【TLH-110】最終決戦ⅩⅢ:誓い
今、オリヒメには二つの選択肢が与えられていた。
一つはこれまで犯してきた全ての罪を抱えたまま討たれること。
「ねえ……もし、私がこの場で命乞いをしたらあなたは受け入れてくれる?」
そして、もう一つは贖罪のためにプライドを捨ててでも生き続けることだ。
まだ天秤は釣り合っているが、後者の選択肢を選んだ場合の結果についてオリヒメは尋ねてみる。
「俺の女になるのなら考えてやる」
その質問に意地悪そうな微笑みを浮かべながら答えるライガ。
しかし、母親譲りと思われる穏やかな眼差しは明らかに本気であった。
「……やっぱりやめた。そういう特殊性癖は持ち合わせていないのよ」
オリヒメの心の天秤が揺れ動く。
彼に身も心も屈服し、都合の良い女として奴隷のように生かされる結末も悪くないかもしれないと思った。
だが……それはライガに尋常でない負担を強いることを意味している。
そう考えた瞬間、天秤は完全に傾いた。
「そりゃあ残念だな」
彼女の返答を聞いたライガは本当に残念そうな感じで肩を竦める。
降伏を拒否するのなら本気で討たなければいけなくなる。
「しかし、お前が戦争犯罪人として処刑される姿を見たくないという気持ちは本当だ」
だが、彼女が望んでいる方法でトドメを刺し、この世から葬り去れるのであればそれがベターだとライガは前向きに捉える。
死刑執行は非公開で行われることが普通だが、その慣習が地球を蹂躙した異星人の親玉にも適用される保証は無い。
むしろ、戦後世界の懸念事項となるであろうルナサリアン残党への牽制として大々的に執り行うかもしれない。
「……いや、生きたまま慰み物として弄ばれるよりはマシな末路かもしれないが」
絞首刑、斬首刑、銃殺刑――どの処刑方法が採用されるかは分からないが、これらは死んでしまえば苦痛からは解放されるだろう。
沈痛な面持ちでライガが口にしたのは、殺されるよりも悲惨で苦しい結末がオリヒメを襲う可能性であった。
「ッ……!」
ライガは事実を突きつける時にオブラートに包むことはあまり無い。
彼の直接的且つ生々しい表現にオリヒメは女性として思わず絶句する。
「お前だって報告書で知っているはずだ! 捕虜にされたルナサリアンの女性兵士が惨い仕打ちに遭っていたことを!」
地球人類はルナサリアンを一方的に責めることはできない。
なぜなら、地球側各国は自軍兵士によって行われたとされる捕虜虐待の一部を認めているからだ。
軍人でなくともライガのように戦場に身を置いていれば噂話は聞こえてくるし、運良く生還できた兵士からの報告は軍上層部の耳にも届いていることだろう。
「俺たちが同じ地球人と敵対する覚悟でお前の同胞を救出してやったこと――忘れていないだろうな?」
スターライガチームは各国軍隊とは共闘してもその指揮下には入らない、自分たちの信念に基づいて動く組織。
だから、彼らはルナサリアンから秘密裏に依頼を受け、アメリカ軍の軍事施設で人体実験に供されていた捕虜たちの救出作戦に臨んだこともある。
「……その件に関しては今でも本当に感謝しているわ。あなたたちのような地球人がいるのなら、話し合いができるかもしれないと思ったのだけれど」
無論、ルナサリアンも地球側の捕虜収容所を特定し、そこに捕らえられている自軍兵士の救出作戦は何度も実行してきた。
収容所への奇襲が失敗したり、施設の制圧が完了しても手遅れだったケースも少なくなかった。
そんな中、スターライガチームは地球上において最もセキュリティが厳しい軍事施設へ奇襲を掛け、その時点で生存していた捕虜2名を救出してみせたのだ。
正直言ってどんな裏技を使ったのかは想像が付かないが、この依頼を完遂させたことについてオリヒメは心の底から感謝の言葉を述べる。
そして、これをキッカケに彼女は地球人に対する認識を一度は改めたのだが……。
「国民を穢し、国土を蹂躙する連中と話す舌など持てない。本当に残念だと思っている」
2度目の地球・月首脳会談の際に発生したトラブルと、現在進行形で行われている地球側によるルナサリアン本土侵攻作戦――。
これらの出来事はオリヒメを失望させるのに余りあるほどだった。
地球人類の足の引っ張り合いがオリヒメの不信を買ったのは紛れも無い事実。
それは覇権主義の醜い争いを見てきたライガも認めざるを得ない。
「その非難が事実だとしても、お前を討つ覚悟は変わらない。それが戦争終結のための近道であるならば、俺は返り血を浴びることを躊躇わない」
しかし、たとえ何と言われようと彼の決意は揺るがなかった。
オリエント国防空軍軍人として初めて敵を倒した時から、少女のように白い手は返り血で紅く染まっていた。
血で汚れることなど今更気にする必要があろうか?
「俺に刻み付けたかったんだろう? お前という女の存在を……!」
「フフッ……最高の純心能力者って恐ろしいわね。迂闊なことは考えられない」
お前の望みは人々の記憶と記録に未来永劫刻み込まれること――。
どことなくライラック博士に似た不敵な笑みを浮かべるライガの指摘は図星だったのか、彼に釣られるようにオリヒメは苦笑する。
どうして彼と話す時はこんなにも笑顔になれるのだろうか。
「おいおい、俺たちオリエント人は女が9割なんだぜ? そんな環境で育ったら女心を察さないといけない機会ばかりだからな」
元々オリエント人(ホモ・ステッラ・トランスウォランス)は女9.6:男0.4という性別比が極端に偏った種族。
当然、絶対的な女系社会で少数派且つ非力なオリエント人男子が生きていくにはそれなりの苦労を伴う。
そういった事情も相俟ってライガは同族の女性の扱いには慣れていた。
オリヒメ(月の民)も生物学的にはオリエント人と極めて近いので、ある程度は同じような感覚で接すれば良い。
「お前は俺を信頼している。そして、俺はお前のことを信頼している」
彼女は敵ながらライガに信頼――というより片想いを寄せているし、彼もオリヒメは信頼に値する人間だと考えている。
お互いの間に"敬意と信頼"があるのなら、とても大切な約束を交わすこともできた。
「そのうえで約束する。お前が倒れてこの戦争が終わったら、二度とお前のような侵略者が現れないために最善を尽くす」
戦争を生き残った者には義務がある。
それは……二度と同じ過ちを繰り返さないよう自分たちを戒め、束の間の平和を維持し続けること。
戦後世界には課題が山積みだ。
ライガ率いるスターライガもしばらくはその解決に東奔西走するハメになるだろう。
「人間は過ちと争いを繰り返す愚かな存在――私はそうだし、あなたにも当てはまるかもしれない」
過ちを繰り返さない――そう言いながら人間はやがて過去を忘れ、忌まわしい記憶であるはずの黒い歴史を再現してしまう。
人間の性からはオリヒメもライガも完全に逃れることはできない。
「あなた自身が戦争の源になるとしても……それでも戦い続けるというの?」
そして、人間は本能的に自分よりも強大な存在を恐れる。
オリヒメは問い質す。
いつか自分たちが同胞たる地球人から迫害されるようになったとしても、尚も人々のために戦えるのか――と。
「……それでも戦い続ける! 地球人と月の民、双方が"戦争とは無益で空しい破壊行為である"と理解できるその日まで!」
ライガの力強い返答に迷いは無かった。
まるで彼自身の戦い方のように……。
「理想主義者なのね……だけど、あなたにはそれを夢で終わらせない力があるはず」
彼の答えを聞いたオリヒメは"理想論"だと一笑に付すが、その一方で彼女を含む周囲を黙らせるだけの志と力は持っていると確信することができた。
夢は実現させるために見るモノなのだから。
「私はその過程で打ち倒すべき敵の一人に過ぎない――というわけね」
オリヒメはライガの前に立ちはだかる壁として戦ってきたつもりだった。
しかし、敵としては有象無象とあまり変わらない扱いを受けていたことに彼女はタメ息を吐く。
「あなたのような男が率いるスターライガに未来を託すのは悪くない選択かもしれない」
……だが、裏を返せばオリヒメを凌駕できるほどの強者でなければ未来は切り拓けないとも言える。
「そうだ! お前の未来を奪う代わりに、俺がお前の分まで生きてやる!」
「分かったわ……ならば、あなたが背負うべき罪の一部は私が地獄まで持って行ってあげる」
未来を託されることを肯定したライガはオリヒメの願いを少しだけ受け継いで生きていく。
その代わり、オリヒメはライガの罪を肩代わりして現実世界という名の舞台から去る。
「……ただし、本気で抵抗するからね! 私だって流石に殺されるのは怖いもの!」
この無益で悲しい戦争を終わらせるため、彼女は片想いしてきた男に"最後の試練"を課すのであった。
【Tips】
ライガは顔立ちの一部がライラックに似ていることで知られているが、それ以外にも細かい癖などに共通点があるという。
もっとも、この二人は家族ぐるみの付き合いがあったので、彼が"憧れの女性"の姿を見よう見まねしていても不思議ではないが……。




