数え切れないほどの尊い人命が喪われることになるだろう。
大気圏突入直後は高高度にいて手出しできなかったコロニーだが、現時点ではMFの飛行能力で辛うじて到達可能な高度70000ftを切っていることが判明している。
シミュレーションではニューヨーク上空付近で急激に速度を落とし、降下率を上げてからワシントンへ突入すると考えられている。
ワシントンで迎え撃っても破壊は間に合わない可能性が高い。
つまり、コロニーを完全破壊するにはワシントンよりも手前で対処しなければならない。
オリエント国防軍総司令部とアメリカ統合参謀本部による協議の結果、「大規模な航空戦力による総攻撃」が最善策であると結論付けられ、オリエント国防空軍及びアメリカ空軍による共同作戦の許可が下りた。
諸君らは準備が整い次第このアンドルーズ空軍基地から離陸。
コロニーとの「交戦」が予想されるニューヨーク上空へ可及的速やかに到達し、手遅れとなる前に完全に破壊せよ。
なお、ニューヨークを含むアメリカ東海岸は現在記録的な豪雨に見舞われており、雷雨が発生している地域も確認されている。
実際に戦闘を行う高高度では問題無いと思われるが、何かしらの理由で低空飛行を行う際は細心の注意を払え。
おそらく、諸君らが北アメリカ大陸の空で戦うのはこれが最後になるはずだ。
総員、心に槍を掲げよ!
必ず作戦を成功させ……そして、生還せよ!
それ以外は許可できない。
蒼き勇者たちよ、貴官らの幸運を祈る。
出撃。
母艦から届けられたコンバットスーツに着替え、セシルたちは自分の機体(予備機)が置かれている格納庫へと急ぐ。
彼女らが「史上最も重要な作戦」に臨むことを知っているのか、すれ違う基地職員の中には敬礼を以って見送る者も少なくなかった。
「頼むぞ、ゲイル隊!」
「必ず生きて帰って来いよ!」
国籍も人種も性別も関係無い。
ゲイル隊なら墜ちゆく「星」さえも打ち砕いてくれる――。
仮想敵国同士という壁を乗り越え、多くのアメリカ人はオリエント人であるセシルたちに希望を託していたのだ。
「やあ、セシル。核爆発に巻き込まれたと聞いて心配していたが、ピンピンしてるようだな」
「私とアヤネルは立ち会っただけであって、直接巻き込まれたわけじゃない」
ゲイル隊が格納庫へ入って来るのを見たミキは真っ先に駆け寄り、セシルたちと力強い握手を交わす。
この格納庫は本来アメリカ空軍の施設だが、今は顔馴染みのメカニックやオリエント国防空軍の物資で溢れかえっていた。
どうやら、ゲイル隊及びブフェーラ隊のために格納庫を丸々1つ貸し出してくれたらしい。
「機体の準備は整っている。あとはお前たちが希望する兵装を選んでくれれば、作業が完了次第出撃できるぞ」
ミキが指差す先にはG-BOOSTERを装着した蒼いMFが停めてある。
成層圏まで到達可能な高高度性能とコロニーを破壊するための大火力が必要な以上、彼女は「追加装備無しではお話にならない」と判断していたのだ。
「パターンGだ! 武装とドロップタンクを積めるだけ積む! スレイとアヤネルもそれでいいな!?」
パターンG――G-BOOSTER装着状態のフル装備で行くこと決め、セシルは部下たちへ確認を求める。
「ええ、それで行きましょう」
「奇遇だな、隊長。私もそれが最適解だと思っていた」
ドライバーの要望を聞いたミキはすぐにメカニックたちへ指示を出し、兵装の取り付け作業を急がせるのだった。
兵装の取り付け作業が急ピッチで進められる中、愛機オーディールMのコックピットへ乗り込んだセシルはアメリカ軍の無線に耳を傾ける。
「ごきげんよう、諸君――」
彼女がヘッドセットで聞いているのは、現在のアメリカ大統領であるギャリー・ギーズ氏の演説だ。
じつを言うと格納庫内のスピーカーからもギーズの声は流れているのだが、発言内容を正確に聞き取るためセシルはあえてヘッドセットを用いていた。
「――約1時間後、諸君は合衆国史上最も重要な作戦に参加する。我らの大陸に混沌をもたらした侵略者が遺した、戦略兵器と成り果てたスペースコロニーを迎撃するための戦いだ――」
コロニーがオリエント連邦製であることには言及せず、ただ「侵略者が戦略兵器に仕立て上げた」とだけ述べるギーズ。
オリエント国防空軍との共同作戦を行う手前、下手な発言はできないということだろう。
「――我々の美しき国土を解放し、人々と友人……そして家族に自由を取り戻す為に――」
我々の「美しき国土」ね――。
遥か昔、ネイティブ・アメリカンを皆殺しにして奪い取った分際で何を言っているのか――。
そう思いつつもギーズ大統領の熱心な演説を聞き続けるセシル。
「――勝利は我々のものである――!」
オリエント国防空軍が借りている格納庫にアメリカ軍人はいないが、他の場所では大統領の演説で大盛り上がりなのかもしれない。
アメリカ人の愛国心の強さはオリエント圏でもよく知られている。
「(やれやれ、これで拍手喝采ってわけだね。まったく、アメリカニズム丸出しのハリウッド映画みたいで馬鹿馬鹿しいよ)」
呆れたように肩をすくめながら、セシルに対してジェスチャーでそう伝えるミキ。
オリエント的騎士道においては「主君≠国家」であるため、オリエント人の多くは愛国心という概念自体に興味が無かったのだ。
「――さあ諸君、奪われ尽くした空と大地を取り戻そう!」
その言葉を最後にギーズ大統領は演説を終え、通信回線を閉じる。
ゲイル隊及びブフェーラ隊の機体を弄るメカニックたちは黙々と作業を続けているが、隣の格納庫のテンションは今頃最高潮に達しているはずだ。
「セシル、装備を付け終えたぞ! E-OSドライヴを回せ!」
ミキの報告を受けたセシルはメカニックの退避を確認した後、愛機のE-OSドライヴを始動させる。
18000、19000、20000――そして21000rpmを突破。
E-OSドライヴの回転数に問題が無いことを確かめたら、続いて各部スラスター、操縦装置、アビオニクス、無線装置のチェックを迅速且つ丁寧に進めていく。
「ゲイル1より各機、私の声が聞こえているか?」
「こちらゲイル2、無線装置に異常無し」
「ゲイル3より1へ、よく聞こえている」
予備機ということでマイナートラブルの発生を危惧していたセシルだったが、現時点では僚機も含めて特に目立った不調は見られない。
これならば戦闘中に落伍するような事態にはならないだろう。
「シートベルトはちゃんと締めたか?」
オーディールのカウルを閉じる前にシートベルトの締まり具合を確認するミキ。
ベルトが緩んでいると適切な操縦姿勢を保てないため、地味ながら最も大切な――チーフエンジニアが仕上げとして最後に行う作業の一つだ。
「私たちが整備した機体だ、必ず戻って来い!」
セシルと力強い握手を交わし、親友の健闘を祈りながらミキはカウルを閉じる。
その直後、格納庫の扉が少しずつ開かれていき、横殴りの大雨が格納庫内にまで降り込んできた。
雨だけでなく風も相当強いらしく、離陸から神経をすり減らすことになるかもしれない。
「雨風が結構激しいな……よし、気象状況を確かめるためにまず私から上がる」
管制塔からタキシングの許可を得たセシルはスロットルペダルを少し踏み込み、激しい雨が打ち付ける誘導路をゆっくりと進んで行くのだった。
滑走路へ進入したゲイル隊の3機は「ディスプレイスド・スレッシュホールド」と呼ばれる位置で停止し、管制塔の離陸許可を待つ。
ジャンボジェットをベースとする大統領専用機が離着陸可能な滑走路であるため、自動車より少し大きい程度のMFなら十分すぎるほどのスペースが余っていた。
「ゲイル隊、お前たちを見送るのは最初で最後にしたいな」
この管制官はセシルたちを厄介者扱いしているわけではなく、彼なりに激励の言葉を送っているだけにすぎない。
事実、その口ぶりはどことなく清々しいものであった。
「ゲイル1、離陸を許可する。ゲイル2及び3は指示があるまで待機せよ」
「こちらゲイル1、了解。離陸を開始する」
管制塔からの指示を復唱して再確認を行い、セシルは降着装置のブレーキを解除しながらスロットルペダルを一番奥まで踏み込む。
ある程度速度が出ると揚力で自然に浮き上がるため、そこで操縦桿を引き上昇へと転ずる。
後方ではスレイたちの機体が離陸を開始しており、更には並行する滑走路からアメリカ空軍の戦闘機が上がって来る姿も見えていた。
「ここから幸運を祈っているよ、ゲイル隊!」
管制官の声援を受けながら3機の蒼いMFは編隊を組み、大勢の友軍部隊と共にニューヨーク上空を目指す。
北アメリカ大陸での戦いに決着を付け、人類が未だ成しえていない「コロニー落としの完全阻止」を果たすために……!
【ネイティブ・アメリカンについて】
西部開拓時代にアメリカ先住民虐殺が起きたのは事実だが、さすがに皆殺しになったわけではない。
ただし、オリエント圏では「アメリカは白人が先住民を殲滅して築いた国家」という誤った歴史認識が広まっており、アメリカ大使館は誤解を解くことに一苦労している。
【オリエント的騎士道】
ヨーロッパ諸国の騎士道とオリエント連邦の騎士道は似て非なるものである。
十戒の存在などは共通しているが、後者は「名誉と仲間を重んじる」「自らが信じる正義の遵守」が特徴となっている。




