【TLH-4】星の海への船出
2132年9月11日午後5時――。
本日中に全艦艇の打ち上げを終わらせるべく、オリエント国防軍ヴォヤージュ航空宇宙基地ではスタッフ総出で作業が進められている。
「……あれ? 艦長、こんな所で何をしているんですか?」
自室の整理整頓を終えたスレイが外の空気を吸うため甲板上へ足を運ぶと、そこでは珍しい先客――メルト艦長が黄昏れていた。
「休憩ついでに地球の景色を目に焼き付けておこうと思って。宇宙へ上がったら当分の間は見れそうにないから」
こう語るメルトは軍帽を脱いだうえで上着のボタンを外しており、リラックスした様子であることが窺える。
「そうですね……」
「今は軍人じゃなくて"普通の女同士"として話してほしいな、スレイちゃん」
「お気遣いありがとうございます」
彼女は軍人同士として接しようとする女性士官に力を抜くよう促し、その厚意を受けたスレイはメルト艦長の隣へ歩み寄る。
この二人は年齢がほとんど変わらないためか、非番の際は度々行動を共にするほど仲が良かった。
「私、両親に『必ず生きて帰って来る』って約束をしたの。だけど……今は安易にそう誓ったことを後悔してるかもしれない」
2歳年上の上官に対し普段の口調で本音を打ち明けるスレイ。
「月へ戦争をしに行って、しかも無事に帰って来られるかなんて誰にも分からないのに……」
「……約束を交わせる相手がいるって幸せなことだと思うな」
スレイの話を一通り聞き終えると、今度はメルトがアドバイスも兼ねた身の上話を始めるのだった。
「私の両親は孤児同士のペアリング制度で結婚したから、元々親戚がいなかったの」
オリエント国防軍には上流階級出身のエリートが多いが、メルトのような例外――所謂"成り上がり"がいないわけではない。
「お父さんは小さい頃に事故で死んだから覚えてない。その後はお母さんが女手一つで育ててくれたけど、今は病気で寝たきりになってる」
夕暮れを迎えつつある秋空を見ながら両親の現況を語るメルト。
彼女が自分の家族について誰かに話すことは非常に珍しい。
「本土空襲の前に病院へ見舞いに行った時、担当医の先生にハッキリと言われたの。病気が脳細胞の半分以上に進行していて、おそらくコミュニケーションが取れるまで回復することは無いって……」
そして、軍病院に入院している母親の容態について教えるのは初めてのことであった。
スレイが本音を明かしたため、メルトの方もそれに応えたかったのかもしれない。
「その日は一応お母さんと顔を合わせたけど……先生の話が頭から離れなくて、声は掛けずに帰っちゃった」
それが最後の機会となるかもしれないにもかかわらず、一言も掛けられなかった己の弱さをメルトは後悔していた。
「私は天涯孤独になることは覚悟していたし、もう大人だから一人でも何とかやっていける」
彼女は自分自身へ言い聞かせるようにいずれ訪れる"別れ"への覚悟を示す。
「でも、スレイちゃんにはご両親や友達がたくさんいるんでしょ? だったら、その人たちを悲しませたらいけないね」
だが、それと同時に「待っている人がいるのなら話は違う」とも付け加える。
「約束は守るためにある――そして、あなたには帰る場所もあることを忘れないで」
この言葉と共にメルトは自分よりも幸せに生きてきたであろうスレイの肩を優しく叩く。
「さて……私はそろそろブリッジに戻らないと」
もう少しだけ二人で夕焼け空を眺めた後、彼女は軍帽を被り直し仕事場へと戻るのであった。
ヴォヤージュ航空宇宙基地には2基のマスドライバーが存在するが、全艦艇をそれで打ち上げていては時間がいくらあっても足りない。
そのため、単独で大気圏離脱可能な艦にはなるべく自力で宇宙へ上がってもらうことで、少しでも打ち上げに掛ける時間を削る努力が為されていた。
ここで手間取っていると艦隊の動きをルナサリアンに察知され、基地自体が空襲を受けるかもしれないからだ。
「ワルキューレが上昇していく……」
ロータス・チームの母艦トリアシュル・フリエータは単独での大気圏離脱ができないため、マスドライバーによる加速を以って宇宙を目指すことになる。
オペレーター席に座るミルが窓の外へ視線を移すと、増速ブースターを装備したスカーレット・ワルキューレら数隻の大型艦が白煙を残しながら夕焼け空を上昇していた。
「あっちはマスドライバー無しでも大気圏離脱ができて羨ましいぜ」
同じプライベーターでもここまで違いが出るのかと愚痴るヌエ。
火器管制員である彼には宇宙へ出てから本格的に活躍してもらうことになる。
「仕方無いだろ。向こうは航空戦艦でこっちはフリゲートなうえ、あそこまで仕上げるのに費やすリソースが桁違いなんだ」
「シートベルトを締めときなさいな。どれほどの加速度が掛かるかは知ってるでしょ?」
それに対して操舵士のリソは組織力が根本的に異なると語り、ミルはシートベルトを締めているか確認を促す。
この二人からは"自分たちにできることを精一杯"という意気込みが感じられる。
「リソ、チェックリストの確認は?」
「もう済ませている。あとは管制からの許可を待つだけだ」
艦長席でタブレット端末に目を通していたノゾミから準備状況を尋ねられると、仕事が早いリソは既に完了済みだと返答する。
「ヴォヤージュ基地管制センターより通信! 『準備完了次第速やかに発進されたし。von voyage』――あちらの担当者はお茶目な人みたいですね」
そこへ割り込むようにミルは管制センターからの発進許可を伝達するが、管制官の言い回しに思わず苦笑いしている。
「そうみたいね……今回の航海が良い旅になるといいのだけれど」
von voyageとはフランス語で"良い旅を"という意味。
ノゾミはその言葉通りの航海ができることを期待していたが……。
「ミル、管制センターへ返信を! 『地球のために戦う人々へ女神イヴァトナの祝福があらんことを』」
ミルに管制センターへの返答を行うよう指示しつつ、自らも表情を引き締め"艦長"としての責務に臨むノゾミ。
「ブリッジ耐衝撃シャッター閉鎖!」
まず彼女は手元のコンソールパネルを操作し、ブリッジの窓を保護するためのシャッターを下ろす。
この操作と同時に室内灯の明度が落とされ、窓ガラス上に投影されているHIS(ホログラム・インターフェース)の表示が見やすくなる。
「マスドライバーの軸線上に障害物無し! 進路クリア!」
「推進装置の出力をN1にセット! 各パラメータに異常無し!」
ミルの報告を受けたリソは慎重にスロットルレバーの操作を開始する。
いきなりフルスロットルにすると推進装置に負荷が掛かるため、最初は"N1"と呼ばれる40%程度の推力で安定稼働させるのが正しい操作手順だ。
「続いてN2へ移行! オールグリーン!」
N1における推進装置の稼働状況が問題無いことを確認したうえで、続いて離陸可能な推力の目安である"N2"の位置までスロットルレバーを移動させるリソ。
時間を掛けて丁寧に整備したおかげなのか、トリアシュル・フリエータの推進装置はいつも以上に好調であった。
「マスドライバー側の制動装置解除までカウント10! 9、8、7、6、5――」
他のブリッジクルーと情報共有しながらミルは管制センターともやり取りを行い、打ち上げのカウントダウンという重責まで担う。
「4、3、2、1……加速開始!」
ミルの合図と同時にマスドライバー側に設けられている制動装置が解除され、予め推力を上げていたフリエータの船体が一気に動き始める。
「増速ブースター点火!」
「了解! 点火!」
ノゾミの指示に合わせてリソは操舵輪のボタンを押し込み、フリエータの側面に取り付けられた増速ブースターを適切なタイミングで作動させる。
「高度1000、2000、3000――いや、5000、7000、10000! なおも順調に上昇中!」
マスドライバーによる初期加速とブースターの推進力が相乗効果を発揮し、ミルのアナウンスが追い付かないほどの速度で夕焼け空を翔け上がっていく。
ここまで来れば問題無く宇宙へ上がることはできるだろう。
「(この先に広がっているのは星の海……そこからが本当の意味でのスタートになる)」
強烈な加速度に耐えながらノゾミは考える。
38万キロの旅路はようやく出発地点であり、ここから更に長く苦しい戦いが待っているのだと……。
日本・長野県のとある山村――。
軍事的価値の無い田舎町にも戦争の影は着実に忍び寄っており、戦況悪化に伴い9月からは日本全国の自治体で灯火管制が義務付けられるようになっていた。
「(この位置取りなら宇宙へ上がる艦隊が見えるはず……!)」
そんな情勢を知ってか知らずか、この少女は天体望遠鏡を担いで"いつもの裏山"に足を運んでいた。
現在時刻は午後9時――本来ならば灯火管制が実施され、不要不急の外出も禁止されている時間帯である。
「やっぱりここにいた! いつ空襲が来るか分からないのに飛鳥はマイペースだな」
「この辺りに軍事施設は無いから空襲も来ないと思う。だから、都会に住んでる人たちがたくさん疎開してるんでしょ?」
懐中電灯の光を自分に向けてくる兄の言葉など気にも留めず、飛鳥と呼ばれた少女は慣れた手つきで天体望遠鏡をセットし始める。
「……ルナサリアンは町中にも爆弾を落とすらしい。東北地方に上陸したって噂も流れてるし、どのニュースが本物なのか俺には分からないよ」
戦況に関する報道は否が応でも見聞きしているが、その中のどこまでが事実なのか知る術が無いと飛鳥の兄は嘆く。
ある番組では「民間人の犠牲を抑える努力をしている模様」と報じる一方、高名な軍事評論家は「基本的に無差別攻撃を行っている」と指摘するなど、地球人のルナサリアンに対する認識には一貫性が足りないのだ。
「んで、お前はこんな夜遅くに天体観測か?」
「いや……オリエント連邦の方から宇宙へ上がる艦隊を見ようと思って」
彼がいつものように天体観測をするのかと尋ねると、飛鳥は首を横に振りながら「今日は天体以外の物を見たい」と答える。
「意外だな、お前が軍隊に興味を持つなんて」
「帰って来れるか分からないのに、それでも月へ向かう人たちの姿を見たいの」
兄が指摘している通り、マイペースな飛鳥が興味の無い分野に関心を示すことは非常に珍しい。
しかも、彼女は戦地へ赴く遥か遠い異国の人々について気遣っていた。
「うん……? あの上がっていく光はそうじゃないか?」
「間違い無い! これは……戦艦?」
夜空を見上げていた兄が複数の発光体を指差した次の瞬間、望遠鏡を覗き込んだ飛鳥はその正体がオリエント国防海軍の軍艦であると確信する。
「(自分なりに調べたことがある……確か、あの戦艦が『スカーレット・ワルキューレ』だったはず)」
それらの中でも一際目立つ航空戦艦――それを運用するスターライガと飛鳥の関わりは、この時から始まっていたのかもしれない。
【イヴァトナ】
オリエント神話に登場する32の女神の一人で、幸運を司るとされる。
オリエント圏では相手の幸運を祈る時にイヴァトナへ加護を願う風習がある。




