【BTF-55】Still here...
リリーとの結婚を認めてもらうため、人生で一二を争うほど深々と頭を下げるルナール。
「……ラヴェンツァリ家は墜ちた一族。我ら誇り高きオロルクリフ家とは釣り合わぬ」
しかし、彼女の誠心誠意が込められた願いをルナッサは非情にも却下してしまう。
「何ですって?」
「身分違いの恋は困難の連続だ。お前たちはレガリア・シャルラハロートのことを知っているだろう」
考え得る限り最悪の返答を突き付けられ唖然とするルナールに対し、追い討ちと言わんばかりに彼女の希望を退けた理由を説明するルナッサ。
「それは……」
「レガは前当主と使用人の間に生まれた、差別的な言い方をするならば『庶子』よ。その出自が彼女をどれだけ苦しめたのかは……"平民"にすぎない私には分からない」
突然知り合いの名前が出てきたことでルナールが言葉を詰まらせる一方、リリーは良き友人であるレガリアが抱える複雑な出自を思い出し、オロルクリフ家当主の言い分に一定の理解を示していた。
「どこかのバカ娘と違って彼女は利口だな。たとえ私が結婚を認めたとしても、お前たちが幸せになれる保証など無いのだよ」
"ある人物"の娘らしく聡明なリリーを称賛しつつ、ルナッサは冷ややかな目つきでバカ娘の姿を睨む。
「いい加減"大人"になれ、ルナール。オロルクリフという家名を背負う使命感――それが分かる女として帝王学を仕込んできたはずだが」
それは娘を嫌っているからでは無い。
むしろ彼女の将来を案じているからこそ、オロルクリフ家当主として――3人の娘を持つ父として厳しく接しているのだ。
「クソッ……!」
だが、必死に反論の言葉を紡ぎ出そうと唸るルナールに父親の愛情が伝わっているとは言い難かった。
「母上も……母上だって準貴族の人ではありませんか! オロルクリフ家とは天と地ほどの差がある!」
ようやく顔を上げたルナールの口から言い放たれたのは、母レイラが準貴族の生まれであったという指摘。
準貴族も広義では「貴族」に含まれるが、それでも筆頭貴族よりは格下の社会階級として扱われている。
「口の利き方には気を付けろ! レイラの名前を出すな!」
「そもそも、身分を婚約反対の根拠とするならばライガの時と矛盾している! 彼はレティシア様の直系子孫ではないとはいえ、シルバーストン家の正当な後継者候補のはずだ!」
今は亡き妻を槍玉に挙げられたことに憤るルナッサに対し、かつてライガとの結婚を否定された前例を出すことで父の矛盾を論破しようとするルナール。
「自分は準貴族の女と結婚しておいて、私には別のルールを押し付けるというのか!」
リリーと身分が釣り合わないという指摘は一理ある。
だが、それならば曲がりなりにも筆頭貴族の系譜に属し、家督相続の候補者として認められているライガはどうなのか。
ルナッサの言い分を額面通りに解釈した場合、ルナールとライガは筆頭貴族同士で問題無いはずだが……。
ルナールが求めているのは父の"ダブルスタンダード"に対する釈明と、その先にあるリリーとの結婚の許可。
「言葉を慎めッ!! 母親に対しそのような言い方をするんじゃない!!」
ところが、ルナッサは鬼の形相を浮かべながら娘の胸倉を掴むと、怒りが込められた言葉と共に彼女を突き飛ばしてしまう。
「ルナールさんッ……!」
親子の対立を静観していたリリーは椅子に引っ掛かるように倒れ込んだルナールの傍に歩み寄り、それと同時に娘を「修正」したルナッサの姿を不安げな表情で見上げる。
「今すぐ出て行け! お前のようなアホの顔など見たくもないわ!」
握り拳をプルプルと震わせ、母親を侮辱したバカ娘に退室するよう命じるルナッサ。
「それはこっちのセリフだ! 私は……私はリリーと共に生きたいだけなのに……!」
痛そうに腰をさすっているルナールも完全に頭に血が上っており、肩で息をしながら一人の人間として当然の願いを漏らす。
「駆け落ちでも何でもするがいい……お前を勘当してもメルリンに継がせれば済む話だ……」
ルナッサが背中を向けながらそう告げた時、ルナールとリリーは既に部屋からいなくなっていた。
「(ルナールよ、お前はいつも自分本位で動く悪癖がある。それではライガ君もリリー君も不幸にしてしまうのだぞ……)」
部屋にようやく静寂が訪れ、ルナッサは机の上に飾ってある一枚の家族写真を手に取る。
その中に映っている彼女自身とレイラ、そしてルナールたち"4姉妹"の笑顔はあまりにも眩しかった。
後味の悪い出来事から約1時間後――。
「あ……いたいた! ルナールさん!」
ルナールを探し回っていたリリーは屋敷の外でようやく姿を発見し、手を振りながら大声で呼び掛ける。
「やあ……さっきは見苦しい親子喧嘩を見せて悪かった」
墓石らしき物の前に跪いているルナールは時折腰に手を当てており、やはり先ほどの一件が心身に響いているようだ。
「いえ、リリーが悪いんです……私が部屋を間違えなければ……」
「自分を責めるな。遅かれ早かれこの帰省のタイミングで話を切り出すつもりだったんだ」
親子関係悪化の発端となってしまったことに責任を感じているリリーに歩み寄り、今にも泣き出しそうな彼女の頭に手を置きながら慰めるルナール。
結婚話自体は初めから話題にするつもりだったため、リリーが間違えなかったとしても説得には至らなかっただろう。
「……ああいう結末になることは想定外だったがな」
もっとも、一触即発の事態に至ることまではさすがに考えていなかったが……。
「あの人……怒っているのにとても悲しそうな目をしていました」
落ち着きを取り戻したリリーの感想に対し、ルナールが何かしらの反応を示すことは無かった。
「このお墓……お母様が眠っているの?」
暫しの沈黙の後、気まずい状況を脱したいリリーはクロユリの花束が供えられた2つの墓石について尋ねる。
「ここはオロルクリフ一族の墓地だ。私のご先祖様は全員ここにいる」
この質問については答える気があったらしく、ルナールはゆっくりと立ち上がりながら広大な墓地について説明する。
一族専用の墓地というのは筆頭貴族ならば珍しいモノでは無い。
「これは母上、その左隣は一番下の妹の墓だ」
彼女たちがいる区画にはごく最近の故人が埋葬されており、ルナールの母レイラ(2006~2062)や妹レイナード(2032~2101)が眠っている。
「右隣のお墓は?」
「そこは父上が予約しているスペースだよ。彼女は死してなお母上を愛し続けることを決めているんだ」
レイラの墓の右隣に建つ「無名の墓石」についてリリーが指摘すると、それこそが父ルナッサの母に対する"愛の証"だとルナールは語る。
「……だから、あの時の私の物言いが気に入らなかったんだろうな」
彼女は頭を冷やすことでようやく自分の発言が不適切だった可能性を認める。
身分違いの恋に待つ困難を最もよく知っているのは、他ならぬルナッサ自身であったのだ。
父の不器用な愛情を察したルナールの目は少しだけ潤んでいるように見えた。
「オロルクリフの家名を背負う使命感――か。その重さを考えたことなど一度も無かった……アホと呼ばれても仕方あるまい」
雨雲が垂れ込めている空を見上げながらタメ息を吐くルナール。
父から突き付けられた言葉が今になって重く圧し掛かってくる。
「私が誰かを幸せにすることなど――」
「幸せにしなくちゃいけないんです!」
不安感に苛まれたルナールが珍しく弱音を吐こうとした時、その言葉を遮るようにリリーが大声で叫ぶ。
「誰かと共に生きるつもりなら、必ず幸せにしてあげる覚悟が無いと……!」
彼女の表情から普段のフワフワした雰囲気は消え失せ、蒼く澄み切った瞳がルナールの姿を力強く見つめている。
「その責任を果たせない人とは添い遂げたくありません」
今の情けないルナールは添い遂げるに値しない――。
リリーがそう言いたげなことは明白だ。
「リリー……」
「私には筆頭貴族の伝統とかは分かりません。でも、それだけで決意が揺らぐなんてあなたらしくないですよ」
ルナールに弱々しい声で名前を呼ばれ、肩をすくめながら自身が"平民"にすぎないことを強調するリリー。
しかし、最後の一言には想い人に対する信頼が表れていた。
古今東西問わず上流階級には独特な伝統や慣習が多数存在し、その環境に順応していくのは決して容易なことでは無い。
「あなたと結婚することが決まったら上流階級の礼儀作法を勉強して、筆頭貴族の妻に相応しい女となるよう努力します」
だが、リリーには遠い異国である日本での生活に適応できた経験を持っている。
言語も文化も大きく異なる外国で数十年暮らせたのだから、その適応力をもう一度発揮してみせようというわけだ。
「世継ぎを産めと言われた時は……私、何人でもあなたの赤ちゃんを産みますから」
そして、次期当主の最有力候補とされるルナールの妻になった場合、遅かれ早かれ彼女の"後継者"の誕生を周囲から望まれるだろう。
リリーはお腹に手を当てながら「妻から母になる覚悟」ができていることを示す。
「二人でならどんな困難でも乗り越えられる……あなたが傍にいればきっと大丈夫」
ルナールとずっと一緒に生きたい――。
それがリリーの答えであった。
「リリー……リリー……!」
「ルナール!」
雨粒がポツポツと落ちてくる中、互いの名前を呼びながら強く抱き締め合うルナールとリリー。
「やっと思い出せたよ……ずっと君を欲しいと思っていたんだ。ただ純粋に君に惹かれていたことを……!」
「ようやく見つけました……心の底から愛することができる人を……!」
今この瞬間、二人はようやく進むべき道を共有するに至ったのである。
その先に待っている幸せなハッピーエンドを目指すために……。
「……」
「んッ……」
本降りに変わった雨が身体を濡らすことなど一切気にせず、ルナールとリリーは抱き合ったまま熱い口付けを交わす。
「……雨が強くなってきたな。そろそろ屋敷に戻ろうか」
「うん……」
気が済むまで愛し合ったところでルナールは風邪を引かないよう屋敷へ戻ることを勧め、顔が紅潮しているリリーもそれに同意する。
「母上、レイナ……行ってきます。どうか"星の海"から見守っていてください」
最後に母と妹の墓前に別れを告げ、雨雲の遥か上に広がっているであろう"星の海"を見上げるルナール。
「大丈夫、本当に大切な人はずっと傍にいるから」
一方、彼女に肩を寄せながらリリーは墓地中央に生えている一本の針葉樹――その隣に佇む儚げな女性へ視線を送る。
「(……そうだよね、レイナちゃん?)」
リリーたちが墓前から立ち去るのを見届けると、儚げな女性は微笑みながら煙のように消えてしまうのだった。
【準貴族】
オリエント連邦の貴族番付における序列33位以下の貴族のこと。
32位以上の筆頭貴族と異なり特権やノブレス・オブリージュなどが無く、法的な扱いは一般国民と同等とされる。
筆頭貴族に空位が生じた場合、厳正な審査を経て昇格する可能性がある。
【星の海】
オリエント圏の死生観において"あの世"の代名詞となっている言葉。
古代オリエンティアでは「死者の魂は宇宙に昇る」と考えられ、その時代の慣習は現代オリエンティアにも広く受け継がれている。




