【BOG-1】始まりの疾風
―全領域ミサイル巡洋艦「アドミラル・エイトケン」。
オリエント国防海軍第17高機動水雷戦隊に所属するこの艦は本隊にあたる第8艦隊と別行動を取っており、少数の駆逐艦を引き連れながら東ヨーロッパの都市オデッサへ向けて航行している。
ウクライナを代表する工業都市にしてリゾート地でもあるオデッサは戦略的価値が極めて高いとみられており、ウクライナ海軍のみならず近隣諸国のロシアやオリエント連邦も少数ながら戦力を抽出し、オデッサ防衛に備えていた。
一人の女性士官がアドミラル・エイトケンのブリーフィングルームへと入って来る。
この部屋には先客として2人の女性兵士がいたが、士官の姿を見ると彼女らはすぐさま立ち上がり敬礼を行った。
「お前たち、楽にしろ―と言いたいところだが、そうも言ってられない状況になった。すぐにブリーフィングを開始するぞ」
敬礼を受けた黒髪の女性士官―セシル・アリアンロッド少佐は部下たちを座らせ、備え付けのホログラム・インターフェイス・システム(HIS)表示装置に士官用タブレット端末を接続し立体映像を投影させるのだった。
ウクライナの都市オデッサに対し「ルナサリアン」と思われる敵戦力の接近が確認された。
ウクライナ軍レーダーサイトからの情報によると、敵戦力は1個大隊規模のモビルフォーミュラ(MF)で構成されているという。
おそらく、ルナサリアンの目的はオデッサ占領に先駆けた防衛戦力の一掃でほぼ間違い無いだろう。
重要拠点であるこの地を失えばウクライナ軍の戦力は大きく削がれ、ウクライナという防壁が切り崩された後はロシア―そしてオリエント連邦への侵攻を許す可能性が高まる。
……我々地球人類にこれ以上の負け戦は許されない。
何としてでもルナサリアンによるオデッサ占領を阻止し、月世界からの侵略者へ地球人の底力を証明してみせよ。
作戦内容の説明を終えたセシルは使用機材の片付けを行いながらこう告げる。
「25分後には出撃だ―安心しろ、お前たちが余程の無茶をしない限り面倒は見てやる」
そう、彼女はアドミラル・エイトケン唯一の航空部隊であるオリエント国防空軍第3航空師団第85戦闘飛行隊「ゲイル」の隊長を務めており、出撃命令が下ったら2人のウィングマンを連れて戦場を駆けるMFドライバーなのだ。
ウィングマンの片割れ―金髪セミショートの若い女性ドライバーはそれを聞き安堵の表情を浮かべる。
「ついに初陣かぁ……でも、隊長のフォローがあれば何とかなるかも」
彼女の名前はスレイ・シュライン少尉。
ゲイル隊の2番機を担当するドライバーであり、ミサイル系武装による火力支援・攪乱を行うのが主な役目だ。
「『何とかなるかも』じゃないぞ、何とかできないと生き残れないからな。私はせいぜい隊長の足を引っ張らないよう努力するつもりだ」
スレイと同年代のドライバーがそう言いながら首を横に振る。
銀髪を一つ結びで纏めた彼女―アヤネル・イルーム少尉はゲイル隊の3番機を担当し、射撃武装による中~遠距離戦闘で他の2人のアシストを行う。
これに格闘戦を得意とするセシルが加わることでゲイル隊の基本フォーメーションは完成される。
少なくとも各種訓練においては前衛1・後衛2という構成を維持してきた。
「アヤネルの言う通りだ。ルーキーとはいえ自分に降り掛かる火の粉程度は自ら払えないとな……私の目の前で墜ちるのだけは勘弁してくれ」
そう語るセシルの表情が憂いに満ちているのをスレイたちは見逃さない。
訓練生時代の教官―フェンケ・ヴァン・デル・フェルデン少佐によるとセシルは2年前の戦いで多くの戦友を喪っており、以来「自分が部隊を預かる立場になったら部下は死なせない」と心に決めているという。
「……分かっています、隊長。教官や貴女から叩き込まれた操縦技術は敵を倒すだけでなく、戦場で自らを守るためのモノでもあると心得ています」
「教官……? ああ、フェンケ少佐のことか」
いつになく引き締まった顔のスレイが敬礼すると、それを見たセシルは少しだけ微笑みながら敬礼を返しブリーフィングルームから出ていく。
「珍しいな、隊長が笑うなんて」
「そうだね。あの人の悲しい顔なんて見たくないから、私たちも頑張らなくちゃ」
そして、アヤネルとスレイも隊長の後ろ姿を追い掛けるように部屋を立ち去るのだった。
アドミラル・エイトケンの艦載機運用設備は艦尾部分―後部弾薬庫と推進装置の間に配置されている。
戦闘機より小型とはいえ巡洋艦にMFを十数機も積めるほどの余裕は無く、重武装を施しているアドミラル・エイトケンは6機分しか搭載スペースを確保できなかった。
MF部隊の最小単位は3機1小隊であるため、搭載数のうち半分は予備機とされている。
そのため、本来アドミラル・エイトケンの艦載機は偵察や空母飛行隊のサポート役を務めることを想定しているのだ。
間違っても航空戦力の中核として戦場へ投入するものではない。
「3機―自分以外の2人がルーキーという部隊を激戦区へ放り込むとは、上層部も結構な無茶を要求してくれる」
愛機の窮屈なコックピットへ乗り込みながらセシルは愚痴る。
彼女が率いるゲイル隊に配備されている機体の名は「RMロックフォード・RM5-25M オーディールM」。
約30年前、名機RM5-20 スパイラルにより確固たる地位を築いたRMロックフォード社が新たに送り出す同社初の可変機であり、現在は先行量産型がエース部隊向けに優先配備されている。
M型はその中でも巡洋艦及び戦艦への搭載を想定した派生型にあたり、2132年時点ではオリエント国防軍全体に10機程度しか存在しない貴重な機体だ。
「それだけアンタの部隊を高く評価しているってことじゃないの?」
そう答えたのはセシルの担当エンジニアである技術士官のミキ・ライコネン大尉。
セシルとの付き合いはまだ短いが、2年前の戦いで偶然担当した彼女から再指名されるほどの信頼関係を築いている。
「まあ……私たちは全力で任務を遂行するだけだ。それが職業軍人だからな」
コックピットの機能チェックを済ませたセシルが合図を送るとミキはシートベルトの締まり具合を最終確認し、カウルを閉じるよう促す。
「左舷側エレベータと1番カタパルトは機体が来るのに備えろ!」
「こちらエレベータ、いつでも行けます!」
「1番カタパルトも問題ありません!」
移動・発艦に必要な設備の状態を把握したらメカニックたちを全員離れさせ、無線でセシルにE-OSドライヴへの点火を指示する。
機体がタキシングを開始し、エレベータへ向かって行くのを確認した時点でミキは一息つく。
出撃シークエンスで彼女が担当するのは機体の始動までであり、甲板上に上がったらそこから先はカタパルト要員の仕事だからだ。
「(アンタの腕前は信頼しているけど……私が調整した機体だから、無事に帰って来なさい。まあ、どうなるか見てみましょう)」
エレベータで上昇していく蒼いMFの姿をミキは静かに見守るのだった。
オリエント国防海軍の巡洋艦及び戦艦に装備されている電磁カタパルトは非埋め込み式を採用しており、航空母艦の埋め込み式よりも重量制限が厳しい代わりにある程度射出方向を変更できるようになっている。
現在のMFは全て垂直離着陸能力を備えているものの、推進剤の消費を抑えるため発艦時はカタパルトを利用することが多いのだ。
「1番カタパルト、電圧グリーンゾーンです」
今、エレベータで甲板上に上げられたセシルのオーディールが左舷側の1番カタパルトへ接続されようとしていた。
右舷側の2番カタパルトではスレイ機の発艦作業が進められている。
「1番カタパルト、セット完了!」
「こちらゲイル1、スタンバイ完了」
エンジニアのミキや担当メカニックたちとは互いにファーストネームや愛称で遣り取りをしているが、一度機体へ乗り込んだらコールサインを用いるのがセシルのやり方である。
この行動により彼女は「いつものセシル・アリアンロッド」から「MFドライバーのセシル・アリアンロッド」へとモードを切り替えるのだ。
なお、オリエント国防空軍は作戦行動中のコールサインの使用を推奨しているが、罰則を設けるほど徹底しているわけでもない。
「ゲイル1、発艦スタンバイ」
非埋め込み式カタパルトにはディフレクターが装備されておらず、発艦時はカタパルト自体を数メートル上昇させることでスラスター噴流が作業員へぶつからないように配慮している。
マニュアル通り補助計器盤の上にあるグリップを握ったセシルはスロットルペダルを踏み込み、愛機のメインスラスターが発艦に必要な推力を発生していることを確認する。
「ゲイル1、出るぞ!」
次の瞬間、オリエント連邦とは毛色が異なる東欧の青空へオーディールが勢いよく射出された。
続いて発艦してきたスレイ機と編隊を組み、残るアヤネル機が上がってくるのを待つ。
セシルは発艦時間短縮のためカタパルト増設を要求していたのだが、突然の開戦には結局間に合わなかった。
「ゲイル3、空へ上がったらすぐにこちらへ合流しろ」
「こちらゲイル3、了解」
アヤネルのコールサインはゲイル3、そしてスレイのコールサインがゲイル2である。
「お前たちにとっては初陣だな……戦場へ到着するまでは頭の中でブリーフィング内容を復唱しておけ」
編隊を整えた3機のオーディールが空を翔ける。
彼女らの視線の先にはこれから戦場になるであろうオデッサの姿がボンヤリと見えていた。
スターライガシリーズではこの部分で本文に登場した用語の解説を行っています。
前作が初出の用語に関しては「スターライガ」を参考にしてください。