【TLH-31】血路
ルナサリアン艦隊はまだ二つの防衛線を残しているため慌てる必要は無いが、ここで地球側の進軍を食い止めれば再侵攻に必要な戦力を温存することができる。
「(戦局は僅かながらこちらが優勢と言ったところか)」
つまり、リク艦長率いる機動艦隊の戦いは大局を左右する可能性さえあると言えた。
「敵艦隊の脅威度、5割にまで低下。先遣艦隊は既に壊滅状態です」
「敵は二つの防衛線を抜けるまでにある程度消耗しています。ここで我々が更に圧力を掛ければ、第四防衛線が直接手を下さずとも組織的戦闘力を失うでしょう」
オペレーターの戦況報告を聞いた副長は敵がこれまでの戦闘で既に消耗していることを挙げ、自軍の勝利は近いという推測を立てる。
「そう願いたいし、可能であればここで投降してほしいのだがね……相手が死ぬまで戦うつもりならやむを得ん」
一方、リクはその希望的観測に乗っかりたいと語りつつも、そう簡単に物事が進むとは限らないと慎重な姿勢を崩さない。
「君も『追い詰められた狐は野干よりも凶暴』というコトワザを知っているだろう? 退路を断たれた敵ほど死に物狂いでヤケになって戦うのさ」
自らの理論を簡潔に説明するため、副長に対しルナサリアンに伝わる諺を教えるリク。
更に噛み砕いて言うなら、"生還できる見込みが無くなった敵兵士の猛反撃に注意しろ"という教訓だ。
大抵の場合、人間も動物も命の危機に瀕した時が最も戦闘力を発揮する瞬間である。
「ボクたちは敵の尻に火を付けてしまったのかもしれない」
「こ、こちら第一指揮所! 敵艦隊旗艦が突っ込んで来ます!」
先人の知恵を軽視したことを内心後悔するリクへ追い打ちを掛けるかのように、ブリッジ上層で目視監視中の乗組員から敵艦急速接近の報が告げられる。
「ほら見ろ、破れかぶれになって来たぞ! 特攻でこの艦諸共沈めるつもりだろうが、こちらも生き残るための努力はさせてもらう!」
リクが睨みつけている全天周囲スクリーンに敵艦隊旗艦――航空戦艦アイオワの正面姿が映り、艦砲射撃を放ちながら見る見るうちに近付いてくる。
「随伴艦及び航空隊は敵艦隊旗艦に火力を集中! 接近される前に撃沈する!」
特攻による共倒れという事態を避けるべく、リクは最優先攻撃目標をアイオワに設定するのだった。
「怯むなッ! 戦艦の装甲ならばそう簡単に沈みはせん!」
対する先遣艦隊旗艦アイオワはバッセル大将指揮の下、海と空からの迎撃に晒されながらも一心不乱に突き進んでいた。
「1番エンジン停止! 速力及び旋回性能10%低下!」
「艦が動く限りはやるぞ!」
操舵士からの報告を受けてもなお、前に進めるのならば最後まで全力を尽くすという姿勢を崩さないバッセル。
「こちらフラッシュ1! バッセル艦長、このままでは敵空母と衝突します! 至急回避運動を!」
「いや、これは自らの意思でやっていることだ。艦をぶつけてでも敵艦隊旗艦を仕留めてみせる」
事情を把握できていないであろうアイオワ航空隊所属のフラッシュ1は母艦に対し回避運動を促すが、バッセルは艦隊特攻の意思を伝えることでその配慮を謝絶する。
「正気か大将!? あんたのような聡明な指揮官を無駄死にさせるわけにはいかない!」
「今更止めても間に合わん! 少佐、君は航空隊の残存戦力を率いて友軍艦隊と合流したまえ! オリエント国防軍やスターライガと共に勝利を掴んでくれ!」
当然フラッシュ1はアメリカ海軍で唯一無二の名将を喪いたくないと声を荒げるものの、逆に彼のような未来ある若者たちが生き残るべきだとバッセルは切り返した。
「……了解しました、どうかご無事で」
上官の覚悟を悟ったフラッシュ1は説得を断念。
バッセル大将の"遺言"に従い、残りわずかな僚機と共に友軍であるオリエント国防海軍との合流を目指す。
「すまないな、艦隊戦力の90%近くを失うような無能指揮官に最期まで付き合わせて」
「いえ……むしろ大将の副官として戦えて光栄でありました」
航空隊との最後の通信を終えたバッセルが苦笑いしながら振り向くと、副長はそんなこと無いと言わんばかりに力強い敬礼で返答する。
「諸君の命を私にくれたことは死んでも忘れんぞ」
退艦命令に従わず最後まで残ってくれたブリッジクルーたちの顔を一人一人見渡した後、自身と彼らの命をぶつける相手をバッセルは再び睨みつける。
「敵空母の懐に飛び込みました! 最大戦速で突撃します!」
「良い進入角度だ……! このまま敵艦の土手っ腹に突っ込んでやれッ!!」
正面側の全天周囲スクリーンにルナサリアン艦隊旗艦――航空母艦ウワハルの右舷がデカデカと映し出される。
操舵士の最期の仕事ぶりを褒め称え、バッセルは全速前進の指示を下す……!
スターライガとの戦闘で損傷したエイシンのサイカチが戻って来た時、彼女の母艦ウワハルは船体が真っ二つに割れた状態で大破炎上していた。
船体前半を大きく損傷した敵戦艦アイオワがめり込むように擱座していることから、特攻を仕掛けて衝突したと見て間違い無い。
「くッ、遅かったみたいですね……!」
もう少し早く一時撤退の判断を下していればと首を横に振るエイシン。
「ウワハルが……爆発炎上してる……」
「困りましたね。着艦して応急修理をしたいのですが、あれではさすがに降りられない」
コ・パイロットであるメジロの見たままの感想が示している通り、ウワハルはもはや手の施しようが無いほどの業火に包まれていた。
飛行甲板にも火が回り始めていることから、エイシンは着艦を断念し取り敢えず上空待機を選択する。
「こちらカミナリヅキ――そうですか……分かりました。遺憾とはいえそれが適切な対応だと思います」
その直後、ウワハルから指揮権を引き継いだと思われる味方艦より通信が入り、今後の方針について知らされたエイシンは不本意ながらそれを受け入れる。
「カミナリヅキより雷撃隊各艇、我が隊は後方の味方艦隊と合流し態勢を立て直します。動ける機体は味方機を庇いつつ後退してください」
「オネヅキ艦隊を見殺しにしろと言うのですか!?」
「納得できません! 我々と残存艦隊で防衛線を死守すれば、敵戦力は封じ込められるはずです!」
彼女は新たな艦隊旗艦の命令をそっくりそのまま伝えるが、事実上の防衛線放棄といえる内容に部下たちは少なからず反発する。
「……並の相手なら確かにその通りでしょう。ただ、敵の先遣艦隊が命懸けで護衛しているのはオリエント国防軍とスターライガです」
こういった反応についてエイシンは一定の理解を示しつつも、同時に相手の目標はおそらく"主力部隊の温存"であると告げる。
「少なくとも、そのような甘い見積もりで勝てる相手ではありません」
この戦場に居残った場合、地球側で最強と目される戦力に対して不利な状態で戦うことになる――。
彼女が厳しい現実を指摘した時、部下たちの不平不満は完全に収まっていた。
「(第四防衛線にも戦艦部隊と機動艦隊が控えている。ここでの消耗を考えれば、我々が命を投げ捨てる必要は無いでしょう)」
しかし、希望が無いわけではない。
仮に第三防衛線を突破されたとしても、同程度の大戦力を擁する第四防衛線まで引きずり込めば勝てるとエイシンは踏んでいた。
オリエント国防海軍旗艦アカツキは燃え盛るアイオワの横を通過し、敵艦隊の追撃を耐え凌ぎながら戦闘宙域を最大戦速で抜けていく。
「(バッセル大将……貴官の決死の行動、決して無駄にはしません)」
作戦遂行を最優先としているので救助活動のために足を止めることができず、多数の将兵を見殺しにせざるを得ない状況を心の中で詫びるサビーヌ艦隊司令官。
これで自分たちだけが天国へ逝くことはできなくなった。
「敵艦隊の包囲網、完全に突破しました!」
オペレーターがこう報告した瞬間、最大の山場を切り抜けたブリッジクルーたちは歓声を上げる。
「一時はどうなることかと思いましたが……この場は何とか凌げましたね」
「ただ、この防衛ラインを抜けるために我々は少なくない犠牲を強いられた」
普段冷静沈着なコーデリア副長も今回ばかりは安堵の表情を浮かべているが、将兵たちの死を悔やむ心優しいサビーヌはそこまで笑顔になれない。
「総員、血路を切り拓くために散っていった全ての戦友たちに……黙祷!」
今後の戦闘は更に激しさを増し、戦死者の屍も加速度的に積み重なっていくだろう。
それでもキリが良いタイミングでの追悼は必要だと考え、全乗組員に対し黙祷を捧げるよう促すサビーヌ。
「単純な距離で言えば、既に地球よりも月の方が近いところまで来ている」
彼女は黙祷を終えると艦内電話の受話器を再び顔に近付け、38万キロの旅路は折り返し地点を過ぎていることを伝える。
「つまり、ここで怖気付いて引き返したとしても、地球まで帰る分の燃料は無いということだ」
地球側の艦隊は月へ向かう必要最低限の推進剤しか積んでいない。
回れ右して地球の引力に捕まればラッキーだが、そうでなければ広大な宇宙空間を漂流するハメになるだろう。
「我々は"ルナサリアンの指導者を討ち、戦争遂行勢力を一掃する"という目標を果たすべく宇宙へ上がった」
サビーヌが総員に周知徹底しようとしている目標はただ一つ――この戦争の早期終結だ。
「目の前に浮かぶ月へ何としてでも辿り着く……志半ばで倒れていった者たちの為にも……!」
その目標に殉じた命を無駄にしないことが、サビーヌら生き残った者たちに課せられた使命であった。
「第三防衛線との通信が途絶しただと!? まさか、あの双子艦隊がこうも呆気無く敗れ去るとはな……」
オネヅキ姉妹の敗北――すなわち第三防衛線の崩壊は直ちにルナサリアン主力艦隊でも確認され、それを事実として受け入れたユキヒメは珍しく頭を抱えている。
「しかし、オネヅキ艦隊の奮戦により敵艦隊も甚大な損害を受けておりますわ。敵脅威度は4割まで低下しています」
「だけれども、その4割はここまでしぶとく生き残ってきたスターライガとオリエント国防軍でしょう?」
彼女の座乗艦シオヅチのメイヅキ・アスナ艦長は楽観論によるフォローを入れようとするが、突如映像通信で割り込んできたオリヒメがそれを阻む。
「姉上……ああ、その通りだ。結局は強い奴らが残る結果となったな」
戦闘指揮所の正面モニターに映る姉の姿を見上げつつ、残るべくして残った敵に対しては敬意を示すユキヒメ。
「第四防衛線の旗艦イワナガヒメに通信を繋げ!」
「ハッ!」
「私だ。そちらでも確認しているかもしれないが、第三防衛線が突破された」
とはいえ、ルナサリアン軍事武門のトップとして黙っているわけにはいかない。
彼女はオペレーターに対し第四防衛線の旗艦を務める空母イワナガヒメと通信を行うよう求めると、自らヘッドセットを奪い取って直接指示を下す。
「次は貴様の艦隊の出番だぞ。戦力ではそちらの方が有利だ……ここで奴らの息の根を止めろ」
第四防衛線にはイワナガヒメを中心とする機動艦隊に加え、2隻の戦艦を擁する水上打撃部隊も配置されている。
これらの戦力をフル活用すれば防衛線を維持できるだろうとユキヒメは太鼓判を押す。
「ただし、相手の残存戦力は地球上での決戦で我々を退けた連中でもある。場合によっては刺し違える覚悟も必要だと思え」
もちろん、ただ味方を持ち上げるだけでは慢心を招く恐れがある。
過酷な道中を掻い潜ってきた敵は間違い無く精鋭揃いであり、心して掛かるべき相手だと彼女は付け加える。
「(セシル・アリアンロッド、それにスターライガ――あまり失望させてくれるなよ)」
表面上は冷静を装いつつも、内心では地球上で幾度と無く剣を交えてきた強敵たちの到来を心待ちにしているユキヒメ。
「相変わらず強者と戦うことが好きなのね……まあ、その心配は杞憂に終わりそうだけど」
それを感じ取ったオリヒメはうっかり口を滑らしてしまうが、視線を逸らしながらこのように誤魔化すのだった。
【野干】
ルナサリアンにおいては野犬の類を指す言葉だが、一般的にはジャッカルのような動物がイメージされるという。
ちなみに、ルナサリアンの祖先は様々な目的のために動物を持ち込んでおり、野干は野生化した愛玩犬が独自進化を遂げた姿と云われている。




