【TLH-43】ミノリカの叫び
自分たちルナサリアンの戦争目的を糾弾されたユキヒメは眉をひそめる。
「姉上のお考えを愚弄するか……!」
ルナサリアンの政治体制はオリヒメを唯一絶対の指導者とする専制君主制。
オリヒメの意思とルナサリアンの総意は基本的にイコールである。
つまり、ユキヒメは体制側に属する都合上"ルナサリアンへの批判=オリヒメへの批判"という意識付けが必要なのだ。
「聞こえないのなら、何度でも言ってあげる! 武力で主義主張を押し通すやり方で人々が納得するわけないでしょ!」
その歪んだ考え方を詰るように"独裁者による強硬姿勢では誰も幸せにならない"と強く糾弾するミノリカ。
「……全く、その通りだな」
それに対するユキヒメの反応はあまりにも意外且つ呆気の無いモノだった。
彼女は姉上への過剰なまでの忠誠心が揺らいだのか、ミノリカの発言に同意しつつ皮肉めいた笑みを浮かべていた。
「ん?」
「力による現状変更が説得力の無い手法であることなど分かっている。事実、我が一族がフユヅキ家から権力を簒奪した直後の数年間は、反政府運動の鎮圧に度々苦労させられたものだ」
様子を訝しんだシズハが警戒しながら首を傾げると、ユキヒメは"アキヅキ・ユキヒメ"という一個人の視点からアキヅキ家の行動の是非について語り始める。
「分かっているんだ……私も姉さんも。単純に地球への植民を行うだけならば、地球人が寄り付かない不毛な僻地を政治的取引で確保すればよかったものを」
立場上表立って反論することは許されなかったが、ユキヒメも本当は地球との戦争など望んでいなかったのだ。
それどころか、後の祭りとはいえ彼女は"戦争を回避できたかもしれない方法"まで自分なりに考えていた。
「だが……元々野心家で上昇志向が強かった姉さんは、地球人のあの女に色々と吹き込まれてからおかしくなった」
ユキヒメから見たオリヒメは"時に冷酷で手段を選ばない女"というイメージが強いが、たった一人の肉親として強い絆で結ばれていた。
それは今も変わらないとはいえ、地球からの亡命者を客将として招いたその日を境に姉の方は変わってしまったような気がする。
「あの女――ライラック・ラヴェンツァリのことか?」
「そうだ。奴は豊富な知識を以って姉さんに入れ知恵を行い、地球という星その物を欲しがるように仕向けたのだ」
リゲルが特に迷うこと無く挙げた名前を肯定し、ライラック博士が如何にしてルナサリアンへ取り入ったかを明かすユキヒメ。
その言い回しからは露骨な不満が見て取れた。
「30年前に仕留め切れず取り逃がした結果がこれだぜ。まあ、あん時戦ったライガとリリーを責めるつもりは無いけどよ」
約30年前――バイオロイド事件の顛末が未だ尾を引き、自分たちへの脅威として跳ね返ってきた事実にルミアは肩を竦める。
「惑星自体の生命力に由来する豊かな自然、工場生産ではない天然の水と空気、どこまでも広がる大地と海と空――我々月の民に伝わる神話を信じている姉さんにとって、あの蒼い星は神話の中に出てくる"約束の地"なのかもしれないな」
ユキヒメが列挙するこれらは地球人にとっては当たり前に享受できるモノ。
しかし、月という過酷な土地をフロンティアとして切り拓いたルナサリアンは違う。
彼女らは最低限必要な水や空気でさえ、最先端の専用工場を稼働させなければ得られないのだ。
かつて地球側が計画立案と廃案を繰り返してきた宇宙開発史からも分かる通り、月面への植民は決して容易なことではない。
そして、様々な困難を乗り越えて月という過酷な世界で生きていけるようになったとしても、そこから人類を進歩させるだけの"何か"を得られる保証も無い。
「言い換えるならば"地球への羨望"――それが地球侵攻を目論む本当の理由というわけか」
開戦時の宣戦布告でオリヒメがわずかに触れていた"ルナサリアンのルーツ"を思い出し、戦争が始まるキッカケの一つにシズハは気付く。
半年前のことなのでほとんどの人は忘れてしまっているが、ルナサリアンとは徹底的なアパルトヘイト政策により地球を追われた人々の末裔である――と云われている。
「おとぎ話を軍事侵攻の理由にされたら国民は堪ったものではない。だから、表向きは"領土侵犯への報復"や"国内問題の解決手段となり得る植民地獲得"といった当たり障りの無い理由をでっち上げたのさ」
ルナサリアンのルーツに言及した歴史資料の多くは信憑性が高いとはいえ、理想論だけで大衆を説得することは難しい。
自身の願望に説得力を持たせる理論武装として、大衆でも容易に想像できる理由を用意したのだろう――とユキヒメは述べる。
「クソッタレがッ! テメェの姉貴の夢物語のせいでどれだけの人が死んだか分かってんのかッ!」
彼女はあくまでも姉に近い立場から推測を述べただけに過ぎない。
それを頭では分かっていたとしても、身内の傍若無人ぶりにここまで冷静にいられることをルミアはハッキリ言って理解できなかった。
「ルミア、落ち着け……!」
「私はなりふり構わないぜ……チャンスが今しかないのならば、テメェをここで殺す!」
まだ情報を聞き出すべきだと窘めるリゲルの制止を無視し、愛機シャルフリヒターのPDW(接近戦用サブマシンガン)で白と赤のサキモリを睨みつけるルミア。
「やめてッ!」
二度と減らず口を叩けないよう操縦桿のトリガーを引こうとしたその時、ルミア機の射線上に味方であるはずのミノリカが突然割り込むのだった。
「……チッ」
敵味方の区別が付く程度の冷静さを保っていたルミアは露骨な舌打ちをしながらも、この場では一旦武器を下ろす。
「(ミノリカはアキヅキ・ユキヒメと同じく名家の令嬢だ。一般庶民の僕たちよりも話が通じる相手かもしれない)」
一方、ミノリカの意図を察したリゲルは彼女に任せてみるべきだと考え、貴族令嬢同士の対話を見守ることにした。
「ユキヒメさん……自分たちのやり方が間違っているって分かってるのなら、今からでもやり直そうよ」
愛機クシナダを相手の方へ振り向かせると、まずは攻撃の意思が無いことを示すため全ての携行武器を手放すミノリカ。
そのうえで彼女は航空無線を通じてユキヒメに話し掛け、"過ちを自覚しているのならばやり直すことができる"と告げる。
「お姉さんを止めるには……妹である貴女の説得が必要なのよ!」
ミノリカがここまで真摯になって説得を試みているのは、やはり自身と同じ"妹"という立場への共感が理由なのだろうか。
「ミノリカ……!」
彼女の姉であるシズハは驚きと喜びが入り混じった表情で妹の一言一句に耳を傾ける。
「貴様……そうか、貴女は本当に姉想いなのだな……」
そして、その言葉は交渉相手のユキヒメにも多大な影響を与えていた。
"月の武人"として振る舞う時の威圧的な言動を抑え、ミノリカに対し明確な敬意を表していることが何よりの証拠だ。
「私のたった一人の――そして、不甲斐無い私に代わって家を継いでくれた自慢の妹だ」
そんな妹をアシストするように今度はシズハが説得に加勢し、"姉"としての立場からは妹がどういう風に見えているのか語り始める。
「ミノリカの言葉が届かないのならば、私がぶん殴ってでもその身に叩き込んでやる」
そう言いながら乗機アゲハが構えていた専用ビームサーベルをウェポンラックへ戻すと、シズハは機体のマニピュレータで握り拳を作ることで"妹の話を聞け"と遠回しに威嚇する。
「心の臓を抉るように響いたよ……私にも貴女のように強い意志があれば、姉さんの暴走を止められたかもしれないのに」
ユキヒメの周りにはオータムリンク姉妹のようにハッキリと言ってくれる人間がいなかった。
それに加えてユキヒメ自身も姉に対しては強く出ることができず、忠告を与えたとしても考えを変えさせるだけの影響力を発揮できない落ち度があった。
「(私が姉さんを見限ったら、彼女の精神的支えとなる者がいなくなってしまう。そして、その心の闇にあの女が付け入ったら……)」
本来オリヒメは非常に繊細な一面を除けば普通の女性であり、一般的にイメージされる人物像は"唯一無二の偉大なる絶対的指導者"を演じるためのブラフに過ぎない。
もし、たった一人の肉親として公私共に支えてきたユキヒメがその役目を放棄したと知った時、ただでさえ消耗しているオリヒメはどうなってしまうのだろうか……?
「……申し訳無い、やはり姉さんを――彼女の言葉を鵜呑みにして死んでいった将兵たちを裏切ることはできない」
暫しの沈黙の後、ユキヒメは詫びるように首を横に振りながらこう答える。
オリヒメや自分たち姉妹を純粋に信じている月の民たちを見捨てることはできない――と。
「ユキヒメさんッ!」
「もう手遅れなんだッ! 何もかもが! ここで地球の軍勢を撃滅しなければ、我々月の民が滅ぼされることになる!」
ミノリカによる懸命な説得も空しく、ユキヒメの"アキヅキ家の次女として皇族と国家に殉ずる"という考えを変えさせるには至らなかった。
その背景の一つには地球人からの報復に対する恐怖があった。
「そんなことは無い! 独裁政権さえ打倒すれば戦いは終わる! この期に及んでなぜ闇雲に戦禍を広げる必要がある!?」
「私たちはどうなろうと構わない。戦争犯罪人として罰を受ける覚悟もできている。だが、戦争協力を強いられた国民まで制裁対象とされるわけにはいかないのだ」
そういった懸念についてリゲルが"人間の良心"を信頼できないのかと尋ねると、ユキヒメは自分たち指導者層ではなく"一般国民の戦後"を心配しているのだと切り返す。
「これは貴様らに当てはまる事例ではないが、地球人の中には混乱に乗じて利益を得ようとしている者共がいるらしい」
まずスターライガチーム自体は信頼していると前置きしたうえで、度々行われてきた地球側からの和平交渉申し入れに最後まで応じなかった理由を明かすユキヒメ。
最終判断を下したのはあくまでもオリヒメだが、ルナサリアン内部では徹底抗戦論が優勢であったとされている。
「土地、資源、技術、文化――そして人間。戦争とは実力行使を以ってそれらを奪い合う行為に過ぎない」
ユキヒメ曰く戦争とは"国家があらゆる欲望を満たすために利権を奪う手段"であり、自国が容易に入手できない高価値なモノを相手国が持っていて、尚且つそれを有効活用できている時に発生しやすいという。
「戦争の本質だ。お前らは地球が欲しいからある日突然やって来て、私たちの星のありとあらゆる物を略奪していっただろうが」
彼女の理論を聞いたルミアは"利権が絡まない戦争など無い"と当たり前のように答え、ルナサリアンも結局は利益確保を狙って戦争に踏み切ったのだと指摘する。
「地球の権力者共も同じ穴の狢だ! オリエント連邦での首脳会談の時、奴らは戦争に勝つ前提で戦後の利益配分について言い争っていたではないか!」
これ以上不得意な舌戦で負けるわけにはいかない。
批判への反論としてユキヒメは8月末に行われた第2回地球・月首脳会談を引き合いに出し、そこで繰り広げられた出来事の数々を忌々しげに述懐し始める。
「そ、それは……地球人全てが醜いパイの奪い合いをしているわけじゃ……」
筆頭貴族当主として当時同じ場に居合わせていたミノリカの声は明らかに震えており、とてもじゃないが説得力に欠けていた。
「報復や戦後賠償という大義名分を以って我々から全てを奪い取ろうとする連中に……祖国を売るつもりなど一切無い!」
この戦争に勝利するべく暗中模索を続ける姉、目的を見失った戦争のために命を懸けている将兵たち、自分たちの言葉を信じて生活を送る一般市民たち――。
ユキヒメは生まれ育った祖国を命に替えても守り抜くつもりであった。
【Tips】
ルナサリアン側が所有している歴史資料の内容は地球側と矛盾する点が多いことから、巧妙に作られた偽造品(=偽りの歴史)が大半を占めているという説がある。
その一方で「パラレルワールドの理論を考慮すれば矛盾は説明できる」という攻めた意見も存在し、どこからどこまでが真実なのかはよく分かっていない。
実際のところ、月面移民以前の歴史については資料自体があまり残っておらず、当のルナサリアンでさえこの時代の知識は限られているようだ。




