【BTF-8】密約
「地球人の事情は知らないけど、我々はここで負けたら未来を失ってしまう。だから……あなた方の要望に応じることはできない」
自分たち月の民にも戦う理由がある以上、現時点では地球上の全戦力を撤退させることはできない――。
それがスターライガ側の要望に対するオリヒメの残酷な答えだった。
「もっとも……あなた方が我々に鞍替えしてくれるのであれば、地球の主要国との和平交渉を考えてもいいでしょう。まあ、そうなったら和平などせずとも戦争には勝てると思いますが」
しかし、彼女はスターライガの選択次第では考え直してもいいと言っている。
端的に言えば「地球との戦争をやめる条件として、お前たちはルナサリアンの同志になれ」ということだが……。
「我々のことを甘く見ないでいただきたい。ホワイトウォーターUSAのような軟弱の集団と異なり、スターライガのメンバーは敵へ振るための尻尾など持っていません」
そのような勧誘など受け入れられるわけが無く、レガリアは「地球の裏切り者」を例に引きながら非現実的な選択肢を否定する。
「自分たちの祖国には『人間が尻尾を失ったのは、何者にも支配されること無く生きるため』という諺があります。あなたがどれだけ甘い言葉を囁いたとしても……俺たちはそのような誘惑には屈しない」
ライガも祖国オリエント連邦に伝わる諺を引き合いに出し、オリヒメの取引には応じない姿勢を示す。
彼女が条件を呑んでくれる可能性も決してゼロではない。
だが、ホワイトウォーターUSAを「地球の裏切り者」として粛清している以上、スターライガがルナサリアンと同盟を結ぶことなど許されるはずがなかった。
「フフッ、残念だけど良い答えね。それに比べればホワイトウォーターの連中は自己保身と野望のために同胞を裏切り、我々との関係を勘違いする家畜以下の弱者でしかなかった」
自らが提示した条件を拒否されたにもかかわらず、その事実を苦笑いしながら受け入れるオリヒメ。
とはいえ、それと同時に以前協力関係を結んでいたホワイトウォーターUSAを散々こき下ろしていることから、本当はこのような結果を望んでいたのかもしれない。
「とはいえ、こうして言葉を交わせるだけでも良い成果になったわ。その見返りとして今後はコロニー落としを封印し、地球の一般市民を戦闘に巻き込むことも極力避ける――これでどうかしら?」
スターライガを同志に引き入れることは難しいと判断したオリヒメは、より譲歩するカタチで「コロニー落としや焦土作戦といった無差別攻撃を今後一切行わない」という新たな制約を提案する。
「戦時条約――いや、交戦規定に関する紳士協定とでも呼ぶべきか。どうするレガリア? この『取引』には応じていいかもしれないぞ」
スターライガ側にとってはメリットしか存在しない提案を受け、隣に座る戦友に対し自らの意見を述べるライガ。
少なくとも彼は「相手が紳士協定を遵守するならば、その提案を受け入れるのも悪くないかもしれない」と考えている。
「……いいでしょう。今後はその紳士協定を『法典』に刻み込み、我々はそれに則って戦うことにしましょう」
暫しの熟考の末、レガリアもオリヒメが提示した紳士協定を認めることを決断し、オリエンティア式の誓約書である「法典」に以下の内容を書き記していくのであった。
1.この法典はスターライガ及びルナサリアン(月の民)双方が遵守すべきものである
2.この法典は半永久的に有効である
3.この法典の内容を外部に流出してはならない
4.スペースコロニーを戦略兵器として利用してはならない
5.地球及び月の人口密集地での大規模戦闘は極力避けなければならない
6.戦後復興への悪影響を抑えるため、焦土作戦を行ってはならない
7.いかなる理由があっても捕虜虐待を行ってはならない
8.上記の内容に加えて、一般的な交戦規定も全て遵守しなければならない
9.気になる点があった場合、ホットラインを通じていつでも質問できることとする
10.この法典が砕かれた場合、制裁を下すのは「内容を無視された側」でなければならない
-Regalia Scharlachrot-
-Akidsuki Orihime-
-Raiga Silverstone-
-Akidsuki Yukihime-
一触即発の事態に陥ることもあったが、それらの危機を乗り越えた会談は無事に終わりを迎えようとしていた。
「本日はありがとうございました。あなた方のおかげで有益な話し合いになりましたわ」
保管用の「法典」にサインを済ませたオリヒメはそれを側近のオウカに預け、一礼しながらレガリア及びライガと握手を交わす。
「いえ、こちらこそ」
これまで全く緊張を緩めなかったレガリアもようやく笑顔を浮かべ、オリヒメの色白な右手を優しく握り返す。
「(ふぅ……これが戦争終結へ向けての一歩になるといいんだが)」
何事も無く会談が終わりそうなことに一安心し、まだ残っていたリョクチャを飲み干そうと湯呑みを手に取るライガ。
しかしその時、まるで大地震を彷彿とさせる強烈な横揺れがヤクサイカヅチ艦内を襲い、湯呑みの中のリョクチャが四方八方へ飛び散ってしまう。
「ああッ、クソッ! 俺のスーツが!」
一番被害が大きかったのは当然ながら湯呑みを持っていたライガであり、1セット32万円もするお高いスーツが汚れてしまったことを思わず嘆く。
だが、今懸念すべきなのはスーツの汚れではなく、スペースデブリの衝突とは明らかに異なっていた横揺れの正体についてだ。
「何だ今の揺れは!? 艦橋の連中は気付いているのか!」
揺れが収まったタイミングでユキヒメは慎重に立ち上がり、着信音を鳴らしている内線電話の受話器を手に取る。
「私だ、アキヅキ……ユキヒメだ。今の衝撃は――」
それとほぼ同時にレガリアのスマートフォンも強く振動しており、彼女は相手の名前を見ながら電話に応じる。
「はい、シャルラハロートです。ええ、こっちもかなり揺れましたよ――」
今の揺れはヤクサイカヅチの隣に停泊するスカーレット・ワルキューレでも感じられたはずであり、おそらくは「緊急時はすぐに連絡するように」と指示を受けていたミッコからの報告だろう。
外に展開しているMF部隊の状況も気になるが、今は目の前にいるアキヅキ姉妹に事情を説明することが先決だ。
少なくとも「嵌められた」と捉えられることだけは絶対に避けなければならない。
「お二人さん、たった今艦橋の乗組員から報告があった。今の衝撃の正体は所属不明艦からの砲撃だそうだ」
受話器を元に戻したユキヒメはスターライガの面々の方を振り向き、不敵な笑みを浮かべながら艦橋からの報告内容を伝える。
やはり、先ほどの揺れの原因は「所属不明艦の砲撃の至近弾」であったらしい。
「あら、奇遇ね。私も母艦の艦長から全く同じ報告を受けたところですわ」
ミッコ艦長からの報告を聞き終え、作り笑いをしながらユキヒメのことを睨み返すレガリア。
「所属不明艦」の存在が両者を疑心暗鬼に陥らせ、最悪の事態を招こうとしていたが……。
「……どうやら、これはお互いに想定外の事態のようね」
この危機的状況で機転を利かせたのは、周囲の喧騒をよそに呑気にリョクチャを飲んでいたオリヒメであった。
緊張感に欠けているのか単にマイペースなのか分からないが、一番冷静に状況を捉えているのは間違い無く彼女だ。
「ユキ!」
リョクチャを飲み干したオリヒメは諭すように妹の名前を呼ぶと、ゆっくりと立ち上がりながら所属不明艦への対応を伝える。
「ハッ、何でしょうか姉上!」
「所属不明艦とやらを見物しに行くわよ。あなたも護衛として一緒に来なさい」
なんとオリヒメは見物気分で自ら出撃するつもりらしい。
会談の場でも帯刀している妹とは異なり、とても武人のようには見えないが……。
「姉さん――いえ、姉上が自ら出陣なされるのですか?」
さすがのユキヒメも姉の無茶振りには困惑し、彼女の表情を窺いながら本当に出撃するのか尋ね直す。
戦闘能力については何ら心配していないが、万が一のことを考えると自重してほしいというのが妹としての本音だ。
「ええ、先方に私たち姉妹の実力を披露する好機だと思わない?」
そんな妹の心配を知ってか知らずか、珍しく「サキモリを扱えるエイシ」としてやる気を見せるオリヒメ。
「お言葉ですが姉上、月の民の最高指導者である貴女が無闇に前線へ出るのは……」
しかし、姉の身を案じるユキヒメはその無茶振りを咎め、武官である自分に荒事は任せるよう説得を試みるが……。
「フフッ、いざという時は私を守ってくれるんでしょ?」
妹に叱られたオリヒメは初めこそ苦笑いしていたものの、この言葉と真剣な眼差しを以って自らの本気を伝える。
戦慣れしているユキならば、自分の背中を任せられる存在として頼りになる――と。
「むぅ……仕方がない、仕方がないな。姉上が出陣するのならば、私も出るしかあるまい」
姉の頑固な一面を知っているユキヒメはこれ以上の説得を諦め、頭を掻きながら周囲の側近たちへ所定の手続きを済ませておくよう指示を出す。
国のトップと言えど手続き無しでの無断出撃はあまりよろしくないからだ。
それに、ユキヒメにとっては「普段から厳しく躾けている兵士たちに示しが付かない」という個人的なプライドもある。
「スターライガの皆さん、それではごきげんよう。先に宇宙で待っておりますわ」
「貴様たちの実力……戦場で見せてもらうとしよう」
そう言い残しながらアキヅキ姉妹は謁見室を後にし、一部の側近たちもそれに続く。
「……姉さん……」
「オウカ! 何をしているの?」
退室する直前、オウカは少し立ち止まり敵味方に分かれてしまった姉の姿を見つめるが、オリヒメに呼ばれたことで慌ててその場から立ち去る。
25年ぶりの再会にもかかわらず、それぞれの事情があるホシヅキ姉妹は言葉を交わすことさえ叶わなかった。
「あのお嬢ちゃん、時々レンカのことをチラチラ見てたな……」
こぼしたリョクチャのせいで汚れたスーツの上着を脱ぎつつ、お嬢ちゃん――オウカの視線がレンカに向けられていたことを指摘するライガ。
「それも気になるけど、今は事態を収束させるのが先決ね。みんな、私たちも艦に戻るわよ! ライガとレンカは出撃準備が整い次第僚機と合流してちょうだい! フランシスは白兵戦要員をまとめて警戒態勢へ!」
だが、レガリアは彼の指摘を懸念事項としつつも一旦置いておき、それよりもスカーレット・ワルキューレへ戻り敵襲に備えることを優先する。
「ああ、分かってる! それまでは指揮権を預けているサニーズ頼みだ!」
「了解!」
彼女の指示に力強い声で返答するライガとフランシス。
ところが、何か考え事をしているのかレンカだけは返事をしなかった。
「レンカ!」
「あ……は、はい! 了解しました!」
それを不審に思ったレガリアに名指しされたことでハッとしたように彼女の方を振り向き、指示を聞いていたアピールを行うレンカ。
「おいおい、大丈夫か? 不安要素があるのなら出撃を控えてもいいんだぞ」
「いえ、問題ありません。いつでも出撃命令に対応できてこそのプロフェッショナルですから」
相変わらず上着の汚れを気にしているライガからも「調子が悪いなら休め」と言われてしまうが、レンカは自分の正体を隠したい一心から「いつも通り戦える」と主張を続ける。
結局、それを聞いたライガたちは不審に思いつつもこれ以上の言及は行わなかったが……。
「(オウカ……ごめんね。もうお姉ちゃんはあなたに会えないかもしれない……)」
せっかく元気な姿を確認できたのに、25年間行方を晦まし続けていたことを謝れなかった――。
最初で最後かもしれない機会に何もできなかったことを悔いていたのは、他ならぬレンカ自身であった。
これが本当にホシヅキ姉妹の永遠の別れとなってしまうのだろうか……?
【法典】
オリエント圏では重要な約束事を形式ばって「法典」と呼ぶことがある。
約束を交わすことを「法典に刻む」、逆に破られることを「法典が砕ける」と表現する。




