【TLH-56】今、別れの時
レイセン宇宙港――。
ルナサリアン唯一の宇宙船発着施設であるが、ルナサリアンは鎖国政策を採っているため民間人の出国は行われず、平時は事実上の軍港として機能していた。
しかし、本土決戦を前にルナサリアン政府はほぼ全ての一般市民に対し戦時疎開令を発令。
これは大型艦の余剰パーツを流用して大量建造された"国民疎開船"で一時的に外宇宙へ退避させ、戦闘終結後に戻って来てもらう計画だ。
「これより第三十二号疎開船の搭乗手続きを開始します。乗船のお客様は第六船渠までお越し下さい。繰り返します――」
強固な防空壕に守られたドック内は限られた手荷物を抱えた一般市民で溢れかえっている。
彼女らは場内アナウンスと憲兵の誘導に従い、疎開令状に同封されていた搭乗券を頼りにそれぞれが乗るべき船を探し回っているらしい。
ちなみに、これはあくまでも"一般市民の乗船手順"であり、特権を持つ人たちにはよりスムーズな方法が用意されていた。
国民疎開船が係留しているドックには一隻につき2か所の臨時搭乗ゲートが設けられ、こちらは一般市民の乗船に利用される。
「ここは特別受付だ! 一般市民はあちらの行列に並んでくれ!」
それに対して短機関銃を抱えた憲兵による厳重な警備が行われているのが、特別な搭乗券を持つ人のための専用搭乗ゲートだ。
特別な搭乗券はルナサリアンにおける特権階級とその家族、そして成績優秀と認められた大学生向けに発行されている。
端的に言えば安全を担保することで"有能な人材"の損失ないし流出を防ぎ、戦後復興に備えるための策であった。
「ごめんなさい、軍人の家族はここで優先搭乗できると聞いたのだけれど……」
11~2歳程度と思われる娘を連れている女性は軽く頭を下げた後、上着のポケットから人工皮革製のカバーで保護された手帳を取り出す。
「軍籍証明書を確認させてもらう。氏名は……ウサミヅキ!?」
手帳の中に入れられているIDカードを見た瞬間、憲兵の表情が変わる。
「も、申し訳ございません! まさかエイシの方だったとは……!」
「お気になさらず」
相手が軍人――しかもエイシだとは知らなかった憲兵は狼狽しながら深々と頭を下げて謝罪する。
一方、ウサミヅキは自身が軍人には見えないことを自覚しているのか、苦笑いしながら相手に頭を上げるよう促していた。
「乗船なされるのは娘さんだけでよろしいですか?」
「ええ……この子は家に残りたいと言って聞かなかったけど、何とか説得して連れて来ることができたの」
先ほどまでとは一転して丁寧な対応に終始する憲兵からそう尋ねられ、リュックサックを背負っている娘の背中を軽く押すウサミヅキ。
「あの船に乗るんだよ。今から兵隊さんが案内してくれるから、その人の言うことを聞きなさい」
彼女は今にも泣き出しそうな娘に顔を近付けると、今後の手順について優しく教えることでその不安を取り除こうとする。
「お父さん……」
「大丈夫、地球の悪い人たちをやっつければ戦争は終わる。そうしたら必ずツバサを迎えに来るから」
それでも表情が冴えない娘――ツバサの小さな両肩に手を添え、ウサミヅキは"戦争はもうすぐ終わる"と希望的観測を述べる。
「戦争が終わったら……お母さんも大好きだった水族館にもう一度行こうね」
彼女の妻は元々身体が強くなく、ツバサを産んだ後に帰らぬ人となった。
今も記憶の中に生き続ける妻の忘れ形見である一人娘を抱き締め、戦争が終わった後の約束を交わす。
「(せめてこの子だけは……この子の命と未来だけは守らなければ)」
これが今生の別れになるとは知る由も無く……。
本土決戦に備えているのは国民だけではない。
アキヅキ家及びごく一部の側近が暮らす月の宮殿――ゴショでも金品の秘匿や機密資料の処分などが進められていた。
「どなたですか?」
ゴショに住まうことを許された数少ない側近の一人であるホシヅキ・オウカが荷造りを行っていると、誰かがドアをノックする音が聞こえてくる。
彼女は荷物を抱えていて手が離せないため、とりあえず声を聞いてから相手を判断することにした。
「私だ」
そう言いながら部屋に入り込んできたのはなんとユキヒメであった。
「ユキヒメ様!? すみません、今部屋が散らかっていて……!」
「気にするな、部屋を引き払うよう言ったのは私だからな」
突然の来訪に驚いたオウカが慌てて荷物を置こうとしているのを制止し、自分のことは気にせず荷造りを続けてよいと微笑むユキヒメ。
「あの……」
「うん?」
だが、荷物をそのまま置いてしまったオウカは寂しそうな顔をしながらユキヒメの胸へと飛び込む。
傍からは無礼且つ破廉恥な行為に見えたとしても、別れの時を前に気持ちを抑え切れなかったのだ。
「どうしても月を離れないとダメですか? 本土決戦の時が迫っていることは分かっています……」
深紅の瞳を潤ませてこのように訴えるオウカ。
政府関係者だが閣僚ではない彼女は疎開が認められており、ゴショを離れれば戦火に巻き込まれる可能性は大きく減少する。
「……でも、ユキヒメ様とは離れ離れになりたくないのです」
「それは私も同じだ……しかし、お前のお腹には赤ん坊がいることを忘れないでくれ」
上目遣いで見つめてくるオウカを力強く抱き寄せ、愛する人と離れたくないのは自分も同じだと告げるユキヒメ。
この二人は2~3年ほど秘密裏に交際しており、しかもオウカの方はお腹に新たな命を宿していた。
「私と姉上が死んだ時は、その子がアキヅキ家の血を受け継ぐ唯一の存在となるかもしれん」
ユキヒメの姉オリヒメには子どもはおろか恋人さえいないため、現在アキヅキ家は後継者不在という状態だ。
姉の身に何かあった時はユキヒメが代行できるとはいえ、それは一時的な対応にすぎない。
一族の未来のためには正統な後継者が必要なのだ。
「亡命先のオリエント連邦における安全はカラドボルグ首相との裏取引で確保されている。他の地球人と異なりオリエント人は信頼に値する人種だ」
先ほどは疎開と言ったが、より正確にはユキヒメの言葉通り"亡命"と表現すべきだろう。
これに際してルナサリアン政府はオリエント連邦と水面下で交渉を重ね、相手方にとって魅力的なメリットを提示することで最重要亡命者――具体的にはオウカと彼女の世話係数名の保護を受け入れさせたのだ。
「願わくば、この子には戦争や政治とは無縁の人生を与えてやってほしい」
世紀の戦争犯罪人として歴史に刻まれるであろうアキヅキの名を背負うことになったとしても、これから生まれてくる我が子には平穏な生き方を望むユキヒメ。
「死なないでください……もう逢えない気がするから……」
「……最善は尽くす」
オウカとユキヒメは互いの身体を強く抱き締めながら口付けを交わし、身分の壁を超えて育まれた愛を確かめ合う。
これが永遠の別れとなっても後悔しないように……。
「フフッ、若いって良いわねえ……」
部屋の入り口にもたれ掛かりながら恋人たちの逢瀬を見守っている女性が呟く。
「んなッ!? き、貴様……なぜ見ている!?」
その声と人影に気付いたユキヒメは慌てたようにオウカから離れ、たちまちを顔を真っ赤にして問い詰め始める。
「ドアを開けっ放しのままイチャイチャしている方が悪いでしょ? 私は荷造りの進捗状況を見に来ただけなのだけれど」
逢引現場を目撃していたのはルナサリアンの客将であるライラック・ラヴェンツァリ博士だった。
彼女はオウカと会うために部屋を訪れただけなので、今回に関しては何ら責められる筋合いは無い。
「オウカさん、ネバーランドの出航は1時間後を予定しているわ。それまでには荷造りを済ませて船に乗ってちょうだい」
勝手に取り乱しているユキヒメはとりあえず置いておき、目的の人物であるオウカに連絡事項を伝えるライラック。
オウカと世話係数名はライラックが個人所有する航空戦艦"ネバーランド"に乗り込み、国民疎開船とは別ルートで月からの脱出を図る計画だ。
護衛無しでの単独行動はハッキリ言ってハイリスクだが、あらゆる条件下でシミュレートしたライラックはイケると踏んでいた。
「分かりました……あと30分ぐらいで支度できると思います」
「見送りには顔を出すつもりだ。その時にまた会おう」
荷造りの続きを再開したオウカに暫しの別れを告げ、部屋を後にするユキヒメたち。
「博士、貴様に一つだけ尋ねていいか?」
「何かしら?」
「オウカを地球へ亡命させるために協力してくれることには感謝している。しかし、なぜ彼女には優しく接してくれるんだ?」
二人で廊下を歩いていると珍しくユキヒメの方からライラックに話し掛ける。
その理由は恋人の安全確保に対する積極的支援への感謝――そして、自らの持ち駒を使ってまで献身的に行動する動機を知りたかったからだ。
「……私も幼い頃に両親と死別し、遺産だけを押し付けられて天涯孤独の身になったから。その時の辛い気持ちをあなたの子どもには味わわせたくないのよ」
ライラックの実家ラヴェンツァリ家はかつてオリエント連邦有数の名門――所謂"筆頭貴族"であった。
だが、医学界を揺るがす不祥事の発覚や先代当主夫人(ライラックの母親)の離婚訴訟及び不審死騒動、そういった諸問題への対応に疲れ果てた先代当主の自殺といったスキャンダルが連鎖した結果、ただでさえ末期的だったラヴェンツァリ家の長い歴史は貴族番付からの除名という結末で幕を閉じた。
当時未成年且つ病弱だったライラックは親族がいなかったため遺産相続こそ認められたものの、一族の伝統を受け継ぐことは許されなかったのだ。
「それに、うちの両親と違って彼女は良い母親になれそうだもの」
責任感が強いとは言えなかった両親のせいで苦しい幼少時代を過ごした彼女は、これから母親になるであろうオウカに期待を寄せていたのかもしれない。
「そうだったのか……これまで誤解していたが、本当は優しい人間なのだな」
同じ貴族でも対照的な過去を聞かされたユキヒメはついに認識を改め、ライラックのことを"地球人の信頼できない客将"ではなく同志の一人として受け入れる。
彼女の人間性自体はある程度把握していたが、オウカへの対応や本心を打ち明けてくれたことが誤解を解くキッカケとなった。
「(リリーやサレナの母親としては私も最低限の義務は果たせたと思う。だけど、"彼"の父親としては……)」
一方、ようやく歩み寄りを果たせたライラックは表情こそ穏やかだったものの、内心では自分のことを棚に上げた両親批判をしていないかと不安になっていた。
そして、2人の娘しかいないはずの彼女が父親という立場から気に掛ける"彼"とは一体……?
ゴショの地下には世間に知られていない部屋や施設が多数存在する。
地下4階相当の深いフロアに位置する秘密格納庫もその一つだ。
ここは核爆発に耐えられるほど堅牢な構造となっており、秘匿性を活かしアキヅキ姉妹の搭乗機の最終調整が行われていた。
「(ごめんなさい……私の力不足でまた姿形を変えるほどの改修を強いることになってしまって)」
決戦を前にオリヒメは格納庫を訪れ、換装作業中の愛機イザナミに心の中でこう語り掛ける。
この作業自体は当初より予定されていたことだが、彼女としてはそれを始めるキッカケが少々不本意なようであった。
「(彼に……ライガとパルトナ・メガミに勝つためには、対モビルフォーミュラ戦を意識した構築が必要となる)」
オリヒメとイザナミは同じ相手――ライガのパルトナに一度ならず二度も敗北を喫している。
その原因の一つは"機体コンセプトの違い"だ。
「(これはそのための最後の換装形態。装備の見直しによる軽量化及び操縦系の性能調整解除によって動力性能を高め、背部には6基の立体機動攻撃端末を追加した決戦仕様)」
そこで今回、イザナミには高機動戦闘を重視した形態が新たに用意された。
"イザナミ決"というコードネームで呼ばれるこの形態は運動性及び機動力を高めるべく、増加装甲で身を固めていたイザナミ重とは真逆のアプローチが採られている。
また、武装面ではライラックの乗機エクスカリバー・アヴァロンのオールレンジ攻撃端末を発展させた"試製立体機動攻撃端末"が追加されており、主に中距離射撃戦での攻撃力の強化が図られていた。
「(特徴的なのは操縦席付近の骨格に組み込まれた新素材。ライラック博士によると"機体の追従性を飛躍的に向上させる月独自の新技術"とのことだけど、実際に効果があるのかはまだ分からない)」
その他の変更点としては内部フレームの部分的な素材変更が挙げられる。
現在進行形で作業が実施されているイザナミのコックピットブロックは外装が全て外され、艶消し塗装のフレームが剥き出しになっていた。
操縦席を囲うフレームの一部を撤去し、空白となった部分に溶接で取り付けられているパーツが新素材だ。
これは月面で最近発掘された未知の金属を元々のフレームと同形状に加工した構造部材で、実験機によるテストでは追従性を向上させる不思議な効果が確認されていた。
強度計算でも問題無しと判断されたことからイザナミ決での採用に至ったわけだが、当のオリヒメは新素材に対して未だ懐疑的であった。
「(ねえ、イザナミ……私みたいな不甲斐無い女の専用機として生まれて幸せなの?)」
機体性能を限界まで引き出せない、情けない乗り手で申し訳ない――。
自分のせいで高性能を持て余しているであろう白と紫のサキモリに詫びるオリヒメ。
カタログスペックではスターライガチームの主力機と同等以上のはずだが、それでも勝てないとなると責任は搭乗者の技量に転嫁されやすい。
「(……フフッ、小さい頃のユキに話し掛けるみたいなことをするなんて、私も疲れているのかもしれないわね)」
本来は魂など持たない機械へ語り掛けていたことに気付き、オリヒメは様々な問題への対応で疲れ果てているのだろうと自嘲気味に笑う。
「(何者にも縛られず、ただひたすら理想を追求するために生きられるって羨ましいな……)」
あらゆる役割や使命から目を逸らし、無責任に逃げ出すことができたらどれほど気楽だろうか。
果てしない蒼空を翔ける鳥のように――あるいは理想に殉じているであろうスターライガチームのような生き方がしてみたかった。
「(この戦争でおそらく私もユキも死ぬ。アキヅキの血はオウカのお腹の子に受け継がれるでしょうけど、その子には亡命先でごく普通の地球人として生きてほしい)」
だが、本音を漏らしながらもオリヒメには一族が犯したあらゆる罪を背負い、自らと妹の死を以ってそれを清算する覚悟があった。
全ては月の民とこれから生まれてくるであろう姪っ子に少しでも平穏無事な未来を残すために……。
【貴族番付と筆頭貴族】
国家成立の歴史的経緯から、オリエント連邦は由緒正しい貴族階級の存在を重要視していることで知られる。
連邦政府が認可している貴族は"貴族番付"というリストで序列化されており、これは社会貢献度などにより上下することがある。
その中でも貴族番付の上位32位は"筆頭貴族"と呼ばれ、33位以下の"準貴族"とは別格の特権及び社会的責任を有している。
当然ながら不祥事などに対する罰則規定もかなり厳しく、かつてはラヴェンツァリ家のように上位の筆頭貴族でありながら番付より除名されてしまう事例が珍しくなかった。




