【BTF-52】一夏の思い出
サレナたちを見送ったライガは家に上がり、最上級の客人であるオリヒメをリビングに案内する。
彼の自宅は筆頭貴族が住むような屋敷ではないが、それでも一般庶民の年収ではローン返済に苦労するほどの高級一戸建て住宅だ。
広々としたゆとりある間取り、雪国の冬に耐え得る空調システム、バーベキューパーティーを開くのに程よい広さの庭、普通乗用車2台分の屋根・シャッター付きガレージ、泥棒の侵入を許さない防犯システム、良好な周辺環境――。
エリート層の住居において理想とされる要素は全て揃っている。
「あまり面白い物は無いけど、まあゆっくりしていてくれ。俺は今から夕食の支度に取り掛かる」
オリヒメをリビングの柔らかいソファーに座らせると、ライガは夕食を作るためキッチンへと移動する。
この家の居間はリビングダイニングとなっているため、料理中もコミュニケーションを取ることが可能だ。
「飾ってある優勝杯や金の円盤は何かしら?」
じっとしていることに飽きたオリヒメが興味を示したのは、キャビネットの上に誇らしげに飾られているトロフィーの数々。
「トロフィーは俺がカートレースをしていた頃に貰ったヤツで、ゴールデンレコードは妻が音楽大賞を取った時のだな」
「え?」
それについて尋ねられたライガは簡潔に説明したつもりだったが、ネイティブスピーカーの長文はオリヒメには難しかったらしい。
「ああ、長話は聞き取れなかったか? とにかく……俺と家族が努力してきた証なんだ。勝手に触らないでくれよ」
彼女の反応を見たライガは意識的に話す速度を下げ、トロフィーが彼自身と家族にとって大切な物であることを伝えるのだった。
「悪いな、女王様の肥えた舌に適いそうな料理は作れなくて」
そう言いながら作りたての手料理を配膳していくライガの表情はあまり明るくない。
皿に盛られたボルシチやピロシキ、オリエンティア風ポテトサラダは別に不味そうには見えないが……。
「生鮮食品は避難する前に家族が使い切ってしまったらしい。それに使えたのは保存が効く食材ばかりだ」
彼はレトルトボルシチや冷凍ピロシキを出さねばならないことを卑下していたのだ。
事実、疎開中に腐らせないよう日持ちしない生鮮食品は先に使われ、家に残っているのは備蓄用の保存食ばかりであった。
「最善は尽くしたつもりだが、味には期待しないでくれ。俺の料理スキルは人並みなんでね」
可能な限り味を良くする努力はしたと述べつつ、タメ息を吐きながら席に着くライガ。
戦争の影響が比較的少ないオリエント連邦も食糧事情は安泰では無く、9月から試験的に配給制を導入することが決定している。
「……美味しい」
生まれて初めてボルシチを食べるオリヒメは一口目をしっかりと味わい、既製品というベースがあるとはいえ非常に丁寧な調理が為されていることに驚く。
「おいおい、お世辞はよしてくれよ」
「フフッ、あなたと一緒だから美味しく感じるのかもしれないわ」
敵味方という枠を乗り越え、まるで恋人同士のように苦笑いし合うライガとオリヒメ。
「そりゃどうも」
素っ気無い態度を取りながらピロシキを口に運ぶライガであったが、内心では相手が喜んでくれたことを嬉しく思っていたのかもしれない。
夕食を終えたライガたちは少しだけ談笑した後、2階に上がり今夜の寝床の下見を行う。
「今夜はこの部屋を使ってくれ。ここは元々使用人の宿直室兼客人用の宿泊室だからな」
家の人間が使うことはあまり無い部屋にオリヒメを案内し、ベッドを軽く叩きながら説明を始めるライガ。
当初から使用人の雇用や二世代同居が想定されていたため、ダーステイ家は部屋数に余裕がある設計となっているのだ。
「オリエント連邦は厳しい気候の雪国だ。今ほど交通手段が発達していなかった時代は、天候が回復するまで客人や使用人を滞在させるというマナーがあったらしい」
文化の違いからかオリヒメはどうもピンと来ていないらしく、ライガは補足説明を加えることで相手を納得させる。
「さてと、次は風呂の使い方を教えないといけないな」
毛布や枕の場所を教えたところで、彼は次に浴室の場所と使い方について説明しようとするが……。
「それは一緒に入浴する時で構わないわ」
「……え?」
さも当然のようにオリヒメは混浴を前提で話しており、それを危うくスルーしそうになったライガはハッとしたように聞き返す。
「その方が別々に入るよりも効率的ではなくて?」
ルナサリアンには女性しか存在しないので「混浴」という概念自体が無いのかもしれないが、地球人の感覚では軽々しくできる行為ではない。
まさか、地球と月の文化の違いがこんなところで顕在化してしまうとは……。
「(こいつと一緒にお風呂……いやいや、さすがにアウトだろ)」
控え目に言っても容姿端麗且つスタイル抜群なオリヒメから目を逸らし、煩悩を振り払うようにライガは首を横に振るのだった。
不毛な押し問答を繰り広げた末、オリヒメに浴室の使い方を教えて先に入浴させることには成功した。
彼女は最後まで不服そうではあったが、ライガは理性で何とか踏みとどまってみせた。
……本能に従っていればどれほど楽で、しかも気持ち良くなれたのだろうと考えてしまうが。
「(魔性の女め……あいつの一挙手一投足は股間に悪い!)」
心の中でオリヒメに対する不満をぶちまけつつ、彼女のために着替えを持っていくライガ。
「おい、女王様。下着と寝間着は洗濯機の上に置いておくぞ」
元々は娘が使っていた衣類を洗濯機の上に置き、彼はそそくさと洗面所から立ち去ろうとする。
「あら、ありがとう」
「ぶッ……!」
しかし、浴室のドアを開けて感謝の言葉を伝えにきたオリヒメの姿を見た瞬間、ライガは思わず吹き出してしまう。
「ま、丸見えだぞ! 隠せ隠せ!」
「?」
相手を直視しないようにしながら大事な部分を隠すよう訴えるライガに対し、事態の深刻さを理解できていないオリヒメはキョトンとした顔で首を傾げている。
彼女の表情を見る限り、わざとでは無く本当に「男に裸を見られること」の意味を知らないようだ。
「ええっと、その……地球では異性に対してみだりに裸を見せてはいけないんだ」
目の保養――いや、刺激が強すぎるオリヒメの裸体を観ないよう細心の注意を払い、地球における「男女間のマナー」について説明するライガ。
「別にあなたが相手なら大丈夫でしょう?」
「俺は男だよッ! とにかく、俺はお前が上がるまでリビングにいるからな!」
だが、箱入り娘ぶりを発揮するオリヒメにはさすがについていけなくなり、自分の性別を主張しながらライガはヤケクソ気味に洗面所から出ていってしまう。
「はぁ……?」
その後ろ姿をオリヒメは不思議そうに見つめていた。
入浴を済ませたライガは2階にある寝室へ戻り、ダブルベッドに寝転がりながらスマートフォンを弄り始める。
スターライガメンバー専用に開発されたメッセージアプリ「SRソユーズ」を起動し、気晴らしも兼ねてサレナに今夜の出来事を報告する。
raiga.D_1232:サレナ、まだ起きてるか?
black_sarana@III:起きてる
black_sarana@III:そっちの調子はどう?
raiga.D_1232:ホームステイのホストの気持ちが分かった
raiga.D_1232:文化の違いはもちろん、理性を保つのも大変そうだ
black_sarana@III:はぁ……姉さんが好きそうなシチュエーションね
raiga.D_1232:リリーはオロルクリフ家の屋敷に連れて行かれたんだって?
black_sarana@III:ルナールさん、結婚を認めてもらうため躍起になってるのよ
raiga.D_1232:あの人は家の事情で俺と破局せざるを得なかったからな
raiga.D_1232:かなり歳もいってるし、今度こそ幸せになってほしいものだ
black_sarana@III:……姉さんにもね
raiga.D_1232:今日は疲れた。もう寝る
black_sarana@III:うん、おやすみなさい
画面が消えたスマートフォンをキャビネットの上に置き、枕の位置を整えてから毛布に包まるライガ。
色々なことがあって疲れているためか、彼は早くも眠りに落ちかけていたが……。
あれから1時間ほど経っただろうか。
「ん……?」
寝室のドアが開く時のガチャリという音でライガは目を覚まし、寝ぼけまなこを擦りながら物音がした方向を見る。
その視線の先には女の人影のようなモノが立っていた。
「!」
「いつもと環境が違って眠れないの……」
咄嗟にキャビネット上の護身用ハンドガンを手に取ろうとするライガであったが、人影から聞き覚えのある声が発せられたことで、彼は緊張感が抜けたかのように肩をすくめる。
「そういうことか……それは分からんでもないが、俺は子守唄は歌えないぞ」
いかにも眠たそうなオリヒメの言い分に一定の理解は示しつつも、そこまでは面倒を見切れないとしてベッドに大の字になるライガ。
「一緒に寝る……」
しかし、完全に寝ぼけているオリヒメにとっては些細な問題であるらしく、パジャマ姿の彼女は何の躊躇いも無くベッドに潜り込んでいく。
「なッ……!?」
「ぬいぐるみと同じ匂い……すぅ……」
予想外の行動でフリーズしているライガをよそに、彼に抱きつきながらスヤスヤと寝息を立て始めるオリヒメ。
「……」
体格差があるため簡単には振りほどくことができず、フリーズ状態から復活したライガは諦めて目を閉じる。
「(これが天然だとしたら恐ろしい女だぜ、まったく)」
これほどのいい女に懐かれたら普通は興奮して眠れないだろうが、今夜は不思議なことにぐっすりと眠りに就けるのであった。
【ボルシチやピロシキ】
元々はロシアやウクライナの料理だが、オリエント連邦にも伝来し国民食として広く親しまれている。
【SRソユーズ】
スターライガがメンバー間のコミュニケーション用に開発したスマートフォンアプリ。
ソユーズはオリエント語で「共同体」を意味している。
開発のベースとされたアプリは一般的なものだが、SRソユーズはスターライガ関係者以外は入手できず、組織を離れる際はアンインストールすることが義務付けられている。




